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夏のホラー参加作品

初恋に撃たれて(三十と一夜の短篇第28回)

作者: 楪羽 聡

 ねえ、ちょっと聞いてくれる?

 恋に落ちた瞬間を表わす時「電気ショックを受けたような」とか「雷に打たれたような」って言い方をするじゃない?

 あれって絶対大袈裟だって思ってたけど、ほんとだったよ。

 しかもあたしの場合、初恋だよ。初恋。

 だから「初恋に心臓を撃ち抜かれた」みたいな感じ?


 その人は山岳ガイドのボランティアで大学生。あたしはというと、町内会の登山イベントに強制参加させられた高校一年生。

 あ、『強制参加させられた』っていうのは、実はうちのママが今年は役員でね。

「会長さんに『年寄りばっかりじゃつまらないから、若い子も連れて来て』って言われたの。お願い」なんて、勝手に決めちゃったのよ。

 本当はその日、ミサキと一緒に渋谷へ行く予定だったのにさぁ。


 でもママが「次の連休にずらしてくれたら、特別にお小遣いもあげるから」って言うし。そこまでされるならしょうがないじゃない?

 ミサキには「ママが町内会の役員でさぁ、どうしてもっていうから……ごめん」って平謝りして予定をずらしてもらったの。

 一応ミサキも登山に誘ってみたけど「えー、おじいちゃんばっかりなんでしょ?」って断られちゃった。

 だよねぇ。わかる。

 あたしもお小遣貰えなかったら「その日限定のイベントが」とか、適当に断ったと思うし。


 まぁそんな感じで登山に参加することになったの。


 実際どんなイベントなのか訊いたら「チラシには『登山』って書いてあるけど、実際はハイキングコースをのんびり歩いて、時々休憩したり写真撮ったりして、頂上に着いたらランチして、帰りは頂上からバスで帰る」んだって。

 なんで歩いて下山しないのかってのは「ランチの時にお酒を飲む人が多いのよ」ってママは苦笑してた。


 しかも山の中腹の駐車場まではバスで登るから、ハイキングコースも全行程の半分くらいとか。だからちょっとした遠足程度だと考えていればいいよって。

 休日は潰れるけど、遠足に参加してお小遣いもらえるなら楽だよね。高校の耐久遠足の方がきっとしんどいよ。

 耐久遠足は十月にあるんだよね……あぁ学校のこと思い出しちゃった。

 ユウウツ。


 * * *


 当日は五時半に駅前に集合して、二時間くらいバスに揺られてた。

 起きたのは四時半だよ。信じられる? あたし、集合場所に着いてもまだ半分寝てたからね。

 でもバスでもう一度寝ようとしたのに全然眠れなかったよ。

 お年寄りってどうしてあんなに朝に強いんだろう? もうぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、まるで田んぼに群がるスズメみたい。


 しょうがないからずっと窓から外の景色観ていたんだけど、早朝の薄く(もや)が掛かっている山の風景はよく言えば幻想的。悪く言えば……うん、ちょっと怖いと思った。周りが全部白くて、どこを走っているのかもよくわからなくて……

 このまま知らない世界に連れて行かれちゃうんじゃないか、って不安になる。

 駐車場に着いた時も、端の方半分くらい霞の中だったからね。

 車のライトだけ見えてるんだよ。明るいのにライト()けなきゃいけないってのも、不思議だよね。


 こんな天気だからあまり人がいないだろうなと思ったけど、広い駐車場の三分の一以上は既に埋まっていたよ。

 バスが数台()まっていたし、RV車なんか何台もいて。

 結構物好きがいるのねぇ、なんて思いながらバスを降りたけど、ひょっとしてあたしもその物好きのひとりってことになるのかも?


