第一話 ①
メルヘンシティ、レッドキャップタウン三丁目二番地。
異様な男が歩いていた。
真夏だと言うのに黒いダッフルコートを着て、フードを目深に被っている。
右肩から左脇へショルダーバックを掛けていて、右手はこの暑いのにダッフルコートのポケットへ入れられていた。
良く見れば、歩き方もおかしかった。
右足の歩幅が左足よりも長いのだ。
完全に左右対称に歩ける人間などこの世に居ない。だが、ここまで極端に左右で歩き方が違う男が居るだろうか。
足に障害があるのならともかく、男の足取りは軽く、何か異常があるようにも見えなかった。
「ああ、暑い。本当に暑い。滅べ太陽。カモン雨雲」
茹だる様な日差しに男は悪態を付くが、フードを決して男は取らなかった。
男は放浪者だった。根無し草と言っても良い。
安息の地を持たず旅を続ける。それこそ男が歩んできた道だった。
男の旅に目的地は無い。目的地を探す旅と言っても差し支えは無いだろう。
「フィーネめ。もしも何も無かったら引っ叩いてやる」
男は古くからの友人である占い師の言葉を聞いてこの町に来ていた。
占い師、フィーネ・クローチェ曰く『メルヘンシティで運命の出会いがある』
そんな馬鹿なと思ったが男には特に目的地も何も無い。
フィーネが言う〝運命〟とは具体的に何が何だか分からなかったが、フィーネの占いの正答率は群を抜いて確かである。
もしかしたら、停滞した自分の時間が動き出すかもしれない。
微かな期待を胸に男はメルヘンシティに来ていた。
しかし、早々に後悔していた。
周囲を見渡しても普通の町並みだった。
今まで何百何千何万と見てきた町景色。
軽自動車が道路を走り、その脇でパンが入った紙袋を抱えた少女が小走りをしている。頭上を見上げれば洗濯物が干されたベランダが見え、更に奥では憎き太陽が青空の元輝いている。
こんな平凡な町に男が求める出会い等ある様に思えなかった。
フードの下ではダラダラと汗が流れて続けている。
このままでは脱水症状が熱中症で倒れるだろう。
歩き続けていると公園が見えその奥にはベンチがあった。
堪らず男はベンチまで足を運び、ドンと音を立てて座り込む。
「あっつい」
左手でショルダーバックを開け、左手で中から水筒を取り出してゴクゴクと中身を飲んだ。
すっかり温くなった液体が喉を通り、胃へと落ちていく。
だが、少しだけ暑さが和らいだ気がして男は力が入っていた眉根を緩めた。
「ふぅ~~。生き返ったぁ」
息を吐きながらベンチの背もたれを支えに仰け反る。
男の頬へ強く日差しが当たった。
その時だった。
「眩しっ!?」
男のすぐ前方。歩幅にして僅か八歩の場所。困惑した様に驚いた少女の高い声が聞こえた。
少女は眼を守る様に男へと右腕を翳していた。
「おっとぉ」
男は左手で頬を掻いた。少女が右腕を外すまでの僅かな時間、どうした物か考えていたのだ。
白い少女だった。
白いワンピースを着て、白い日傘を差して、白い肌をしている。
ただ、髪と目だけは違った。薄汚れた白とでも言おうか。焼き尽くされた灰の色。
腰ほどまである灰髪の少女が吸い込まれるような灰眼を男へ向けている。
「……え? ……あ、え?」
その眼は困惑に包まれていた。可笑しな物を視る様な、理解できない物を視る様な、そんな眼だった。
少女と眼が合って、何と無しに男は笑った。
左頬だけが上がる歪な笑い方だった。
左右でちぐはぐな歪な笑い方だった。
「……何? その顔?」
「アッハッハ。まあ気にしないでくれ。コスプレみたいな物さ」
男は笑って誤魔化す。大抵の場合、こう返せばそそくさと人は去っていく物だ。
だが、少女はその大抵に含まれなかったようだ。
ツカツカツカと少女は男へと歩む寄り、男が止める前に左手を男の顔へと伸ばした。
少女の日傘の影が男の頬へ掛かった。
「……冷たい」
少女の灰眼は見開かれ、男はついその眼を見てしまった。
「大胆な子だね」
男は左頬で苦笑した。
右頬は動かない。
動く筈が無い。
なぜならば、
「あなたは人間なの?」
「ハーフアイアンマンとでも呼んでくれると嬉しいね」
男の右頬は、いや右半分は歪に鈍色の光沢を持った〝金属〟で出来ていたのだ。
「名前は?」
「ナックル・L・ゴールドマン。君は?」
「リンダ・サンドリヨン」
男、ナックルは少女、リンダの瞳を見た。
リンダの瞳は未だ見開かれ呆然とナックルの頬を見つめている。
「あなたは何者なの?」
「ただの放浪者さ。気の向くままに旅してる」
