2. 帽子の使い方
ガクとシンはこの帽子の使い方を習得すべく、なるべくこの帽子を使うことに決めた。そうでなければ、せっかくこの帽子を貸してもらった意味がない。
二人のお使いの内容は、たまたまおあつらえ向きに、物を取りに行くというものが多かったのもあって、それらを片っ端から試すことにしたのだ。
まずは、町の家に行き食料を持ってくるというお使いであるが、こちらも多分荷物の準備ができているはずだ。ただ、二人にはどんな種類の食材を運ばなければならないのかはわかっていなかった。
「この帽子じゃ、大根は無理ですね」
ガクがそう言うと、シンがコックリと頷いた。
大根どころか、帽子よりも大きなものはどう考えても取り出せないだろう。もしも大きなものを取り出そうとして、この帽子はそれを出してくれるのだろうか?それとも、途中でひっかかったりしたら品物は一体どうなるのだろう?
「じゃ、やってみますか」ガクは神妙な顔をして、帽子に向き直った。「町の家に食材を取りに行くことになっています。町の家の食材が必要です。お願いします」
ガクはそう言うと、半信半疑のまま帽子に右手を突っ込んだ。
帽子をまさぐった手に何かが当たったのだろう。ガクは「お」と言うと、腕に力を入れた。しかし、どうやら重いらしい。
帽子を足で押さえると、両腕を帽子に差し入れた。帽子の口(?)はガクの両腕でいっぱいになっている。この状態で一体何を取り出そうというのだろう?
ところが帽子は、ぐにゃりと大きくなったように見えた。そうして、ガクは両手で大きな袋を引っ張って取り出していた。
「米」
シンが冷静に分析している。
もっと驚かないのだろうか?
「まだある」
ガクはそう言いながら、また帽子に両腕を入れて、足で帽子を押さえながら先ほどと同じ米袋を取り出した。30キロくらいあるだろうか、かなり重そうだ。それを6袋取り出した。
「これで全部です」ガクはそう言って帽子の中を覗いてみた。
確かにもう、帽子からは何も出てくる様子はないみたいだった。
しばらく二人は無言で、取り出したばかりの米袋を眺めていた。
どう考えても、おかしい。
不思議すぎる。
あり得ない。
しかし、それが魔法の帽子なのだ。やっと二人はそう納得すると、顔を見合わせて少し笑った。
「お米180キロ、背負って運ぶ羽目にならずにすみましたね」
ガクが言うと、シンは何度も頷いた。
当然と言えば当然だが、こんな北の森の奥で米は育たない。いつも誰かが運んでいるのだ。それは、たまたま森に用事のある人が持って来たり、お使いの係り(この家の場合はガクとシン)が持って来たりするのだろう。
それを考えると、お米の件だけでもこの帽子は利用価値が高いと二人は思った。
もう、先ほどまでと同じただの古ぼけた帽子に戻ってしまったが、これは紛れもなく魔法の帽子なのだ。
二人は何だか楽しくなってしまった。
「次は・・・明の森の品物ですね」
ガクが予定表を読むと、シンがちょっと頭を掻いた。
「それ、僕の荷物だと思います。送ってもらうことになってたんですけど」
シンはこの鷲頭の森からはかなり遠くの、国の南西にある明の森にいたのだが、荷物を全部持ってこられなかったのだ。そういったものは、本来は一度町に運ばれて、運送屋が運ぶというのが一般的である。本人もどうやらそう思っていたのだが、なぜかこの予定表に書き込まれていた。
「これで帽子が出してくれなかったら、俺たちで明の森まで取りに行くってことですよね?」
ガクが心配そうにシンを見て言った。
シンはちょっと困ったような顔をしていた。シン本人としては、ちゃんと運送屋さんに送ってもらう手配をしたはずだったのだ。それでも、せっかくなので帽子に頼んでみることにした。
「じゃ、僕がやります」シンは帽子の前に座り、帽子に向かって言った。「明の森の荷物が必要です、お願いします」
シンは帽子に手を入れて、すぐに引き抜いた。その手には大きな袋が握られていた。取っ手がある袋なので片手で取り出せたのだが、やはり帽子の口よりはずっと大きなものが、帽子から出てきたことになる。
シンは安心したような顔になっていた。引っ越しの割には大した量ではないが、やはり自分の生活用品が全て揃っていないというのは、何か心もとないのだろう。これで、シンの荷物がそろったのだから、シンの引っ越しは完了したということになる。
シンが帽子から荷物を取り出したのを見て、ガクはもう一度帽子を使いたくなった。何だかとても楽しいのだ。
「じゃあ、次は俺!やります!」
予定表を見ると、虹の森へ行くということになっていた。しかし内容がいまいちわからない。何を取りに行くのだろう?こういう不確かなものは、帽子にどうやって頼んだら良いのだろうか?
