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7. 銀の森の家


 数日後、ガクとシンは町へお使いに行くことになった。森で採れるものを届けるのである。いつもなら、キノコやタケノコなどの野菜、農作物は農家の人が取りにくるし、生薬の材料も薬屋が直接見に来たり、マタギの人が届けているが、なぜかこんなに良い季節なのに、北の森へは誰も来ないらしいのだ。

 当然そこに住んでいる森守りは気になるし、しかも案内の仕事もなくて少し手が空いたのもあり、ガクとシンが届けることになったと言うわけだ。

「セミはないんですか?」

 荷物を詰めていると、シンがボソっと言った。

「セミ?」ガクが聞き直す。

「セミの抜け殻」

 シンがもう一度言った。セミがどう関係しているのか分からないので、ガクが首をひねった。

「いえ、良いです」

 シンは話が通じなかったので、その話はこれでおしまいにした。しかし、ガクは気になる。生薬の材料をまとめている時にセミの抜け殻がどうしたというのだろう?

「良くない。セミの抜け殻がなんなの?」

 ちょっとふくれ面になったガクと相変わらず無表情のシンが見つめ合った。いいから早く話せ、とガクは無言でさらに促した。

「セミの抜け殻は、薬の材料なので、明の森ではよくとってあったんです」

「あ、そういうこと」

 やっと納得がいったガクは、また手元の荷造りを再開した。納得すればなんてことはない。しかし、どうしてシンは話を途中で終わらせられるのか、ガクには腑に落ちなかった。

「何ゼミの抜け殻を使うの?こっちにもセミはいるけど」

「クマゼミです」

「クマゼミはこっちはいないな。アブラゼミならいるけど、アブラゼミじゃダメなのかなぁ」

 シンは頭をはてな?とひねったが何も言わなかった。生薬のことに詳しいわけではないので、知らないことは言えない。だったら「わからない」のひと言も言ってくれればいいものを、そこでもシンは無言だった。シンはどうしてか、口数が少ないし、必要のないことは言わないので、ガクはちょっと消化不良が続いていた。



 二人の主な目的は、町の病院へ薬の材料を届けることだ。その前に野菜を町の家に届ける。それだけの簡単な仕事である。

 しかし、二人のいる鷲頭の森は北の森の一番奥にあり、町に行くには2日がかりだ。それでガクは、途中銀の森で一泊していくことにした。うまく行けば銀の森の家にいる森守りにシンを会わせることができる。シンは頭の地区の森守りにはあまり知られていないから、顔を見せておこうというのだ。ガクはこういうことにもとても気が利いた。

 ただそのことを、出発してからシンに知らせた。知らせるのを忘れていたのだ。そういうところはうっかりしていると言わざるを得ない。

「今日は銀の森の家に行こうな」

「え」

 シンの表情は相変わらずあまり何もあらわしていないようだったが、2週間ほどずっと一緒にいるガクにはだんだんシンの表情が読めるようになってきた。まるで「聞いてないよ」と言ってるような顔をしていると、ガクは思った。

「ごめん、言うの忘れてて。通り道だし、頭の地区の森守りに、なるべくシンを紹介しておきたいんだよ」

 そう言うと、シンはやはり無言で行く先を見つめた。その顔は「わかったけど、人に会うのは疲れるんだよな」とでも言いたそうな顔だ。実際シンはそう思っていた。人と会うことが嫌いではないが、知らない人だらけの中にずっといるとさすがに疲れてしまう。森守りは森の木々を相手に暮らしているので、わりと静かに暮らしている。勿論賑やかなのが好きな森守りもいる(ガクがそうだ)が、シンはその正反対で、できれば静かにしていたいという人間だ。だから、ガクもシンには無理やり喋らせなかったし、それでも良いと思っていた。でも、やはり、新しいところに仕事にきているのだから、顔くらいは見せておいた方が良いだろう。社会人としてこのくらいは常識なのだから。

