病院2
「針千本飲むの?」
健太は怖くなり、沢尻に聞いた。
「先生も針千本飲むの怖いから、絶対に約束は守るって事だよ」
沢尻は笑顔で言った。
沢尻の少年のような笑顔を見て、健太の顔も綻んだ。
「じゃあ怖い事もう起こらないんだね!」
「あぁ!絶対起こらないよ!」
沢尻は再度、健太の頭を優しく撫でた。
沢尻の言葉を信じ、健太は心の底から安堵する。
「健太君、明日から検査するからね。見たところどこも怪我してないけど念の為するからね」
「検査?検査ってなーに?」
健太はまた首を可愛らしく傾げた。
「健太君の体に悪いところないか調べる事だよ」
「悪いところ?…い、痛いの?」
健太は未知なる検査に恐怖を抱いた。
「注射するから、ちょっとだけ痛いかな?でも健太君は強い子だから平気だよね?」
健太は強い子という言葉を聞き、憧れのヒーローの事を思い浮かべた。
ヒーローはどんな時にも挫けない。
「…うん!へ、平気だよ!」
健太は無理矢理笑顔を作り、元気に答えた。
「さすが健太君だ!」
沢尻はその撫でていた健太の頭を、ポンポンと優しく叩いた。
「じゃあ先生はちょっと出掛けてくるね。健太君は強い子だからもう大丈夫だよね?」
健太は沢尻が行ってしまうと聞き、再び震えそうになったが、心の中で「僕は強い子!」と何度も念じ、震えを堪えた。
「…うん!大丈夫だよ!」
健太は精一杯の笑顔を作って答えた。
「じゃあ行くね。東さん、しばらく健太君の側にいてあげて」
沢尻は、その光景を微笑ましく見つめていた香織に言った。
「はい!健太君よろしくね!」
香織は健太に近付き、右手を差し出した。
健太は戸惑ったが、勇気を振り絞り、香織の手を握り締めた。
その光景を見て、沢尻は病室から出て行った。
「…先生、面会できますか?」
沢尻が病室から出てきた途端、利根川は聞いた。
「…意識ははっきり戻りましたが、まだ怖がっているので許可したくないですね」
沢尻は利根川の刑事らしい鋭い目つきを見つめ、少しきつい口調で言った。
「あの子は重要参考人ですからね…どうしても話が聞きたいんですが…あの子が暮らしていた所で、人が八人も死んでしまったんですよ」
「それでも私は」
「新たな犠牲者がでるかもしれないんだ!」
利根川は沢尻の言葉を遮り、沢尻を睨み付ける。
「…分かりました…でも明日にして下さい。それと私も同席させて頂くのが条件です」
「…分かりました。明日出直します」
利根川は八重草を引き連れ帰って行く。
沢尻の足は、出てきたばかりの健太の居る病室に向かった。
「あら、先生、どうかしましたか?」
健太のベッドの横でにこやかに立っている香織は振り返り尋ねた。
「…ちょっと健太君に話があってね」
沢尻はそう言い、難しい顔をした。
「お話?」
健太はキョトンとした表情を浮かべる。
「うん…健太君、火事になった日の事覚えてる?」
沢尻はベッド側にある椅子に腰掛け、深刻な表情を浮かべ言った。
「えっ?…ひぃ!」
健太は大きな悲鳴を上げた。
頭の中で院長の町子が、生きながら焼かれる姿と、人肉の焼ける臭いがフラッシュバックした。
そして零士の笑顔と「ぐちゅっ!」という音が頭の中で重なる。
健太は焦点の合わない瞳で、体を激しく震わせる。
「健太君!どうしたの!?」
沢尻は驚き健太の体を揺すった。
「ひぃ!うわゎゎゎゎゎ!」
健太は零士に掴まれたと思い、体を激しく揺さぶり、沢尻の手から逃れようとする。
「健太君!健太君!先生だよ!怖いこと起きないから安心して!」
沢尻は健太の体をきつく抱き締める。
「うわゎゎゎゎゎ!」
健太は白目を向き、気を失った。
「健太君?」
