黒猫王子と弟 5
夕飯の買い物に出掛けたのは、結局夕方になってからだった。
用事があるからと帰る蓮を送るついでに、三人と一匹で家を出る。
右手で黒猫を抱いた私の隣に柾。その反対側に蓮。
柾を中心に三人仲良く手を繋いで歩いていると、嬉しそうににこにこ微笑んでいた柾が口を開いた。
「こうしてるとさ、オレ達って若い夫婦と子供に見えるかもね」
「んな!?」
柾の発言に、顔を赤らめて妙な声をあげる蓮。
腕の中のラウルが呆れたように半眼になる。
「そんなわけないでしょ、柾。いくらなんでも、柾くらいの子供がいるように見えるわけないじゃない」
「そうかもしれないけどさー、なんか家族っぽいじゃん。なぁ、蓮!」
「なぁと俺に言われても…」
「オレ、蓮なら兄ちゃんになってくれてもいいんだけどな!」
「うぇ!?」
にこやかな柾の言葉に、蓮は再びおかしな声を発している。
黒猫はまたもや何か不服だったのか、今度は私の腕からもそもそと抜け出すと、器用に私の肩、柾の頭をひょいひょいっと飛び、蓮の頭へ着地をした。
そして、ぴんっと背中を伸ばして勝ち誇ったように座っている。
どうやら、兄になるのは蓮ではなくこの俺だとアピールしているようだ。
「なーに言ってんの、柾。蓮も困ってるじゃない」
ラウルを見ながらくすっと笑うと、柾はいたってまじめな顔で私を見上げた。
「でもさ、姉ちゃんって男を見る目がないじゃん?だから、蓮みたいなのがそばにいてくれる方が、オレは安心なんだけどな。お勧めだよ、蓮は」
「ご心配ありがとう…って、男を見る目がないって何っ!?」
柾に恋愛話などしたことがないはずなのにそんなことを言われ、思わずつっこむ。
と、柾はくくっと笑った。
「桜子姉ちゃんが、姉ちゃんの最大の欠点はそれだってさ。オレも、何となくわかるし」
「えぇ!?」
「それは俺も同意見だな」
「みぃ」
蓮とその頭の上にいるラウルにまで同意され、言葉を失う私。
自分でも薄々自覚しているが、みんなに言われるとさすがにへこむ。
「わかってるけどさー、しょうがないじゃない…」
自分からすると、いい人だと思って好きになっているのだ。
別に、悪い男が好きなわけではない。
「だから、蓮がお勧めだって。蓮なら人畜無害な感じで安心して任せられるし」
「あのねぇ、柾。私も蓮にも選ぶ権利があるのよ?」
「みぃ!」
今度は私に賛同するようになくラウル。
蓮の頭の上から私の肩の上へと戻ってくると、俺がいるではないかと言わんばかりに凛々しい顔つきで柾を見つめる。
だが、柾がそんなラウルのアピールに気付くはずはなく、複雑な表情を浮かべている蓮の方に視線を向けた。
「なぁ、蓮はもちろんいいだろ?」
「え?あ、いや、俺は…」
ストレートな柾の問いに、顔を赤くしてうろたえる蓮。
この手の話で冗談を言うのは苦手なタイプだ。
「そんな聞き方したら、蓮が返事に困るでしょ、柾」
「えー、でもさー蓮と姉ちゃん仲いいじゃん!」
「友達と恋人は話が違うの。ねぇ、蓮?」
「あーうん。そうだよなー。はははー」
蓮は乾いた笑いをすると、信号待ちで立ち止まった柾の手を放した。そして、申し訳なさそうに柾を見つめる。
「んじゃ、悪いけど今日はこの辺で帰るな」
「えー、一緒に買い物は?」
「悪い。柾が帰るまでにはまた遊びに行くからさ」
「わかった。約束な!」
「おう」
笑顔で柾の頭をくしゃっと撫でると、私には微妙な微笑みを浮かべる蓮。
「じゃ、ひまわりもまたな」
「うん。今日はありがとう」
