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第4話 君を知りすぎた僕

挿絵(By みてみん)


「‥ち‥‥」

 違うんです‥‥と、言いかけたけど、僕はその言葉を途中で飲み込んだ。

 先輩は泣いていた。

 それ程に、自分のマウススピースがなめられていたのがショックだったのか。

「‥‥何を‥‥してるの?」

 言い訳が通じるはずもなし。泣いてる先輩を前に、余計な事を言いたくもない。

「先輩の‥‥マウスピースをなめていました」

「‥‥‥‥」

 そう言った途端、月宮先輩の目が大きく見開かれる。

「‥‥何‥‥で?」

「先輩が‥‥悩んでいたのが分かったので‥‥なめると理由が分かるかと」

「‥‥‥‥」

 先輩は口を押えて泣き崩れた。

「気持ち悪いよ‥‥」

「でしょうね」

 ショックを受けている‥‥と、いうのもあるが、それ以上に悲しんでいる。実際に今、シクシクと泣いている。

 とりあえず。

「すみませんでした!」

 深々と頭をさげる。

「以降、二度とこんな事はしません!」

 これはもう、部活出禁になるかもな‥‥もしかしたら親が呼ばれて、面倒な事になるか‥‥と、覚悟した。

「‥‥藤巻君‥‥それで‥‥どうだったの?」

「は?」

 顔を上げると、先輩は口を押えたまま、じっと僕を見ている。

「今日は‥‥どんな感じ?」

「‥‥えっと‥‥」

 突然、そんな事を聞いてくるとは、どういう事なんだ?

「先輩は‥‥やっぱり朝ぐらいに、そうとう辛い何かが起こったんだと思います。笑っていましたが、ずっと我慢してましたね。今は‥‥少し薄らいでる様ですけ‥‥え?」

 言葉の途中でワっと泣き出した。

 え? そんな嫌な事を言ったのだろうか?

「‥‥あの‥‥先輩?」

「‥‥どうして‥‥あなたは‥‥そんな‥‥」

「‥‥‥‥」

「そんな事まで分かるの?」

「ああ、それは簡単な事です」

 本当に簡単だ。感じたままなんだから。

「先輩が好きだからです。だからどんな小さな変化でも分かります」

「ほんと‥‥‥気持ち悪い人‥‥‥」

 先輩は泣き止んで立ち上がった。

「ねえ藤巻君‥‥ちょっと‥‥私の話を聞いてもらえる?」

「はい、喜んで!」

 僕は先輩の真正面、三十センチの位置に向かいあった。

 すぐ近くに先輩の顔がある。

「‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥」

「少しだけ‥‥気分が晴れたようですね」

 そう言うと、先輩は大きく深呼吸して、少し距離を取った。

「‥‥あのね‥‥私のね‥‥両親が‥‥」

 聞けば、何年か前から先輩の両親が不仲になってきたらしい。最近は特にひどくなってきて、毎朝先輩が家から出る前まで喧嘩してるそうな。親のそんな姿を毎朝見続けるのは、気が滅入る事だろう。優等生でいつも周りに気を使って生きてきた先輩は、他の人に相談する事もできなかった。今朝は離婚の話にまで発展したらしい。

「私‥‥何て不幸なんだろう」

 もう何度目かのその言葉を口にする。

「友達は、皆、お父さんもお母さんも仲がいいし、こんな悩みなんてない」

「‥‥‥‥」

「私‥‥お父さんやお母さんに褒めてもらう為に頑張ったのよ。勉強も運動も、部活動だって‥‥でも、私の事なんてちっとも見てくれない。ちゃんと見てたのは‥‥気持ち悪い、あなただけなんて‥‥私‥‥不幸過ぎる」

 よく聞けば‥‥いや、聞かなても良い事は言われてない。でも、先輩の特別になれたのかもしれない‥‥それでいいや。

「えっと‥‥」

 何から言うべきか。

「先輩は不幸ですか‥‥」

 僕は眼鏡を上げて直す。

「それは他の家庭で喧嘩してない両親と比較してですよね」

「あ‥‥当たり前でしょ」

「僕はクラスの人達からなぜか避けられていじめられてます。いじめられてない他の人と比べれば、それはもう不幸のオンパレードでしょうね。でも僕はそうは思いません。なぜなら他人なんてどうでもいいからです」

「でも‥‥私は‥‥」

「まあ‥‥そうですね‥‥」

 僕がどう思うかなんて、先輩にとってはどうでもいい事だ。そういう意味では僕の言った言葉通り、他人なんてどうでもよく、先輩は自分の幸せを追求してるんだろう。

 つまり僕の望みは先輩の幸せ‥‥僕達の望みは一致してるじゃないか。

 でも知らん人を仲良くさせるのはどうする?

