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ナポ子、降臨する。

「ふうー、ただいま!」


 俺こと斎藤勇樹(さいとうゆうき)は誰もいない暗闇の1LDKの部屋に向かって元気に挨拶した。虚空に向かってただいまの挨拶をするのはとっても空しい。元気な気分はこの時点ですぐに萎える。ここでナイスバディなレースクイーンが裸エプロン姿で料理をしながら俺の帰りを今か今かと待ち構えていたならば俺の身体の一部はとっても元気になること間違いないだろう。


「いや、待てよ。レースクイーンが裸エプロンってそれは最早レースクイーンのステータスが失われているのでは? そうだ、俺は単に裸エプロンの女性にお世話して欲しかっただけだったのだ……」


 俺は部屋の明かりをつけ、帰りに寄ったコンビニで買ってきた今晩のメシが詰まった袋をちゃぶ台にドカッと乗せる。こんなしょうもないことを無意識に呟くほど俺は疲れが限界突破しているようである。すぐさま、袋から缶ビールを取り出し、開封する。プシュッと小気味の良い音が俺の気分を高揚させる。缶ビール開封ASMRが欲しいくらいにこの音が大好物である。


「ぷっはあ! 一口目のビールは死ぬほどうまいな!」


 但しうまいのは一口目だけだけど(反論は認める)。社畜戦士である俺はこのところというか絶賛残業続きなのである。今は二十三時四十五分。もうすぐ明日で勿論、明日もニッコリ元気に出勤である。明日も出勤すればあのハゲ課長にニッコリと笑顔で地獄のような量のタスクを押し付けられてニッコリ笑顔な俺はまた今日みたいな日が変わる前くらいまで残業することになるのだろう。一回、思い切りパチコーンってニッコリ笑顔でシバきたいわあのハゲ頭。


「クッソ、ハゲ散らかしやがって……はあ、こういう時に俺の心と身体を癒してくれる彼女がいたらなあ」


 いかん、疲れのせいかもう酔いが回ってきた。腹が減った。そうだ、俺はメシを食うぞ!本日の晩メシはコンビニメシの『ナポリタン』である。普段の俺ならばこんな子供が口の回りを汚しながらニッコニコで爆食いするようなメシはスルーするところだが、何故かな。あの頃の自分の姿を思い出してつい懐かしさを感じて手に取ってしまった次第である。


 そうだ、今の俺はナポリから遣わされたナポリの申し子なのである。


 ……アホなこと言ってないで食おう。

腹ペコ過ぎてテンションがおかしくなっている。


「いっただきまーす!!」

「……ううっ、やっぱり私を食べちゃうんですね」


 ……は?

口元まで持っていったナポリタンを止める。な、何だ今の女の声は。げ、幻聴かな。疲労困憊の果てに女性の声が聞こえるなんて病気すぎる。まあ、いいや。今はとりあえず目の前のナポリタンだ。ナポリが俺を呼んでいる。俺は引き続き、口にナポリタンを運ぶ。


「嗚呼、勇樹様のお口に私が入っていきます……やだやだやだやです。勇樹様の上のお口で私が蹂躙されちゃいますっ!」


 今度は真横から声が聞こえてくる。ていうか、真横に見知らぬ女がいつの間にか君臨していた。


「どぅわああああ!? な、何だお前! どっ、どっから沸いて出てきやがった?! ご、強盗かっ、お前は強情な強盗なのですかっ!?」


 女から飛ぶような勢いで離れた俺はその辺にあった玩具の木刀を持って構える。突然の恐怖な事態に俺の足は生まれたての小鹿のようにガクブル状態である。


「私はナポリタン、勇樹様のナポリタンの精です」

「と、突然登場していきなりわけのわからないことを平然とした顔で宣うな!! か、金か? 身代金目的の誘拐か? そ、それとも、お、俺の……身体目的の性的な押し入り強姦魔なのですかっっ!?」


 いかん、目の前の訳の分からん存在に俺も頭が混乱パニック状態である。こういう時は落ち着いて深呼吸して相手の様子をじっくり観察するべきである。


 橙のまるでケチャップが絡んだナポリタンスパゲッティを思い浮かべるような胸元まで伸びたロングの髪に出るとこ出すぎず、控えめでもないいわゆる普乳、そして何処か幸薄そうな憂いを帯びた寂しげな表情は見る人から見れば美人の類いであろう。そして、彼女の着ている巫女装束はどうにも容姿と不釣り合いに見えて、この世ならざるものと捉えられてもおかしくないアンバランスさを感じる。れ、レイヤーかな。


「そ、そうか! 分かったぞ! お、おまっ、お前あれだろ! 昔、この部屋で死んで取り憑いた地縛霊かなにかだろっ、ええ、そうに違いないですっ!」


 俺は構えていた玩具の木刀を女に向かって振りかざし大声でわめき散らす。すると、今まで憂いを帯びた表情をしていた女はハッとした表情になる。な、何だ?今の今まで死んだ自分に気付かなかったとかそういうファンタジーか?


「…あ、ち、違います違います! わ、わたし、私はあの、その、幽霊さんとかそういうのじゃないですよう!」

「じゃ、じゃあ何なんだよお前は! いきなり沸いて出てきやがって! 心臓が口から飛び出しそうになったじゃねえか、しまいには泣くぞっ、泣くぞコラ!」

「で、ですから、あの、私はナポリタンの精です」


 左右の人差し指をツンツンしながら上目使いで俺を見つめる女。


「だ、だからそれが意味不明なんだよ! 説明が説明になってねえじゃねえか!! 俺に分かるように説明しやがれください!」

「ううっ、本当の本当に私はナポリタンの精なんですよう。勇樹様の食べようとしていたナポリタンなんですよ」

「い、意味不明なことを泣きそうな顔して言うなっ! だいたい何でお前は俺の名前を知っているんだよ! ス、ストーカーか? ナポリが生んだイタリアンストーカーなのですカっ!?」

「ヒエエエン! 暴力は反対、ほうりょくふぁ、はんたひ、でひゅよう」


 ナポリ女のホッペを指先でつつきながら詰め寄る俺。クソッ、残業続きで疲れているのに何でこのタイミングで不思議体験をしなきゃならんのだ!ビールで一息ついてメシを食おうとしている最中にこんなポンコツっぽい女に絡まれてたら身が持たん。そ、そうだ、俺は空腹だったのだ。こんなポンは無視して胃をナポリタンで満たさなければ。


「も、もう、お前はいい! 失せろ、俺は今からこのナポリタンを盛大にズルズルするんだからな」

「だ、だから、私を食べないでくださいって言ってるじゃないですかあ」

「お、お前は食わねーよ! ていうか、『私を食べないでください』ってなんだかいかがわしい意味に聞こえるからヤメロ! ご近所さんに勘違いされちゃうだろ!」

「そ、そのナポリタンを食べると、私が、私という存在が消えちゃうんですよう!」


 だめだ、頭がお花畑女に付き合ってやるほどの気力は今の俺にはない。何が何でもナポリタンを食おうとする俺とその行為を阻止する自分をナポリタンだとか言い張るイカれた女で揉み合いになる。その結果。


「おぎゃああああ!! 俺の晩のエサがあああ!!」

「いやああああ!! 私が汚されたああああ!!」


 ナポリタンは容器ごと床に落下し、見るも無惨様な姿となってしまった。

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