七夕の願い
七月七日、夕方…。
お店で買ってきた小さな笹に、私は折り紙で作った飾りをつけていた。私の後ろには、リビングのソファで腕組みをし、前のテーブルにおかれた短冊をにらみつけながら座っているラウルの姿。
しばらく前からずっと同じ姿勢だった。
「ラウル…まだ決まらないの?」
「むぅ…。願い事を一つに絞るというのは難しいものだな」
呆れた声の私に、真剣な顔で答えるラウル。
私は思わず笑ってしまう。
「何を笑う!」
「だって、そこまで真剣に悩むとは思わなくて」
「願い事が一つ叶うのだぞ?何を願うか悩むに決まっているではないか!」
私が説明した七夕の話を、ラウルは素直に信じてくれたらしい。
本来は手習いや技芸の上達を祈るものらしいが、願いが叶うという方が夢があるかと思い、ラウルには短冊に願い事を一つ書くように言っていた。
昨日は織姫と彦星のためにてるてるぼうずを作って晴天を願い、今は一生懸命願い事を考えている。
大人びていても、こんな時はまだ可愛いお子様だった。
「仕方ない…やはり、今はこれだな」
ラウルはようやく心を決めたのか、短冊の上にペンを走らせた。
悩んだ割には予想通りの願いに、思わず微笑んでしまう。
「『早く元の姿に戻らせろ』って、命令形で願い事書くもんじゃないわよ?」
「いいではないか。その方がききそうであろう?」
「そうかもしれないけど」
きらきらと目を輝かせてるラウルを目にし、ラウルが楽しそうならなんでもいいかと思いながら、私はその短冊をラウルが笹に飾り付けるのを手伝おうと立ち上がった。
が、眩暈がし、そのまま座り込む。
「ヒナタアオイ!?」
「あー、ごめん。大丈夫。ただの立ちくらみ」
心配そうに名前を呼んだラウルに笑顔を向けると、ほっとしたように私を見つめるラウル。
それから手をとって立ち上がらせてくれたラウルは、自分で短冊を飾りつけ、満足げに微笑んだ。
「よし、これで明日から俺は元の姿だな!」
「だといいね」
明日の朝、自分が猫の姿のままだったらふてくされるかもしれないと思いつつ、うきうきしたラウルと夕飯を食べ、機嫌よく猫の姿になったラウルと共に、私は眠りについたのだった。
そして、深夜…。
「ミャー?」
耳元で小さくないた黒猫の声に、私は目を覚ました。
なんだか身体が熱く、だるい。
ゆっくりと目を開くと、緑色の瞳が心配そうに私を見つめていた。
「ラウ…ル…?」
なんとなく息苦しさを感じながら名前を呼ぶと、黒猫ラウルはいつもと違い、そっと私の唇に自分の額を押し当てた。
光と共に、人の姿へ戻るラウル。
「大丈夫か、ヒナタアオイ?」
私の様子がおかしいことに気づき、目を覚ましたのだろう。
開口一番にそうたずねた。
「う…ん…」
私がぼうっとしながら答えると、ラウルは眉を顰める。
私の額にその小さな手をのせ、はっと目を見開いた。
「やっぱり熱いではないか!ちょっと待っておれ!!」
そう言うと、ラウルはベッドを抜け出し、ぱたぱたと階下へ降りていった。がたがたと何かを探す音、水音が聞こえる。
おそらく、以前熱を出した時のように、タオルで冷やしてくれるつもりなのだろう。
少しして、前回でちゃんと学習したのか、きちんと絞ったタオルをラウルは私の額の上に乗せてくれた。
「これで、少しは楽になるか?」
「うん…ありがと。気持ちいいよ」
「薬を飲むか?どこにある?」
「大丈夫…。このまま休めばきっと平気」
「本当か?必要なことがあれば、ちゃんと言うのだぞ」
「うん…ありがとう」
心配そうなラウルに微笑むと、ラウルは微笑を浮かべながら私の手を優しく握った。
「では、安心して眠れ。俺がついているから大丈夫だ」
「うん」
ラウルの優しい声に、私はまた眠りに落ちた。
気のせいか、ラウルのおかげか、息苦しさが少し楽になっていた。
そして、朝。
日差しの温かさに、私は目を覚ました。
ゆっくりと起き上がると、夜の苦しさは嘘のようになくなっていた。
隣を見れば、私の手を握ったままベッドに寄りかかって寝ているラウルの姿。
夜中に冷やしたタオルを何度か新しいものに変えてくれたのだろう。
数枚のタオルが床に落ちていた。
「ありがと、ラウル」
私は微笑むと、眠っているラウルを抱き上げてベッドに横にした。
それから、寝ているラウルを起こさないよう、汗でぬれたパジャマを着替え、そっと階下へ降りていった。
予想通り慌てていたラウルのおかげで物が散乱していた洗面所を片付け、私は一息つきにリビングへ入る。
そして、笹飾りを目にし、動きを止めた。
昨日と違う短冊が、そこには飾られていた。
「本当に願いが叶うのだな」
背後から眠そうな声が聞こえ、はっと我に返る。
振り向くと、とろんとした目つきのラウルがたっていた。
「元気になってよかったな」
そう言ってあくびをかみ殺して微笑んだラウルを、私は思わず抱きしめていた。
「どうした、ヒナタアオイ?」
「早く元の姿に戻りたいんじゃなかったの?」
「それはそうだが…、それは自分自身の力でもできることだからな。それよりも、短冊を変えるのが間に合ってよかった。星が出たあとだからダメかと思ったぞ」
リビングのテーブルの上には、昨日書いたラウルの短冊がはずされておいてあった。
そして、笹に飾られていたのは、ラウルの新たな願い。
『ヒナタアオイを元気してください』
きっと、夜中に書きかえたのだろう。
自分の為の願い事は命令口調だったのに、私のためには丁寧な言葉の願い。
それだけ、真摯に願いを込めてくれたに違いない。
愛しさがこみあげる。
「ありがと、ラウル」
「礼にはおよばん。願いを叶えてくれたのは、織姫と彦星であろう?昨日は天気がよく二人が会えたから、機嫌よく願いをきいてくれたのかもしれんな」
そう言って無邪気な笑顔を見せたラウルを、私は再びぎゅっと抱きしめたのだった。