沢尻は、急に静かになった健太の顔を覗き込んだ。
「大変だ!東さん血圧計の準備して!」
「はい!」
香織は駆け足で病室を出て行った。
「…うーん」
健太はカーテンから漏れる日差しで目覚めた。
「…健太君?」
夜勤の看護士の長谷川千夏は、健太が目を開けたのに気付き言った。
「…お姉ちゃんだーれ?」
健太はキョトンとした表情で問い掛けた。
「お姉ちゃんは長谷川千夏っていうんだ。初めまして」
千夏は愛くるしい笑顔で答える。
「千夏お姉ちゃん?…あれ?…なんで僕はここに居るの?」
健太は周りをキョロキョロと見ながら言った。
「えっ?…ちょっと待ってて。先生呼んでくるからね」
千夏は病室を出て行くと、足早に廊下を歩き出す。
「ここどこだろ?」
健太は白が基調の病室を見ながら、独り言を呟いた。
健太が幼い頭で、何故この病室に居るのか思い出そうとしていると、ドアが開かれた。
「おはよう健太君」
千夏と共に病室に入ってきた沢尻は、健太の顔を見て、明るい口調で言った。
「あっ!沢尻先生」
知らない場所で独りきりで不安だった健太は、見知った顔を見て緊張していた表情が緩んだ。
「健太君ちょっと体に触れさせてね」
ベッド側の椅子に腰掛け、沢尻は健太の着ている淡い青色の作務衣のような衣服の紐を解く。
上半身が露わになった健太の胸に聴診器を当て、心音を聞く沢尻。
健太の心臓は力強く動いている。
一通り聞き終えた沢尻は、聴診器を耳から外し、首にぶら下げた。
「別段異常はないね」
沢尻は独り言のように呟く。
「沢尻先生、僕なんで此処に居るの?」
「えっ?…健太君、此処が何処だか分かる?」
「…分かんない」
健太は首を傾げながら言った。
「此処は病院だよ」
「病院?…病院ってご病気になった人が行く所でしょ?」
「そうだよ」
「…僕ご病気なの?」
「…違うよ…健太君、何で病院に居るのか分からないの?」
沢尻は健太の目を見つめ言った。
「んーと…分かんない」
健太は言った後、困った顔をした。
「健太君、さっきまで寝てたでしょ?寝る前は何してたか覚えてる?」
「んーとね、ご飯食べたよ、カレーライスだったよ。んーと、それから歯磨きして、みんなでおねんねしたの」
健太は記憶を辿るように視線を上に向け答える。
「…そっか…健太君、今日検査するから、それまでお腹空いちゃうだろけど、ご飯食べられないけど我慢できる?」
「検査?…僕強い子だから我慢する!」
健太は明るい笑顔で答えた。
「よし偉い子だ!じゃあ先生は行くね。このお姉ちゃんと一緒に待っててね」
「よろしくね!」
千夏は笑顔で言った。
「うん!」
健太も笑顔で返す。
出勤したてだった沢尻は、仕事の準備をする為に病室から出て行った。
「じゃあお姉ちゃんと待ってようね」
「うん」
健太は顔を真っ赤にして答えた。
「お話でもする?」
「うん」
洋子以外に大人の女性に免疫のない健太は、体をくねらせ答える。
「かわいい!」
健太の恥じらう仕草を見て、可愛い物好きな千夏は思わず抱き付いた。
健太は更に顔を真っ赤にさせ、煙りが出そうな勢いだ。
心臓の鼓動は激しくなり、次第に落ち着いて行った。
母親に抱かれる行為を知らない健太は、千夏の温もりに安らぎを感じた。
「うふふ」
健太から体を離した千夏は微笑んだ。
「健太君は大きくなったら何になりたいの?」
「……」
「健太君?」
放心状態の健太の顔を覗き込み、千夏は問い掛ける。
「…ん?なーに?」
幸せな感情に包まれていた健太は、よおやく我に返った。
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