第五話 ⑩
*
サンドリヨン邸地下、ルカードは壁伝いに階段を目指していた。膝はがくがくと震え、視界はちかちかと点滅していた。
ルカードの頭にあるのはリンダの事のみ。
「アレは私の、物だ」
ゴーレム。それはルカード・サンドリヨンが生涯を捧げた夢だった。
始まりは唐突だった。ルカードがまだ若く、このメルヘンシティで普通に仕事をし、暑さに我慢がならず公園のベンチで涼んでいた時の事だ。
視線の先。子供が砂場でバケツ一杯に入った水を流し込み、そこで泥遊びをしていた。
子供の手で不定形だった砂は土となり、泥となり、形を変えていく。
当たり前のその光景。ルカードも何度か見た事がある光景。
それが在りし日のルカードには神の御業に見えた。
ああ、もしも、ただの土塊に生命を宿せたら。
それからどれくらいの時間が経っただろう。
ルカードはゴーレムを作っていた。
失敗は何度もあった。だが、気付いたらルカードの頭の中には理論が組み上がっていた。
ルカードはまるで神に成った気がした。
土塊にこれほどまでの生命を注げる人間が他に居るだろうか。
ただ、ゴーレムの技術を完成させた時、ルカードは気付いてしまった。
ああ、私はもう老いに入ってしまった。
これから先、自分の体はどんどん老いていく。今は潤滑に回っている思考もいつの日か錆付くに違いない。
そして、ルカードは気付いた。自分の周りにはもうゴーレムしか居ないのだと。
当たり前の話だった。全ての繋がりを絶ち続けながらゴーレムを作り続けたのだ。
もう、ルカードに寄り添ってくれる人間はこの世に居なかった。
だから、ルカードは理想の少女を作ろうとした。
そうだ、名前はリンダが良い。
いつまでも自分に寄り添い、時には少女の様に愛くるしく、時には妻の様に妖艶で、時には母の様に癒してくれる、そんな自分だけのリンダを作ろうとしたのだ。
それは並大抵の道のりではなかった。
今まで作り上げたゴーレムは何れも土塊でできた巨人のみ。
だが、ルカードが作ろうとしたのは可憐な少女なのだ。
何度試作体を作っただろう。まともに言葉を話せる成功例は数えるほどしか居なかった。
日に日に老いていく恐怖。錆びていく思考。迫り来る刻限。
その全てに全力で眼を逸らしながら、ルカードは遂に最高のリンダを完成させた。
完璧だった。
自分が理想とした、いや、それ以上の姿や思考を持った、可憐な少女だった。
これ以上の物はもう自分では作り上げられないという確信があった。
だが、リンダはいつの間にかルカードの理想から外れてしまっていた。
理想としたリンダが、ルカードを裏切っていた。
ルカードはもう一度リンダを作り直すことにした。
核さえ無事なら調整を繰り返せば理想のまま、リンダは永遠に変わらず自分を愛してくれるはずだと、そう信じて疑わなかった。
「……」
階段に到着し、ルカードは脚に力を入れ、そこを上り始めた。
頭にあるのはリンダの事のみ。
ルカードが生涯を捧げて完成させた理想の少女は今何処へ居るのだろうか。
*
『いつまで寝ているんだい? さっさと起きろゴーレム。お前がそんなんじゃナックルが外で気張っている意味が無い』
俯くリンダの耳に床に置かれたスマートフォンからアルトボイスの女性の声が聞こえた。マリアが話していたフィーネだろう。
どうにかしなければという思考はある。
何とかしなければという意思はある。
だが、何をすれば良いのかという言葉が出てこなかった。
リンダは呆然と電話口へと話しかけた。
「あたしはどうすれば良いんですか?」
『お前がやるべき事なんて決まっているだろう。さっさと速やかにそのサンドリヨン邸から逃げて、外に居るナックルにそれを伝える事さ』
「でも、それじゃあ、マリアが」
『あいつの事は諦めろ。あのゴーレムは自分の身とお前の未来を天秤に掛けて、お前の未来を選んだ。されてしまった選択を覆す事はできない』
上の階からズシンズシンと振動が伝わる。マリアが巨人体ゴーレムから必死に逃げているのだ。
リンダは手で視界に掛かった灰髪を掻き上げた。体が動こうとしない。
