黒猫王子と弟 1
「ふっふんふ~ん♪」
三連休の一日目の土曜日。
ラウルと一緒に買い物をして家に戻ると、ご機嫌な王子様はへたくそな鼻歌を歌い始めた。
そして、先ほど買った自分の服を楽しげに袋から取り出す。
「よし!これは、明日の水族館に着ていくぞ!」
「そうね。せっかく買ったんだから、それがいいんじゃない?」
「うむ」
私が賛同すると、満足げにうなずくラウル。
家にいる時は自分の和服姿で、一緒に外出するときは弟の服を借りているラウルに、今日は外出着を買ってあげたのだ。
人のものではなく、自分の為だけの洋服がどうやら嬉しかったらしい。
綺麗にたたまれた服を、実に嬉しそうに眺めている。
「とりあえずそれは置いといて、夕飯の支度をするわよ、ラウル。手伝って」
「よかろう。今日ははんばーぐだったな?」
機嫌がいい上に、自分の好物ということもあり、快く食事の手伝いをしようと立ち上がるラウル。リビングにとりあえず置いておいた買い物袋を持つと、キッチンまで運んでいってくれた。
楽しそうなラウルの後姿を見つめながら、微笑が浮かぶ。
明日、それを着て遊びに行ったら、さらにテンションが高いに違いないと、一人くすくす笑いながら私もキッチンへ向かおうとした時だった。
ピンポーンと、玄関のチャイムが鳴る。
「はい」
「姉ちゃん、オレ!!」
「へ?」
インターフォンから返ってきた予想外の声に、私は思わず間の抜けた声を出した。
その声が聞こえたのか、くくっと笑う声がインターフォン越しに聞こえてくる。
「へ?じゃなくて。オレだよ、柾。早くあけてよ、姉ちゃん」
「ま、柾!?」
両親と共に海外にいるはずの弟の声に驚いて、声が裏返る。
三人が帰ってくるなんて、まったく聞いていない。
だが、柾がすぐそばにいると思うと嬉しくなり、何も考えずに玄関の扉を開けに行こうとした時だった。
「どうしたのだ、ヒナタアオイ?」
私の声に何が起きたのかと心配になったのか、キッチンから訝しげな表情で現れたラウルを見て、私ははっと我に返った。
そうだ。ラウルがいた。
魔法の国の王子様なんて、信じる家族ではない。
「ラウル、ごめんっ」
「ぬ?」
突然駆け寄った私に驚いたラウルの唇を無理やり奪う。
と、光に包まれ黒猫の姿になったラウルは、足元で不機嫌そうにみぃっと鳴い
た。
わけもわからず猫の姿にされ、いい気分のはずはない。
だが、説明している暇もなかった。
「ごめん、ちょっとその姿で我慢してて!」
手を合わせて謝ると、私は慌ててラウルの生活の痕跡を消しに家の中を走り回り、最後にラウルが履いていた靴をしまうと玄関の扉を開けたのだった。
「じゃあ、一人で来たっていうの?」
玄関を開けると一人で立っていた柾をリビングに通し、簡単に話しを聞いた私は驚きの声を上げた。
そんな私を見て、柾はティーカップを手ににっこりと微笑む。
「やっぱり姉ちゃんのいれてくれた紅茶が一番美味しいな」
「ホント?ありがとー…じゃなくて!!」
私の反応に、柾はたまりかねたようにくくっと笑い出した。
「もう、柾!」
「ごめんごめん。でも、姉ちゃんが元気そうでほっとしたよ」
むっとした私にそう言って、栗色の大きな瞳を細め、優しい笑顔を浮かべる柾。
少し見ないうちに、少し大人びた表情を浮かべるようになった気がする。
「学校が一週間休みでさ。姉ちゃんが一人で淋しがってるかと思って帰ってきたんだ」
父は夏休みでさえまとまった休みがとれず、一人では一日も生活できない父を置いて母が家を空けるわけにもいかないので、家族が向こうに行ってから一度も帰ってきていなかった。
だから、初めての一人暮らしをしている私を柾は心配してくれたのだろう。
「それは嬉しいけど、だからって海外から小学生一人って…」
私ですら一人で海外にいく勇気がなくて向こうに行っていないと言うのに、無事だったからいいものの、途中で何かあったらと思うと表情が曇ってしまう。
と、柾はそんな私を見てぺろっと舌を出した。
「ま、実は日本までは父さんの会社の人が一緒だったんだけどね。出迎えないと、子供一人で飛行機乗れないからさ。成田からはバスに乗って一人できたんだけどね」
「なんだ、そういうこと」
私は納得の声をもらした。空港から自宅までなら一人で来れるくらいしっかりとした子に育てた自信はあった。
柾の説明にようやく事情が飲み込めた私は、ほっと息をつくと、膝の上にいる黒猫ラウルをなでながら、紅茶を一口飲んだ。
