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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。

近所の神様に愛されています

作者: 佐倉木礼依
掲載日:2026/02/18

 夏伊の家の近くには古く寂れた小さな祠がある。夏伊が祖母から聞いた話によると昔は近所の人が毎日のようにお参りしていたらしいが、今は人っこ一人いない。

 夏伊は毎日この祠ににお参りに来ている。今はもう日課となっているのだ。最初は祖母に連れられて。それ以来余程の事がない限り、欠かさず一緒にお参りに来ていた。しかし、育ててくれた祖母はもういない。両親はとうの昔に他界している。

 夏伊は天涯孤独となった。

 祠に手を合わせる。

 一人になった今、特に祈ることはない。

 祖母に言っていたように行ってきますとだけ心の中で伝える。

 学校へ行かねばと脚を踏み出した時、低く穏やかな声で『いってらっしゃい』と聞こえた気がした。


 学校の帰り道。

 何があるわけでもなく、夏伊の足は神社の方へと向かっていた。曲がり角を曲がった時ふと、チリンと鈴のような音が鳴った。瞬間、若干の眩暈に襲われる。

(疲れてるのかな?)

 神社に辿り着き、祠の前へと進んでいく。

 祠に来たのはいいが、特にすることがあるわけではない。定期的に掃除には来ているから汚れてはいないし、挨拶なら朝にしたし。

 願い事といっても特に思いつきはしない。

(強いて言うなら、疲れたかな、消えたい……)

「それは聞いてあげられない」

「えっ?」

 驚いて立ちあがった瞬間先程よりも強い眩暈に襲われ、上手くしゃがめず倒れる。

 しかし、想像していた衝撃はなかった。ふわりと体を包み込まれている。というか抱き上げられているような感覚だった。恐る恐る目を開けると男の夏伊が見ても綺麗な男性の顔が目の前にあった。

