期待外しの社にて
「期待外しの社」と呼ばれるその神社は、都心の郊外にあった。
本当は「魂外し(たまはずし)の社」というその社の周辺は、木々が鬱蒼と生い茂り昼間から暗い。
地元では「出る」といわれていた社で、物好きの他には立ち寄る者もいない。 住み着いている神職の者もいない。たまにその筋の関係者らしき者が見回りに来るが、何をしに来ているのかわからないが、ろくに掃除もしないために荒れ放題である。
ただ「出る」とはいっても具体的に何が、どんな怪異があるのかは定かではない。大袈裟に符の散りばめられた注連縄に装飾されているわりには、~が出ただの××を見ただの、そのような噂が立った例がない。
間もなく、出るというのはガセではないかという噂が立った。
よく見ると、建物もさほど古いものではない。あちこちが苔むしているのに騙されそうになるが、ご丁寧に白木でできた造りに腐った部位は見られない。
しかも、古くからの地元民は口を揃えて証言していた。いつ出来たのかわからないが、少なくとも20年前にはあの社は無かった、と。
実際に曰わくのある何かがいる可能性は低い、というのが衆目の一致であった。
何もないじゃないかと捨て台詞を吐いて帰って行くオカルトマニアの他に、訪れる者がいない。
「魂外しの社」という本来の名前より、「期待外しの社」というあだ名のほうがもはや有名になりつつあるわけだ。
「魂外し」というのが何のことなのか誰も知らぬまま、また誰も詮索しないまま、期待外しの社は軽んじられてきた。
とある早朝
まだ日も昇りきらない夏の朝5時頃、そんな期待外しの社に二人組の姿があった。
一人は老人、もう一人は若者。
若いほうは学生服を着ている。ティーンエイジャーらしからぬ鋭い眼光が、意志の強さを表している。
老人は黒いスーツ。ハンチング帽と茶色の色眼鏡が、あまり合っていない。
傍目からだけでは何者なのか判別できない。が、オカルト好きの野次馬ではないことは二人の会話が示していた。
「バイガン様、本当に今日で宜しいので?」
小太りな老人は若者を、仰々しい名前で呼んだ。
「烏傘爺。宜しい、とは何だ」
痩せた若者が、偉そうだが品のある口調で答えた。
「“魂外し”を滅するのには、もう少し時を置くべきではないでしょうか」
烏傘と呼ばれた老人の言葉のせいで、静かな夜に痛いほどの沈黙が走った。
“魂外し”
それは、禁忌とされた名前だった。
どの世界でもあることだが、こと彼らのような権威主義的な面の大きい業界では、“面子”というものが重要となる。
魂外しという妖怪変化は、この国の神職者たちの面子を徹底的に潰した怪物だった。
彼らの最高権威であった“帝家”の当主を精神異常者にし、その妻までも五体不満足にした、恐ろしい化物だった。
それが、この社には封じられていた。暴虐の限りを尽くした魑魅魍魎を、滅することも祓うことも出来ずに封じることしか出来なかった。
封じて辺境に追いやることで、帝家に降りかかった惨劇をなかったことにした。そうすることで、神職者たちは彼らの面子を辛うじて守ってきた。
二人は、滅するために来たのだ。魂外しを祓うのではなく、滅するために来たのだ。