 町内会長さんが「今日は、ボランティアの山岳ガイドの人が同行します」って紹介するから、ベテランっぽいおじさんが出て来ると思ったの。

 でも大学生の、わん……えっと、ワンナントカサークルのお兄さんたちだってわかった途端に、おばちゃんたちが興奮しちゃってさ。いやいや、そーゆーイベントじゃないでしょ、ってあたしは隅の方で呆れてた。

 まぁ、あたしもおじちゃんやおじいちゃんに囲まれるよりは、お兄さんの方が嬉しいけどね。


 でもぶっちゃけ、登山が趣味の人はゴツくて男臭いような人なんだろうな、って期待はしてなかったんだよね。

 そしたら紹介された三人のガイドさんたちが、みんな揃ってイケメン。

 普通さ、ひとりくらいはフツメンとか混ざってるじゃない? 思わず「漫画かよっ」って心の中でツッコんじゃった。


 やっぱりイケメンが目の前に並ぶと、おばちゃんじゃなくてもちょっとテンション上がるよね。あたしでさえそうなんだから、最初っから興奮していたおばちゃんたちは、もうやかましいくらいにきゃーきゃーしてた。

 ガイドさんたちは「すみません、話を聞いていただけますか?」とか「この注意事項を聞いていただけないと、(にゅう)(ざん)できない規則(きまり)ので……」とか繰り返してて、大変だなぁなんて思ったよ。


 あ、でもおじさんたちは逆に不機嫌になってたなぁ。

 夫婦で参加してた『サトミ洋品店』の()()さんなんて、あからさまに文句言ってたし。

 でもやっぱ、お腹が出て髪も薄くなって、いつもポロシャツとスラックスかジャージ上下を着ている()()さんより、身体が引き締まっていて髪もフサフサで、カラフルなウェアの若いイケメンにときめくのはしょうがないよ。

 あたしだっておじさんを見掛けるたびに「せめて服だけでもどうにかならないのかなぁ」って思ってたもん。洋品店を仕切ってる(おば)さんはお洒落や流行に敏感だし、尚更だと思う。



 肝心のハイキングだけど、大気の状態が不安定らしくて、天候によっては途中で引き返すかもって出発前に説明されたの。にわか雨や雷の予報も出てたんだって。

「遠くの街や更に向こうの山々まで見渡せるから、晴れてたら絶景なんですけどね」って、ガイドさんは申し訳なさそうだった。天気はガイドさんのせいじゃないのに。

 涼しくて歩きやすくて、こういう天気もいいんじゃないかな。

 最初からカンカン照りだと、ハイキングに慣れていない人はすぐバテちゃうらしいし……あとイケメンと一緒なら、天気なんて多少どうでもいいって考えるよね。


 途中には休憩所があって、一番近いところに着くまでに少しは天気も回復するんじゃないか、ってガイドさんが言ってた。そこは展望がひらけていて記念写真を撮るような場所なんだって。

 あたしたちもそこで写真を撮るのかなぁ。記念撮影の時にはガイドさんと並べたらいいな、なんて考えてた。


 * * *


 ハイキング中でもおばちゃんパワーはハンパなかったよ。あたしが話し掛けられるチャンスなんて全然ない。ガイドさんは三人もいるのに。

 ガイドさんが時々どこかを指さして説明している様子が見えるんだけど、何を話しているのかは、おばちゃんたちのお喋りにかき消されてまったく聞き取れない。説明どころか、鳥の声も川のせせらぎも聞こえない。


 おばちゃんたちに相手にされないおじちゃんたちがやたら話し掛けて来くるから、あたしの周囲だけ余計にうっとうしくなったし。

 でも無下にするわけにもいかないからママに助けを求めようとしても、ママもガイドさんにべったりでさ。しかも「役員ですから」とか言って、お気に入りらしいお兄さんとずーっと一緒に歩いてんの。

 帰ったらパパにチクってやろうって思いながら、八百屋のご隠居さんから塩飴もらって舐めてたりした。


 ご隠居さん、今年八十六歳なんだって。それで毎年この登山イベントに参加してるらしいし、週に一回はプールで百メートルくらい泳いでるっていうし、年に何回か旅行行くって話してたし。すごくない? スーパーおじいちゃんだよね。

 こういう人には長生きして欲しいなぁ。

 あたしは毎日学校行って授業はなんとなく受けてお喋りして、放課後は部活もバイトもしてないから、メールと動画と、あとたまにゲーム。ってか、こんなダラダラしてたら駄目じゃん、っていう見本みたい。