「大丈夫かい?」

「は、い」

「とりあえず運ぼうか」

「ど、どこへ」

「私の家に」

 運ばれた先は林の中にある立派な日本家屋だった。素晴らしい建物に目を見張る。

「すごい豪邸……」

「でしょう?少し目を閉じていてね」

「?はい」

 言われるがまま目を閉じていると木々のざわめきが聞こえなくなった。

 いいよ、と言われて目を開ける。

「部屋、の中?」

「当たり」

 ゆっくりと腕から下ろされ敷いてあった布団へと誘導される。

「ちょ、え?俺帰らなきゃなんですけど」

「大丈夫。眠るといいよ」

 強制的に布団へ寝かせられ、頭を撫でられる。

 すると数分も経たずして瞼が勝手に落ちてきて、夏伊の意識は深く深く沈んでいった。

 ばぁちゃんが目の前で亡くなった、その場面で目が覚めた。実際にばぁちゃんが亡くなった瞬間は見ていない。けれど、何度もそんな夢を見る。

 肩を上下させながら、なんとか息を整えていると横から声がした。

「大丈夫?随分魘されていたけど」

「はい、いえ、あの……」

 体を起こそうとして手に力が入らないことに気がついた。もたもたしていると男性は手を貸してくれる。その後、手をぎゅっと握られた。

「目覚めて良かった。夏伊……」

「……なんで名前を?」

「君から教えてもらったんだ」

 男性の言葉に首を傾げる。名前なんて言っただろうか?頭が疑問符だらけだ。そんな俺を見て、男性はふっと笑い口を開く。

「私の名前は朔弥。好きに呼んで」

「朔弥、さん」

「うん」

 名前を呼んでみると朔弥は嬉しそうに笑った。その笑顔の破壊力といったら国一つ滅ぼせそうな威力だった。美人ってすごい。

 そういえば、今は何時なのだろう。眠気がなくスッキリしているということはそれなりの時間眠っていたはずだ。

「今って何時ですか?」

「ん?十七時半ぐらいかな?」

「えっ、じゃあ俺、そろそろおいとまします」

「どうして?」

「どうしてって……そりゃ、家に帰らなきゃ」

「誰もいない家に、かい?」

「いない、けど……」

「君は消えたがっていただろう。ここは世界から隔絶された場所だから。ここで君が思うように、好きに過ごせばいい。それに私もいるし、ここなら一人じゃない」

 意味の分からないことを矢継ぎ早に言われ混乱している夏伊を他所に朔弥は話し続ける。

「君に悪いことはないよ。学校が心配なら君に関わっていた人から記憶を消せばいいし、家が心配だっていうなら術をかけて守っておく。道を繋げれば行きたい時に行けるよ」

「帰れは、しないんですか」

 夏伊が言葉を口にした途端、朔弥は一瞬だけ虚をつかれたような顔をした。

「君の帰る場所はここだからね。君への利点を話しても駄目かな?」

「駄目というか……初対面だし、なんで俺なんですか?」

「もちろん、君を愛しているから。君に助けられてそれ以来見かける度ずっと目で追っていたんだ。それに初対面じゃない。昔動物を拾って手当てしたことあったでしょう?」

「ありますけど……貴方、なんですか?」

「そう、それが私。覚えていてくれて嬉しいよ。それに毎日祠に来てくれているでしょう?私そこの神なんだ」

「え?」

 夏伊の驚きを他所に、朔弥は満面の笑みで話し続ける。

「だからね毎日見ていたんだよ。私の心はずっと君だけのものだ」


 怒涛の告白にまた混乱しつつも、その後いくつか懸念点を話すとそれに沿った対策案または解決策を出されて、朔弥の提案に頷くしかなくなった。

「これで、君の憂いは晴れたかな?」

「えぇ、まぁ。でもやっぱり、たまには家に帰りたいです」

「うーん……私も一緒について行っていいならいいよ」

「いいんですか?」

「いいよ。なら決まりだね!ようこそ我が家へ」


 それからの朔弥と夏伊の生活は穏やかなものだった。

 朝、二人同じ部屋で起きる。朝支度を済ませて一緒に朝食をとり、綺麗な庭園を太陽の下二人で歩く。この場所には雨や曇りがない。気になって朔弥に尋ねてみると、好きなように天候を操れるのだと言う。人外だなぁ、と夏伊は思った。

 昼になったら昼食をとり、その後は日によって色々なことをする。書斎で読書をしたり、日当たりのいい部屋でボードゲームをしたり。組紐の組み方を教わったこともあった。

 夏伊が『色々なことを知っているんですね』と言うと、『全て暇つぶしで覚えたものだよ』と言う。

『でも、夏伊と一緒にできるのだから暇つぶしも役に立つものだね』と嬉しそうに笑っていた。

 夕飯の前に風呂に入る。そしてなぜか風呂まで一緒に入っている。広さは問題ないのだが少々恥ずかしく、相談したことがあった。

 だが、一人一人で入るより二人一緒に入ったほうが効率がいいと言われ、まぁそのうち慣れるだろうしいいかと一緒に入っている。

 風呂から上がった後、朔弥の術で髪を乾かしてもらう。そうすると一瞬にして乾くのだ。

 朔弥の綺麗な長い髪も一瞬で乾いてしまうのだから人外の術恐るべしだ。

 夕食をとってからは縁側で二人、月を見上げることが多い。朔弥は酒を、夏伊はジュースを飲む。他愛無い話をして、眠くなったら布団に入る。

 初めてこの屋敷に来て眠った時、夏伊が魘されていたのがよほど心配だったのか、初日からずっと一緒に寝ている。布団は一緒ではないが、くっつけているので一緒なのとさして変わりない。人ではないのに人のような温もりがあり、そのおかげかあの日以来魘されることは無くなった。



 障子から漏れてくる光で朝が来たのだと夢現の中考える。夏伊はまだ開き切らない目をどうにか開けて朔弥の方を見る。朔弥の目はしっかりと夏伊を捉えていた。

「おはよう、夏伊」

「朔弥さんおはよぉ」

「まだ寝ててもいいんだよ?」

「大丈夫、起きる……」

 なんとか上半身を起こし、目を軽く擦る。

 深呼吸をして目をぎゅっと瞑り、ぱっと開く。夏伊の起きるためのルーティンだ。

「よし!朔弥さん、おはよう」

「ふふっ、おはよう」

 夏伊が起きてまず最初にすることは朔弥の髪を整えること。長く綺麗な髪を梳かして、耳の下あたりの高さで軽く結ぶ。髪を梳かすだけでいい感じになるのだからずるいったらない。夏伊は寝癖がつきやすい髪質なので羨ましいことこの上ないのだ。

 夏伊は朔弥に自分が来る前、どうやって髪を結んでいたのか聞いたところ術で結んでいたという。まぁなんという術の無駄遣いだと、そう思った。

 次に、自分の身支度だ。顔を洗って歯磨きをして髪を整える。その間に朔弥が朝食の準備をしておいてくれる。途中で合流して夏伊も用意を手伝う。

 髪を結ぶのは術だったのに料理は一通りできるらしく、毎日美味しい料理を振る舞ってくれる。

 夏伊は朔弥との食事が好きだ。朔弥の手料理が美味しいのはもちろん、誰かと一緒に食べるということ、それだけで何倍も美味しく感じる。祖母がいなくなってから触れられなくなった温もりに触れ、寂しくも嬉しい。

 食事を作るのは基本朔弥なので、せめてと思い皿洗いを買って出たことがあった。すると、術でやった方が早いから気にしなくていいと言われてしまった。この神はところどころ効率厨なところがある。

 そう言うのならばいいかと以来、椅子に座って朔弥の背中を見ていることが多い。

 まとめられた綺麗な銀糸がさらさらとしなやかに動く。朔弥の後ろ姿を見ることはあまりないから最初見た時は新鮮で楽しかった。

 今は楽しくも見惚れることの方が多い。

 そんなことをぼんやり考えていた時、銀糸が大きく揺れた。

「夏伊、終わったよ。散歩に行こうか」

「うん」

 二人で庭に出る。今日も今日とていい天気。春のような気候で夏伊は好きだ。名前に夏と入ってはいるが、春が一番好きだった。

 庭には色々な草花が植えられており何度見ても壮観で、桜の木も植っているのでいつでも花見し放題だ。まだこの場所で花見をしたことはないけれど。

 夏伊は花の中でも桜が一番好きで、春が好きな理由の一つでもあった。

「夏伊は桜が好きなんだね」

「うん。でもなんでわかったの?」

「夏伊のことならなんでもわかるよ、と言いたいところだけど眺めてる時間が圧倒的に長いからね、よく見ていれば誰でもわかるよ」

「朔弥さんは俺をよく見てるんだね」

「そうだね。夏伊のことが好きだから」

 朔弥がそういった直後、頬が赤く染まっていくのがわかる。夏伊は朔弥の笑顔に弱かった。笑顔に弱いと言うより、朔弥の顔に弱かった。作り物めいた美しさを前にして耐えられる人がいるなら出てきてほしいぐらいだ。

