私の王子様
「ほら、行くぞ。ヒナタアオイ」
そう言って差し伸べられた手を、私はそっと握りしめた。
小さかった手は、いつのまにか男らしく大きく成長していた。
しみじみと成長期はすごいと思う。
お子様だったラウルはいつのまにか私の身長をあっさりぬかし、あどけなかったお子様は無駄にフェロモンの多い少年へと変わっていた。
見た目は全然成長のない私とは大違いだ。
「行くってどこ行くの?」
「うむ、そうだな…。大人のデートと言えばどこに行くものなのだ?」
「大人のって…ラウルはまだ子供じゃない」
私の言葉に、むっとするラウル。
十五歳とは思えない色気を醸し出してはいるが、そんな表情はまだ子供らしさが残っていた。
「何を言う。俺はもう十分大人ではないか」
「そう?自分で大人って言ううちは、まだまだ子供だと思うけど」
「むぅ…」
「ほら、そんなところがまだこど…のわっ!?」
ふてくされたラウルの横顔を見てくすくす笑っていた私は、突如足がひっぱられて転びそうになり、ラウルの引き締まった腕にすがりついた。
足下を見ると、マンホールの蓋の穴にピンヒールがしっかりはまっている。
「何をしておるのだ」
「ヒールが見事にはまったみたい」
「む?」
私をきちんと立たせた後、その場にしゃがみ込むラウル。
マンホールにつかまったサンダルを見ると、私を見上げてくすっと笑う。
「相変わらずどこか抜けているヒナタアオイの方が子供ではないか?」
「これは大人とか子供とか関係ないでしょ。っていうか、相変わらずってなに!?」
「とりあえず、肩につかまっていろ」
私の抗議をさらりとながすと、私のサンダルを優しく脱がせ、それから穴にはまったヒールをひっこぬきにかかるラウル。
その間、通り過ぎていく人々が、稀にみる美少年を跪かせている私に注目していくことが恥ずかしくてたまらなかった。
ただでさえ、お子様ではなくなったラウルと一緒に歩くのはもの凄く目立つ。
通り過ぎる女性の視線がラウルに集中する程、年齢を重ねる事にラウルはいい男に育っていた。
「とれたぞ、ヒナタアオイ。履かせてやるから、足を出せ」
「え、いいよ。自分で履くから」
「遠慮することもないであろう?」
艶のある笑みを浮かべるラウルに思わずどきっとしつつ、素直にあげていた足を降ろす私。
ラウルは長い指で私にそっとサンダルを履かせてくれた。
その優雅な仕草に、道行く女性達が足を止め、ほぅっと感嘆の息をもらしている。
「ラウル…王子様みたい」
おとぎばなしのお姫様になったようで思わず呟くと、立ち上がりながらにっと笑うラウル。
「みたいではなく、本物の王子様だぞ」
「まぁ、そうなんだけど…」
知ってはいるが、お子様の頃とは違い、本当にだんだんと気品なども見え隠れしはじめ、正直たまに本気でみとれてしまう。
本当に、見た目も中身もどんどん成長していっているラウル。
それが嬉しくも、遠い人になっていっているようで寂しくもあった。
「なんだ、ヒナタアオイ?」
「え?いや、何でもない」
寂しそうな顔を出してしまったのか、ラウルはのぞき込むように私を見つめていた。
「本当に、何でもないのか?」
「う、うん」
大学生が十五歳に見つめられてドキドキするのはどうかと思いつつ、ラウルに真っ直ぐに見つめられて思わず鼓動が早くなる私。
相変わらず見た目に弱いのは本当にどうかと思う。
「ふむ。元気がないなら元気づけようと思ったのだが…」
「元気づけるって?」
ドキドキしてるのを隠し、平然と尋ねると、柔らかに目を細めるラウル。
そして、長い指が私の顎をくいっとあげた。
「へ?」
「元気の出るおまじないだ」
そう言って、ラウルの綺麗な顔がすぅっと近づく。
「ちょっ!!!???」
白昼堂々、人前で何をっ!?と、焦る私。
だが、魔法にかけられたかのように動くことが出来ず、顔を赤らめながら反射的に目をつぶった時だった。
ぼんっ!!!