 ご隠居さんと自分を比べて、このまま年を取ったらどうなっちゃうんだろうって、ちょっとだけ不安になった。気付いたらぽっくりいってそう、って。

 あたしは本を読みながらうたた寝しちゃうから、その間にそのまま……なんて理想かもって思ったよ。

 籐椅子におばあちゃんになったあたしが座っていて、手にした詩集がほと、と落ちて。それを拾った孫が「おばあちゃん? 寝ちゃったの?」なぁんて……

 でもあたし、詩集は読まないんだよね。


 八百屋のご隠居さんに付き添って一緒に歩いていたのは、駅の方にあるお弁当屋さんの店長さんだった。今回の参加者の中では確かあたしの次に若い人で、実際若く見えるんだけど、もう三十代だって言ってた。

 まだ独身で「いい年して好きなことばかりやって、結婚の予定もまったくない」ってご隠居さんに叱られてた。ご隠居さんの年代では、結婚して家族を支えてようやく一人前だろう、ってことらしいの。

 店長さんは「はぁ」とか「すみません」とか困ったような笑顔でぺこぺこ頭を下げながら話を聞いていた。

 こういうの見ていると、年上の人でもかわいそうになって来るよね。


 店長さんの好きなことはプラモとかゲームじゃなくて――なんとなくアニメとか好きそうなイメージだったんだけど――植物や鳥について色々調べたり写真を撮りに行ったりすることなんだって。

 当然花の名前にも詳しくて、そこに咲いているあの黄色い花はなんだとか、そこの野草はおひたしにして食べられるとか、今聴こえている声はナントカいう鳥の声だね、とか色々教えてくれたの。

 でもそんなにいっぺんに覚えられなくて、あたしは「はぁ」とか「あ、そうなんですね」とか相槌を打ちながら一緒に歩いていた。


 * * *


 休憩所に着いて、やっとあたしもおじさんたちから解放されたの。

 歩きながらずっと気を遣っていたみたいで、人に疲れちゃった感じ。だからひとりになりたくて、一番突端の方まで行ってみたの。

 晴れたらここのベンチにも人がいっぱい座るんだろうなぁって思いながら、まだ白っぽい風景を眺めてみた。


 深呼吸をすると、ひんやりしっとりした空気が喉を通って行く。緑の香りっていうのかな……すっとするような、ほっとするような静かな香りが身体中に満ちて行く気がした。

 風が吹くとしゃらしゃらさわさわと樹々が鳴る。目を閉じて聞き入るとふうっと空に浮かぶような感覚になる。このままずっと聴いていたいと思ったよ。


 そうしてるうちに、こういう音を集めたCDをママが掛けてくれたことがあったなぁ、ってふいに思い出したの。

 あたしが小さい頃にね、お昼寝が嫌でぐずってる時、海の波の音や木の葉擦れの音とか、それぞれテーマが分かれているセットから一枚選んで掛けてくれてたんだよね。雨音のCDってのもあったなぁ。

 最近は全然聴かなくなったけど、久し振りに聴きたいなぁ。帰ったら探してみようかな。寝る時に掛けてみよう、なんて考えてた。


 気分がすっきりした仕上げにもう一度深呼吸をして、改めて周囲の様子を色々見てみたの。

 展望台のすぐ下は崖になってて、柵から身を乗り出して覗き込んだら下の方にも雲が涌いてたよ。

 雲の上に樹の梢が見えていたから低く見えてもそれなりに高いみたいなのね。つまり展望台はもっとずっと高い場所にあるってことだよね。

 あそこはね、あまり身を乗り出さない方がいいよ。ちょっと足がすくむような景色だから。


 * * *  * * *


 風景を眺めて――まだまだ白っぽかったけど――それなりに満足して、スマホで崖下の風景をバックに自撮りしてたら「撮ってあげようか?」って声が突然聞こえて飛び上がりそうになった。