「顔が真っ赤だね、熱でもある?」

「だっ、大丈夫!」

「そう?そろそろ中に入ろうか」

 夏伊は少し先を歩いていく朔弥を追いながら、赤くなった頬を必死に冷ます。

 数歩先をいく朔弥が先ほどの赤くなった夏伊を思い出して微笑んでいたのは夏伊の与り知らぬところであった。

 朔弥手製の昼食を食べ、今日は書斎で読書となった。

 最近夏伊が気に入って読んでいる本は、夏伊の住んでいた場所についての歴史書みたいなものだ。この本が作られた当時既に朔弥の祠はあったらしい。

「朔弥さんって何歳ぐらいなんですか?」

「私?五百はいってるよ」

「えぇ!?そんなに?」

「おじいちゃんは嫌?」

「いやいや、そういう訳じゃなくて!ただ、規模が人外だなぁと思って……」

「人外は嫌い?」

「嫌いだなんてそんな、むしろ……」 

「むしろ?」

「……っ」 

  夏伊が言葉を口にしようとした時、玄関の方で音が鳴った。

「この音って?」

「呑兵衛たちが来た音だよ」

「呑兵衛……」

「行かないとうるさいから行こうか」

 朔弥はそう言って立ち上がり手にしていた本を本棚に戻した。夏伊も同じように本を戻し朔弥の後を追った。

(さっき俺は何を言おうとしたんだ……?むしろ?)

 

 玄関の靴を脱ぐ段差の所に二人の美丈夫が腰掛けていた。朔弥とはジャンルの違う綺麗な顔だ。一人は一見短髪に見えるが、頸のあたりで髪を結んでおり爽やかな雰囲気の方だ。もう一人は長い髪をハーフアップにしており、物静かな印象を受けた。

「来るときは連絡寄越せって言ってるよね?」

「どうせお前が駄目な時なんてないし、どの道ここに来るんだから必要ないだろ」

「藤歌もなんで連絡寄越さないんだ」

「面倒」

「あ!この子が例の子?こんちは、名前は?」

 爽やかな雰囲気の方が話しかけてきて、聞かれるがまま答える。

「夏伊、です」

「夏伊か〜いい名前だね」

「まず自己紹介をしないか!」

「そうだな。俺は那月で、こっちの静かなのが藤歌だ。よろしくな!」

「藤歌だ。よろしく」

「よ、よろしくお願いします」

 那月に手を取られぶんぶんと上下に振り回される。

「ちょっと那月、夏伊に触っていいなんて言ってないよ」

「お前の許可が必要なもんか!な〜夏伊!」

「え?えぇ……」

「夏伊が困ってるからやめて」

「はーい、ごめんな夏伊。てか、お前は過保護な母親か!」

「私は過保護でも母親でもないよ、まったく。とりあえず上がりな」

「はーい」「あぁ」

 

 みんなで日当たりのいい部屋に移動し、座ったところで夏伊はお茶汲みを買って出ることにした。

「皆さんお茶でいいですか?」

「夏伊いいよ、私がやるから」

「でもお話しすることあるんじゃ?なら俺が……」

「大丈夫、大丈夫。夏伊は座ってて」

 朔弥はそう言ってそそくさと部屋を出ていってしまった。

(初対面の人のところに残されるの気まずいっ。早く帰ってきて朔弥さん……)

「夏伊は朔弥のこと好きか?」

「はっ!?」

「いや、話はそこそこ聞いてたからさ。あいつのことだから、多分ちょっと無理やり気味だったろ?だからもし、ここにいるのが嫌なら帰してやれる」

「えと、色々お世話になってますし、感謝しかないです。家にも近々行く予定ですし。我儘言って申し訳ない……え、あれ、俺、朔弥さんの迷惑になってる可能性ってあります?」

「いや、それはないと思うけど。なぁ?」

「あぁ。そう思うが」

「なら、いいんですけど……」

「あいつが勝手に連れてきたようなもんだし、我儘くらいいいんじゃないか?てか、なんでそんなに気にすんだ?最悪フラれても帰れてラッキーじゃないのか?」

「俺、もう家族がいなくて。帰る場所って言っても待ってる人はいないんです。だから……」

 ぽたりとなにかが零れ落ちた。瞬間、扉が開いた。そこにはお盆を持った朔弥が立っていた。

「ちょっと那月?なんで夏伊泣かせてるの?」

「いや、俺は何も」

「してないことはないだろう」

「ちょっと藤歌!」

「へぇ……」

 わちゃわちゃと声が響く中、美人の怒り顔は迫力があるなぁなんて場違いなことを考えていた。

「とりあえず二人は一回部屋から出て」

「へいへい」

「……」

 那月は朔弥にお盆を渡され、言われた通り二人は部屋から出ていった。

「何か嫌なこと言われた?」

「いや、そういうわけじゃなくて。ただ俺が勝手に泣いただけだから……」

「でも何もなく泣いたりなんでしないでしょ?それとも私には話したくない?」

「ちが、くて」

「うん」

 朔弥は夏伊の言葉を待ってくれていた。

「俺、もう家族がいないでしょう?だから朔弥さんに捨てられたら本当に一人になっちゃうな、そしたら辛いなぁって思ったら勝手に涙出てきちゃって」

 言いながらまた涙が出そうになった時、朔弥が優しく抱きしめてくる。抱きしめられたのなんていつぶりだろう。

(あぁ、暖かいな)