「…みゃぁ」
小走りに去っていく蓮を見つめながら、腕の中に戻ったラウルが呆れたような鳴き声をあげた。
よくわからないが、逃げたとでも言っているのだろうか。
蓮の背中が見えなくなるまで見ていると信号が変わり、柾と手を繋いだまま道を渡った後、その先にある公園の前を通りかかったとき、ぴくっと柾が何かに反応した。
視線が公園の中に向けられている。
「どうしたの、柾?」
「智くんたちがいたから…」
柾がじっと見つめる広い公園の中には、柾と同じ年頃の子供達が走り回っている。
転校する前は、柾もここで同じようにあの輪の中で遊んでいた。
「行ってきたら、柾。その間に買い物行ってくるよ」
一緒に遊びたそうな柾にそう言うと、柾は困ったように眉を八の字にする。
「だめだよ。オレ、姉ちゃんの荷物持ちにきたんだもん。ここで遊んで待ってたら意味ないじゃん」
どうやら柾は、遊びたい気持ちと、男として姉を手伝いたい気持ちで葛藤してるようだった。
家族を思いやれる優しい子に育ってくれてよかったと親ばか的な気持ちで私は微笑むと、柾の背中をとんっと押した。
「じゃ、待ってるから遊んでおいで。簡単に作れる物にすれば、遊んでから買い物に行っても夕飯遅くならないし。私はそこのベンチで待ってるから」
「ほんと!?」
「うん。行っておいで」
嬉しそうに微笑んだ柾は、友達の元に走っていくと、すぐにその輪の中で遊びはじめた。
蓮と遊んでいた時も楽しそうだったが、やはり同年代の友達と遊んでいる方が子供らしくて可愛らしい。
私はラウルを膝の上にのせてその背を撫でつつ、ベンチからそんなほほえましい光景を眺めていた。
そして、そのまま少しの時間が流れた。
「…?」
突然背後に気配を感じ、私は振り返った。
すぐ後ろに立っていたのは、いかにも軽そうで少々がらの悪そうな少し年上の男性三人。
にやにやしながら、二人が私の左右に腰を下ろす。
反射的にラウルを抱き上げ、立ち上がって逃げようとしたが、あいていた腕をはしっと捕まれた。
「逃げなくてもいいじゃん、お姉さん」
嫌な笑みを浮かべながら、私の腕をつかんでいる男性が話しかけてくる。
手をふりほどこうとしたが、しっかりと握られていてそれは敵わなかった。
「そうそう、暇だからこんな所に一人でいるんでしょー?」
「オレ達と遊ぼうよ」
「弟を待っているだけです。放して下さい」
にやにやしながら取り囲む男性達に、きっぱりと言い放つ。
だが、彼らはひゅうっとばかにしたような口笛を吹いただけだった。
「いいねぇ。気の強い子、オレ大好き」
「いいじゃん。弟なんてほっといてさ、オレ達と一緒の方が楽しいよ?」
「楽しいところ連れていってあげるからさぁ」
「ちょっと…」
抵抗してみるが、三人にどんどん公園の入口の方に連れて行かれさすがに焦りはじめる。
公園の外には彼らの物らしきワンボックスカー。
あれに乗せられてしまったら、洒落にならない。
周囲に視線をはしらせたが、公園内にいる大人たちも、道行く人たちも見て見ぬ振りをしていて、助けてくれそうな人はいなかった。
つぅっと冷や汗が流れ落ちたとき、腕の中でずっと威嚇するように低い鳴き声をあげていた黒猫が、ひゅっと飛び出した。
そして、私の肩をとんっと蹴って宙に舞うと、一人の男性の顔をしゃっとひっかく。
「いってぇ!」
頬からじわりと血を滲ませた男性は、軽やかに地面に着地し、怒りの表情で彼らを見上げる黒猫を睨んだ。
そんな男性を、ふぅっと威嚇しながら睨み返すラウル。