 ひとりで盛り上がってる時に声を掛けられるのって恥ずかしいじゃない? しかも絶対、ビクッてなったの見られたよね。

 だから「いえ、大丈夫です」って言おうと思って、スマホを顔の前からよけたら、めっちゃ好みのタイプのイケメンだったんだよ。

 誰似かって言ったら……うーん、俳優の()(そら)ヒロシと、声優の(やま)()ノボルを足した感じ? 声は山辺ほどイケボじゃないけど爽やか系でさ、だからあたし「いえ、だ――」で止まっちゃったよ。


 そしたらその瞬間。


 ゴロゴロとかピカっとか、そういうのじゃないのね。知らなかったよ。

 なんて言えばいいかな……パシン! とか、ピシャン! って感じの音。ゴロゴロなんて低音じゃなく高い音で、耳が痛くなるくらいの破裂音?

 そんな感じだった。

 音と同時に、目の前でカメラのフラッシュ十個とかいっぺんに焚かれたみたいに、何も見えなくなったのよ。


 視界が戻っていくのと同時に、ガイドのお兄さんが弾き飛ばされてるのがスローモーションで見えた。

 なんでゆっくり見えるんだろう? なんて考える余裕もあった。ほんの一瞬だったはずなのに。

 その時のお兄さんは目が飛び出すんじゃないかってくらい大きく見開いてたから、ひょっとしたらあたしも同じような表情してたかも。

 もっともあたしの場合は雷よりも、お兄さんがイケメン過ぎて驚いたんだけど。


 うん。そう。

 あたしは初恋に撃たれたと同時に、雷にも打たれてしまったの。

 なんという不運なんだろう。

 でもその瞬間にあたしはあの人と知り合いになれたんだから、実は幸運? どうなのかな。まぁ五分五分って感じかな。


 雷はあたしの方へ多く来たんじゃないかな。

 お兄さんの方は「うわっ」と声を上げて跳ね飛ばされる程度で済んだけど、あたしはというと、ショックで口が利けなくなってたし身体も硬直してたし。そして視界の範囲から察すると、どうやら倒れちゃったみたいなのね。

 でも目を開いた状態でよかったと思う。お兄さんの様子がよく見えたから。

 これが、驚いて咄嗟に目をつぶってしまっていたら、何も見えないまま固まっていたよね。


 お兄さんはガクガクしながらようやく立ち上がって、ママたちがいる方に慌てて戻って行ったのよ。足がもつれて何度も転びそうになってた。

 固まってるあたしを置いて行くなんてちょっとひどくない? って思ったけど、間もなく理由がわかったの。すぐに戻って来て、あたしの名前を大声で呼び始めたから。

 お兄さんは、ママにあたしの名前を訊きに行ってたのね。

 そうだよねぇ。呼び掛けるのに、名前も知らないのは不便だもんね。


 でもなんでかなぁ。

 固まってるから気を失ってると思ったんだろうか、何度も何度も呼び掛けて、まるであたしが意識のない人みたいな扱い。

 でもほら、目だけは動いてるでしょ? だからお兄さんが行ったり来たりしてるのも見えてるし。

 そのガイドのお兄さん――うん、名前がわかんないから仮にヒロシさんって呼ぶね。ヒロシさんを追い掛けるように、ママも小走りで来てあたしを呼んだ。

 ってか、折角ヒロシさんに名前を呼ばれて気分よかったのに、ママが邪魔しに来るなんてサイテー。

 目だけで怒ってるのを伝えようとしたけど、全然通じなくって軽く絶望したわ。


 そうこうしているうちにヒロシさんが町内会の人に呼ばれたので、あたしもついて行こうと思って身体を動かしたら、もう動けるようになってた。

 なんだ、簡単に立ち上がれたじゃん、って拍子抜けしたよ。

 さっきのヒロシさんみたいにガクガクするのかと思ったけど、むしろ身が軽くなったような感じさえするし。それよりもママの方がぐったりしちゃって、あたしに覆い被さるように座り込んでる。

 大丈夫か心配になったけど、ヒロシさんが行っちゃうから、悪いけどママは置いて行くね。

 あとでまた戻って来るからね。


 やっとヒロシさんに追いついた時には、町内会のおじさんや他のガイドさんたちと難しい顔して話し合っていた。

 雷が落ちたから今日はこのまま引き返そうか、って話合っているんだろうか?

