ざまぁされるはずの幼馴染が戻ってきた
「私、あんたのことなんて、好きじゃないから。ごめんね良、ばいばい」
気の強い幼馴染は、なんか運動部の先輩の腕をとって、俺にそう宣言した。
なんか運動部の先輩は、勝ち誇った笑みで俺を見下ろした。
「そういうことだよ。悪いけどさ、君、美弥にぜんっぜん釣り合ってないんだよね? 幼馴染? だかなんだか知らないけどさ、彼女に付き纏わないでくれるかな?」
そう言って、なんか運動部の先輩は、俺のことを蹴ってきた。俺は、不意をつかれて地面に尻餅をついてしまう。
美弥が甘えた声で、先輩の腕に頬擦りする。美弥はシニヨンツインテール(左右でお団子にする髪型)だから、それも相まって猫みたいに見える。
「せんぱぁ〜い、こんなの放っておいて行きましょうよぉ」
「ああそうだな、俺の家行くかぁ」
そう言って、地面に座り込む俺から離れていく二人。二人の後ろ姿を見ながら、俺はつぶやいた。
「なんか俺、告ってねえのに振られたんだけど」
俺は、地面から立ち上がった。尻についた土を払って、ついでに手を洗いに行くと、
たったった!
足音が近づいてくる。振り向かなくても俺はわかっていた。
「凹んでいるかね? 凹んでいるよねぇ? ていうか凹め」
俺の背中にタックルしてきたのは、ついさきほど、俺を振って先輩の家に行ったはずの美弥である。
「なにやってんの?」
「こういう寝取られされた時、主人公に現れる存在を知ってる?」
「聞けよ」
だが、美弥は俺の話など聞かず、勝手に話を進めてしまう。
「それはね、元カノの、上位互換です!」
美弥は、腰に手を当てて、堂々と言い放った。
「元カノじゃねえよ? お前は?」
「それでね、主人公を振った元カノは、主人公が優良物件だったと知って後悔する。これが、恋愛の主流よ! ざまぁ!」
「恋愛に謝れ土下座して」
寝取られが横行してる恋愛なんてやだよ。
「で? なんでお前は勝手にざまぁされる側になったの?」
そうやって俺が聞くと、美弥は、心底俺を蔑むような表情を浮かべた。腕組みをして、右足をたんたんたんと貧乏ゆすりする。
「は? これでわかんないの鈍すぎない? 死ね」
「死ねは言い過ぎだろ。もっとマイルドに言えよ」
「やっと、やっと、良君のところからあの女が消えてくれた」
美弥は女優のように、ころっと表情を変えた。清楚で優しそうな女の子。誰だこれは。
「え、もしかして、上位互換の演技始まってる? やだよ俺、お前のざまぁごっこに付き合うの」
「まあまあ。ほら、上位互換の彼女だぞ。あっ、喜んでください、良さん」
「きもっ」
俺は、喚く美弥を置き去りにしてとっとと下校した。
「それで、お前に入れ知恵した奴は誰なんだよ?」
俺は、美弥を尋問することにした。放課後で教室に二人きり。夕陽が教室に差し込んで……違うそんなロマンチックな雰囲気じゃない。
美弥は、いわゆる萌え袖をしながら頬杖をついて、「え〜?」と小首を傾げた。袖伸びんぞ。
「私が考えついただけなんだけど〜?」
「嘘つけ。お前は俺と違い根っからの陽キャだ。明るくて性格が良い、誰かの悪口を言わない美少女だろうが」
「……っ、……っ!」
美弥が、口をパクパクさせている。ふっ、反論の余地がないようだな。俺は、さらに畳み掛ける。
「お前みたいな陽キャが、あんな性格悪いこと思いつくわけねえんだよ。言え、誰に、入れ知恵された」