 そう考えていると、肩口で朔弥が口を開いた。

「言ったでしょう?『私の心はずっと夏伊だけのものだ』って。それは今もこれからも変わらないよ」

「本当に?俺、迷惑じゃない?」

 朔弥が密着していた身体を離し両手を握られる。

「迷惑なもんか。夏伊がいなくなったら消えようかなって考えたことあるぐらいなんだから」

「は……」

「冗談。って言いたいところだけど冗談じゃないんだよね。本当にそれぐらい夏伊に救われているんだよ。大好きなんだ。最初の日に言った愛してるも全部、本心なんだよ」

「そっか……俺も」

「俺も?」

(さっき俺が何を言おうとしたのかわかった)

「朔弥さんのこと好きだよ」

 朔弥が目を見張ったのがわかった。

「本当に?」

「うん。本当」

「励ましとかじゃなくて?」

「なんで励ましで言うのさ」

 夏伊がおかしくなってふふっと笑うと朔弥は泣きそうな顔をしながら笑った。それが花みたいに綺麗できっと一生忘れないんだろうなと思った。

「そっか。うん。ありがとう」

「朔弥さんが弱気なの珍しいね。最初に会った時、俺のことここに住まわせるためにめちゃめちゃ強気だったのに」

「それはなんとか引き止めないとと思って必死だったから。だって、一回住んでみてやっぱり貴方とは合わなかったので帰らせて頂きますなんて言われたら……」

「言われたら?」

「力ずくで認めさせるところだったよ」

 あはは、なんて笑う朔弥のことが少し怖かった。出たな人外。けれど、夏伊への愛情故ならばそれもいいかと思ってしまった。

(俺も重症かな)

「夏伊、この先ずっと一緒にいてくれる?」

「もちろん」

 部屋で二人、微笑み合っているとそろりと扉が開いて那月がひょこっと顔を出した。

「お二人さんお話は済んだ?」

「うん」「はい」

「それじゃお祝いに一杯やろうか!」

「何のお祝いですか?」

「両思いになったお・い・わ・い!」

「那月は何かにかこつけて酒が飲みたいだけだろう」

「あったりぃ!一番良いの開けよう!」

「仕方がない。お互いの想いを確認できたのは誰かさんのおかげだからね。言う通りにしよう」

「やった〜!」

 そこからはとにかく酒盛り三昧だった。朔弥も那月も藤歌も飲む呑む。飲みまくっても呑まれる様子はなく人外って酒の許容量も人外なのか?と夏伊は首を傾げるだった。

 

 酔った様子もない二人が帰ったのが夜に差し掛かったところ。二人を見送り、風呂に入った。

 風呂に浸かっているとふと朔弥が口を開いた。

「今日はごめんね、騒がしくしちゃって」

「全然。朔弥さんが楽しそうで良かったです」

「私楽しそうだった?」

「うん。俺の前ではしない表情してた」

「それは……夏伊の前ではだらしない表情出したくなくて」

「そっか。でも朔弥さんの全部見せてほしいな。朔弥さんならどんな姿でも好きだから」

「夏伊が言うなら、うん。その代わり夏伊のことも色々教えてほしいな。今回みたいな不安とかあったら相談してほしいし」

「うん、わかった。ありがとう朔弥さん」

「こちらこそだよ」

 心も身体もほかほかしてきたところで朔弥さんが言った。

「ねぇ、夏伊。もっとくっつかない?」

「え?」

 朔弥さんの家の風呂はかなり広く二人だと余裕過ぎるぐらいだ。いつもはそこに端と端あたりに入っている。くっつくとはつまり密着するということで。

(裸で!?)

 夏伊が慌てていると朔弥がにじり寄ってきて、あっという間に距離を詰められた。身体をくるりと反転させられて、朔弥の脚の間に座らせられ、後ろから抱きしめられる。

「ちょっ、朔弥さん?」

「駄目だった?」

「駄目じゃないけどこの体勢はちょっと……」

「どうして?」

「さ、流石に恥ずかしい……」

 夏伊の言葉を聞いた朔弥は抱きしめる力を強めた。

「私としてはやっと意識してくれて嬉しいよ」

 その言葉から朔弥がずっと待っていてくれたこが伝わってきて申し訳なさと同時に、愛されているんだなぁと思った。

 思いがけず長風呂をしてしまいのぼせた夏伊を朔弥は横抱きにして風呂から上がった。

 こうも軽々と横抱きされてしまうと少し悔しくもある。それなりに身長だってあるはずだし、朔弥のところに来てから体重だって平均ぐらいには戻ってるはずなのに。これも人外パワーなのだろうか。