 あたしは耳の中で何かがずっとうわんうわんと響いてる感じで、おじさんたちの話がよく聞き取れなかった。ヒロシさんの近くに寄って一所懸命話を聞き取ろうとするんだけど、単語すら判別できない。

 ヒロシさんがあたしの名前を呼んだ時には普通に聞こえてたのになぁ。雷とママの大声のせいで、耳が麻痺したんだろうか。

 これはしばらく聞こえにくいままかも。


 説明してもらおうかとも考えたけど、ヒロシさんたちはあたしが普通に聞こえてると思ってるのか気にする様子もなく話を進めてる。

 鳥の名前を教えてくれた時はあんなに饒舌だったお弁当屋さんの店長さんも、ずっと黙ったまま深刻そうな表情でうなずいてるばっかり。


 おじさんたちの話はわからないし、おばさんたちも疲れたようにしゅんとしてるし、あたしもこれといってやることもないし、ただ休憩時間が長引くばかりでなんだか退屈だったなぁ……


 * * *


 どれくらいぼ~っとしていたのかは忘れたけど、突然、救急隊員みたいな人たちが数人やって来た。それでようやく、おじさんたちはこの人たちを待っていたんだ、って理解できたの。

 だからみんな静かにしてここで待ってたんだね。

 きっと具合悪くなった人がいたんだと思うの。みんなおじさんやおばさんばっかりだから、はしゃぎ過ぎて疲れたのかも。

 でもそんな人の前で自分らだけが楽しそうだったら、悪い気がするもんね。


 担架が運ばれて行く。誰が乗せられたのかわからなかったよ。

 八百屋のご隠居さん? 違った。床屋さんの()()さんと何やら話し込んでいる。

 じゃあ洋品店の……ご夫婦は一緒にいるし。

 あと体力がなさそうな人ってだれだろう?

 お蕎麦屋さんのおばあちゃんもそこでのんびり座ってる。


 まさかママ?

 さっきぐったりしていたから……と不安になったけどママも違った。でも救急隊にはママが付き添うみたい。

 だいぶ疲れたような顔をしてたのに、大丈夫なのかなぁ?

 でもママは役員だもんね。役員やってると、こういう時は大変そう。

 かわいそうだから、パパにチクるのはナシにしてあげようって思った。



 どうやらハイキングコースのすぐ近くに車が通れる道路があって、救急車はそこを通って来たみたい。

 あたしたちはまだ予定の半分も過ぎてないから、続けて歩くのかと思ったけど「バスがもう少ししたら着くから」ってガイドさんが説明してた。このまま下山するみたい。

 残っている人たちの中にも顔色が悪いおばさんが何人かいたから、みんなつかれちゃったのかもね。天気もよくないし、しょうがないよねって納得した。

 みんなは何故だか、来た時とは対照的にやたら静かにバスに乗り込んで、席に着いてからもため息ばっかり。そんなにつかれてたのかしら。

 やっぱり、若いガイドさんの前ではしゃぎ過ぎた人が多かったんだと思うな。

 あたしなんてこんなにピンピンしてるのに。


 みんながのろのろしているから、あたしはさっさとバスに乗り込んで一番前の窓際の席をキープした。入り口側の方。景色がよく見えるからね。

 そしたらヒロシさんが隣に座ったから「ラッキー♪」って密かに浮かれていた。帰りは一緒なんだね。

 でもヒロシさんまでつかれたような顔をしていた。出発前の生き生きした表情はどこかに消えちゃって、虚ろな目で時々外の風景を眺めたりして。

 っていうか、おばさんたちのパワーで霊気をすっかり吸い取られちゃったってのが正しいのかな。げっそりしていたもの。

 しかもとどめに、あの雷だもんねぇ。

 思い返せば、あの時に遠雷が聞こえてはいたんだよね。でも休憩所はひらけていて雷が落ちそうな高い樹もないし、大丈夫だと思ってたんだけどなぁ。


 まぁ、ヒロシさんも雷に打たれてびっくりしちゃったんだろうけどさ。でもこんなことでいちいちつかれていたら山岳ガイドって大変じゃない?

