五
舞桜はソファーのステージから降りると、俺に微笑んだ。
「これでも…元アイドルなの…」
「えっと、フレなんとか?」
「そう、なんとかじゃなくて、フレグランス」
「嘘?」
「ほんと」
「君…いた…?」
「居たわよ!三年前まで!…左端に三列目だけど…マイクのスイッチ切ってたけど…」
「マジですか」
「マジです」
「すごいね…」
俺はそう言って口を閉じた。
「あれっ?思ったより驚かないのね…」
「いや、ビックリしすぎて声にならないだけで…」
「そう…もっと驚いて欲しかったんだけど…久しぶり歌ったら、喉渇いちゃった…新しい飲み物持ってくるね」
そう言って、彼女はカウンターの反対側のドアに消えていった。
「飲み物ならここにあるのに…」
俺は、テーブルの上に置かれた、焼酎のグラスに手を伸ばした。
酷くぬるい焼酎の水割りが喉を伝って行った。
「今.新しいのお作りしますね…それにしても久しぶりね舞桜が歌うの…驚かせてご免なさいね」
気がつけば、ママがテーブル席に来てくれていた。
「いえ、俺も歌好きな方ですし…ビックリしたけど…悪い気はしないですし…」
「ご免なさいね…私カウンターに戻った方が良さそうね…」
「へっ…」
ママがそんなことを言いながら、そっと立ち上がってカウンターに戻って行った。
「お待たせ」
彼女は左手に『ほ~いお茶』の2リットルのペットボトルと右手にスピーカー付のエレキギター『ずーさん』を持って現れた。
無理して持っている性か何故か般若の様な険しい表情をしていた。
「何故?エレキ?」
俺が声をかけると彼女はにこやかな顔をしながら、フフッと笑った。
「これならカラオケ代、気にしないでいいでしょ」
「…歌声喫茶か?新手の流しか?…」
「……なにそれ?」
「店員が営業妨害してどうするんだ…」
「これの何処が営業妨害な訳?」
「……天然か?…」
「はっ?何のこと?」
「ママさんに聞いてみたら?」
「えっ…ママ?良いよね?」
彼女が恐る恐るママに声をかけた。
「はぁ…舞桜、ほんとはダメなんだけど…お茶千円なら…いいかなぁ…」
「えっ?二百円なのに?」
「持ち込み料よ!ギターも千円でいいかなぁ…」
「ギターもお金取るの?」
「嘘よ!舞桜の今日のバイト代で勘弁してあげる」
「ママの鬼!」
「般若の貴方に言われたくないけど、内容によっては目を瞑ってあげる」
「ほんと?」
「今日だけよ!」
「ありがとう!ママ最高!」
そう言って、彼女はテーブルの上にペットボトルを置くと、ソファーのステージに再び立ち、信じられない曲を弾き始めた。
「…おい…何で知ってるんだ?」
「無題だっけ?…そうだよね?」
「とりあえず無題…」
「で、これは?」
そっ言って、彼女は別の曲を弾き始めた。
「そこにいて…」
懐かしい、自分ですら忘れかけていた、曲を彼女は弾き続けた。
十年ほど前の記憶が甦る。
何で彼女が俺の曲を知ってるんだ?
そう思いながら、彼女の演奏する姿を俺は、ただ呆然と見ていた。