それでも帽子を使ってみたいガクは何でも良いから帽子に頼んでみることにした。
「虹森からお使いに来るように言われています。虹森の荷物が必要です。お願いします」
帽子に言いながら、ガクは手を入れた。しばらく帽子の中をくるくるとまさぐっていたがなかなか手に品物が当たらなかった。ガクは何か手に入るまで帽子の中をかき回し続けていた。
そのうち、小さな硬い物が手に当たって、ガクは手をひきぬいた。
「出ました」
嬉しそうに手のひらに入ったものをシンに見せた。その手のひらに乗っているものは、単なる石にしか見えなかった。
「これ?」
まさか、わざわざお使い行って、小さな石を渡されるはずはない。
ガクは石をひっくり返してよくよく見てみた。
すると、石の裏に何か文字が書いてあるのが分かった。
「はずれ・・・」
なんと、その石ははずれだったのだ。つまり、帽子では出せないものなのか、帽子の気に入らなかったのか、そういうことだろう。
だからと言って「はずれ」と書かれるとは、何ともやられた感がした。
「ヒロが、その願いは間違えだった、と言ってましたね、そう言えば」
ガクが諦めたような声で言った。しかしその言葉を思い出さなかったら、もっと納得いかなかったことだろう。
「つまり、虹森へは俺たちで行かなければならないってことですね」
ガクがそう言うと、早速旅の準備に取り掛かった。
鷲頭の森から、ウタ・ツカサのいる虹森へは1日ではたどり着けない。森の中をとても速く移動できる森守りでも2日はかかる道のりだ。
時刻はすでに午後になっていたので、今から出発すると、森の中で二回は野宿をすることになる。
まあ、それも良いか、とガクは考えた。どっちにしろ虹の森まで行かなければならないのなら、この北の方の森に慣れていないシンを連れて、いつもより少しゆっくり進むのは、色々と教えるのに都合が良い。
シンは先日、虹森を経由してこの鷲頭の森にやってきたが、基本的には昼間に歩いて来ているはずだ。しかし、森は昼間だけ起きているわけではない。むしろ、夜にしか活動しない動物も多いものだ。
この辺りの森の夜行性の動物を知っていてもらうのは、森守りとしては当然のことだ。
それで、普通だったら次の日の朝に出発して、一泊だけ野宿をするという日程を組むところを、ガクはその日のうちに出発することに決めた。
今までは年上のワタルと組んでいたので、あまり自分から予定を決めることはなかったが、自分より年下の、しかもこの北の森に慣れていないシンと組むことになって、自然とそういう考え方ができるようになっていた。
それでも、先ほど出した荷物のお礼の手紙などを書いたり、後片付けをしていたのもあり、二人の準備が整ったのは、すでに夕飯の時間になっていた。
夕食をとると辺りはすっかり暗くなっていた。ガクはシンを連れて出発した。
「夜歩いたことありますか?」
歩きはじめてから急にシンのことが心配になり、ガクはシンに聞いた。
「はい、まあ」
いつもきちんと答えるシンが少し濁したように答えたので、きっとあまり慣れていないのだろう。と、ガクには分かった。
「明の森は、夜ももっと明るく感じます」
シンはそう言うと、しばらく何も言わなかった。歩きながら少し空を見上げるようにしていたので、ガクは、シンのいた森では、きっと木々の生え方が違っていて、月の光も入りやすいのだろうと分かった。
それからシンは、ボソっと小さな声で言った。
「あの、熊がいるって聞きましたが・・・」
確かに、シンがいた森とは随分違うだろう。南と北というだけでも違うものだし、森というのは同じように見えても地域ごとにかなり違うものなのだ。
木の種類も動物も環境が少しずつ違うのだ。
それに、鷲頭の森もそうだが、北の方の森は南の森に比べて、人間の手があまり入っていない。そのために森はゆったりと時が過ぎていく。長い時をかけて育まれた森は、うっそうとしてはいるがとても豊かで、動物も多い。シンのいた明の森にはいない動物も多いはずだ。
「熊?勿論いますよ。見ていきますか?」
「え?」
シンは驚いたようにガクを見た。
「熊の通る道がありますから、そのそばを通って行きますか」
それで、ガクは熊の通る道を教えてあげることにした。その獣道を通ると鉢合わせしてしまうので、ガクたちは獣道から少しそれたそばの茂みを通ることにした。
「よく耳を澄ましていけば大丈夫ですよ」
二人はとても静かに歩いて行った。月が出ているので、真っ暗ではないが、シンには慣れない道だった。暗くてよく見えないせいか、シンは自分の足音がとても大きく聞こえた。普段はほとんど足音をたてない森守りなのに、夜は音が良く聞こえるのだ。木々の葉をよける音、枝や葉っぱを踏む音がやけに響くような気がする。自分の息づかいさえ、まるで普通に話しているかのようだ。
