14――戦前の空気
柊彩乃に連れられて、関係者出入り口から階段を上っていく菜緒。柊彩乃曰く、「エレベーターもあるけれど、今は同僚に説明するのが面倒だから我慢してね」とのこと。菜緒もそれに同意して、息を切らす柊彩乃の後ろを涼しい顔をしてついて行った。元来、菜緒はエレベーターより階段派なのだ。さすがに10階以上になるとエレベーターを利用するが、それ以外はよほど体調が悪くない限り階段を利用する。
「はぁ……はぁ……な、菜緒ちゃん、あなた疲れないの……?」
柊彩乃はかなりつらそうで、盛大に息を切らしている。まだ3階までしか上がっていないのに、やはり普段利用していない分、体力が十分でないのだろうか。菜緒はそんなことを考えながら、つらそうにこちらを振り向く柊彩乃に向かってうなずいた。
「若いね……って言っても、私も、まだ若い方よね……」
「よいしょっ!」なんて、大げさに気合いを入れた柊彩乃はペースを上げ始めた。菜緒もそれについて行く。
「10年前はよく友達と階段駆け上がりなんて余裕でやっていたのになぁ」
しみじみと思い出に浸る柊彩乃。4階に差し掛かったところでペースが落ちる。
「美代子さんとですか?」
菜緒は柊彩乃にペースを合わせ、柊彩乃と金城美代子の関係について聞き出そうと試みた。
「そうだね……美代子ちゃんと、もう一人。高校生の時、一緒に過ごしていた友達がいたんだ」
柊彩乃の表情が一気に変わる。神妙な顔つき。その友達との間に何かあったのだろうか。
「その方も、千寿電気にお勤めなんですか?」
「ううん。確か今は……」
柊彩乃の足とともに、言葉も止まる。
「そんなことを言っている間に、着いたよ。この扉を開いてすぐが受付だからね」
柊彩乃が重そうな扉を開く。オフィス特有のにおいが漂ってくる。
階段を上がりきって、扉の向こうに足を踏み入れる。
柊彩乃は思ったよりも交渉上手だった。受付の女子社員をうまい具合に言いくるめ、菜緒のために見学証明書を手に入れようとしている。初めて菜緒と顔を合わせた時のあの弱々しい態度が嘘のようだ。
「いや、あの時は、私の行動が不審だったからかもしれないわね……」
受付から少し離れたところで菜緒はこっそり独り言を吐き出した。幸い、柊彩乃と女子社員には聞こえていない。
当の二人は笑顔で世間話なんかを始めていた。もしかして元々仲が良かったのだろうか。だからあんなに柊彩乃が自信ありげに見えるのかもしれない。
柊彩乃は普段はそうでもないが、心を開いた相手には積極性を見せるタイプだろうと菜緒は読んだ。知れば知るほど惹かれていく、そんな人間。金城美代子とはどんな会話をするのだろうか。少し気になる。
「ごめんね菜緒ちゃん、待たせちゃったかな」
柊彩乃について考えている間に世間話が終わっていた。本人が目の前にいる。
「いえ、大丈夫です」
柊彩乃から手渡された見学証明書が入ったカードホルダーを首から下げ、いよいよ千寿電気のオフィスに足を踏み入れる。
当然のことながら、今日は平日。昼休みを終えた千寿電気の職員は真剣な眼差しでそれぞれの職務に向き合っている。騒がしくしようものなら瞬時にオフィス外につまみ出されてしまうだろう。静かに奥へ進んでいく。
「左奥にいるのが先輩……深渕先輩だよ」
小声で柊彩乃が告げる。その声が震えているように聞こえるのはなぜだろう。
柊彩乃が示したところには、一人パソコンのキーボードをだるそうに弾く女性社員がいた。いや、よく見ると確かに表情はだるそうだが、指先はせわしなく動いている。それに気づいた菜緒は、仕事のできる人だと思った。
まず先に柊彩乃が深渕先輩に声をかける。丁寧な口調で事情を説明している。どうやら菜緒は、学校の総合学習で千寿電気について調べた結果、どうしても質問したいことがあったから直接訪ねた行動力のある生徒という設定らしい。菜緒は学校に通っていない身のため、詳しいことを尋ねられたらアウトな設定だが、なんとかやりきるしかない。
「話はわかったけど、なんで柊さんが連れてきたの? あなた経理の人でしょ?」
深渕先輩は指をキーボード上から離すことなく、柊彩乃の方を向いて尋ねた。深渕先輩本人は単純に疑問に思ったから尋ねたのだろうが、もともと吊り目気味な上、濃いメイクをしているため、絶妙な圧力を感じる。
「知り合いに頼まれたので……」
さすがの柊彩乃もこれには緊張している。歯切れの悪い返答に深渕先輩はため息をつく。
「ふうーん、ま、どうでもいいか。で、あの子がそうなの?」
深渕先輩が面倒そうな眼差しを斜め後ろにいる菜緒に向けた。菜緒はかしこまって会釈をする。
「初めまして。萩原菜緒と申します。突然お邪魔してしまい、すみません」
「ほんとほんと。私これでも忙しいんだから。で、要件は?」
柊彩乃が心配そうな目で菜緒を見つめる。発言に気をつけろ、ということだろう。それは菜緒もわかっている。だが……。
「金城美代子さんについて、お聞きしたいのです」
はっきりした声で答えた。柊彩乃が焦燥の表情を浮かべたまま、行動を止める。周りにいた数人の社員も、気まずい空気を流し始める。深渕先輩は、やっとキーボードから手を離して菜緒と対面した。表情が豹変する。辺り一帯が、まるで戦いの前のような雰囲気に包まれる。
「まずは、場所を変えましょう。柊さんは自分の仕事場に戻って」
「い、いや、連れてきたのは私ですから……!」
柊彩乃が必死に抵抗する。深渕先輩は無言を貫き、拒否を暗示する。
「彩乃さん、私は一人で大丈夫です。私の我儘に付き合ってくださり、ありがとうございました」
菜緒が追い打ちをかけたせいで、柊彩乃は引き下がらざるを得なかった。仕方なさそうにうなずき、もう一度心配そうに菜緒に目を向けた後、すぐさまその場を離れた。
「萩原菜緒さん、私について来て。移動中は私語厳禁で。いいわね?」
菜緒はうなずき、早足で移動する深渕先輩について行った。




