1 父と子で考えましょう
三日前に「太閤秀吉」が完結。しばらく書くのはお休み。のんびり、読書しよう。と、思っていたのですが。
まさか、中二日で連載を始めてしまうとは。
よせばいいのに。
本編は、連載13回を、五日間で書き上げましたが、本作は、休みながら、のんびり更新していく予定です。
スピンオフの第1話(第2話以降があるかどうかは、分かりませんが)に、石田三成の関係者を選んだのは、
本編にいただいたレビューに
「治部殿が楽しそうで良かったです」
と、ご記載いただいたこと。
そして、
以前、「戦国無双」の二次創作のサイトを、次女と一緒に運営していた長女が、三成殿のファンだからです。
重家の恋の対象となるのは、どういう女性か。
本編を読んでくださった方でしたら、お察しいただけるかと思います。
はい、そのご予想、間違っていないと思います。
名前については、幼名が分からなかったので、元服後の名前にさせていただきました。
石田治部少輔三成は困惑した。この度の、主君秀吉の命令にである。
「やってみて楽しく、見ていても楽しい、命のやり取りをしないいくさを考案せよ」
それが太閤豊臣秀吉の命令であった。
だがその命令の最終的な目的を聞き、三成は深く感じ入った。
殿下が日の本を統一。朝鮮征伐は目的を達することなく。昨年講和。
今この日の本は、太平の世が始まったばかり。
しかし人の世に、いくさは常。
この太平がいったいいつまで続くのか。
朝鮮征伐の際、三成は渡海し、大変な苦労をした。
いくさの無き世を作る。それが三成の念願だった。
どうやって。
秀吉から聞かされた、天海の策に三成は驚倒した。
「明るく楽しい世界征服」
そしてその一環としての
「命のやり取りをしないいくさ。技競べ」
三成は震えた。これほどやりがいのある命令はない。
「殿下」
三成は拝命した。
「この治部少輔、身命を賭して考案いたしまする。命のやり取りをしないいくさ、技競べを」
「うむ、頼んだぞ治部少。直江兼続と真田信繁にも同じ命令を下した。
本当は、大谷刑部にもこの命令を下したかったのじゃが、かの体では、おそらくは激しく体を動かすことになるであろう技競べを考案させるのは、荷が重かろう、と思うて刑部は外した。
時に三人で相談し一ヶ月の間にまとめよ」
三成は、伏見城下にある石田屋敷への帰路、どこから手を着ければよいかと思案した。
頭に思い浮かんだのは、長男で十二歳になる重家のことだった。
学問に関しては、そこそこの出来ではあると思うが、秀才とうたわれた父の眼から見たら物足りない。
武芸についても、そこそこにはこなしているが、時に稽古をつけてくれている島左近の言を聞いても、特に際立ったものを示しているわけではないと察しはつく。
まあ儂の息子が武芸に秀でている、ということはあるまい。
が、重家は、色々と遊びを考えることが好きなようだ。
六歳の弟、重成。三歳の妹、辰。
母である正室の、うた、によれば、
弟妹とよく遊んであげる、優しい兄のようだ。
そして、まだ幼い弟妹が面白がるような遊びを色々と考えて、相手をしてやっている、とのことだった。
屋敷に戻って、三成は居室に重家を呼んだ。
何事かと、緊張した面持ちで重家が、三成の前に正座する。
「重家。重成、辰と、よく遊んでやっている、と母から聞いている。時にそなたの考案した遊びで相手をしてやっているとも聞いた。どういう遊びを考えたのか父に聞かせてくれ」
重家がほっとした顔をして、得たりとばかりに、嬉しそうに色々と、父に説明する。
やはり、幼い子供が喜ぶような単純な遊びだな。大人がやって楽しいものではない。
だがその中で、重家が語る「棒鞠」と名付けたらしい遊びは、三成の興味をひいた。
遊びに集まった人数に応じて同数になるよう、ふた組に分ける。
一方の組の中から投げ手に選ばれた者が、もう一方の組の中から打ち手に選ばれた相手に、ある程度離れた場所から鞠を放る。
打ち手はこれを手に持った棒で打つ。
投げ手の側の組は、投げ手以外の者も投げ手のまわりに広がり
、飛んできた鞠に一番近い場所にいた者が、これを受けるか、拾うかする。
鞠を打った者は、打ったら直ぐに、十間程度離れた場所に置いた目印にむかって走る。鞠を持った者は、走っている者に駆け寄り体を叩くか、目印に到着する前に、鞠を、走っている者宛に投げ、ぶつける。
体を叩かれもせず、鞠をぶつけられることもなく、目印に到着できた者は、その目印に残る。
打ち手の側の組の全員が一回ずつこれを行う。
目印は、四つあり、四つ目は、打つ場所に戻るようにする。目印に残った者は、次の打ち手が、鞠を打ったら、次の目印に向かって走る。
投げ手の組は、次の打ち手が打った鞠を持ったら、目印に残った者、打ち手、どちらに鞠をぶつけてもよい。
組の全員が打ち終わり、投げ手の組と打ち手の組が交代するまでに、何人の打ち手が、四つ目の目印に到着することができるかで、勝ち負けを決める。
面白そうではないか。
三成は思った。
よし、この棒鞠をもっと練り上げよう。
三成は重家に、太閤秀吉の命令を伝え、父を助けよ、と告げた。
重家は、父を手伝えることを喜んだ。
父子はそれから、棒鞠の決まりを練り上げた。
鞠は速く投げることができたほうが面白い。
そして上手く当たったら、遠くへ飛ぶようにしたほうが面白い。
鞠の大きさ、固さを工夫した。
鞠を打つ棒の長さ、太さ、木の種類を工夫した。
兼続、信繁も、技競べを考案した。
信繁は、広場蹴鞠。
兼続は、武者の鍛えになる、と鎧鞠。
が、三成父子は、ふたりで考案した棒鞠が一番面白いと思った。
兼続、信繁が、石田屋敷にやってきた日。
かねてから目をつけていた空き地に行き、石田家の家臣も交えて、初めての棒鞠の試合を行った。決まりについては、それまでに説明済だった。
この試合で、島左近が棒で打った鞠は、六十間飛んだ。