4. 自分の姿
慣れた道のりなのに、なぜかものすごく疲れていたガクは思わず「うわ~、やっと着いた~!」と叫びそうになってしまった。そしてそこをまた、なぜだか思いとどまった。
一緒に来た、まだ北の森に慣れていないシンのほうがずっと疲れているはずだ。でも、シンはあまり疲れたようには見えなかった。
まずは通された部屋でツカサに呼ばれるのを待っていた。ガクはこの畳の上にうつぶせに身体を伸ばしたい、と思うほど疲れているのに、シンは荷物を部屋の隅に置くと、背筋を伸ばして正座をしてるのだ。
その姿を見てガクは、だら~っとすることができず、仕方がないので壁に寄りかかって足を投げ出した状態で座っていた。もうこれが精いっぱいだ。
二人は疲れのためか、しばらくは無言で座っていた。それからシンは何かを思い出したように自分の荷物をごそごそとかき回していた。
「ん?」
「どうしたんですか?」
何かないのだろうかと、ガクが聞いた。
「本がなくて」
シンがそう答えたところで、部屋のふすまが叩かれて、小さな女の人が二人を呼びに来た。
「お二人とも、ツカサ様のお部屋に行ってくださいな」
「はい」
二人は立ち上がり、歌司の部屋に向かった。
部屋に入ると、いつものようにウタ・ツカサはたくさんの本の中に文机を置き、その前に座りながら、本の山の中から何かを出したり読んだりしていた。
ガクとシンが声をかけながら部屋に入っても、歌司は手を止めることをしなかった。
「ああ、お入りなさい。ちょっとそこに座っていてくださいね」
そう言って、一冊の本を取ると、二人に向き直った。
「お使いに来てくれてありがとうございます。二人で組んで初めての仕事になりますか?」
歌司は二人に向いて言った。
「はい」
「まだお互いに慣れていないと思いますが、あなたたちの仕事ぶりを見たかったのでわざわざここまで来ていただいたのです。では早速ですが、お使いの説明をします」
歌司がそう言うと、シンは懐から帳面を取り出した。言われたことを書き込むのだろう。
「まずは、虹広川を下って栗林の終わり辺りに行ってください。そこに河童がいますので、コレを渡してください」
歌司は大きなひょうたんを二つガクに渡した。
「次に、そこから東に、最近発見された湧水があるので、その水を汲んできてください」
そう言って小さなガラスの瓶をガクに渡そうとしたが、ガクの手はいっぱいだった。
「あ、シン、お願いします」
ガクがシンに言うと、シンが前に出てその瓶を受け取った。
瓶を渡しながらも、歌司の話は続いていた。
「この湧水のある場所は、ちょうど栗林の外れと、霧の森と西の大丸池を三角に結んで、その真ん中から若干霧の森寄りに位置しています。森守りと言えどもあまり通らない辺りなのですよ」
「はい、あ、そうですね」ガクが答えた。
森守りは確かに森の中のどこも詳しいが、霧の森付近は通りぬけるのに時間がかかるため、あまり近づかない。そうすると、その周囲であまり通らない場所がいくつかあるのだ。今回目指す場所もまさにそういうところだった。
「河童は直接行けないんですか?」ガクが聞いた。
河童ならば、水場はどこへでも行けるので、森守りが行くよりは河童が行く方が早い。
「そこなんですよ」ツカサが少し大きな声で言った。「なぜか河童はそこに行きたがらないんです。ただ、場所は分かっているので、まずは栗林の終わりで河童と落ち合って、詳しい場所を聞いてください」
「わかりました」
「明日の午前中に出れば、昼過ぎには戻ってこられると思いますので、そのつもりでいてください」
「はい、わかりました」ガクとシンが答えた。
「何か質問はありますか?」
歌司が聞くと、シンが何か聞きたそうな表情をしていた。多分道のことだろうと思い、先にガクがシンに小声で言った。
「栗林の終わりのところは、俺でもわかるから、大丈夫ですよ」
ガクが言うと、シンは納得したように頷いて、歌司には何も聞かなくても良くなった。
その様子を見ていて、歌司がガクに言った。
「二人ともまだ慣れていないのもあるでしょうが、ガクはどうしてシンにも敬語で話しているのですか?」
自分が敬語になっているなどとは今まで意識していなかったので、ガクはとても驚いた。そう言えば、ずっと緊張していたけれど、まさか言葉づかいまで知らず知らず緊張していたとは。ガクはそんな自分にかなり驚いた。自覚している性格といえば、人懐っこくて、誰とでもすぐに友だちになれると思っていたからだ。それが、なぜかシンを前にすると、いつもの馴れ馴れしさが出てこない。
ガクの少し戸惑った様子に、歌司が優しく言った。
「ガクが打ち解けなければ、年下のシンは気を使うばかりですよ。いつも通り、楽しいガクでいるように、少し心がけてはどうですか?」
「はい」
ガクは、いつも通りと言われて、なんだかとても納得したのだった。そういえば、ここ数日、全然いつも通りに行動できていなかった。勿論森の中ではいつものように歩いていたし、問題はなかったのだが、ちょっとした、そう、さきほど、シンと二人で部屋にいたときに、くつろげないような、だら~っとしなかったような、そういう行動だ。あの時も、いつもなら畳を見た瞬間に倒れ込んでいただろうに、なぜか横になることができなかったのだ。
でも今、ウタ・ツカサに言われて気が付いた。だら~っとしても良いのだ。
シンに少しでも良くみられたかったのかもしれない。自分でもよくわからないが、とにかくいつも通りではなかったのだ。
そう気づいて、いつもの自分を意識した。部屋に戻ったら、思う存分だら~っとしてやろう、と思った。そうすれば、いつもビシっとしているシンも、少しはくつろぐかもしれない。もしかするとシンだって、だら~っとしたいと思っているかもしれないのだ。
「では、シンには少し話があるので、ガクは先に戻っていて良いですよ」
ガクの決意もむなしく、ガクは一人部屋に戻された。しかし、せっかくなので部屋に戻るとガクは畳の上に寝っころがった。疲れたのだから寝るのは当然だし、いつも通りに振舞うことに決めたのだから、これはもう、足の間に座布団など挟んだりして、年上の貫禄とかは気にせずだら~っとすることにした。こんな姿を見せたらもしかするとシンも一緒になってくつろぐかもしれない。そうすれば、話題の一つもできそうだ、とガクは少し楽しくなった。
仰向けになって天井を見ていたガクだったが、ここ最近の疲れがどっとでてきて、うとうとと夢を見ていた。
いきなり自分の相棒としてやってきた2年目のシンは、とてもまじめに見える。太くはないがキリリとした眉毛と鋭い瞳はどんな間違いも見逃さないように見える。いつでも直立不動で、指の先までまっすぐ伸びているし、背筋も気持ちよいほどピンと張っている。一目見て「カッコいい」と思った。男同士でカッコいいと思うのもヘンかと思うが、多分どう客観的に見てもカッコいいのではないだろうか?