「確かに、熊の足音なんて俺たちには聞こえないほどだけど、反対に熊には俺たちの足音が聞こえるはずだから、むやみに近づいてこないですよ」
ガクは小さな声で話しながら歩いていた。ここに人間がいることを動物たちに知らせているのかもしれない。しかし動物たちの生活を荒らさないようにただ静かに歩いていくのだ。
少し歩くとガクが立ち止まって、いくつかの木をシンに見せた。
「ほら、モモンガの巣です」
木の幹の高いところに穴が開いているのが分かった。
「この辺は巣が多いので、多分見られますよ」
そう言ってるそばから、シンの頭めがけて、大きな座布団が飛んできた。
「うわ!」
シンはほんの少し身をかがめてやりすごした。ぶつかる距離ではないが、かなり大きく見える。その座布団がモモンガなのだ。
「見たことありますか?」
「はい」
シンは少し斜めに身をかがめながら答えた。でも怖がってはいない。むしろモモンガに会えて喜んでいるのだった。
「ここらへんは森守りしか来ないので、モモンガたちも、人間を怖がらないんです」
ガクが言うとおり、モモンガたちはまるで二人が来たことを喜んでいるかのように、姿を現してくれた。
「昼間に来ると、寝てるのが見られますよ。寝ぼけて落ちてるやつとか、よだれたらしてるのとか見られて面白いですよ」
シンはそんな人懐っこいモモンガに興味を持ったようだ。まず、よだれをたらして寝てるモモンガなんて見たことはないだろうから、当然といえば当然かもしれない。
モモンガの地域を静かに足早に通り過ぎると、夜の静けさが空から下りてきたような、空気が少し重く冷たくなったように感じられた。
普段だったらもう布団に入っている時間だろう。
「今日は熊には会えないみたいです。そろそろ仮小屋がありますから、今日は休みましょうか」
ガクが提案したころには、もう真夜中になっていた。歩いているとはいえ、春の夜はだいぶ涼しく、吹く風はとても冷たかった。身体は温かいのに手先は冷たい。
しっとりと湿気をためた冷たい空気の中を、もうしばらく歩いていくと、森の中でもそれと分かる、大きくて太い木が現れた。木の枝からは何本か長いツルが垂れ下がっている。言わずと知れた森守りの休憩所“仮小屋の木”であった。この木は比較的小さい木ではあったが、太さが充分にあって、木のうろにも小さな部屋がある。冬場でもあまり風を受けずに泊り眠ることができる。勿論他の地域の仮小屋と同じように枝の上には小さな箱型の部屋もある。ただし、やはり風が避けやすいように壁のある部屋ばかりだ。シンのいた南の方の仮小屋だと、壁が2方にしかない部屋もあるらしい。
「尾の地区の仮小屋とだいたい同じだと思いますが、分からないことがあったら聞いてください」
“尾の地区”というのは、国の西側の森のことで、シンが今までいた森のある地域全体のことだ。
ガクがいるのは、国の北側で“頭の地区”と広く呼ばれることがある。
とにかく、この二つの地域は普段あまり交流がなく、森守りと言っても少しずつやり方や考え方が違うことがある。森の中にある、森守りのための休憩所、仮小屋の木も、もしかすると仕様が違うかもしれないと、ガクは考えたのだ。
「大丈夫です。鷲頭の森に行く前に一度泊まりましたから」シンが答えた。
「そうですか。どの辺を通ったかわかりますか?」
「南回りだと思います。大きな温泉地を通過しました」
南回りと言っても、北側の森のことである。北側の森(頭の地域)はかなり広く、南側と北側に地域としてわけて考えられている。
南側は、町に近いのもあり、森は間伐などがしっかりとなされていて、見通しも風通しも良い。つまり、よく手入れがされている森なのだ。
それに比べて、ガクのいる北側の森は、北に行けばいくほど、人の手は入らず、森はあるがままの姿を保っている。勿論、森が枯れてしまわないように森守りが見回ってはいるが、人間がなんとかできる以上の年月をかけて森は少しずつ成長し、時には枯れ、そうして動物たちを育んでいるのだ。
だからこそ、豊かな森を好む熊などは、北の方にしか住んでいない。どんな動物も森の南北などお構いなしに歩き回り移動し生活しているのだが、それでも豊かな森が好きなことは確かだ。それに、熊が住めるほどの大きなうろのある古木となると、人の手の入らない北にしか生えていないのだった。
とにかくその夜、二人はその仮小屋の木に登り、森の一員として休むのだった。