 朔弥は夏伊を横抱きにしたまま術で水気をとばし、テキパキと下着と寝衣を着せた。その後丁寧に布団まで運んでくれた。その間、夏伊はされるがままになっていた。

(好きな人に触られるのってこんなに心地良いんだ)

 夏伊はふわふわした頭でそんなことを考える。朔弥は団扇を使って扇いでくれている。

「ごめんね夏伊。私のせいでのぼせてしまった」

「ううん、朔弥さんが色々してくれたおかげで大丈夫だよ」

「私が原因なんだから当然だよ。すまない、今度からは気をつけるから」

「大丈夫だって」

 夏伊がにこりと笑ってみせると朔弥は安心した顔をした。

 そうこうしているうちに、朔弥の献身のおかげで身体の火照りと少しだるさも取れてきた。

「そろそろ団扇なくても大丈夫だよ」

「そう?良くなってよかった」

「ねぇ、朔弥さんいつもはただ一緒に横になって眠るだけだったけど、今日は抱きしめ合って眠らない?」

「……いいの?」

「うん。お願い」

「もちろんだよ」

 ゆっくりと抱きしめられる。この温もりが心地よかった。人と変わらない温もりと、好きな人に触れられているという喜び、そして安心感。全てが心地よかった。今のこの気持ちが少しでも伝わればと、夏伊は少し強めに抱きしめ返した。

「暖かいね……私、幸せだよ」

「うん。俺も」

 暖かさと安心感ですっかり眠くなった夏伊に気づいたのか、朔弥が声をかけてくる。

「おやすみ、夏伊」

「うん、おやすみ、朔弥さん……」

 

 

 想いを確かめ合った日から、今までの生活と少し変わったことがある。

 まず、食事は二人で作るようになった。なぜ料理させてくれなかったのか聞いたところ、夏伊の身体に入るものは全て朔弥手ずから作りたかったらしい。

 最初提案した時も少し渋い顔をされたが、夏伊も朔弥のために作りたいと訴えたところあっさりと了承された。

 次にとにかく二人くっついている時間が増えた。朔弥曰く、できることなら片時も離れたくないとのことらしい。夏伊としても朔弥の温もりを肌に感じられるので大歓迎だ。片時も離れたくないと言いつつも分別はあるようなので動きづらくて困ったりしたことはない。

 夜はくっつけた隣の布団で寝ていたが、一緒の布団になった。当然のように抱きしめ合って眠っており、すっかり朔弥の腕の中ぎ定位置になっている。それでより直に温もりを感じられて眠りも殊更穏やかだ。

 

 鳥の囀りが聞こえた気がして目が覚めた。朔弥の腕に抱かれたまま温もりを享受する。顔を少し上げ朔弥の顔を見るとまだ眠っていた。まるで美術品のような美しさ。障子から漏れる光が後光となってその美しさを際立たせていた。基本朔弥の方が早く起きてることが多いため、朔弥の寝顔は貴重だ。

 背景と共に寝顔を目に収めようとして少し離れようとすると腰に回っていた腕に力が入った。

「離れてしまうのかい?」

「朔弥さん起きてたんだね」

「うん。夏伊が私の顔を覗き込んだぐらいから」

「ほぼずっとじゃん」

「眺めているのはいつも私ばかりだからね。たまにはいいかと思ったんだ」

「綺麗だったよ」

「過去形だね。今は違うのかい?」

「今も寝顔も綺麗だよ。大好きな顔」

「顔だけ?」

「全部!」

 そんな応酬をしているとどちらからともなく笑い声が漏れた。

「「ふふっ」」

 顔を見合わせ一通り笑った後夏伊が思い出したように言った。

「そうだ、おはよう朔弥さん」

「おはよう、夏伊。今日も大好きだよ」

 言葉と共に軽い口付けが額に振ってくる。夏伊も答えるように朔弥の頬に口付けを返した。

「俺も大好き」

 昼食を終えた昼下がり。書斎にて朔弥の膝で読書をしていた夏伊に朔弥が切り出した。

「夏伊は契りの儀について知っているかい?」

「契りの儀?神様と伴侶になるための儀式じゃなかった?この間読んだ本にそんなことが書いてあった気がする」

「そう、合っているよ。夏伊さえ良ければその、契りの儀をしないかい?」

「……俺と?」

「あぁ」

「契りの儀は一回しかできないんだよね?俺でいいの?」

「夏伊以外とはしたくないよ」

「……そっ、か。なら喜んで」

(俺以外とはしたくない、契りの儀をするってことは俺以外いらないってことだよね)

「その通りだよ」

「えっ?声に出てた?」

「うん」

 満面の笑みで朔弥に返される。恥ずかしいと思う反面、素直に嬉しい。夏伊はそう思った。

 自分だけを求めて、自分だけを愛してくれる。この先もずっと一緒にいられる。そう思うと途轍もない幸福感に包まれた。

 

 契りの儀をすることによって伴侶に神の力を分け与え、代償に神と一生を添い遂げることになる。神の力をもらうだけ貰って逃げられたら大変なことになるかららしい。不正をした場合不思議な強制力が働くのだとか。

 夏伊が読んだ本にはそう書いてあった。そもそも神という存在自体、不思議なものなのだから強制力だろうがなんだろうがなんでもアリなのだろう。そう夏伊はそう考えていた。

 逃げる気なんて更々ない夏伊からしたらどうでもいいことではあるのだが。

 

