14. シンの仕事
そうしてまた1週間が経ったとき、あの仕事にとりかかることとなった。
「ガスに火を付けに行くんです」
シンが神妙な顔をしてガクに伝えた。
お互いにわかっていたことだ。そのために、シンはガクが入院している間、鷲頭の森へ帰らずにこの虹森に滞在していたのだから。
ガクはその日が来たかと思った。覚悟はしていたのだろう。わかっている、シンにしかできない仕事だと。ガクはそれでも一緒についていくと言った。
出かける時になって、シオンがまた一緒についてきた。
「シン、火をどうやってつけるつもり?」ガクはシンに聞いた。
シンは少し考えた。歌司には魔法を使ってよいと言われたのだ。シンにはその考えしかなかった。他の方法などどうしたら良いのか想像もつかない。
「魔法を使おうと思います」
そう言うと思っていたのだろう、ガクは魔法を禁止するとは言わなかった。
「シン、俺はガスのことはよく分からないけど、あそこでシンの手から火を出したら、ガスに引火して、シンの手を焼くことにはならないのか?」
シンははっと息を飲んで、そして気づいた。確かに火はシンの手から繋がっているのだから、ガスにつけた火が、そのまま逆流して伸びてくることが考えられる。
こういう時は、火を飛ばせば良いのだ。自分の手元の火をガスのところまで飛ばして、そこで着火するのだ。そういうことを思い出した時、シンの心に声が聞こえた。
『違うっつってんだろーが!』
聞いたことのある耳障りな声が、何度も聞いたことのある文句が、シンの心に聞こえてきた。
思い出は映像になって、シンの脳裏にうっすらと見えた。誰かがシンに火の操り方を教えている。そして『違うっつってんだろーが!』と繰り返す。
シンは心と脳裏に流れ込んだものをグッと抑え込んだ。今は関係ない。もう、昔のことだ。
とはいえ、確かに火を飛ばす魔法はシンにはできないのだった。
そして、わかったのだ。ガクは逆流する炎を予想していたのではないか。だから、シンを守るために、自分の手を出したのだ。そしてガクが言った「俺が守るしかないだろう」という言葉を思い出した。ガクはただシンに魔法を禁止したのではなくて、シンを守ったのだ。
3人はガスの噴き出し口が見える(とは言ってもガスは目に見えないが)岩場にやってきた。下から見る場所でもあるし、風向きの関係で、そのあたりはわりと吹き出し口から近いもののガスの影響は少ない。
「一番危険なのは、吹き出し口付近で火を付けることです。だから、ここから火を付けて、それを持っていく方が安全です」
シンがガクとシオンに説明した。説明したところで、火を付けるのはシンの役目なのだが、ガクがどうしても知りたがったのだ。
「ただ、吹き出している勢いがかなり強いので、不用心に近寄ると爆発するかもしれませんし、自分にも火がついてしまいます。それに、例えば火矢のようにして火を飛ばすにも、ガスが強くて多分、他の木に火が移ります。魔法を使わなければ、こんな感じですね」
「なるほど、かなり難儀だな」
ガクが言った。シオンも頷いている。
「で、魔法を使うとなると、確かにさっきガクさんが言ったように、逆流が考えられます。それ以外に魔法を使うとなると、火を飛ばして、吹き出し口付近で火を付ければ、逆流もしないし、低く飛ばせば木に燃え移ることもないんだけど・・・僕にはその魔法はまだできないんです」
だんだんシンの声が小さくなった。
今日ガクに言われるまであまり気にしていなかったが、この勢いのガスに火を付けるのはかなり危険だとシンは確信していた。
「じゃあ、どうすんだ?」
シオンが口を挟んだ。シオンはこんな干からびた仕事は一刻も早く終えたいところだった。河童ならば当然だろう。しかし、ガクのために根性でここに留まっていた。
「そうだね、じゃあ、色んな事をやってみようか」
なんと案を出したのはシンではなくてガクだった。
「まず、シオンさんがいてくれるなら、水のことはまかせられる。いざとなったら俺たちに水ぶっかけてくれる、でしょ?」
ガクが笑顔でシオンに向くと、シオンは目を大きくして何度も頷いた。そして立ち上がり
「そうとくれば、水の準備だ。お前たち頑張れよ」
そう言って、虹広川の方へ走って行った。
「それで、俺たちはコレをかけておこう」
そう言って、ガクは荷物から大きな布を出してきた。シンも見た事のある、森守りが山火事などの時に使う布だ。燃えにくい素材でできている。
なるほど、どうしても燃え移りそうなのならば、燃え移らずに済むことばかりを考えるのではなくて、そのあとのことも考えればいいのだ。そうすれば被害は最小限に抑えられる。
「さあ、あとは火の付け方だ。さっき聞いた感じだと、火を飛ばすのが一番なんだね。だけど、あまり上の方に放ると木に燃え移ってしまう、ということだ。
だったら火を低空飛行させなければならない」
シンが頷いた。しかも、低空飛行で火を放っても、吹き出し口に納めるのは至難の業だ。