 情報が足りない。

 ので、やる事は一つ。情報収集だ。

「僕は人が何を考えてるか分かるんですよ」

 そんなわけはないが、この数日で先輩は、僕の事をそんなふうに思ってくれるのではなかろうか?

「‥‥‥‥そう‥‥なのかな」

「‥‥‥‥」

 まだちょっと不信感をもっているようだけど、ここは先輩成分を補充する為にゴリ押しだ。

「でもその為にはもっと知らなければならないんです」

「‥‥何を?」

「先輩の身の回り‥‥例えば、家とか。ご両親はそこに住んでいるわけですから」

「‥‥‥‥」

「そういうわけで。先輩のお家を案内していただけませんか?」

「‥‥私の‥‥家?‥‥」

 月宮先輩は自分の肩を両手で抱いた。

「そこで‥‥何をするの?」

「行ってみなければ分かりませんが、不仲になってる原因はそこにあるはずです。僕はどんな小さな事でも見逃しません。必ず見つけますよ」

「‥‥‥‥」

 目線を反らして考え込んでる。近くで見る横顔や唇も、また美しい!

「ほんとに‥‥解決してくれるの?」

「はい、僕は先輩に嘘はつきません」

「どうして?」

「僕は先輩が好きだからです」

「‥‥‥‥気持ち悪い」

 先輩はバッグを持って歩きだす。

 逃げるのかと思いきや、ピタと足を止める。

「‥‥次のバスに乗り遅れると、しばらく待つから‥‥急いで」

「分かりました!」

 先輩と一緒のバスに乗って、先輩の家に行ける‥‥今、俺の人生で最高の瞬間が訪れようとしている。

 世界は何て輝いているんだろう!

「ありがとうございます」

 口から出た言葉はそれだけだ。

 学校近くのバス停からバスに乗り込む。僕は先輩の座った席の隣に座るつもりでいたけど、先輩は二人掛けの席で、おばさんの隣に座ってしまった。

「‥‥‥‥」

 僕は一人寂しく一番後ろの席。こういう時に限っておっさんが両隣。

 ま、いいでしょ。降りてからが勝負。

 二十分程乗ってから、郊外に近いバス停で降りる。

「ここからすぐだから」

 僕は黙って頷くが、既に先輩の家は知っている。住所も知ってるので、地図アプリで先輩の家の周囲の画像は何度も見てる。さすがに家の中は分からないので、どれだけ内部に憧れてた事だろうか。

 その隠されたものの全てが今、明らかになる‥‥いくら押さえても息が荒くなるというものだ。

「‥‥‥‥」

 ストリートビューで見てた家が、リアルで目の前にある。

 先輩の家は周りと比べてもかなり大きくて立派だ。コンクリ打ちっぱなしの壁と大きなガラス窓は美術館的な印象を受ける。まずは門に感銘を受ける。表札には、ちゃんと月宮と書いてある。先輩と同じ苗字の定食屋を見つけるだけで、反射的に入ってしまうほどだ。庭のガレージは車が二、三台は入れそうな程の広さがあるが、車は入っていない。お出かけ中かな。

 つまり金持ちだ。金持ち喧嘩せずの諺はあるが、そういうわけでもないのか?