「……名無しさん」
「誰だそれは」
美弥は、モジモジとして、カバンからスマホを取り出した。ほら見ろこのデコっているスマホカバーを。
「ん」
美弥は、スマホの画面を見せてきた。それは、ネットで質問したら誰かが答えてくれるアレだった。どうやら美弥は、恋愛の質問をしたらしい。ずっと好きなのに、鈍感で振り向いてもらえないんだと。
「へぇ〜、鈍感な奴もいるもんだな」
そのまま、スマホの角で殴られた。俺は、すぐに察した。
「悪い悪い、お前の好きなやつを悪く言ったらだめだよな」
「……」
美弥は、複雑そうな表情をしていたが、「これ、この人」と指差す。ベストアンサーと書かれた文章の下には。
『彼を振り向かせるには、障害が不可欠でしょう。たとえば寝取られとか。貴方が他の男に靡けば、彼もきっと嫉妬してくれるはず。話は変わりますが、ネット小説で…』
「お前、こんなのを、ベストアンサーに……?」
「だって、他の回答、“さっさと諦めろ”とか、“私のものだ”とかだったんだもん」
美弥が頬を膨らませる。頬を膨らませた姿さえ絵になるってのに、この美少女が手に入れられない男はどんな奴なんだろうか。
「ていうか、なんで俺で“ざまぁ”をしようと思ったんだよ」
「そ、それは…………よ、予行演習?」
だろうなと思った。じゃなきゃ、寝取られた後にのこのこ帰ってきて上位互換の彼女ごっこするのとか頭おかしいもんな。
だけどそれで振られる俺の身にもなれよ。俺は、溜め息を吐いた。
「先輩は? どうやって寝取られたんだ?」
「ちょうど良く告白してくれたから、よっしゃ! って思って……」
「くそっ、ベストアンサーめ! 純粋な美弥を悪の道に誘いやがって!」
なにが、「よっしゃ!」だ。
「振ってこい。純粋な気持ち、いや純粋かなあれ、で告白してきた先輩が可哀想だろうが」
「うう、そうだよね……反省してます……」
美弥は、しおしおと肩を落とした。
「伝えてないのに、嫉妬してもらおうなんて、虫が良い話だよね……」
「大丈夫だ美弥。俺もついてってやるから」
俺が力強く言うと、美弥は笑顔で「死ね」と言った。これもベストアンサーのせいだな。
「……急に呼び出して、どういうことかな」
美弥は緊張しているようだった。校舎裏に呼び出した、自分よりも背が高い先輩を見上げて。
「ごめんなさいっ」
頭を下げる。先輩は、微動だにしなかった。
「ごめんなさい、って?」
代わりに、声が低くなっていた。俺は、木の影に隠れて、成り行きを見守っていた。雰囲気が悪くなっていることだけはわかった。
「わ、私っ、先輩のことなんて全然好きじゃないのに、告白オーケーしたんですっ! す、好きな人に嫉妬してほしくてっ……先輩の恋心を弄んだんですっ! 本当に、ごめんなさいっ……」
「……なんだよ、それ」
本当に、「なんだよ、それ」だよ。俺は、先輩に同情を禁じ得なかったが、一番の懸念は、美弥のことだった。
先輩は、拳を固めた。怯える美弥に、一歩足を踏み出して、
「ふざけるなよっ!!」
先輩が叫んだ途端、俺は、木の影から飛び出した。
先輩と、美弥の間に入る。美弥を守るようにして、両手を広げた。
先輩の恋心を弄んだ美弥は悪い。だけど、美弥は本来そんな子じゃないんだ。
「ふざけんな、ほんっと、ふざけんなよ」
先輩は、ぶつぶつと地面を見て呟いている。鞄の中に手を突っ込んだ。な、ナイフとか、持ってんのか、この先輩?