 シンもそういう、ガクの気遣いは分かっていたので、それ以上嫌な顔はしなかったし、それはイヤでもちゃんと受け入れていた。ただ、やっぱり気分はちょっと沈んでしまった。

「大丈夫、あっちは鷲頭の森より年寄が多いから、わりと落ち着いてるよ」



 一日歩き続けて、夕方に二人は銀の森の家に着いた。その家は普通の森守りの家と同じ高床式の家だが、玄関に至る階段はあまり高さのないものだった。そして、非常に大きな建物である。それはここにはたくさんの人が住んでいるからだ。北の(鷲頭の)森はどうしても住む人間が少ないが、町から1日で着くこの家ならば、森守りも、また、泊まりに来る人もそれなりにいるということだ。

「こんばんは~」

 二人がガラガラと玄関を開けると、すぐにガクと同じ年くらいの青年が出てきた。

「お、ガク」

「よう。お使いの途中なんだ、今日泊めてくれ」

 ガクが言うと、青年は別に驚いた風もなく、二人を居間に通してくれた。

 居間にはすでに夕飯を終えた森守りたちが数人、お喋りをして座っていた。

「おや、ガクじゃないか」

 恰幅の良い腹をした、にこやかな中年のおやじが驚いて立ち上がった。

「あ、シン、俺の親父」ガクがいきなり紹介した。

 立ち上がった男の人を見て、シンもすぐにわかった。目元と笑い方がそっくりだ。

「こんばんは!2年目のシンです。明の森から来ました。ガクさんと組ませてもらっています」

 シンは最上級の挨拶をガクの父に向かって(おこな)った。

「あ、これはこれは、ご丁寧に。ガクの父です」

 そう言ってガクの父はシンに礼をした。

「まあ、座って・・・そうか、お前5年目だったな」

 ガクの父はそう言いながら、二人としばらく話をした。シンがいた明の森のことを少し聞いたり、銀の森のことや、ガクの仕事ぶりなどをシンが話しやすいように水を向けてくれた。さすがガクの父、話し上手だった。さらに、この家の他の森守りにもさりげなく、シンのことを紹介したりと、シンは自分から挨拶に回らなくて良くなり、随分と気が楽になった。



 しかしシンは、違うところでかなり緊張していた。二人で客間に入ると、シンは珍しく盛大にため息をついた。

「どうしたの?」

 ガクが聞くと、シンはくるりとガクの方に振り向いた。その顔がいつになく迫力を持っている。ガクは少し後退った。

「なに?」

 思わずドキドキと聞くガク。

「ここにお父さんがいるなんて言わなかったじゃないですか」

 低い声でシンが言った。なんだかブルブル震えている。そんなに怒ることだろうか。

「あ、ご、ごめん」

 とりあえず謝っておいた。でも、そんなに重要なことだろうか?ガクの父がいたって、別に森守りの一人ということなのだし、特別なことなど何もない。

「親父がいるの、忘れてた」

「忘れてたじゃすまないです!相棒と言ったら家族も同然です。それならガクさんのお父さんは僕の父と同じことです。僕もガクさんのお父さんの息子と呼ばれるにふさわしい男でなければなりません。それを何の心の準備もなしに、疲れ切った顔をしているところで・・・」

 シンは言葉をどこにつなげてよいのか分からなくなり、後ろを向いてしまった。怒っているのか何なのか、こんなシンは見たことがない。

 ガクは驚いた。シンはこんな風に“相棒”のことを重要だと考えていたのだ。ガクはそんなこと考えた事もなかった。去年まで組んでいたワタルとも(勿論友だちとして仲良しではあるが)ただの仕事上の相棒だと思っていたし、ワタルの父など、森守りの一人としか考えた事はなかった。ところがシンは相棒と言えば家族も同然なんて、そんな風に思っていたのだ。

「あの、大丈夫だって。シンは充分にきちんと挨拶していたし、それから、それから、親父なら、シンが立派な2年目の森守りだって分かっているよ」

 ガクがそう言うと、シンは向こうを向いたままふうと息をついた。

 もう何も言わないかな、とガクは思ったが、シンは息を整えて短く返事をした。

「はい」

 答えると思っていなかったので、ガクはシンが答えた事に驚いた。それでもそれでシンの精いっぱいだったようだ。

「もう寝ます」

 シンはそう言うと、ガクの顔など全く見ないで、目の前の用意された寝台の布団の中に潜り込んでしまった。



 シンは家族というものに執着する性格なのだろうか?ガクは漠然とそう思った。家族というものが特別すぎるような、気がしないでもない。

 とにかくシンにとって、相棒であるガクの父は、自分の父と同じなのだ。そして、どうやら“相棒”にも、非常に強いつながりのようなものを求めているような気がした。普段のあの浅薄(せんぱく)な受け答えを考えると、とてもそうは思えないが、先ほどの言動から見ると、彼にとって相棒は特別な存在なのだろう。

