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5. かわのこのシオン



 次の日になると、ガクとシンは歌司に言われた通り、お使いに出かけた。家を出てすぐに虹広川に出合う。そのまま川沿いに歩けば5分とせずに栗林が見えてくる。この栗林は歌司のいる家への目印なので、誰でも知っているのだが、シンはこの栗林のことを目印だと思っていないようだった。

 栗の木は、若い葉を茂らせ始めていて、日差しを適度に遮ってくれていた。涼しい風が葉の間を通り過ぎていく。

 家から近いところの木々はよく手入れされているものの、年を取っていて節くれだち、ところどころに割れ目のある木も見られた。しばらく歩くと、栗の木は少し若い木になり、幹や葉が力強く感じられた。植えられた歳が随分と違うらしい。

 そこからまた20分ほど歩くと、栗の木はさらに若い木となった。この辺りに来るとまだ細い幹をしている木ばかりである。しかも家から遠いせいか、去年の栗の実がまだ枝に残っていたり、地面に落ちたままになっているのが見られた。

 そんな栗林の変化を横目に見ながら、ガクとシンはほとんど喋りもせずに歩き続けるとそろそろ栗林も終わりである。ウタ・ツカサに言われた、河童(かわのこ)との待ち合わせ地点となった。ガクは栗林を抜けて、虹広川と金の花の咲く道との交差点に着くと、懐からガラスでできた華奢な鳥の置物のようなものを取り出した。中に水が少し入っている。

 ガクは川へ行き、ガラスの鳥の中にもう少し水を入れていた。

「それ、何ですか?」

 珍しくシンから聞いてきた。ガクは立ち上がり振り向くと、シンにガラスの鳥を見せてあげた。

「水笛だよ。子どもの頃遊んだりしなかった?」

「いえ」

 シンは物珍しそうにガラスの鳥を眺めて、そしてすぐにガクに返した。ガクはそれを受け取ると、鳥の尾の吹き口に口を付けて、音を鳴らした。

 ぴゅるるるる~

 澄んだ高い音が鳴った。本当に鳥の声のようだ。ガクは一度鳴らすと、吹くのをやめ耳を澄ました。何も聞こえない。もう一度ガクは笛を吹いた。

 ぴゅるるるる~

 良い音だ、とシンは思った。もっと聞きたいのに、またガクは一度だけしか音を鳴らさず、すぐに耳を澄ませてしまった。

 シンには何も聞こえなかったが、ガクは何かに気づいたように目をキョロっとさせると、もう一度笛を吹いた。

 ぴゅーぴゅるるる~

「すぐ来るってさ」

 ガクが水笛を懐にしまいながらシンに言った。

「え、何がですか?」

河童(かわのこ)が」

 どうやらガクは水笛を用いて、河童を呼び出していたようだ。そんなことができるのだろうか?そんな話は聞いたことがない。驚いた顔をしているシンを見て、ガクは少し照れたような顔をして説明した。

「俺の特技なんだ。この水笛は河童にもらった物で、河童に聞こえる音?言葉を鳴らすことができるんだ」

 そう言って、また懐から水笛を出して見せた。

「かわのこって何ですか?」

「えっ?」

 シンは“河童(かわのこ)”が何かを知らないようだった。森守りならば当然知っているだろうと思っていたので、ガクは驚いてしばらくシンのことを見つめたまま固まってしまった。しかし考えてみればそんなにおかしなことではない。河童(かわのこ)のことを知っている人は森守りしかいないのだし、もしかすると南の方にはいないため、尾の地区の森守りはその存在を知らないこともあるのかもしれない。

河童(かわのこ)って言うのは、水の中に住んでいる人たちで、森の中の川や池の水をきれいにしてくれるんだ。あんまり人前には出てこないんだけど、頭の地区の森守りとは仲良しで、一緒に森の仕事をすることもあるんだよ」

「水の中」

 シンはボソっとそう言うと、そのまま考え込んでしまった。

 どうやら、水の中に住む人というイメージが湧かないのだろう。

「まあ、見たらわかるよ。彼らは水の中ならば森中どこでも移動できるらしいよ。ああ、今日はシオンが来るって・・・」

 とガクが言いかけたところで、水の中から黒い影が現れて二人に声をかけた。

「よう!」

「シオンさん!」

 ガクは手を振ってシオンを迎えた。

 そこにやってきた河童(かわのこ)は、ガクよりも10歳くらい年上だろうか、落ち着いた雰囲気の、河童にしては少し背の低い(とはいえ、二人より頭一つ背が高いが)河童だった。

 全体的に身体の色が緑がかっていて口がとんがって見える。黒い髪を垂らし頭の上に何か柔らかい板のようなものを乗せている。背中に大きな何かを背負っているその姿を見て、シンはジッと見つめてしまった。



 シオンは水から上がってくると、パっと衣服についた水を払い、二人の前までやってきた。いつも思うが、河童の衣服は濡れているはずなのに、そう感じさせないのだ。ただの木綿ではないらしい、などとガクは毎度見るたびに感心していた。