「ただいま」

 先輩がそう言って取っ手を掴むと、上の赤い表示が緑に変わった。鍵ではなく、指紋認識なのか。顔を動かさずに目だけであちこちを見渡す。高い塀のあちこちに監視カメラ付いているのが分かった。これでは侵入するのは難しいかもしれない。もちろん不可能ではない。金持ちの家にありがちな大型の犬はいない。

「両親は?」

 中に入ったが、人気がない。

「遅くならないと帰ってこないから」

「‥‥‥‥」

 すると、家には先輩と二人っきり。

 これは素晴らしい。

「それで藤巻君‥‥仲の悪い原因って、どうやって分かるの?」

「そうですね」

 僕はアゴに手を当てて考えるフリをする。

 だが既にやる事は決めてある。

「先輩の部屋に行きましょうか」

「え? 何で私の部屋?」

「手がかりがあるはずです」

「‥‥どうして?」

 また疑う目になってる。

「ご両親が仲が悪いと思う事は、先輩の心がそう判断した事です。つまり先輩の普段を観察する事で、原因を追究する事が出来るんですよ」

「‥‥本当に?」

「ええ、本当です」

「‥‥‥‥」

 必ずしも全部が嘘ではない。嘘半分、先輩の部屋を観察したい探求心半分だ。

「‥‥私の部屋は二階だけど‥‥ちょっと待って」

「あ、おかまいなく」

 先に先輩が吹き抜けの階段を上がっていった。

「!」

 僕は刹那のチャンスを見逃さない。先輩の動きがコマ送りに見える程の素早さで、素早く下に移動する。

「‥‥‥‥なるほど。さすがです」

 じっくり堪能できたが、それを先輩は知らない、その事自体も僕を興奮させる。

 しばらくして先輩のOKがでたので、遅れて中へと入った。

 視界より先に、嗅覚が刺激される。フワっと‥‥普段感じている先輩の数十倍の匂いが、僕の鼻孔内を充満させた。

「‥‥う」

 涙が頬を流れ落ちていく。十七年生きてきて、これほどの衝撃を受けるとは思いもしなかった。

 先輩に言える言葉はただ一つ。

「ありがとうございます」

「? 何が?」

 いけない。言葉にして喋っていたようだ。

 改めて室内を見渡す。

 広さは七、八畳ぐらい。壁も床も家具も真っ白で、あまりの清潔感に目が潰れそうだ。

 そこにある木目調の家具がアクセントになっているのか、見てて心地よい。窓際を向いてる机の上には、どこかの大型レジャーランドのマスコットが置いてある。壁には額が飾ってあり、あとは観葉植物が二、三個‥‥女子高生の部屋というのは、こんなに質素なものなんだろうか。

「‥‥‥‥」

 前にも言った通り、僕の視界は他の人より広い。すぐに部屋の片隅にあるクローゼットに注意が向いた。あとは枕‥‥机の下にある部屋用のモコモコスリッパ‥‥それと‥‥。

 ああ、あまりにも特筆すべき物が多すぎて、どうするべきか頭で処理できない。

「何か分かった?」

「え?‥‥素晴らしい‥‥じゃなくて‥‥まずは、先輩の普段の行動からなぞっていきたいと思います。出来るだけ正確に知りたいので、実際に同じ行動をしてください」

「‥‥同じ行動?」

「つまり毎日のルーティーンの事です。最初に朝、起きる所から初めてください」

「それって‥‥」

「ベッドで目を瞑っている所からですね」

「‥‥‥‥」

 何だか不満そうな顔で先輩は制服の上着だけを脱ぐ。

「‥‥‥‥ふう」

 風が当たる。

「?」

「あ、いや、始めてください」

「‥‥‥‥」

 先輩はベッドのカバーを取って中へと潜り込んだ。それから言った通りに目を瞑る。

 よし‥‥。

 使用できる時間は多くはない。

 今、この瞬間に全てをかけるんだ!

 自己比較二倍速ぐらいでクローゼットに移動。そこの棚に手をかけて引いてみる。

 小物入れ‥‥これでもいいが、もっと大物がある。次の段‥‥これだ! 