しかし、そんなシンはどうにもなかなか打ち解けにくい。ガクは誰とでもすぐに仲良くなれるのに、なぜかシンはそうはいかないのだ。そんな相手は初めてだった。だからこそ、ガクはシンと仲良くなりたい、と思っていた。きっと仲良くなれると、変な自信がガクを奮い立たせていた。
夢の中では、そんなシンとガクが阿吽の呼吸で仕事をしていた。夢と言うのは願望の表れだと言うが、まさに、ガクの思い描く理想の”相棒”の姿だった。ぼんやりとした理想の夢は、しだいに深い眠りに流されて、ガクはいつしかすっかり寝入ってしまった。
シンが部屋に戻ってくると、そんなすっかり寝入ったガクの姿が薄暗くなった部屋に見ることができた。ガクは無防備にほぼ大の字になってクウクウと寝息を立てている。足には座布団を一枚、半分に折り曲げて挟んでいて、右足がちょっと浮いている。口が半開きになっているのが、またガクの人懐っこい顔をさらに可愛らしく彩っていた。つまり、ガクが今まで無意識に敬語で話してしまうほどに、シンの前ではカッコつけていたことが、この一瞬で全て無駄になってしまうほどに、緩みまくった姿をさらしていたことになる。
しかしシンは別に何とも思わなかった。シン自身は真面目で、人前であまり隙を見せないタイプの人間だが人にもそれを望むことはない。むしろ、他人のそんな無防備な姿は少し嬉しく感じるものでもあった。歌司が言った通り、やはり年上の者が緊張していては、慣れない年下の者はさらに緊張して疲れてしまうものだ。だから、少しくらい自分らしさを出してくれた方が、シンに限らず自然なことなのだ。
シンは押入れからうす掛けを取り出すと、ガクの腹にかけてやった。シンの顔はいつもの真面目な顔だったが、心の中ではお母さんの微笑みの様な顔をしていたに違いない。
その後、夕飯の知らせでガクが目を覚ますと、外は暗くなっていて、部屋や廊下には明かりが灯っていた。ガクはまず自分の腹にかかっているうす掛けに気づき、頭をポリポリと掻いた。ちょっとみっともなかったかな、などと思い恥ずかしくなったが、これが自分の普段通りの姿なのだ。あまり無理をしていても自分が辛くなるだけなのだから、これで良いと自らを納得させて部屋にシンの姿を探した。
すると部屋の端に、シンはいた。壁に背中をもたせ掛け、右足と右手は脱力しきって伸びていた。左足を折りたたんでその上に左腕を乗せ、頭も乗せている。左手がしびれそうな体勢のまま、どうやら眠っているようだった。
そんな姿を見てガクは、シンらしい寝方だなぁ、と思った。くつろいでいる時も、あまり隙を感じないのだ。先ほどの夕飯を知らせる声で目を覚まさなかったのだから、十分にくつろいで眠っているのだろうけれど、いかにもすぐに起きだしそうな寝相なのである。
壁に寄りかかっているとはいえ、シンはちゃんとくつろごうと思っていたようだ。足袋と手甲は脱いでいて、いつもは見えない素肌が見えていた。何気なくシンの腕を見たガクは、思わず2度見をしてしまった。シンの左の手首から肘当たりにひきつれた皮膚が覗いていたのだ。すぐに見て、火傷の痕だと分かった。足はきれいな皮膚をしていたが、腕の方はかなり大きいものだと見て取れた。
だからあんまり着崩さないのかな、とガクは思った。べつに火傷の痕くらいあっても、理由を根掘り葉掘り聞こうとは思わないし、勿論汚らしいと思うこともないが、本人が気にするのだろう。ガクはあまり見ないことにして、本人にも言わないことにした。というより、すぐに忘れてしまった。気にすることもないことだ。ただ、シンが人前で肌をさらすのが苦手だろうということだけは覚えておいた。
「シン、ご飯だってさ」
「うん・・・あ、はい」
シンはぼんやりと目を覚ました。そしてガクが想像していた通り、すぐにいつものキリリとした瞳で辺りを見回した。
「夕飯ですか?」
「うん、食堂へどうぞってさ」
いつも通りの隙のないシンに、ガクはこの時から敬語をやめた。シンはその変化に気づきながらも、またいつも通り敬語で話していた。それでも、ガクもシンもなんだか満足していた。