「ツカサ様からガクが新しい相棒連れてくるって聞いて楽しみにしてきたんだよ」

 シオンはシンを見ながら挨拶してきた。

河童(かわのこ)のシオンだ。よろしくな」

「2年目のシンです。明の森から来ました」

 シンもビシっと気を付けをして挨拶を返した。その姿勢の良さをシオンは気に入ったらしい。シンの背中をバンバン叩いて、よしよしと頷いていた。

「シオンさん、コレ、ウタ・ツカサ様から預かってきたひょうたん」

 大きなひょうたんを二つ、ガクが手渡すと、シオンはひょうたんのふたを開けて中の匂いを嗅いだり、覗き込んだりして観察していた。

「何なの?」ガクが聞いた。

「あ、コレな、水と酒以外の物を入れるのに、大丈夫なものをカラクリ師に作ってもらったんだ」

「水と酒以外に?何か入れるの?あ、調味料?」

「調味料じゃねぇけど、油を入れるかもしれねぇからな」

 シオンは、ひょうたんに人差し指を突っ込んで、内側のつるつる具合を確かめながら答えてくれた。

「ふぅん」

「お前たち、湧水に行くんだろ?案内してやるよ」

 シオンは二人のお使いの内容を知っているようだった。しかも、歌司が言うところの「河童(かわのこ)が行きたがらない」場所へ案内してくれるというのだ。

「良いの?」

「俺がいた方が安全だろ」

 そう言うと、シオンが先に立って歩き出した。森守りは森の中では非常に速く歩くことができるが、河童(かわのこ)も慣れたものだった。背が高い分足も長く、森守りほど速くはないものの、それでも町の人よりはずっと速く歩ける。3人はすぐに歌司が言っていた、最近発見された湧水のそばまで移動することができた。



 まだ湧水の見えないあたりで、シンが何かに反応をしていた。しきりに顔を動かして匂いを嗅いでいるようなしぐさをしている。ガクが気づいて何度かシンを振り向いたが、シンはガクにはおかまいなしに、匂いを嗅ぎ続けていた。

 すると一番前を歩いていたシオンが立ち止まって振り向いた。

「この辺りだ。俺にも湧き出しているところは分からないんだが、ほら水がしみ出してきているだろう?」

 そう言ってシオンの指さす方向を見ると、確かに水がしみ出しているのが分かる。その水は地面から湧いてシオンの指さしたところまでゆっくりと流れてきて、そのあたりでまた地面にもぐっていくようで、どうやら川に流れ込んだりしていないようだった。

 そして、シオンはそれから先には行きたくないようだった。水が好きな河童(かわのこ)が行きたくない理由はなんとなくガクにも分かった。

 その水は、明らかに清らかではなかった。まだ水の傍まで寄っていないのに、黒くて臭い水だと分かった。濁っているというより、真っ黒で粘り気がある泥水のように見えた。これではいくら河童でも触りたくないだろう。

 シオンとガクが嫌な顔をして水を睨んでいるというのに、シンだけは表情を全く変えなかった。そして、今まで匂いを嗅いでいたその元を捜し当てたらしく、むしろ納得したような顔をしていた。

「近づかない方が良いですよ。風向きが変わったら、僕が水を汲んできます」

 シンは冷静に言った。

「どういう意味?」

 ガクは驚きながらも、シンにガラス瓶を渡した。シオンもひょうたんを渡している。コレにも水を入れてきてほしいと言うのだろう。

「この水は、湧き出している泥水に石油が混ざっています」

「石油?」ガクが聞いた。

「それだけならあまり問題はありませんが、どこか地下から微量ですが、ガスが流れてきています。これ以上あっちに行くと知らない間にぶっ倒れて死んでしまいます」

「ええ?」

 ガクはさらに驚いた。シンはどうして、目に見えない臭いもしないガスのことや、泥水に石油が混ざっていることまでどうしてわかるのだろうか?

 そうこうしているうちに、風向きが変わり、シンは口を押えながら、水を汲みに行ってしまった。水の湧いているところはあまり遠くなく、すぐにガラス瓶とひょうたんに黒い水を入れたシンが走って戻ってきた。



「大丈夫か?」シオンが聞いた。

「大丈夫です。少し吸っちゃったけど」

 ゴホゴホと咳き込むシンは、それでもひょうたんの口についた黒い水をチリ紙でふき取り、シオンに渡していた。

 ガラス瓶もガクに渡した。瓶の中にはドロリとした黒い水が入っていた。確かに脂っぽい、言われてみれば石油のようであった。

「火の付くガスですから、燃やしておくのも手ですよ」

 とシンが言った。ガクには「燃やしておく」という意味が分からなかった。ガクが何も答えないでいると

「じゃあ僕、火をつけましょうか?」

 と言って、シンは湧水の方に左手の人差し指を向けた。シンが何をしようとしているのか明確には分からなかったものの、その時のシンの表情を見て、シオンは急にシンが恐ろしいものに感じ、背中に汗が噴き出るような気がした。シオンは表情を強張らせ、一歩シンから身を引いた。