「‥‥‥‥」

 僕はその白い布の山の中に顔を埋める。

「おおおお‥‥」

 よだれを流すのを必死でこらえ、引き出しをしめる。時間は短いが魂に刻み付けたので、いつでも記憶の中からリフレインが可能だ。

 次に向かうのはスリッパ‥‥そこには先輩の濃縮された‥‥。

「ねえ、また?」

「あ、もういいかな」

 これ以上は不審に思われる、僕は心の中で自分の動きの鈍重さを呪いながら、すぐに先輩の側に戻った。

「‥‥‥‥」

 先輩が目を開くのとほぼ当時だった。

「さて‥‥目を覚ました先輩は最初に何をしますか?」

「起きて‥‥鏡を見るかな」

 そう言って先輩は机に座って脇にある鏡を開いた。

 よくよく見れば、鏡のふたは流線形の面白い形をしており、見るからに高そうだ。

「その鏡は買ってもらったんですか?」

「え?‥‥うん‥‥中学に入る時ね」

 そう言った先輩の表情が陰る。

「その時はまだ‥‥こんなんじゃなかったのに‥‥」

「‥‥と、いう事は、この数年が鍵という事ですか。何かありませんでしたか?」

「別に、何もなかったけど?」

「‥‥‥‥」

 僕は考え込む‥‥ふりをして先輩の部屋を高詳細のスキャナーの如く見渡す。

 ペン立てにあるペン‥‥かなり使いこんでそうだ。あれを、なめ回したいが‥‥さすがに無理か。

 本棚にあるのは、トランペット関係の楽譜がある。家でまで練習してるなんて、真面目な人だ。

「‥‥‥‥」

 真面目‥‥親から見ればこれほど出来た子供はいないだろうに。

 そう言えば、壁に何かがかけてあった。よく見てみると、色んなコンクールや、学校での賞を取った賞状の様だ。僕はとかく人前に出るのが嫌なので、こんなにたくさんの賞状をもらうなんてのは、勘弁してほしいんだが。