「夏伊、準備はいい?」

「うん。大丈夫」

「本当に?後戻りできないよ?」

「戻る場所なんてないし、戻らせるつもりもないくせに」

「それはそうだね。その通りだ」

「それに俺、もう朔弥さんなしじゃ生きていけないんだから、責任とってね」

「ふふっ、もちろん」

 朔弥が刃先の薄い刃物で自身の指先を軽く切付け出血させてそれを口に含む。

 その後、夏伊に口移しをし、夏伊がそれを嚥下すれば契りが成る。

 朔弥の一つ一つの動作に惚れ惚れしていると、朔弥が夏伊を見据える。準備が整ったのだと理解するまでに時間はかからなかった。

 顎を傾けられ、唇が合わさる。唇を軽く開くとぬるりとしたものと同時に生暖かいものが流れ込んでくる。甘美な感触を味わう暇もなく流れ込んできたそれを嚥下すると、途端に軽く頭痛がきて少し俯く。頭痛は契りが成った合図らしい。

 顔を上げると、美しく微笑んだ朔弥がいた。

(あぁ……大好きな、この先も忘れたくない表情)

「これからずっと、文字通り一生一緒だ」

「……胸が張り裂けそう」

「それは困るなぁ。もう夏伊だけの身体じゃないんだから」

「そうだね。でもそれは朔弥さんもだよ」

「確かに。気をつけなきゃ」

 夕日の差す部屋の中、二人微笑みあって無事契りの儀は終了した。

 

 翌日の夕食時。知ってか知らずか呑兵衛こと、那月と藤歌がやってきた。

「よっ!あ!契ったな。おめでとう〜!祝杯だ!」

「おめでとう」

「来て早々酒の話か、全く」

「とりあえず上がってもらいましょう」

「じゃあ、お邪魔して」

 

「いや〜よかったよかった」

「そうだな」

「夏伊が朔弥を止めてくれて助かったよ」

「と、止め?」

「夏伊を手に入れられなかったら暴走してたぞ朔弥」

「暴走!?」

「な〜つ〜き〜?」

 突然のことに疑問符を浮かべている夏伊を他所に、朔弥は怒りの笑みを浮かべ那月な詰め寄っている。

「互いに幸せそうで何よりだ。おめでとう」

「ありがとうございます」

 言い合っている二人を気にすることなく、藤歌が祝いの言葉をくれる。夏伊は自分たちを祝福してくれる者がいる事が幸せだった。

 嬉しくて藤歌にお酌をしようとしたところ、那月に詰め寄っていたはずの朔弥が飛んで戻ってきて止められてしまったが。

 なんでも那月曰く、朔弥は夏伊が作ったものや触れたものを朔弥以外が口にしたり触れたりするのが許せないのだそう。

「独占欲の強い男は嫌われるぞ〜」

「そんな事で夏伊が私を嫌うわけないだろう」

「うっわ、自意識過剰」

「あ、いえ、事実ですよ」

「うわぁ〜、これがバカップルってやつか……」

 茶々を入れる那月の言葉に、間髪入れず反応すると的を射た言葉が返ってきた。

(確かに側から見たらバカップルかもしれない……)

「藤歌さんにもそう見えます?」

「まぁ、多少はな。だがお前たちが幸せならそれでいいだろう」

「確かに、そうですね」

「これからも二人幸せにな」

「はい!」

 藤歌の言葉が胸に沁みて満面の笑みで返事を返すとまた那月と言い争っていた朔弥がすっ飛んで抱きしめてきた。

「私の可愛い夏伊が減るだろう」

「俺が笑えと言ったわけじゃない」

「それでも駄目だ」

「ちょ、朔弥さん人前でハグは駄目です!」

「そうか……」

「俺は貴方だけのものですから勝手に減ったりしませんよ」

「夏伊……!」

 朔弥と夏伊が手を握り合っている横で那月がぼやいたのだった。

「流石に胸焼けするわ」

 

 朔弥と夏伊の甘さ全開のやりとりに嫌気がさしたのか、那月は早々に藤歌を引きずって帰って行った。

「今日は短かったですね」

「私としてはその方が助かるよ」

 二人一緒に片付けをして、風呂に入った。風呂では朔弥の脚の間が定位置となってしまった。

 風呂から上がって寝る準備を整え、晩酌の準備をし終わり、二人縁側に腰掛けた時のこと。

「夏伊、少し昔話をしようか」

「昔話?」

「夏伊が小さい頃助けた動物が私だったって話はしたでしょう?」

「うん、聞いたね」

「あの時、私はかなり心身共に弱っていたんだ。師匠と慕っていた神が消えてしまい、動物姿で彷徨っていたところ、人間に虐められたんだ」

「そんな……」

「師匠は人間を大切にするべきだと言っていたけれど、動物にこんな仕打ちをするような人間なんて大切にする価値なんてない。そう思っていたんだ。でもそんな私を助けてくれたのは人間の君だった」