俺の足は震えた。が、後ろには美弥がいる。
先輩が、鞄から何かを抜き取るーー俺の目の前には、それが、表示されていた。
「まだ俺が“ざまぁ”されてねえだろうが!」
「お前かいっ!!」
俺は、恐怖を忘れて突っ込んでしまった。先輩が取り出したのはスマホで、その画面には、例のサイトが表示されていたのだ。
「俺はさ、どっからどう見てもイケメンだろ?」
「……まあ、はい、そっすね」
「女の子にモテることは常識っつーか? そうすると、自然に媚び売ってくる男も発生するわけ。俺の周りには、俺のことを崇める人間しかいないっつーか」
ある時、先輩は、ネット小説に出会ったのだという。感慨深そうに頷きながら話す。
「“ざまぁ”のやられ役ってさ、イケメンの確率が高いんだよな。俺は、そういう恋愛系の“ざまぁ”を読み漁った。そして、“ざまぁ”されるイケメンに感情移入し、快感を味わっていた」
「……」
美弥が、そっと、先輩から距離を取ろうとした。俺はすかさず、美弥の手を取った。逃がさん。
「そして、俺は、物語の中だけじゃ我慢できなくなった。実際に“ざまぁ”を体験したくなった。そして、美弥の質問に巡り合ったというわけだ」
「なんで、美弥の質問ってわかったんですか?」
「そりゃお前、他の回答見ればわかるだろ」
先輩は真顔で言う。俺は首を捻った。
「わかりますか?」
「あっそうか、お前にはわかんないか。ごめんね」
なんだかムカつく先輩である。
「美弥……もういいか、仏宮寺がお前を振れば、“ざまぁ”の環境が整うと考えていた」
ざまぁの環境てなんだよ。
「だけど、有薗も、野々井も、ウォーレンスキーも動かなかった」
「なんでウチの学校の四大美女の話が?」
ちなみに、後の一人は美弥である。
「なんか、仙宮寺、毎回デート中にお腹痛くなって帰るし……怪しいとは思ってたんだ」
「先輩……」
美弥の「先輩……」は、一体どんな意味を持っているんだろうか。俺にはわからないが、美弥は、悲しそうな顔をしていた。
先輩は、目に涙を滲ませて。
「だが、いつか頑張ってれば、俺に“ざまぁ”をしてくれるんだと、信じていた!」
「それが、美弥がオリチャー発動したことで台無しになったわけか」
結果的に、奇行をする美少女が生まれてしまったわけだが。
「なんでオリチャー発動したんだよ」
「なにオリチャーって。わかんないけど、七志先輩の回答を読んだ後に、資料としてネット小説を読み漁ったのね。そうしたら、“ざまぁ”ってジャンルが出てきたの。なるほど、振り向いてもらえる可能性もあるけど、逆に寝取られちゃう可能性もある。ていうか、上位互換てなに? 私より上の女の子、いなくないって思って」
「それで、一人二役をやったわけか」
美弥は頷いた。先輩はドン引きした顔をしていた。お前がするなその顔を。
俺は目を閉じた。
「俺が無駄に振られた以外、被害者がいなくてよかったな。美弥、今回は先輩が変態だったから良いものの、こういうことは二度とするなよ」
「なんかサラッとディスられたな俺」
七志先輩は不満げだったが、ディスられて当然だろうが。というか、なんで美弥は名無しと七志を結びつけられないんだよと思ったが、俺は思い直した。人の裏とか読めないからなあ、美弥は。
「んじゃ、帰るわ俺」
謝罪の覚悟とか要らなかったな。まあ、殴られなくて良かった。
そんなことを思いながら、俺は美弥に手を振って歩き出す。
「ま、待って、良!」
「?」
美弥が叫んで、俺は立ち止まった。美弥は、俺のことをじっと見つめて。
「ああ、あの、私、良のこと、好きじゃないって言ったけど、嘘ついた!」
「お、おう」
「あと予行演習って言ったけどアレも嘘!」
「お、おう?」
「本当は良のことが好きだから先輩に寝取られたふりしたの。大好きすごく好きはいもう告白したっ!」
すごい暴風雨に晒されたみたいだった。
美弥のことを見て、
「ドッキリ?」
と聞いてみる。これも悪いネットってやつに唆されたのかと……美弥の顔は、真っ赤だった。
「ま、マジ?」
「大マジなんだけど! へ、返事は?」
美弥は、目を潤ませて、両手を胸の前でぎゅっと握って俺を見ている。そして先輩はそれを神妙に見守っている。やめろお前はこの場にいるな。
ああ、でも。
俺が、先輩と美弥の間に割って入ったのは、結局、美弥のことが大切だったからなんだ。
「俺も、美弥のことが……好きだよ」
美弥は、嬉しそうに微笑んだ。
一年前。
「くそっ、誰か、俺を蔑んでくれ……」
七志は病んでいた。人生がうまく行きすぎることに。人に負の感情を向けられないことに。
周りには相談できない悩みだった。七志は、伝えきれない思いを、ネットの片隅に書き込んだ。
恵まれすぎ、感謝しろなどという、想像通りの返答の中に、一際違った返答を見つけた。
回答者:みゃーさん
『それなら、想像の中だけでも、蔑まれてはいかがでしょうか。インターネットの中では、今、“ざまぁ”という小説のジャンルが流行っているのですが…』
七志にとって、それが、“ざまぁ”との出会いであった。残念ながら、そのみゃーさんという恩人は、いつのまにかアカウントを消してしまったんだけれど。