9. 薪づくり
シンの風邪が治ると二人は森へ戻り、お使いの仕事をいくつかこなした。
魔法の帽子も時々は使ったが、あまり用のないものだった。お使いはただ単に物のやり取りをするだけではない。現地に行って現場を見て必要なものに気づくこともあるし、顔と顔を合わせて会話をすることは、とても大切だった。時には必要のないような世間話すら、人とのつながりには大切なものなのだ。(それに単に、帽子から物を送ることができないので、結局は足を使わなければならないことも多いということだ。)それで、帽子は居間の棚の上にずっと置きっぱなしになっていた。
とはいえ、忘れ去られたわけではなく、時々帽子を使ってみようかと持ち出すこともあった。
お使いのないときは、森の見回りをした。これは森守りならばみんなすべき仕事だが、動物に詳しいガクは動物のことはかなり任されていたので、仕事も多かった。
「ガク、北側の斜面に怪我をしているカモシカがいたぞ。どうする?」
たいていは見回り範囲の広いヒロとワタルが教えてくれた。そしてなぜか、ワタルは自分では手を出さないで、必ずガクになんとかさせるのだ。ガクもそれは分かっていた。今まで一緒に組んでいたので、ワタルは動物のことに関してはガクに任せた方が良いと思って信頼しているのだ。
「分かった見てくる、シン行こう!」
ガクはシンを連れて、ワタルの言っていた地点を探した。
家からは少し離れた小山の斜面を登りながら、ガクとシンは耳を澄ませた。森守りはほとんど足音をさせずに歩くが、それでも落ち葉や木の枝を踏めば音はする。シンは小さくサクサクと響く自分の足音をうるさく感じた。
少し歩くと何本か倒木があった。あまり手の入っていない森なので、細い木は朽ちて倒れたままになっている。その少し先に二人の目指すものがあった。ガクの耳には微かに動物の息づかいが聞こえた。
「あそこだ」
そう言うと、ガクはすぐに駆け寄らず、一度木に上った。木から木へ“空渡り”で飛んで渡り、倒れている動物のそばの木まで近づいて行く。シンもツツを放り、ガクのいる木の隣の木までわたっていた。(※森守りはツツという道具を使って木に登ったり、木から木へ飛んで渡ることができる。)
ガクがちょいちょいと指を動かして、シンを呼んだ。シンがガクのいる木まで来ると、木の下には大きなカモシカが倒れているのが見られた。
「ほら見える?」
ガクはシンが見えやすいように少し場所を開けてカモシカの様子を見せた。シンは無言で頷いた。遠目ではあるが、カモシカは荒い息づかいをしているのがわかる。
「あれは、カモシカ同士でケンカした傷だ。内臓まで達してるからもう持たない。ていうか、よくまだ生きてるな」
シンからはあまり傷は見えなかった。多分ガクからも見えないはずだ。距離もあるし、傷はどうやら倒れた腹の下の側だ。どうしてわかるのだろうか。
ガクは少し節を口ずさんだ。シンも知っている、眠りの魔法の歌だ。眠らせて治療をするのかと思ったのだが、ガクはそれっきり何もせず、また空渡りでその木を離れた。
二人は元来た道を戻って行った。シンからは何も聞かなかったが、ガクはシンに説明した。
「足の怪我くらいだったら治してやることもあるんだけどさ、あの傷は獣医でもなけりゃ無理なんだ。でも、あのまま息絶えていくのは可哀想だろ?だから、俺はたいていああいう場合は眠らせてやるんだ」
シンは無言で頷いた。動物の怪我や病気でいちいち助けていたら、死ぬべきものが死ななくなって、それはそれで森にとって良くない。そんなことは分かっていた。それでも動物の気持ちのわかるガクが、そんな動物を放っていけるというのが、シンには意外だった。そんな割り切ったところも森守りには必要だ。ゆっくりと時間の過ぎていく森の中とはいえ、植物も動物も生まれて生きて死んでいくのだから。
「今夜はごちそうだな」
「え」
シンがそんな哲学的なことを考えていると、ガクが言った。
「肉食動物のね。もう集まってきてただろ?」
弱った動物がいれば、肉食獣が食べにくるのは当たり前だ。屍肉だってごちそうになる動物もいる。
しかし、シンはその知識はあっても、あの場所で、すでに肉食動物があのカモシカを狙っているとは気づかなかった。
「あれ以上あそこにいたら、俺たちもごちそうになっちゃうところだよ」