「俺……」

「うん。覚束ない手で手当してくれた時のことを昨日のように覚えている。暖かくて、でも緊張で少しだけ震えていた。その時に名前も教えてくれたんだよ。あなたのお名前は?ぼくはね夏伊っていうんだよって。その時私は名前を答えられなかったけどね。その後、毎日祠に参りに来てくれているのが君だって知ったよ。本当に感謝しかなかった。祠の掃除も定期的にしてくれて。貰ってばかりで何も返せてない、そう思ったんだ。だから夏伊が望んだことならどんなことでも叶えてあげようって、そう思ってた。この頃にはもうきっと君を好きだったんだろうね。でも、あの時の君の願いを叶える勇気は私にはなかった」

「朔弥さん……」

「申し訳ないと思ったよ。何も返せないって。でもね、現世から隔絶されたこの場所ならその願いを半分は叶えてあげられるかもしれないって思ったんだ。夏伊の言う消えたいが、魂の消滅でなければいいなって。そうすれば叶えてあげられる。そして半分は私の我儘。愛する人を側に置いておきたかったんだ。私はね、愛する相手を殺せるほど強くなかった。弱かったと言うべきなのかな。恥ずかしい話だよ」

「朔弥さん……でも、俺はその弱さに救われたんだよね?なら、恥じなくてもいいんじゃないかな。俺は今ここにいる。朔弥さんが愛してくれたおかげで」

「夏伊……」

「俺を、救ってくれてありがとう」

「ううん。いつだって救われていたのは私の方だ。今だってそう。お礼を言うのは私なんだよ、夏伊。本当に、ありがとう」

 朔弥の目頭には涙が溜まっていて、今にも溢れ出しそうだった。そんな朔弥を見て、夏伊まで涙が溢れそうになる。朔弥の前で涙を見せたくなくて、夏伊は自分から朔弥を抱きしめた。

 これ以上ありがとうを言っていたら、ありがとうの言い合い合戦が始まりそうで、夏伊は思いついたことをつらつらと話していた。

「ねぇ、朔弥さん。これから沢山思い出を作ろう?」

「うん……いい案だね」

「誰にも見られなくていい、二人だけの生きた証を作ろう……これが今の俺の願い。朔弥さんの願いはある?」

「……この先も夏伊とずっと笑い合っていたい」

「うん。俺、少し前までは叶えてもらう側だったかもだけど、今は伴侶だからさ一緒に叶えあっていこう」

 朔弥の夏伊に回る腕の力が強まる。それに呼応するように夏伊も腕の力を強める。

「うん、最高だ。私の伴侶は」

「俺の伴侶も最高だよ」

「それはよかった」

 回しあっていた腕を解き、手を繋ぎ合わせて顔を見合わせる。結局二人とも涙を流していて。その筋が月光に照らされてキラキラと光っていた。

 

 朝、二人が起きてすぐのこと。

「ねぇ夏伊、朝食を食べたら君の家に行ってみないかい?」

「いいの?」

「あぁ、もとより約束していたからね。遅くなってしまったけど、術はかけてあるから汚れたりはしてないはずだよ」

「朔弥さんありがとう!」

「……その朔弥さんって言うのやめられたりしないかな?」

「え、嫌だった?」

 ずっとこの呼び方で呼んできたのに嫌だったのだとしたらどうしよう。そう焦った時だった。

「違うんだ。それはそれで好きなんだけどね、伴侶になったからその、呼び捨てで呼んでほしいと思って」

「朔、弥……?」

「うん」

「呼び捨てってなんか照れるな。でも朔、弥の希望なら少しずつ慣れていけるように頑張るね!」

「ありがとう、夏伊」

 

 準備が整ったので朔弥の家を出る。朔弥の家から出るのは散歩以外にないので新鮮な気持ちだ。

 歩きではなく術を使っての移動だった。瞬きした隙に景色がまるで変わっていたのだ。目の前には、懐かしい何も変わっていない家がそこにあった。

「特に面白いものがあるわけじゃないけど、どうぞ」

 そう言いながら扉に手をかけた。

「そんなことないさ。夏伊が育った場所というだけで価値があるよ」

「なんか、照れるね」

 そんな会話をしながらとりあえず台所へと向かう。朔弥は着いてきてくれた。冷蔵庫を開けて愕然とする。

 夏伊があの日出かけて行った時と何も変わっていなかった。

「これ、本当にそのままなんだね」

「家の周りに結界みたいなものを張っていてね。その中の時間を止めているというのが正しい表現になるのかな?」

「それって朔弥に負担はないの?」

「人に対して使うなら話は別だけど物に対してだから特に何もない。大丈夫だよ」

「よかった……もし、大変になったら術解いちゃっていいからね」

「そんなことして夏伊は大丈夫なのかい?」

「うん。もう新しい居場所があるから、大丈夫。朔弥がいてくれるでしょ?」

「あぁ。でもしばらくは維持できるから心配しなくていいよ」

「そっか。ありがとう」

 一通り家の中を案内した。最後に案内したのは夏伊の自室だ。

「そんなに経ってないはずなのにすごく懐かしいや」

 少し感傷にふけり机を撫ぜる。

 今の生活に不満があるわけではないけれど、この場所に思い出が詰まっているのも事実で。

「夏伊、その机我が家に移動させるか?」

「うーん、移動はさせなくていいかな。ここにあってこそな気がするから。ありがとう」

「いや、差し出がましいことを言ったね。すまない」

「ううん、朔弥が俺のことを思って言ってくれたことでしょ?嬉しかったよ」

「ならよかった」

 まだ明るい時間に夏伊の家を出た。

 あの家にいるとどうしても感傷に浸ってしまう。それが少し嫌だった。今の生活に満足しているのに、過去に囚われているようで。朔弥がいつでも来れると言っていたから、ならいいかと早々に帰ることにした。