 しかし本当にそうならば、2年目にして相棒が代わったという出来事は、シンには辛いことだったのではないだろうか。

 だいたい、どうしてシンは北の森に来たのだろう?本来あまり北の森と南の森では行き来がない。自然の生態系が違うところもあるので、慣れないところでは仕事にならないというのもある。

 それに、森守りは父親が森で暮らしていることが多いので、それこそ、家族ぐるみの付き合いなのだ。そんな中に、南の森から一人やってくれば、出来上がっている輪の中に入らなければならないわけで、双方でやりにくいだろう。特にシンのように表情筋の乏しい口数の少ない者には、人一倍疲れるのではないだろうか。ガクが南の森に行く方が、まだ余裕がありそうだ。

 ガクは、シンが北の森に来たのは、森守りの交流のようなものだと思っていたが、それにしては、シンはその役目を担うには割に合わないというか、どうしてシンなのかつじつまが合わないことばかりだった。

 ガクは布団にもぐっていまだに肩を震わせているシンを見つめた。

 シンは必死なのだ。家族や相棒を大切にする、大切にされるということがシンにとってのよりどころのようなもので、必死にすがりついているのだろう。不安のようなそんな感情を感じる。

 シンが相棒というものに、家族同然のつながりを求めているのなら、自分はそれに応えよう、とガクは思った。もともと、シンと初めて会った時から、ガクはシンが好きだった。気持ちの良いほどに背筋を伸ばしてビシっとした挨拶をする、しっかりしたシン。言葉数は少ないけれど、意外と表情は読める。シンは無表情なので誤解を受けそうなタイプではあるが、ガクはそんなシンをたぶん正確に分かってやっているのではないだろうか。



 思いは言葉にして話さなければ伝わらない。表情を読み、声色を聞く。本来そうして会話をしながら、人は相手のことを理解する。

 しかし、シンは言葉にすることが少ない。

 多くを語らないシンが「相棒と言えば家族も同然」と口を開いたのには、きっと大きな意味がある。

 シンは多くを語らない。

 それでも、こうして「家族と同然」と言ってもらったことで、ガクは嬉しかった。

 言葉にすれば、思いは伝わるのだ。

 言葉にしなくても伝わる思いもある。

 ガクはこの数日間で、シンと一緒にいてそれが少しわかった。シンはほとんど無駄なお喋りをしないからだ。それでも、ガクはシンのことを随分分かってあげることができていた。

 だからといって、ガクも何も言わないわけではなかった。ガクは思いをシンに伝え続けた。シンがガクの言葉を必要としているからだ。

 そうやって少しずつ分かりあう間柄になっていった。

 話しても伝わらない思いもあるだろう。この先そんなこともきっとあるに違いない。でも、ガクはシンが必死に伝えた「相棒と言えば家族も同然」という叫びを聞いた時、シンにも伝えたい思いがたくさんあるのだと分かったのだ。

 伝えたい思い。

 伝えたい言葉。

 伝わらない思い。

 そんなことを考えながら、ガクはシンを安心させてあげたかった。

 ガクはシンの寝ている寝台に腰を掛けた。

「シン」

 小さい声で呼ぶと、シンの肩が少しだけ動いた。布団をかぶっているが眠ってはいないのだ。

「明日は、誰にも会わずに出発しような」

 ガクがそう言うと、シンは少し頭を動かした。頷いたのだろう。

「あのさ。俺も、親父も、シンのこと、家族と同じように大切にするよ」

 ゆっくりと噛みしめるようにガクは言った。

 ガクがシンを思う気持ちが伝わっただろうか。俺たちは“相棒”なのだと、一番信頼できる間柄になろうとしていると伝わっただろうか。ガクはそうして、シンに思いを伝えた。



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