ガクが笑って言った。ちょっとゾッとした。たとえ動物に詳しいガクにだって、動物が操れるわけではない。腹を空かせた肉食の動物がいれば、ガクも襲われるのだ。なんとなく、以前、熊を追い払ってくれたのもあって、ガクならば肉食獣にも太刀打ちできると思っていたが、そんなことはないのだ。
「気づかなかった」
色んな意味で、シンはそう言った。
「そう?北の奥の方は気を付けた方が良いよ」
お使いも動物の見回りも、仕事がひと段落すると、二人は薪を探しに行った。
この広い森の中、どこでも薪の材料はある。勿論適している木とあまり適さない木はあるが、ぜいたくを言わなければわりと近場にもある。薪になる木を切ることは、森を整えることにもなるので、北の方の森守りたちはほんの少しの時間を見つけては、薪を探して木を切っていた。
春夏秋冬を問わず、薪を探すにはわけがある。北の地では、町の暮らしや南に住む者からは想像もつかないほど、たくさんの薪を冬に使うのだ。これがなければ暖が取れない。死活問題なのだ。
そういうわけで、北の森守りといえば薪づくりと相場が決まっていた。
たいていは朽ちた木をその場である程度切って、持てる分だけ持ってくる。二人でいれば多少太い木でも切ったり運んだりできる。太い木ならば、家に戻ってから大きさを整える。細い木や枝も使えるものは蓄えておく。
森守りのこだわりとしては、近場だけで薪さがしをするのではなく、広い森全体を見て、まんべんなく薪を探した。
そういうこともあって、ガクとシンは、あのカモシカのそばに朽ちた木があったのを覚えていた。あれから1週間くらい経っただろうか。
あの小山を二人で走って登って行った。最近はシンの方が先に立って走ることが多い。ガクの足が遅いわけではないのだが、シンは走るのがすごく速いのだ。
あのカモシカのいた辺りに近づくと、シンは速度を落とし辺りを見回しはじめた。
確かに朽ちた木が多い。あまり人が来ない地域なので当然だ。
シンが木を選ぼうとしていると、ガクが木に登っていた。あの時の木だ。そして空渡をして、カモシカのいたところまで飛んで行った。シンもそれに気づいてついて行った。
カモシカがいたそばの木までガクは迷いなく飛んで行った。そして下を覗いてみた。
「シン、見てみろ。ほとんど土に還ってる」
あんなに大きなカモシカが倒れていたのに、何もなかったかのようだ。知らなければ見過ごしてしまうだろう。ただ少し骨が残っているのが分かるだけなのだ。残っている骨を観察していてガクが難しい顔をしていた。
「骨、あれだけですか?」
シンが聞いた。確かに、カモシカ一頭にしては足りないところが多い。
「犬が咥えてもってっちゃったんだと思うよ?それよりほら、あの骨」
とガクが指さした。シンにはあの骨と言われても、どの骨だか分からない。
「ちょっと傷ついてるのがある。ほら、ひしゃげてるだろ?」
シンは分からないというふうに首をひねった。それでもガクはお構いなしに続けた。
「あれは生きていた時の怪我だ、相当痛かっただろうなぁ」
ほとんど形も残さず死んだカモシカを見ながら、実感のこもったことをガクは言うのだ。シンから見れば何もない森の地面だ。しかし、ガクにはそこに倒れたカモシカが見えているのかもしれない。ガクは怪我をして痛がっているカモシカをそこに残して去ったけれど、本当は心を痛めていたのかもしれない、とシンは思った。
この辺りの朽ちた木は、朽ちてから時間が経っているものが多く、あまり薪には向いていなかった。すでに腐り始めているものも多かった。
それでも、まだ立っている木や、隣の木に倒れ掛かっていて、少し水分が抜けたような木を選んで、二人は背中に薪をたくさん背負って戻ることができた。
「ガクさん、僕もう少し持てますよ。」
ガクがもうこれ以上持てないくらい背負っていると思ったのに、シンはまだ持てるというのだ。どんな体力だ。
「無理しなくて良いんだよ」
ガクが言ってもシンは全然平気そうだ。二人ともあまり身長は変わらないが、若さか?若いからか?などとガクはちょっともやもやした。
シンはもう少し、いやガクが信じられないくらいは薪を縛り直して、背負って歩き出した。
家に戻ると、薪を干さなければならない。風通しの良い薪棚に大きいままの木を押し込んでいく。シンがたくさん持ってきてくれたので、スカスカだった薪棚が少し充実してきた。
「この木はちょっと時間がかかりそうだな」
ガクが薪棚に木を置きながらつぶやいた。
「そうですか?どのくらい?」