ペタペタとリンダは左手で金属製の右頬を触っていく。
それをナックルは為すがまま任せた。
ナックルの脳裏にはフィーネが言っていた運命の出会いという言葉が浮かんでいた。
まさかこれが運命なのだろうか。
ペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタ。
「触り過ぎじゃない?」
流石にナックルは口を挟んだ。
「あ、ごめんなさい。不躾だったわ」
リンダは素直に手を離し、ナックルの右隣へと腰掛けた。視線はナックルの右頬から離れない。
トランペットを初めて見た子供の様にリンダはナックルを見つめた。
この様な視線を受けたのは酷く久しぶりだった。
「見ていて楽しいもんじゃ無いと思うけどね。こんな体変でしょ?」
「変ね」
即答だった。ナックルの鉄のハートへ少しばかりのダメージが入る。
「ねえ、その金属は何処まで広がっているの? 顔だけ? 腕は? 足は? 内臓は? 感覚はあるの? 何時からそうなったの?」
矢継ぎ早な質問にナックルは失笑した。
「面白い子だね、君は。初対面のこんな怪しげな男へ良くそんなに質問が出来るね?」
「褒められると照れるわ」
「いや、褒めては無いな」
「そう? まあ、良いわ。質問に答えて。あたしは今あなたに興味が津々なの。あなたの事を知りたくて知りたくて堪らないの」
ナックルはこの奇妙な風貌の少女は将来悪い大人に騙されそうだなとぼんやりと思った。
「まあ、良いや。隠す事でも無いし。教えてあげるよ」
「本当!? ありがとう! じゃあ、教えて。ナックル、金属は顔だけ?」
「いや、右半身全体がこの金属」
そう言いながらナックルはポケットから右手を出した。
その手もまた金属製だった。至る所に球体関節が嵌められたロボットの様な手だ。
即座にリンダはその右手を触り出す。
「すごく精巧な作り。関節は幾つあるの?」
「さあ? 数えた事無いな」
「でも大きな手ね。あなたの左手の倍近くサイズがあるわ」
「悩み所でね。これの所為でサイズの合う手袋が中々見つからないんだ。足は普通のサイズだからまだマシなんだけど」
「へー」
リンダは生返事し、ナックルの右手を好き勝手に触り始めた。
「内臓も金属なの?」
「半分くらいは」
「感覚は? 触覚はあるの?」
「正確には無いね。ただ今は一応触覚が分かる様にしているよ」
「オンオフできるの!? どうやって?」
「ごめん。俺も良く分からない。右耳の所にスイッチがあるんだ」
「スイッチ!? 見せて!」
「はい」
ナックルはフードを外し、黒髪を搔き上げてリンダへ右耳を見せた。
特殊なシリコン製の耳たぶの真ん中に丸いボタンが嵌められている。
「本当だ! スイッチがあるわ! 押して良い!?」
「駄目」
「えー」
「えーじゃありません。一回スイッチ押したら一時間は直せないんだ。触覚が無いまま動くのも大変なんだよ」
「じゃあしょうがないわ。でも、スイッチ、へー、スイッチが」
諦めた様に肩を竦めたのにも関わらず、リンダの眼は虎視眈々とナックルの右耳のスイッチを狙っている。
少しでも隙を見せればこの少女はスイッチを押そうとするだろう。
ナックルは速やかにフードを深く被り直し、リンダが残念そうな顔をした。
だが、落ち込んだ顔をしたのは二秒にも満たず、リンダはすぐさま切り替えて質問を再開する。
「何時からナックルの右半身はそうなったの?」
しかし、その質問にナックルが答える事は無かった。
「リンダ様。ここに居られましたか」
口を開く前に、女の声がナックル達の後方より掛かったからだ。
途端にリンダの顔から表情が消えた。
先ほどまで子供の様に瞳を輝かせていたはずのリンダはまるで人形の様に唇を閉じ、瞳から一切の輝きを失わせた。
ナックル達の後ろ、歩幅にして十歩の所にロングスカートを着てメガネを掛けたブロンドの女が居た。年は二十代中盤。目付きは鋭く、鷹を彷彿とさせた。
「……マリア、下がりなさい。私は今この方と話しているのです」
「そうは行きません。旦那様がお待ちです。お急ぎを」
「……分かったわ」
スッとリンダは立ち上がり、スタスタとマリアと呼ばれた女の所へ歩いていった。
「ナックル。楽しい話をありがとう。ごめんなさいね」
「いや、良いさ。俺も久しぶりに舌が乗った」
「……本当にごめんなさい」
一瞬、リンダはとても悲しそうに眼を伏せて、そのまま公園から出て行った。
公園から出て行く日傘を見送って、ナックルはぽりぽりと左頬を掻いた。
「すごい子だなぁ」