「いや、今つける必要はない。帰ってツカサ様に聞いてからにしよう」ガクが言った。

 シンは、歌司ウタ・ツカサの名前を聞いてハッと我に返ったような顔をした。今一瞬の、シオンが恐れた顔はすぐに消えてしまった。


 これでお使いはほとんど達成することができたので、3人は戻ることにした。シオンはすぐに川へは帰らず、一度歌司の家に寄ると言い出した。家へ向かう道で、シオンは最初の挨拶であんなに気に入った様子だったシンとは、ほとんど口を利かなかった。ガクを挟んで3人は足早にウタ・ツカサの待つ家に戻って行った。

 その間、ガクとシンは少しずつ話をしていた。昨日までの口数の少なさから考えると、慣れてきたというか話題ができたというか、大きな進歩に思える。

「どうしてシンは石油だと分かったの?」ガクが聞いた。

「僕は燃料に敏感なんです。石油の匂いは独特ですから」

「へえ、そうなんだ。珍しい能力だな」

「そういうガクさんも、珍しい能力を持ってるじゃないですか。あの鳥の笛は驚きました」

 それだけでなく、ここに来る前にガクはシンのそばから熊を追い払ってくれたこともある。シンから見ればガクは珍しい能力を持っているのだ。

「そうだね、水笛で河童(かわのこ)を呼び出せるのは珍しいよね。へへへ」ガクは嬉しそうに笑った。「燃料系ってのもかなり珍しいと思うけどな」

「この国では石油はほとんど使われないですから、こんな能力あってもしょうがないんです」

「そう?そうかなぁ。でもほら、ガスは便利そうじゃん。俺、初めて入る洞窟とか怖い思いしたことあるから、その能力欲しいよ」

 森守りは森の中の洞窟に入ることもある。たまに、洞窟内にガスがたまっていることがあって、うかつに入ると危険なのだ。たいていは火を持って入れば、ガスがあると消えてしまって分かるのだが、時々ひどく燃えやすいガスのこともあるので、注意が必要だった。火を持たないで入れば、ガスを吸って死んでしまうこともあるだろう。森守りにとって、ガスが分かるという能力は珍しいだけでなく貴重にも思えた。



 そうして、虹の森の家に戻ってくると、3人は歌司(ウタ・ツカサ)に報告に行った。

 ガクとシンの実質初めてのお使いは、どうやらうまく行ったようだ。こういう仕事を通して二人はだんだん相棒らしくなっていくのだろう。最初は敬語で気を張っていた二人だが、少なくともガクは普通に話すようになったし、仕事をすることで共通の話題ができたり、お互いのことを少しずつ知ることができたりした。

 石油とガスのことは、歌司に一旦任せることにした。ただ、水場を住処としている河童(かわのこ)にとっては重要なことのためか、シオンは二人が部屋から出て行ったあともしばらくウタ・ツカサと話をしていたようだった。

 シオンが歌司の部屋から出てくると、ちょうどガクが庭を横切っているのが見えた。ガク一人だった。厠の帰りなのだろう。

「ガク!」

 シオンが呼ぶと、ガクはニコニコしながら、シオンのところまで走ってきた。

「シオンさん、今日はありがとう。久しぶりに会えてうれしかったよ」

「おう、そうだな」

 そう言って、シオンはちょっとキョロキョロと辺りを見回した。歌司の部屋の前の庭には人がよく出入りしているが、今は夕方時で誰もいなかった。シオンは声を低くしてガクに言った。

「お前の新しい相棒だけど」

「うん?」

「いや・・・なんでもない」

 シオンは何と言って良いか分からなかった。ただ、あの一瞬、シンが火をつけると言ったあの時のシンの顔が、雰囲気がちょっと変だったからと言って、シンが変なヤツだとか悪い人だとか決めつけることはできない。ガクにとっても、相棒になったばかりなのだから、シンのことを変な先入観を植え付けてもダメだろう。本当にシンが悪いやつだとは分からないのだ。ただ、シオンの勘は「シンは危険」と思っただけなのだ。

 こういった警告を含んだ勘というのは当たるものだ。シンは本当に何か危険があるように思えて仕方がないが、シオンは見かけによらない河童(かわのこ)特有の優しい思考しかできなかった。

「真面目で怖そうな奴だけど」

 あえてこういう風に言っておいた。注意しろよ、という意味を込めて。

「うん、俺も最初それで随分緊張しちゃったんだけど、なんか少し慣れてきたよ。まだ、これからだし」

 ガクの言う「これから」というのが希望的でシオンは納得した。ガクは人懐っこくてお調子者に見えるが、わりと色々考えている。ガクなら“これから”相手がどんな奴だって、きっとうまくやれるのだろう、そう思った。それに、ガクは一人だけじゃない。森の家の人にも、河童(かわのこ)にも動物にも好かれている。シンが少し危険に思えたところで、ガクに対して何もできないかもしれない。逆にシンもガクのことが好きになれば、シンのあのどことない危険な雰囲気はなくなるのかもしれない。

「そっか、頑張れよ」

 そう言って、シオンはガクに手を振って川に帰って行った。



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