13. 怪我のあいだ
歌司の家に戻ると、ガクはすぐにどこかに連れて行かれた。
それからはシンにとっては辛い時間だった。
シンはまず歌司の部屋に呼ばれ、石油とガスのことを説明した。しかしそこには恐ろしい形相でシンを見つめるシオンがいる。シオンの迫力とガクを案じることとで、シンは自分が何を言っているのか分からないくらいに緊張していた。なんとかガスのことを報告すると、あとは歌司が決めるということになった。
話はここで終わらない。これで終わればいつもと同じただのお使いだ。
ここからは、シオンの出番だった。
「それで、なぜガクは火傷をして、シオンがついてきたのですか」
ウタ・ツカサが聞いた。
歌司は意地悪だ。きっと何もかも分かっているくせに、シンに言わせようとするのだ。しかし、口を開いたのはシンではなくて、シオンだった。
「そんなこと、見ればわかるでしょう!こいつがガクに火傷を負わせたんです。ツカサ様、どうしてガクにシンの面倒を見させることにしたんですか?ガクが可哀想じゃないですか!5年目だからってこんなやり方あるんですか!今すぐシンとの相棒を解消させてやってください」
シンには反論できなかった。自分がガクにやけどを負わせたのだから。だけど、ガクと相棒をやめさせられるのは、考えただけでとても辛かった。
「シオン、落ち着きなさい」歌司が言った。
「でも」
「シオンの言い分はもっともです。シンは火を扱うことができますから、こういうこともあるでしょう」
「こういうこと、では納得できません。見たでしょうあの火傷を。血が出るほど焼けただれた手のひらを!」
シンがギュッと目を瞑った。ガクの左手はひどかった。あんな火傷シンにすら見たことがないものだった。
「ガクだって馬鹿じゃありません。きっと色んなことを守ろうと思ってのことです。シンだってわざと怪我をさせようとしたわけではないでしょう?」
ツカサがシンに向かって言った。勿論その通りだ。だけどその言葉はシンには辛くてたまらなかった。怪我を負わせたくない人に、あんな傷を与えるなんて、ありえないことだ。
「わざとじゃないなら、なお危険じゃないですか!ガクが人が好いからって組ませていたら、また同じことが起こりますよ。悪魔の魔法の相棒なんて無理じゃないですか」
「シオン!悪魔の魔法ではありません」
シオンは口をつぐんだが、身体は怒りで震えたままだった。
そうして歌司はシンに向いて言った。
「では、こうしましょう。
シン、ガスに関してはあなたに全面的に頼るしかありません。あなたが火を操る魔法を使うのは、悪いことではないんですよ。ただ人に恐怖を与えてしまうということを覚えておきなさい」
「はい」シンは小さく返事をした。
「あなたの考えでは、蓋をすることは難しいということですから、ガスの噴き出し口に、あなたが火を付けに行ってください。良く考えて、魔法を使っても良いですし、危険なら魔法は使わず、他の方法でも勿論構いません」
シンは顔をあげて歌司を見た。魔法を使っても良いと言ったのだ。
「その時、ガクとシオンにも一緒に行ってもらいます。シオン良いですね?」
「ツカサ様。ガクの気持ちは聞かなくて良いんですか?」シオンが言った。
「そうですね、それはその時聞いてみましょう。」
シオンはむっつりと頷いた。
「そこでもしガクが、シン、あなたの魔法を、いえ、あなたのことを怖がるのなら、その時はさすがに相棒を続けることは無理でしょう。相棒は解消です。いかがですか、シオン?」
シンは下を向いた。それが一番恐れていることだ。でも、希望はある。ガクが自分を怖がらなければ、相棒を解消しなくてもいいのだ。あんなにひどい傷を負わせておいて虫のいい話だが、シンは、ガクが自分を怖がらないでいて欲しいと願うしかなかった。
「わかりました」
そう言ってシオンは席を立ち、納得のいかない表情を残して河童の住処に戻って行った。
ガクの左手のひらはひどい状態だった。皮がむけて血が滴っていた。それだけではなく、川の水にさらしたせいでそこからばい菌が入ってしまっていた。
虹の森の家には国の中でも特に能力のある者が集まっている。その中には癒しの力を持つものが数人いた。その能力のある人たちがガクの治療にあたっていた。
ガクは何日も熱が出て寝ていなければならなかった。
その間、シンは一人でただガクが早く元気になるように祈って待っていた。それしかできなかったのだ。
1週間後にシオンがお見舞いに来た。ガクはもう熱も下がっていて元気そうに見えた。ただ、左手は魔法の治療のおかげでひどいことにはならずに済んだものの、まだ痛みがあるので、動かして作業をすることはできなかった。
「どうだ?傷は」
シオンが元気に部屋に入ってきた。ガクは寝巻を着てはいたが、起きて座っていた。
「シオンさん!来てくれてありがとう、ほら」
ガクは嬉しそうに右手をシオンに見せた。右てのひらの火傷はだいぶ良くなっていた。水ぶくれの痕はあるものの、白く新しい皮がガクの手のひらを包み始めている。
「ああ、良かったな。さすがに歌い手たちの仕事は完璧だな」
歌い手というのは、この家の魔法の歌の能力者たちのことで、色んな魔法が使える。特に病気や怪我の治療が得意な人たちだ。
「反対側はどうなんだ?」
シオンはまだ包帯が巻かれているままの左手を指さした。
「こっちはもうちょっとかな」
ガクは少し苦い顔をして答えた。本当のところ、まだ色も悪く、ガクは包帯を換える時に自分の手を見て気持ち悪くなるほどだった。ただ痛みは随分と減り、動かさなければ問題はない程度になっていた。傷から菌が入ってしまったために、どうしても治りが悪いのだが、高度な治療を受けられて回復に至っている。