普通、使える薪にするまで乾かすのに1年くらいはかかるものだ。
「1年半か、2年がかりかな」
「そんなに?」
シンのいた、南の森でも暖かいとはいえ、薪は使うのだ。だから薪を乾かすのに時間がかかることも知ってはいる。しかし北の森では、まず木が湿っているし、空気も湿っている。シンが思った以上に乾かすのに時間がかかるのだ。
シンは北に来てから初めて、北は嫌だ、と心のどこかで感じた。今からそんなことを言ってはいられない。北の冬を体感してからそういうことは言ってほしいのだが、冬を見ることなく、まだ春だと言うのに、北は嫌だと思ってしまったのだ。こんなことで大丈夫だろうか。
それからもしばらくは、二人で薪を探し、薪棚にしまい、また少し乾いた木を薪棚から出して、大きさを整えて、違う棚に移し替える。そんな作業を続けていた。
森を駆け回るのは体力を使うが、薪集めは重い物を持つし、さらに体力を使うかもしれない。
「お使いの仕事ないんですか?」
などと珍しくガクに聞いたりもした。
「あるけど、帽子で出しちゃったし」
帽子なんてなけりゃよかったのに、というシンの思いが聞こえてきそうなほどシンの肩が下がった。
うなだれるシンを見てガクは気になった。
「どうしたの?」
「いえ」
それしか言わないけれど、どうやらお使いに行きたいらしい。
「お使い行きたいのかぁ」
シンが少し頷いた。ガクは一生懸命考えていたが、お使いというのは自分で決められるものではない。人から頼まれるのだ。考えは進まない。
しかし、なぜお使いなのだろう。もしかして、お使いに行きたいのではなくて、ただ単に気分転換をしたいだけなのではないだろうか。そういえば、ここのところほとんど毎日見回りと薪づくりだけだった。
ああそうか、薪づくりに疲れたんだ。薪づくりは体力を使うし、そのわりに気の長い仕事だ。
北の森にずっと住んでいるガクには普通のことだが、南から来たシンには、もしかしたら辛い仕事だったのかもしれない。
「じゃあ、熊の調査に行って良いか、聞いてみようか」
ガクが提案すると、シンが顔をあげた。いつものように無表情に見えるが、ガクから見たら、子犬がしっぽを振って喜んでいるようなそんな風に見えて、ガクは思わず笑ってしまった。
早速ガクは熊の調査に行っていいかを聞きに、家に入って行った。普段この家の森守りたちの予定を管理しているのは、一番年長の者(ジロ、50歳)だが、この日は出かけていた。
家に入るとヒロとワタルとゲンが昼食を食べていた。そういえば自分たちも昼飯を食べていないことに気づき、ガクとシンも昼食をとることにした。
昼食を食べながらガクがワタルに言った。
「俺たち、熊の調査に行きたいんだけど、ジロさんいないんだよね」
「何?調査、良いよ、いつ行くんだ?」
と、ヒロが答えてくれた。どうやらヒロが予定管理を任されたらしい。ヒロは年が若いのに(とは言ってもこの中では年長だが)色んな事を任されている。
「お前、そろそろ自分で計画立てても良いんだよ?とりあえず、どうしたいか俺たちに聞きに来いよ」
ワタルが言った。なるほど、そういえば、去年はワタルが計画を立てていることもあったなぁとガクは思い出した。自分ももう5年目なのだし、少しずつ自分から動いても良いらしいということが分かった。
そこへ、玄関が開いた音がして、誰かが入ってきた。
「よーう」
入ってきたのは、河童のシオンだった。
「シオンさん」
森守りの面々もみんな声をかけた。シオンは皆の人気者だ。河童は森守りと仲良しだが、シオンはその中でも一番森守りと交流があった。
「北の湖を見に来たぜ。あと、カエル池は今年はどうだ?」
「カエル池、忘れてた」
ガクが立ち上がった。どうやらガクの仕事を忘れていたらしい。シンが「カエル池って何」と思っているのが分かる。
「まだ平気だろ。あとで行こうぜ」
「ごめんなさい」
ガクはシオンに謝っていたが、とりあえず午後に行けば良いらしい。シンもそこに行けばカエル池が何なのかが分かるだろう。
「熊の調査は明日以降だな」
ヒロが言うと、シオンが口を挟んだ。
「そうそう、ツカサ様がシンに虹森に行くように言ってたぞ」
「シンに?俺は?」ガクが聞いた。
「お前も一緒だろ。例の石油の湧水のことだと思う」
「ああ」シンとガクが声を揃えて頷いた。
石油のことだからシンにお呼びがかかったのだ。
「じゃあ、熊の調査はまた今度、っと」
と、ヒロは何かに書き込んでいた。