「‥‥なるほどね」

 まあ、何となく分かった気がする。

 つまり、月宮先輩はあまりにも出来が良すぎたんだ。

 庭の方から、ガーっという音が聞こえてくる、ガレージの自動シャッターが上がっている音だ。

「あ、父さんが帰ってきた!」

 先輩のその声は少し焦っている。

「今日は仕事で遅くなるって言ってたのに‥‥」

「丁度いい。ここでサクっと問題解決しましょう」

「え?」

「ちょっと挨拶に行ってきます」

「あ!‥‥ちょっと待‥‥」

 僕は先輩の部屋を出て、廊下の先にある階段へ向かっていく。吹き抜けの下にはそのまま玄関に通じている。

「ただいま」

 見るからに会社の重役っぽい雰囲気の男性が入ってきた。

「お帰りなさい」

 階段を降りながら、僕はそんな事を言った。

「‥‥‥‥誰だね、君は?」

「はい、僕‥‥自分は藤巻海斗といいます」

「藤巻‥‥海斗君?」

 お父さんは僕の顔をじっと睨む。いくら考えてもそんな知り合いはいないから無駄な事を。

「‥‥ただいま」

 もう一人、後ろから女性が登場した。髪を後ろでまとめた品の良い感じで、雰囲気がどことなく先輩に似ている。絶対に先輩のお母さんだ。

「お父さんもお母さんも‥‥一緒だったの?」

 そこに後ろから先輩が登場。

 うまい具合に、これで役者は揃った。

「いや‥‥今日はたままた早く終わったから‥‥それより‥‥誰なんだ、その人は?」

「さなちゃんの学校の友達?」

 今度はお母さんにまで不審者を見るような目で見られる。

「その‥‥藤巻さんは‥‥」

「はじめまして!」

 先輩の前に出た。

「先程、お父さんには言いましたが、自分は藤巻海斗。佐那さんの通う高校の一年生です」

 胸に手を当てて頭を下げる。

「‥‥‥‥佐那さんは同じ部活の先輩です」

 そう言った途端、ちょっとだけ素性が分かったのか、二人の顔が緩んだが、

「佐那さんとは、濃厚なお付き合いをさせていただいております」

「え⁉」

「は⁉」

「なに⁉」

 僕以外の三人は同時に、よくあるギョっと驚いた声をあげた。

「の‥‥濃厚とは‥‥」

 沈黙を破ってお父さんが最初に聞いてきた。

「そりゃもちろん‥‥佐那さんとあんな事やこんな事‥‥」

 舌を出して、ベロベロと横に振った。

「さなちゃん‥‥本当なの?」

「違‥‥‥‥」

 先輩の言葉を遮る。

「そりゃもう、学校では隙あれば‥げヘヘヘ」

 下品に笑う。

「‥‥で、お父さんは交際を許してくださいますよね?」

「馬鹿なっ! こんな頭のおかしい奴と佐那がつきあっていいわけないだろう?」

「おや‥‥では、お母さんはどうですか?」

「さなちゃんはもっと相応しい人と付き合います! あなたではありません!」

「ハッハ‥‥これは困った」

 笑いながら上を向いて、顔にピシャと手を当てる。

「お父さんもお母さんも、交際に反対という意見が同じなんですね」

「当たり前だ!」

「そうよ!」

「‥‥では仕方がありません。さようならぁー‥‥」

 深々とお辞儀をして、二人の脇をすり抜けて外に出た。

 後ろから、両親の罵詈雑言が飛んできて背中に突き刺さっていく。

 これで先輩は両親に対して手のかからない良いコだけって事ではなくなった。

 自分達がちゃんと面倒を見なければならない存在になった。

 色んな賞を取るような、あまりにも出来過ぎた子供だと、親としての自分達がいる意味というものを見失ってしまう。

 とりあえず僕を娘から排除するという共通の目標が出来た。離婚問題はそれが片付いてからになるだろうし、その頃には頭を冷やしてくれていればいいのだが。

 僕の方はどう思われようが全く関係ない。

 先輩にも嫌われるかもしれないが、先輩の望みは両親が仲良くしてくれる事。仲良く‥‥まではいかないかもしれないが、とりあえず僕に出来る事はやった。

 好きな人の望みを叶えるのが本当の愛‥‥ならば、嫌われても、それはやりとげるべきなんだろう。

「‥‥仕方がない」

 人は誰かをつるし上げる事でしか結束できないものなのだろうか。それはいじめと一緒だ。いじめられる者を生け贄にして、他の者は結束する。

 いつも僕はイジメられてはいるが、今回はそれを逆手にとって使ってやった。ざまあ見ろだ。

 どれぐらいの時間がかかるか分からないが、先輩には謝り続けよう。いじめる側でも、いじめられる側でも傍観者でもない先輩なら、きっと分かってくれるはずだから。

 僕は持久戦を覚悟して次の日の学校へ臨んだ。

「藤巻君!」

「!」

 いつもの様に、僕は学校へと続く並木道を一人で昨日の想い出に浸りながら歩いていた。何しろ、今日は色々とオカズがある。

 よだれを拭いていると、後ろから声を掛けられた。

 僕は首をすくめる。

「月宮先輩じゃないですか」

 続く言葉はどうしようか。昨日はどうも‥‥とか、今日はいい天気ですね‥‥とか、とりあえず無難な言葉でお茶を濁すしかないな。

「昨日ね‥‥」

「‥‥‥‥」

 僕は首をすくめる。

「お父さんとお母さんが、ずっと二人で藤巻君の悪口言ってたの」

「‥‥でしょうね」

「二人でそれはもう、意気投合して‥‥あんな姿‥‥久しぶりに見た!」

「‥‥‥‥」

 語気が怒っているようには思えない。

「朝は喧嘩してたのに‥‥そんな話はどっか行っちゃったみたい」

「‥‥それは結構でした」

 フウとため息をついて先に歩きだす。

「あの‥‥ありがとう‥‥」

「偶然ですよ」

 そういう事にしておいてくれないと。

「あの‥‥私、藤巻君にお礼がしたい」

「‥‥‥‥」

 まさかそう来るとは思わなかった。

 いろいろ考えたが、やっぱりこれしかない。

 チャンスは最大限に生かさなければ!

「じゃあ、先輩の‥‥」

「ん?」

 首を傾げて、僕の次の言葉を待つ。

「今、履いてる靴下を下さい」

「‥‥‥‥」

 先輩は眉をひそめた。

 それからカバンを下に置いて、革靴を脱いだ。

 履いている紺色の靴下をゆっくりと脱ぐ。先輩の白い足が日に眩しい。

「‥‥はい」

「‥‥‥‥」

 まだ体温の残るその靴下を口に当てて息を吸い込む。少し走ってきたのか僅かな湿り気が僕を興奮の坩堝に叩き落した。

 先輩はじっと見ていたが、

「‥‥気持ち悪い‥‥」

 ぼそっと呟いた。

 その言葉の中にほんのちょっとだけ笑ってる吐息が混じっているのが、僕には分かる。

 それに対して返す言葉は一つ。

「ありがとうございます」

 それ以外はない。



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