シオンは少し黙った。聞いて良いものか迷うが聞いておきたいことを言うために。
「アイツは、どうした?」
「アイツって・・・シン?」
シオンが頷く。
「まだ来てくれないんだ。きっと気にしていて来られないんだと思うよ」
ガクは寂しそうに答えた。
「ガク、お前、怖いだろ?」
ガクの目が一瞬泳いだ。頭ではシンのことを怖くはないと思っている。だけど左手の痛みを感じるたびに、あの時のことを思い出す。すると自分ではそうとは意識していないのに、冷や汗が吹き出すのだ。ガクは、自覚していない恐怖が心の中にあるのを、なんとなく分かっていた。ガクはあいまいに笑顔を作って言った。
「怖くないつもりなんだけど、シンに会ったらどうかわからない。でも、話さなきゃ、分かり合えない」
ガクはシンと分かり合うつもりなのだ。だからと言って、ガクがシンを怖がらないとは限らない。会って話してみて恐怖心が出てくる場合もあるだろう。シオンはガクが不憫でならなかった。
「無理することはないんだ。怖いなら、もう会わないように、ツカサ様に頼んでやる」
シオンの思いやる気持ちはよくわかる。
「でも、会いたくないわけじゃないんだ」
それからさらに1週間して、ガクの調子も良くなってきたので、ガクはシンの待つ部屋に戻ることにした。シンが気にしていてガクに会いに来ないのなら、ガクの方から行くしかない。
「今日の10時ごろに、ガクが部屋に戻ってきますよ」
朝食の時に、シンはそう告げられた。歌司の家に来た時は、ガクとシンの二人部屋を借りられるのだが、ガクが運ばれてからシンは一人で寝泊まりしていたのだ。その部屋にガクが戻ってくる。
シンはいきなり緊張して、朝食が噛めなくなってしまった。無理やり飲み込んで、さっさと朝食を終えて、部屋に戻った。
部屋に戻っても何もすることはない。シンは部屋を散らかしたりしないし、今日は歌司にお使いも仕事も頼まれていない。シンはひたすら部屋の中をぐるぐると歩き回った。馬鹿みたいにうろうろしていると、ふすまが叩かれて開いた。
「ただいま」
勿論、ガクが戻ってきたのだ。
寝巻を着て、左腕を三角筋で吊っている。髪の毛は結べないので肩まで垂らしたままだ。後頭部から盛大な寝癖が覗いている。あとはいつも通りのガクだった。
シンは冷静に振舞おうとしたが、緊張のあまり声が出なかった。ただ無表情で無言でガクを迎え入れた。
その様子にガクが少し笑った。
「相変わらず無口だね」
そう言って、ガクは部屋に入ってきた。客用の寝台に腰を掛けてシンを見る。
ガクの顔色は悪くない。三角筋で吊っている手の先は包帯でグルグル巻きだった。そうしていないと動かしてしまうらしい。
「俺がいない間、仕事できた?」
ガクが普通に聞いてきた。
「はい」
森守りの仕事はどこにいてもわりと色々あるものだ。歌司やこの家の人が、シンに仕事をくれていたのだろう。
シンはガクに何か言おうとしていた。ごめんなさい、とか傷はどうだ、とか、熱はどうしたとか、なんでも良い、ガクを気遣うことを言いたかった。それに、自分が悪かったことをとにかく謝りたかった。それなのに、シンは何も言えないでいた。それがシンなのだ。自分だってじれったくなるほど言葉が出てこない。
ガクはシンに会ってみると、全然恐怖を感じなかったので、とても安心した。会ってみなければわからないと思っていたのだけれど、取り越し苦労だったようだ。
それにシンを見ていると、ものすごく罪悪感にさいなまれていて可哀想なほどだった。これではシンを怖がるなどと言っていられない。俺は大丈夫と言ってやらないと、シンの方がダメになってしまいそうだった。
「俺まだ手が動かせなくて何もできないんだけど、ずっと寝てて体力が落ちてるからさ、シンの仕事についてっても良い?」
シンは信じられないという顔をした。本当について来てくれるのだろうか?勿論手は動かせないから、仕事はできないが、一緒に仕事場へ行って、見ているということだろう。
「良いです、勿論」
「良かった。なるべく邪魔しないから」
このやり取りだけで、シンはとても気持ちが楽になった。謝ることはできなかったが、ガクはシンを許してくれたのだ。
ガクもシンがちゃんと受け応えてくれたので、嬉しかった。シンの目を見れば、後悔していることも、申し訳ないと思っていることもガクには分かるのだ。だからわざわざ謝ってもらおうとは思っていない。それより、また今までのように少しずつ相棒として絆を深めていきたい。それだけだ。
そうして、次の日からシンの森での仕事に、ガクは同行した。最初は着替えすらできなかったので、まんまとシンの邪魔をする羽目になった。シンは嫌がらずにガクの着替えを手伝ってくれたが、髪を結んでもらうのをガクは非常に恥ずかしかった。
「子どもみたいだ」
「四の五の言わずに、髪を結ばせてください」
シンは何とも思わずに、テキパキとガクの髪の毛を結んでくれた。
仕事に行くと、ガクはシンの見えるところで座っていた。ちょっと山を上り下りしただけで息が上がってしまうほど体力が落ちていたので、とても立って見ていられなかった。
それも1週間もすると、体力はだいぶ戻った。それでも、やはり手を使えないので、森を歩くのはいつものようには行かず、どうしても疲れてしまった。
どういうわけか、ガクがシンの仕事を見に行く時は、シオンが一緒に来て、シオンがガクの世話をしていた。
シオンの強い視線はシンを怖がらせ必要以上に緊張したが、それもガクのためである。そう思うと、シンは納得して受け入れるしかなかった。