蹴り上げようとした男性の足をかわすと、今度はその足にかぷりと噛みついた。
「このやろっ!」
「おいおい。子猫相手に何やってんだよ…ってぇ」
バカにしたように笑った男性もラウルにひっかかれ、顔をしかめた。
小さな身体で必死に私を守ろうとしてくれる黒猫に、徐々に意識が移っていく男性達。
私を捉えていた手を放し、攻撃してきたラウルを捕らえようとしはじめる。
「みぃ!!」
そんな彼らの手をよけながら、私を見て逃げろと言うようになくラウル。
さすがに公衆の面前では人の姿に戻れないとわかっているのだろう。
小さな身体のまま、私を助けようと全力を尽くしている。
だが、手を放されたからといってラウルを置いて逃げるわけにもいかなかった。
青年三人の攻撃をいつまでもよけられるはずがない。
子猫だからといって、手加減するような相手にも見えない。
私が逃げてしまったら、ラウルの身が危ないことは分かりきったことだった。
「ちょっと…」
「オレの姉ちゃんになにしてんだよっ!!」
「!?」
青年達を止めようと声をあげかけた私の横を通り過ぎ、柾が青年の一人に体当たりをしたのを見て、私は思わず息をのんだ。
まだ小柄な柾の体当たりでは男性を倒せる筈もなく、ぶつかった男性は顔をしかめて振り向いただけだった。
だが、柾は怯むことなく、守るように私の前に立ちはだかる。
「それにあんたたち、いい年して子猫いじめてはずかしくないのか?!」
「何だと、ガキ?」
ラウルへの攻撃をやめて、柾の前に睨みをきかせながら並ぶ三人。
柾はきゅっと唇を噛みながらも、逃げようとはしなかった。
「大人にそんな口きいていいと思ってんのか?」
そう言いながら、柾に手を伸ばしてくる青年。
私が反射的に柾を抱きしめて守ろうと、腕を伸ばしたときだった。
彼らを睨んだまま、ポケットから何かを取り出し、その紐を引っ張る柾。
とたんに、けたたましい音が辺りに鳴り響く。
「なっ!?」
「この人達、変質者ですー!誰か警察に通報してくださーい!!」
防犯ブザーと子供の叫びに、先ほどまでは見ぬ振りしていた周囲にいた大人達が遠巻きに集まりはじめた。中には本当に携帯をとりだし、警察に連絡しようとしている人までいる。
さすがにこの状況はまずいと思ったのか、ちっと舌打ちすると、小走りに公園を去っていく三人。
車に乗ってこの場を去るのを確認してから、柾は防犯ブザーの音を切った。
そして、周りに集まった大人達にぺこりと頭を下げる。
「すいません。お騒がせしました。でも、おかげで助かりました」
「あ、すみませんでした」
私も慌てて頭を下げると、周囲の人たちは去っていった。
「…はぁ」
ほっとして、思わずその場にしゃがみこむ私。
柾が腰をかがめ、心配そうに私を見つめる。
「大丈夫、姉ちゃん?」
「うん。柾とラウルが守ってくれたから」
幸い全ての攻撃をよけきったラウルが気遣うように足下にすりよってきたので、微笑みながらその背中を撫でる。
と、視線を落としてはじめて、柾の足が小刻みに震えているのに気付いた。
「柾…」
「よかった。姉ちゃん無事で」
怖くなかったはずはない。だが、それを見せないように微笑む柾を、私は立ち上がるとぎゅっと抱きしめた。
「ちょ、姉ちゃん…」
「ありがと、柾」
「うん」
腕の中で、ホッとしたように息をつく柾。
そんな私達の足下をくるりとまわったラウルは、片手でぺしっと柾の足を叩くと、よくやったというように、短く鳴いたのだった。