病院
「……!」
健太は飛び起きた。
「先生!目覚めました!」
全身白い衣装の女性が叫んだ。
「もう大丈夫だからね」
先生と呼ばれた人物は、優しそうな笑顔を浮かべ言った。
健太が目覚めたのは病院のベッドの上だった。
健太は目を見開き、ガクガクと震え出した。
「どこか痛いところある?」
医師の沢尻直樹は、健太の体に触れようとした。
「やだ!」
健太はベッドから飛び降り、逃げ回る。
健太の体に繋がっていた点滴が、床に大きな音を立て倒れた。
「大丈夫だよ。怖くないからね。先生はお医者さんだよ」
沢尻は逃げ惑う健太から距離を保ったまま、優しく言った。
健太は怯えながら沢尻を見つめる。
「お名前はなんていうの?」
沢尻は優しく問い掛ける。
「…け、健太」
健太の声が上擦る。
「健太君っていうんだ。先生は沢尻直樹だよ。よろしくね」
沢尻はゆっくりと健太に近付き、右手を差し出した。
目の前にある、沢尻の開かれた右手を怯えながら見つめる健太は、震えながら自分の右手を差し出した。
そして沢尻の右手に自分の右手を重ね合わせる。
沢尻は優しく健太の右手を握り締める。
沢尻の大きな手の平に包まれ、次第に健太は安堵する。
「怖かったね…もう大丈夫だからね」
沢尻は空いている左手で健太の頭を優しく撫でる。
優しさを知らずに育った健太は、頭を撫でられ、不思議な感情を抱いた。
さっきまであんなに怯えていたのに、言葉に出来ない程安心する。
「さあ、ベッドに戻ろうか」
沢尻は健太の手を引き、ベッドまで導いた。
ベッドに横たわり、布団を掛けられた健太は、安心したせいかしばらくすると寝息を立て始める。
その様子を見て沢尻は、看護士を残し部屋から出て行く。
「先生、目覚めましたか?」
沢尻がドアから出てきた途端、紺色のロングコートを着た中年男性が話し掛けてきた。
「まだ面会は許可できませんよ刑事さん」
沢尻はやれやれといった表情を浮かべ、刑事の利根川進に言った。
「分かりました…面会できるようになったら教えて下さい」
利根川はそう言うと、部下の刑事を引き連れ去って行く。
沢尻は遠ざかる利根川達を見つめると、ドアの横に立つ制服警官に一礼して、廊下を歩き出した。
病院から出た利根川達は、健太が暮らしていた孤児院の敷地内に居た。
利根川の前には、焼け焦げて炭と化した木材が乱雑に散らばっている。
全焼した孤児院からは、大人二人子供六人の、計八人の遺体が発見された。
遺体の殆どが酷く焼けて、真っ黒に炭化していた。
中でも警察が注目したのは、頭蓋骨が粉々になっていた遺体だ。
この遺体を発見した警察は、いち早く殺人事件として捜査する方針に決めた。
全員身元は不明だが、発見された遺体の数から見て、この孤児院に住んでいた職員二人と孤児六人だと推測されている。
身元確認の作業が迅速に進められている最中だ。
頭蓋骨が割れていた遺体の側からは血液が付着したハンマーが発見されており、凶器と推測されるが、柄の部分が炭化している為、指紋の採取ができなかった。
「利根川さん。犯人はどんな奴ですかね?」
利根川のパートナーであり、部下の八重草龍平は、利根川の背中に語り掛けた。
「…そうとう恨みを持った奴の犯行だな…それもそうとうな異常者だ」
利根川の頭の中に、焼け焦げた孤児達の遺体の姿が浮かんだ。
孤児達は灯油か何かを掛けられ、火を付けられたと鑑識は見ていた。
でなければあんな風に、遺体が炭化することはない。
まだ幼い子供に火を付けるなど、普通の精神の持ち主には出来ない事だ。
「利根川さん…ここってあの麻生零士君が入った孤児院ですよね?」
「…あぁそうだ…あの子の周りでまた変死体が見つかったな」
利根川は深刻な表情を浮かべ、空を見上げた。
「…呪われた子か」
八重草は独り言のように呟いた。
「…八重草、周辺に聞き込みだ」
利根川達は、瓦礫の山と化した孤児院に背を向け歩き出す。
空は茜色に染まり、二人の刑事の影を作った。
「くちゅっ!」
健太は目を覚ました。
そして周りをキョロキョロと見渡し、震え出した。
頭の中で「くちゅっ!」っという、不快音が鳴り響いて止まない。
「…スゥ」
病室のドアが静かに開かれた。
健太は心臓が飛び出るんじゃないかと思う程驚き、身を跳ねさせる。
「大丈夫?」
そんな健太の様子を見て、看護士の東香織は健太に駆け寄る。
健太は駆け寄ってくる香織を見て、布団を頭から被り、目をギュッと瞑った。
「健太君、大丈夫?」
香織は布団の上から、健太の体を優しく叩いた。
「ひぃ!」
健太は布団の中で、体を激しく動かし暴れ出した。
「健太君、大丈夫だよ。何も怖いことないよ」
いつの間にか病室に入ってきた沢尻が、優しく囁いた。
沢尻の声を聞き、健太は恐る恐る布団から顔を出す。
そして沢尻の優しい笑顔を見て安心したのか、体の震えが止まった。
「健太君…ここには怖いことなんか何もないから安心してね」
沢尻は健太の頭を優しく撫で、笑顔で言った。
「ほ、本当?」
健太は涙を浮かべ、沢尻を見める。
「本当だよ!約束するよ!…ほら!」
沢尻は右手の小指を突き立て、健太の顔の前に差し出した。
健太は首を傾げ困惑する。
「指切りげんまんしよう!」
「ゆびきり?」
健太はさらに首を傾げた。
「知らない?…健太君も小指出してごらん」
健太は言われるがまま、小指を突き立てる。
沢尻は健太の小指を自分の小指に絡めた。
「…指切りげんまん嘘付いたら針千本飲ーます…指切った!」
沢尻は絡めていた小指を解く。
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