「でも、言ってくれれば空港まで迎えに行ったのに」
「それじゃ姉ちゃん驚かないだろ?サプライズで現れて、姉ちゃんの寂しさ吹き飛ばしてあげようと思ったんだ」
無邪気に微笑む柾に、私は顔がほころんだ。膝の上にラウルがいなければ、抱きしめにいっているところだ。
だが、柾はしばらく私を見つめた後、少しして微苦笑を浮かべた。
「でも、驚いたふりしてくれてるけど、実は母さんばらしちゃったんだろ?」
「へ?」
「またまたしらばっくれて。姉ちゃんいつからそんな演技派になったわけ?」
訳がわからず目を瞬く私に、柾はある物を背後から取り出した。
それを見た途端、膝の上の黒い塊が飛ぶ。
「だってこれ、オレのために…うわっ、何だよ、お前」
「フミャー!!」
柾が取り出したものに前足を乗せ、威嚇するように声をあげる黒猫ラウル。
その足の下には、さっき隠したはずの買ったばかりのラウルの服があった。
おそらく、私が紅茶を入れている間に発見してしまったのだろう。
そして少年用の服を眼にし、自分のものだと勘違いしたに違いなかった。
「何?遊んでほしいのか??」
「みゃー!!」
「でも、ちょっと待っててくれよ。オレ今、姉ちゃんと話したいんだ」
「ふみゃー!!」
「あー、ダメだよ。これは遊び道具じゃないんだから。もう少ししたら遊んであげるから、ちょっと大人しく待ってろよ。な?」
これは俺のだと猫語で訴えているに違いないラウルに、笑顔で話しかける柾。
自分のものだとアピールするように洋服をぺしぺしと前足で叩いていたラウルをひょいっと持ち上げ、強引に抱きしめると、暴れるラウルの背を優しく撫で始めた。
最初は抵抗していたラウルだが、柾の邪気のない笑顔に毒気を抜かれたのか、少しして大人しくなり、柾の腕の中でゆっくりと振り返ると半眼で私を見つめた。
猫の姿でも、その瞳で何が言いたいのかひしひしと伝わってくる。
「あのね、柾。実はその服は…」
なんと言って誤解を解こうかと思いながら口を開くが、柾がそれを止める。
「もういいよ、ごまかさなくても。驚かせられなかったのは残念だけど、姉ちゃんの選んでくれた服、すっげー嬉しいし!」
「いや…あのね…」
「さすが姉ちゃんだよな。オレの好みにぴったりだよ。へへっ。ありがとう」
柾の嬉しそうな笑顔に、私の中でかたりと秤が動いた。
「……そう?喜んでもらえてよかった」
「みゃ!?」
柾の笑顔に陥落した私に、非難めいた鳴き声をあげるラウル。
そして、柾の腕の中から強引に飛び出すと、私の膝の上にしゅたっと凛々しく立った。ぴんっと尻尾をたたせ、私を見上げるラウル。
「…みぃ」
どういう事だと言いたげに小さく鳴いた黒猫に、私は内心冷や汗をたらしながら笑顔を浮かべる。
「ラウルには、今度買ってあげるね」
心の中で謝りつつそう言うと、ものすごく不服そうな顔になる黒猫。
怒って当然のひどい行為だと自覚はしているが、久々に見る可愛い弟の笑顔には勝てなかった。
ご立腹な王子様に柾の手前、目だけで謝る。
言いたいことはなんとなく伝わったのか、拗ねたように膝の上でまるくなるラウル。
と、柾がくすっと笑いながら口を開いた。
「なんだ、お前も服がほしかったのか?猫のくせに変わった奴だな」
柾の発言に、ぴしりと固まるラウル。
我慢して抑えようとしていた怒りのメーターが上がるのを感じ、私は慌ててラウルを抱き上げた。
「さ、落ち着いたところで夕飯の支度でもしようかな?」
「みぃ!みゃーー!!」
放せ、放さぬか!!と言っているらしいラウルを抱きしめながら立ち上がると、柾が瞳を輝かせた。
「オレ、手伝う!」
「嬉しいけど、長旅で疲れてるでしょ?今日は休んでていいよ」
本心でもあり、キッチンでラウルと二人になりたい気持ちもありそう言うが、柾は笑顔で立ち上がった。
「いいよ、飛行機で寝てたからあんまり疲れてないし。それより、母さんに鍛えられて料理の腕があがったところ、姉ちゃんに見てほしいんだ!」
自信あふれる眼差しを向けられ、断れるはずもない。
「そう?じゃあ、手伝ってもらおうかな」
「うん!今日のメニューは何??」
楽しそうに私の後をついてくる柾。
実際にだいぶ料理が上手になっていた柾を褒めると、足元の黒猫が『俺の方がうまいぞ!やらせろ!!』と言うように私の足元をぺしぺし叩くという繰り返しをしながら夕飯を作り、食事を終えた後、柾がお風呂に入ったところでようやく私とラウルは二人きりになれたのだった。