折角マリアが死に物狂いで作ってくれたこの逃げるチャンスをこのままでは見す見す棒に振るってしまう。
『早く立て。お前は助かりたかったんだろう? 安心しろ。ナックルの頼みだ。その邸から逃げた後の当面の安全はボク達が保障する』
そうじゃない。リンダが望んでいるのはそんな事ではないのだ。
「……違う」
『? 何か言ったか?』
リンダの呟きをフィーネは聞き取れなかったようだ。
今度ははっきりとリンダは言葉を口にした。
「違う。こんなのはあたしの望みじゃない」
『何だって? 今更おかしな事を言うな。外の世界を見たいんだろ? なら今すぐ走れば一分もしない内にその望みは叶うさ』
「違う」
語気が徐々に強くなっていった。
「違う」
言葉は言うほどに意味を持っていく。
「違う!」
曖昧だったリンダの言葉が世界に出された言葉によって鑢に掛けられていく。
「あたしが見たかった外の世界は、こんな物じゃない!」
そして、リンダははっきりと望みを口にした。
「あたしが望んだのは〝自由〟よ!」
そうだ。そうだった。
リンダが見たかったのは外の世界。
「今ここでマリアを見捨てたら、あたしは永遠に救われない!」
だが、そもそも、何故外の世界に憧れたのか。
「あたしの〝未来〟はこの〝今〟に囚われたままに成ってしまうわ!」
それはリンダにとって外の世界こそが自由の象徴だったからだ。
もし、ここでマリアを見捨て、
リンダは初めて自分の望みが知り、それを言葉に出した。
一秒前までが嘘の様に、リンダの四肢へ感覚が戻る。瞳に光が指し、思考は意味を持った。
スッとリンダは立ち上がった。その気配が伝わったのだろう。通話口向こうでフィーネが声を出した。
『待て。いきなりテンションを上げて一体何処に行く気だ?』
「さっきまでがどうかしていたみたい。そうよ。欲しかったのは、焦がれたのは、夢見たのは、自由だったわ」
リンダの耳にフィーネの言葉は良く入っていなかった。
ここまですっきりとしたのはいつ以来だろう。
「ごめんなさいね。折角、あたしを助けるために骨を折ってくれたのに、あたしはそれを台無しにするかもしれない」
『……何する気だ?』
リンダは床に置いたスマートフォンを手に取った。
「フィーネさん、断ってくれても構わないわ。でも、お願いがあるの」
『……』
フィーネからは沈黙が帰ってきたが、リンダは気にせず口を開いた。
「どうか、あたしとマリアを助けてください」
『……それを聞く義理は無いって言ったらどうする気だい?』
スタスタとリンダはドアへと近付いていく。
「外に居るナックルへ助けを求めるわ」
『……それも断られたら? お前だけなら救うのは簡単だ。だが、マリアもと成ると難易度は跳ね上がる。それに初めに受けたマリアからの依頼と違う』
首を軽く振りながらリンダはドアノブへ手を掛けた。
「知らない。マリアとあたし両方が助からなきゃ意味が無いもの。あたし一人でもマリアを助けるわ」
『占ってやろう。お前一人で今のマリアを救える確率は零パーセントだ』
「そんなもの意味が無いわ。マリアが助からなきゃ、どっちにしてもあたしの自由は死ぬから」
ガチャッ。リンダはドアノブを回した。
「さあ、フィーネさん。どうか、あたし達を助けてくれませんか?」
大きなため息が聞こえた。きっとこの顔も知らないフィーネと言う電話の向こうの主は苦虫を噛み潰した様な顔を浮べているのだ。
『オーケー。助けてやる。ただし、ボクとナックルが協力してもお前達両方を救える確率は五十パーセントだ』
「充分です」
大きな舌打ちの後、フィーネの指示が聞こえた。
『まず、初めにナックルの所へ行け』
「ええ」
『ただし、一階には行くな。厄介なのに会う確率が高い』
「分かった。二階からナックルに会えば良いの?」
『ああ』
「考えがあります」
リンダはドアを開け放ち、走りながらフィーネへ自分の考えを伝えた。
『それで良い』
「はい」
『それと、ナックルの姿が見えたらこう叫べ。〝ここが勝負時だ〟ってね』
「了解です」
リンダは走る。
タッタッタ。
目指すのは暮らし慣れたリンダ・サンドリヨンの部屋だ。