「ふぇ?」
近くで大きな音が聞こえ、間の抜けた声をあげ、目を開く私。
その目に映ったのは、いつも通りのリビングだった。
一瞬何がおこったかわからなかったが、ゆるゆると思考回路が働きだし、状況を認識する。
今日は休日で、午前中に掃除やら洗濯やら一通り家事を済ませた後、ソファで休んでいるうちに寝てしまったらしい。
「な…なんて夢を…」
自分の見ていた夢を思い出し、かぁっと顔が熱くなる。
よりによって、成長したラウルにキスを迫られる夢を見るなんて…。
「って、何の音?」
我に返り、一人呟く私。
ある意味危険な夢の世界から現実に引き戻したのは、大きな音だった。
家の外ではなかったようだし、となると、音を出した犯人はラウルしかいない。
私は立ち上がると、ラウルを探しにリビングを出た。
そして、キッチンで硬直しているラウルを発見する。
「どうしたの、ラウル?」
「ひ、ヒナタアオイ。卵とは爆弾だったのかっ!?」
「意味不明なんだけど」
硬直したまま訳の分からない言葉を叫んだラウルに眉をひそめた私だったが、ラウルの視線の先をみて、その意味がわかった。
電子レンジの中の様子が、なんだかおかしい。
嫌な予感がしながら電子レンジの扉をおそるおそる開けると、既に原形をとどめず、四方八方に飛び散った残骸があった。
「ラウル…。まさか、卵をレンジにかけた?」
「うむ。手っ取り早くゆでたまごが出来ると思ったのだが、爆弾ができあがったようだ」
よほど驚いたのか、まだ固まったままのラウル。
私は夢の中の大人っぽいラウルと現実のラウルのギャップに内心笑いつつ、エプロンをつけている王子様を見つめた。
「電子レンジで卵を温めるとこうなるの。一つ勉強になった?」
「何故だ。この箱は物を温める物であろう?卵は殻ごと温めたらゆで卵になるはずなのに、どうして爆発するのだ」
「いや、詳しい仕組みは私にもわからないけど、お湯で温めるのとは違うのよ。だから、今度からは絶対に禁止ね」
「むぅ…」
納得いかないと言うように電子レンジを睨むラウル。
「せっかくヒナタアオイが起きる前にと思ったのに、箱の分際で邪魔をしおって…」
「?」
ぶつぶつとレンジに向かって文句を言い始めたラウルを見て、私はようやくラウルが何をしようとしていたのか確認した。
エプロンをつけ、ゆで卵を作ろうとしており、そしてまな板の上には切ったハムやトマトらやキュウリやら。
小鉢にはマヨネーズであえたツナがあり、その隣に食パンが置かれている。
どうやら、サンドウィッチを作ろうとしていたらしい。
私が一緒の時以外は火を使わないように言ってあるので、卵サンドを作るのに電子レンジを使ったのだろう。
「ラウル、お昼ご飯つくろうとしてくれたの?」
「うむ。ヒナタアオイが疲れておったようだから、俺がつくって驚かせようと思ったのだ。それなのに、卵が驚かせおって…」
恨めしげに粉砕した卵を睨むラウルに、私は思わず笑ってしまった。
「何を笑うか!!」
「いやいや、ラウルは可愛いなーと」
「男が可愛いと言われても嬉しくないぞ!」
予定が狂い、すっかりご機嫌斜めの王子様。
だが、それも私を気遣い、喜ばせようとしてくれた結果だと思うと、やはり可愛いとしか言いようがなかった。
電子レンジの後片づけは少々面倒だったが、ラウルの気持ちを考えたら苦ではない。
「ありがと、ラウル。気持ちだけで十分嬉しいよ」
夢とは違いまだ腕の中におさまるラウルを、私はきゅっと抱きしめた。
優雅で色気のある王子様なラウルもいいが、やっぱり今のラウルが今の私にはあっている気がした。
我が道を行くようで、ちょっと不器用で優しい小さな王子様。
つっこみどころも満載だが、こうやってほっこり心を温める事をしてくれる。
「片づけも、サンドウィッチ作りも一緒にやろっか?」
「いや、ここまでやったら最後まで一人でやるのが男であろう?ヒナタアオイは向こうでまっておれ」
「いやでも、ラウルに任せたら電子レンジが綺麗になるとは思えないし?」
「何を言うか!俺に出来ぬ事はない!!」
「ゆで卵つくれなかったし」
「それは、ヒナタアオイが火を使うなというからであろう」
ラウルと軽口をたたきながら、結局二人でお昼ご飯を作り始める。
いつか…というより、数年後には確実に夢の中のように大人っぽく成長するだろうラウル。
こんな風に無邪気に過ごせる今を大切にしたいと思いながら、私はラウルとの料理を楽しんだのだった。