黒猫王子と弟 8(終)
「姉ちゃん。一人暮しなんだから、色々気をつけてね」
気がつけば、もう柾の帰る日になっていた。
柾がいた一週間は、後半は私は学校があったこともあって、あっというまに過ぎていた。
私の留守中も柾と黒猫はうまくやっていたようで、帰るといつも二人で仲良く出迎えてくれて、その日一緒にしたことを楽しそうに報告してくれた。
ラウルも、柾が賢い黒猫にベタ惚れで褒めてばかりだったので、悪い気はしなかったらしい。
柾の腕の中ですんなりと抱かれ、対抗心を燃やしたり、妬きもちをやくことも少なかった。
「うん。ありがと、柾。柾も気をつけて帰ってね。お父さんとお母さんによろしく。あと、一緒に帰ってくれる会社の人にもちゃんとお礼を言うのよ?」
「うん。わかってるよ」
空港まで一緒に行くと言ったのだが、成田空港行きのバス乗り場まででいいと断られていた。
「ほんとに空港まで行かなくて大丈夫?」
心配になって尋ねる私に、笑顔で頷く柾。
「姉ちゃんよりも旅なれてるもん。心配ないって。バスから降りたら待ち合わせ場所に行くだけだしさ」
「ま、まぁ、それはね」
否定できずに苦笑する私。
確かに空港まで行ったところで、迷うのは私のほうだろう。
しっかり育ってくれて嬉しいやら、姉として情けないやらだ。
「ラウルも、姉ちゃんのことよろしくな!変な男にひっかからないように見張っててくれよな!」
「みぃ!」
柾の言葉に、私の腕の中で返事をするラウル。
任せておけというように尻尾を揺らしているが、ある意味ラウルも変な男だよなとこっそりと心の中でつっこむ。
というか、小学生の弟にそんな心配をされる私ってどうなんだろう…。
そんな私の心の中の哀愁には気づかず、柾はラウルの頭を撫でながら私ににっこりと微笑んだ。
「一人暮らしで寂しい思いしてるかと思ったけど、ラウルがいてよかったよ。賢いし、勇気あるし、姉ちゃんの事心配して守ってくれるし、こんないい猫拾ってほんとよかったね!」
「うん。そうだね」
それは、心から同意できた。
拾った当初は突然降りかかった現実離れしたファンタジーな王子様にどうしようかと思ったが、今となってはラウルがいてくれたおかげで家族と離れた生活でも寂しい思いをせずにいられるのだと感謝していた。
ラウルは褒められて気をよくしたのか、私の腕からするりと抜けると、ひょいっとジャンプして柾の肩に華麗に着地する。
そして、ぺしぺしと柾の頭を片手で叩いた。
おそらく『弟よ、よくわかっているではないか』くらい言っているのだろう。
頬をなめたりしない辺りが猫と違ってラウルだよなぁと、思わずくすっと笑う私。
そんな私の視界に、空港行きのバスがターミナルに入ってくるのが映った。
柾もバスに気づき、振り返ると、購入していたチケットを取り出した。
「んじゃ、姉ちゃん、ラウル。またね。蓮や桜子姉ちゃんにもよろしく!」
「うん。またね、柾。気をつけて帰ってね!」
「みぃ!」
荷物を肩にかけると、手を振ってバスに乗り込んでいく柾。
私の肩に飛び移ったラウルは、別れの挨拶をするかのように尻尾を左右にゆらゆらと振っている。
ややして出発するバス。
見えなくなるまで手を振って見送ると、急に寂しさがこみ上げてきた。
ラウルの事がばれないように気を使ったり、猫にしたままのラウルを申し訳なく思ったり、忙しない一週間でもあったが、やはり家族と離れるのは寂しいものだ。
ラウルがいてくれるが、弟と同じようで違う存在。
久しぶりの柾との生活が嬉しくて、それがまた当分ないと思うと、心の中に穴があいたような感じだった。
と、頬にざらりとした感触がし、私ははっと我に返る。
視線を横に向けると、私の頬をなめたラウルがみぃっと小さく鳴いた。
どうやら、落ち込んだのがばればれだったらしい。
「ありがと、ラウル」
慰めてくれたらしいラウルにお礼を言うと、私の肩からとんっと華麗に飛び降り、さっさと帰るぞといわんばかりに先頭を切って歩き出すラウル。
小さな黒猫のあとについて、私は寂しさをちょっぴり忘れて家に帰ったのだった。
そして…
「ヒナタアオイ!今日ははんばーぐを食べるぞ!」
家に帰って人の姿に戻したとたん、ラウルは開口一番そう言った。
「私はこの間食べたばっか…」
「それから、しゅーくりーむと俺の服も買いに行くぞ!」
私の発言には聞く耳持たず、有無を言わせぬ瞳で私を見つめるラウル。
柾と黒猫として友情を深めたラウルだったが、それとこれとは話が別らしい。
初日の恨みを忘れてはいなかったようだ。
「ふふふ。なに、心配するな。料理は俺が手伝ってやる。マサキより上手だと、思い知らせてやろう!!」
「えーと…」
「兄になる俺が、弟に劣ると思われては困るからな!!」
柾への対抗心がなかったように見えたのはどうやら幻だったらしい。
というか、柾のいる前では大人ぶりたかっただけなのだろうか。
私を見つめる緑色の瞳は、やる気に満ちてキラキラと輝いている。
「それから、今日は俺も人の姿で寝るからな。文句はあるまい」
「えー。ようやく狭いベッドから解放されると思ったのに?」
「何を言う!俺はずっと猫の姿だったのだぞ!しかも、寝るときはずっとマサキにヒナタアオイの隣をゆずっておったではないか!当然の権利であろう?」
「うーん…まーねぇ…」
「それから、今日は髪も洗ってもらうからな!乾かすのもヒナタアオイだぞ!」
そう言って私の服をきゅっと掴み、じっと見上げるラウル。
無理に大人ぶっていたのと、柾に私を奪われていた反動か、ものすごく甘えたがっているようだ。
甘やかしすぎはよくないと思いつつ、渋い顔を保てずについつい笑ってしまう。
「何を笑うか!」
「いやいや、なんでもない。確かにラウルには柾がお世話になったからね。ちゃんとお礼するよ」
「うむ。それでよい!」
満足げに頷くラウルに、私は目を細めた。
柾が帰ってしまった寂しさは、もう薄れていた。
柾はそのうち一緒に暮らせるようになる。
だけど、この王子様とはいつまで一緒にいられるかわからない。
こんな風に、やきもちをやいたり、甘えてくれる事も永遠には続かないのだ。
今目の前にいるラウルとの時間を大切にしようと、そう思う。
「んじゃ、おつかいいこうか」
「うむ」
ラウルは嬉しそうに返事をすると、お出かけ用に柾の服に着替えた。
そして、二人で手をつないで買い物にでかける。
「柾ともっと人の姿でも遊びたかった?」
「むぅ。そうだな。それはそれで楽しかっただろうな」
「結局、あんまり遊べなかったもんね。えーと…朔夜くんと」
「ふふ。だが、短い時間でも俺の素晴らしさはしっかと伝わっておったぞ。マサキのやつ、猫の俺に『あんな綺麗な男の子見たことない』といっておったのだ。なかなか見る目があるな!」
「あーはいはい。よかったねー」
「なんだ、その気持ちのこもらない返事は!!」
「あーはいはい」
「ヒナタアオイ!!」
柾がいる間は、あまり出来なかったラウルとの会話。
他愛のない会話だが、気のない表情とは裏腹に、私は楽しくてしょうがないと心の中で微笑んだのだった。
黒猫王子と弟 終