 過ぎたことをいつまでも気にしてもしょうがないと思うんだよね。

 今日のことは今日のこととして、また今度天気のいい時にハイキングやり直せばいいじゃん。まだ若いんだし、この先何度でもチャンスはあると思うよ?

 ヒロシさんが参加してくれるなら、またあたしもついていくからさ。


 あ、そうそう。今度の連休は無理だから他の日にしてね。だってミサキと一緒に渋谷にいくんだから。

 あぁでもヒロシさんカッコいいからなぁ。ずっと一緒にいたいくらい。

 うん、そうね。このままヒロシさんにずっとついていくのもいいかなぁ――


 * * *  * * *


 もう随分前のことのような気がするけど、まだあれからそんなに経ってないんだよね。恋すると時間の感覚が変わるのかな。

 あの日以来ヒロシさんはちょっとずつ元気がなくなっちゃって。よほどこたえたのかなぁ。一時期は寝込んで大学休んだりもしてたんだよね。

 でも最近また山岳ガイドのボランティアにも復活したの。よかったよぅ。

 そうそう。今日は久し振りにあのコースを通るんだよね。しかも白く靄が出ていて、あの時みたいな天気だなぁって思ってた。

 今日が初めての参加の人はちょっと残念だだよね。でもきっと、休憩所に着く頃には少し景色もひらけてると思うよ。大丈夫。


 ヒロシさんはほら、三人いるガイドさんの一番こっち端にいる人。ね? カッコイイでしょ?

 あたし、心配でずっとヒロシさんのそばについてたからさ、ぐったりしている様子には胸が苦しくて、できることなら代わってあげたいってずっと思っていたの。

 だから久し振りに山岳ガイドの準備をしている姿を見た時には、本当にうれしかったよ。あの頃よりちょっと……多分十キロくらい痩せちゃったけど、ヒロシさんは普段から鍛えてるから、きっとまた元通りに元気になると思うよ。

 あたし今は毎日が幸せなの。初恋の人にずっとついていられるんだからさ、これ以上の幸せってないと思わない?



 ごめんね、あたしさっきから喋り過ぎだよね。

 これじゃあおばちゃんたちのこと言えないよねぇ。でもさ、聞こえる人が参加するのは久し振りだから嬉しくて。


 ねえ……あたしの話、聞こえてるんでしょ?

 やだなぁ、なんで聞こえない振りするの?

 別にあなたについていこうなんてしないよ? ただ話を聞いて欲しいだけ。

 わかるよ。無視してもわかるんだよ。聞こえてる人と聞こえない人の違い。

 っていうか、あたしが最初に声を掛けた時、びくってなってキョロキョロしてたでしょ? バレバレだよぅ。


 あの日以来、ずっとヒロシさんについていくって決めたから、あたしは家にも帰ってないんだよね。だからママにもパパにも会えないままだけど、でもヒロシさんと一緒にいられるから寂しくないよ。

 それにヒロシさんは最近、あたしがついていることに気付いたんじゃないかなって思うの。今までずっと知らん顔だったんだけどさ、最近時々目が合うような気がするんだよね。

 やっぱり気付いてもらえると嬉しいよ。

 だって、初恋なんだもん。


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― 新着の感想 ―
[一言]  拝読しました。  スタンダールは「雷撃の恋」なるものを説いていますが、彼女を撃ったのはまさにその類であったでしょうか。  そして展望台での出来事から違和感が重なって、じわじわとそれが確信に…
[良い点] はじめに読んだとき、ん、これ、怖いシーンってなんだろう? おや、おやおやと読み進めていくと、違和感が広がっていき、ラストのところで、あ、そういうことかと、背筋が寒くなるかんじがありました …
[良い点] 最初と最後の落差。 雷に打たれてからの慌しさが真に迫ってました。 [一言] しゅ、守護霊だと思えば、ワンチャンありかも。 わたしはごめんです。怖い。
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