「シン、合図をしたら一瞬だけ火を出して欲しいんだ。すぐに火から手を離せば、飛ぶ火が作れるだろ?」
「?」
飛ぶ火?シンにはわからなかった。でも、手から離れた火が一瞬現れることは理解できた。
「その火を、俺が風を使ってあそこまで吹き飛ばす。それならば低空飛行させることが可能だ。だけど、出した火が小さすぎては消えてしまうし、大きすぎてはあそこに着く前に引火する可能性がある、それは危険だ。よく考えて、適度な大きさの炎を出すんだ」
なんとも難しい注文をしてきたものだった。しかし、それならば火を飛ばすことができる。一人ではできなくても、ガクがいれば出来るのだ。
「どれくらいの風が送れますか」
シンは真剣な目をして、ガスの噴き出し口を見つめた。
「どれ、ちょっとやってみるよ」
そう言って、ガクは後ろを向き木々に向かって風の歌を歌った。ざわざわと木々の葉が鳴り出した。それからすぐに、ヒュウ―という音がしたと思うと、低く毬を投げたときのような風が感じられた。
シンは驚いた。そんな風の送り方など見たことがない。ガクは森の木々に風を送ってもらう天才なのだろうか。
「わかったか?ざわついてから1、2で低い風が来る」
「はい」
「一度やってみよう。火はこれと思う量より少しだけ抑えて」
「はい」
ガクが振り向くとシンは深呼吸をした。
「いくぞ」
二人の息はぴったり合っていた。ガクが歌い、ざわざわと木々が鳴る。それから2つ数えたその時に、シンの手から炎が離れた。
炎は風に乗り、吹き出し口まで運ばれようとした。しかし、炎は小さくて、途中で消えてしまった。
狙いは良かった。
「どうだ?」
ガクが振り向くと、そこには炎はなかった。
「火が小さすぎたようです。もう一度できますか?」
「勿論、行くぞ?」
「はい」
二度目は炎も大きさもばっちりだった。
ガクがおこした風が、シンの作った炎を運び、ちょうどガスの噴き出し口へたどり着いた。
その時、炎はボンと大きな音を立てて、一瞬大きく火柱をあげた。すごい火力で、シンとガクの身体も熱さを感じた。しかし炎はすぐに小さくなり、ガスの噴き出し口から1mほどの高さまでで落ち着いた。
「やった!」
大成功だった。
シンが振り返ると、ガクは気を失って倒れていた。
気を失ったガクを背負ってシンが虹広川を通りかけると、シオンがそれに気づいて出てきた。シオンは驚いて駆け寄りガクを観察した。しかし新しい傷はなさそうだった。それで、ガクが火を見て気を失ったことが分かった。それは勿論、ガクがシンの火を恐れたということだろう。
これでもう、ガクとシンは相棒ではいられない。
「分かったな。相棒は解散だぞ」
シオンはそう言って手を伸ばしガクを受け取ろうとしたが、シンはガクを離さなかった。背負ったまま逃げるように走った。
「そんなこと」
「いいから、ガクをこっちに渡せ」
「嫌です」
「何言ってるんだ!お前と一緒にいたらまた怖がるじゃないか」
「でも」
そんな言い合いをずっとしていた。
いい加減うるさいので、ガクが目を覚ましてしまった。何をそんなに言い合ってるのか。ガクは自分が話題の中心になっているなど考えもせず言った。
「うるさいよ」
「ガク」「ガクさん」
「下ろしてくれ」
シンはすぐにガクを背中からおろした。ガクはしっかりとした足で河原に立った。気を失ったものの、問題はなさそうだった。
「何を大声出してるの」
シンとシオンは顔を見合わせた。お互い恐ろしい顔をしていた。
3人は無言で歩いて虹森の家に戻り、歌司の部屋に行った。ウタ・ツカサは忙しいので、いつでもひょいひょい会えると言うわけではない。3人は歌司の部屋の隣の部屋に通されて待っていた。しばらく誰も喋らなかった。
ガクが最初に口を開いた。
「俺どうしたんだろ?」
シンとシオンはまた顔を見合わせた。覚えていないのだろうか?
「気を失ったんです」シンが言った。
「ガスに火を付けたのは覚えてるか?」シオンが言った。
「ああ、うん」
そう言うと、ガクは納得したような顔をした。
「それで、なんであそこで大声出してたの」ガクが聞いた。
「あの、ガクさんと話したくて」
「違うだろ、弁解したかったんだろ。相棒やめさせられたくないから」シオンがすぐに口を挟む。
「相棒やめさせられるって?」ガクが聞いた。
「それは・・・」シンが口ごもる。
「その傷のせいで、お前がシンを怖がるようになることをツカサ様が心配してるんだよ。もしそうなら、相棒はやめた方が良いってことだ」
本当にガクを心配しているのは、むしろ歌司よりもシオンの方だが、まあ、そういうことにしておこう。
ガクは思案した。確かに気を失ったのは、炎の勢いを感じて、あの時の痛みや恐怖を思い出したからだ。だからと言って、シンのことを怖がっているわけではない。いや心のどこかで怖がっているのはもしかするとあるかもしれないが、ガクはシンと相棒でいたいのは本当のことだ。
そんなことを考えていると、歌司の部屋から3人を呼ぶ声が聞こえた。