 行きも帰りも瞬く間、一瞬だ。なんとも便利な術だ。

「ねぇ、今日の夕食作りたいものがあるんだけどいいかな」

「いいよ、何を作りたいの?」

「俺が好きな物たち。朔弥にも食べてほしくて」

「うん、食べるのも作るのも楽しみだ」

 その日の夕食はお稲荷さんに里芋の煮物、白菜の海苔和えと魚の塩焼きにした。

「お稲荷さんはね、俺が最初に習った料理なんだ。油揚げにご飯を詰めるだけだから料理と言っていいか怪しいけどね」

「そんなことないと思うよ。心を込めて作ったならそれは料理だよ」

「そっか、そうだね」

「あとはね、ばぁちゃんの料理の中でも好きだった物たちをバランスよく出してみた。他の好きな物もまた一緒に作ろう」

「あぁ、もちろん」

 調理を終えて机へと料理たちを運ぶ。いつも食べる時は決まって向かい合っている。朔弥曰く、食べている時の幸せそうな顔がお互いに見えるのがいいらしい。夏伊も同意見だった。

「美味しいね」

「うん、美味しいよ。夏伊の好物と思い出を知れてよかった」

「俺も、一緒に思い出の味を食べられて嬉しいよ」

 どうしても涙が込み上げてきて、咄嗟に下を向く。

「夏伊?大丈夫?」

「うっん。っう」

 朔弥が慌てた様子で夏伊の隣にやってきて優しく抱きしめてくれる。

「ごめん、ね。っうぅ」

「ううん、気にしなくていい。大丈夫。大丈夫だよ」

「うぅ、ひっく、ぐず」

 涙が止まらなかった。色々な感情が綯い交ぜになる。夏伊自身よくわからない感情を、どうしたらいいかわからなかった。

 けれど、朔弥の胸で一頻り泣いた後、心が少し晴れたような気がした。

「ごめん、ありがとう。もう大丈夫だよ、朔弥」

「そっか、よかった」

「あのね……っ」

「無理に話そうとしなくていいよ。もし、話せる時が来たら教えてくれたらいい」

「うん。ごめんね」

「謝らないで。夏伊は悪くないよ」

「……ありがとう」

 なんだかんだあったものの、二人とも無事完食して、後片付けを終えて風呂に入っている。定位置にて風呂の心地よさを感受していた。

「ねぇ夏伊。明日お花見しよう」

「いいね。明日は朝食食べずに弁当作ろう。那月さんと藤歌さんも呼ぶ?」

「夏伊は呼びたいの?」

「大人数のが楽しいじゃない?」

「なら呼ぼうか。今日のうちに連絡しておくよ」

「やった!ありがとう」

「少し妬けるなぁ」

「朔弥とだっていつでもできるでしょ?今度二人でもやろうよ」

「ふふっ、いいね」

 

 翌日。急な連絡だったにも関わらず、那月と藤歌は朔弥邸を訪れていた。

「いや〜朔弥から連絡なんて何事かと思ったら花見の誘いだなんて。最初送り主見間違えたかと思ったよ」

「同じくだ」

「来て早々失礼な奴らだな」

「まぁまぁ、今日は来てもらってありがとうございます。那月さん藤歌さん」

「花見と言われたら来ない理由がないよな。なんてったって酒が飲める!」

「そうですね。そのつもりでお誘いしましたから。急だったのでどうだろうと思ってましたけど要らぬ心配でしたね」

「あぁ、酒あるところに那月ありだからな」

「そうだな。那月はそういうやつだよ全く」

「ふふっ、じゃあ早速始めましょう」

 桜の木下にシートを敷いて、皆んなでそこに座る。シートの上には折りたたみの机が一つ。四人の食事と飲み物ぐらいなら置けるはずだ。

「しっかし、朔弥のところの桜は立派だよなぁ」

「あぁ、惚れ惚れするな」

「手入れを怠ってないし、我が家には桜好きがいるからね」

「さぁ、準備できました!食べましょう!」

 食事を率先して並べていた夏伊が声をかけると各々好きな物から食べ始めていく。食事といっても、酒の肴になるようなものが多い。飲む者が三人もいるためである。

 夏伊もちょこちょこつまみながらサイダーを飲む。

 ひらひらと舞う桜の花びらが、サイダーのコップに入る。

「綺麗ですね」

「そうだね」

 この先もこの桜は枯れることなく咲いている。朔弥が尽きるその時まできっと。そしてそれは夏伊自身も同じ。朔弥が尽きる時が己の尽きる時だ。

 きっとそれはまだずっとずっと先のことだろう。まだ夏伊は朔弥と思い出を、生きた証を作っていかねば。笑い合って生きていかねばならぬのだから。そう話したのだから。

 長い長い旅路も、朔弥とならきっと退屈しないに違いない。

「朔弥さん」

「ん?」

「たくさん、ありがとう」

「こちらこそありがとう」

 微笑み合う二人を呑兵衛二人と桜が見守っていた。

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