第1話 孤独の調香師
世の中の人間はいじめる人間と、いじめられる人間の二種類でほぼ99%を占めると言っても過言ではない。いじめていない人間はよく、自分は直接加担していないから関係ない‥‥などと言うが、黙って見ているだけで同罪なんだからな。
そして僕はいじめられる側の人間だ。僕は昔から言われのないイジメを受けてきた。それは小学生の時から始まり、中学を経て、高校生になった今でも続いている。
普通はイジメと言うと、陰口やSNSでの悪口などの、陰にまわったものが普通だと思うんだが、
ただかけてるメガネを直しただけで、
「何だよ藤巻、また女子をそんなニヤニヤした顔で見て!」
「キモイんだよ!」
などと、隠そうという気が微塵もない、ただの罵詈雑言を飛ばしてくる。
僕はただ普通に、斜め前の亜里沙ちゃんの髪型が昨日より可愛いなと、眺めてただけなんだ。
彼女はいつも、長い髪を普通に後ろで束ねてるだけなんだけど、今日はポニーテールにしてる。そのせいで普段は見えない白いうなじが目に眩しかった。ただそれだけなのに。
彼女の束ねている赤いヘアゴムは学校の近くの雑貨屋で購入したものだ。ここ最近、女性向けの小物コーナーによく行くが、棚に並んでるヘアゴムの数が一昨日、二個減ったのを確認している。そのうちの一つは彼女が購入したのは確定。
そしてもう一つは僕が買った。それは家の机の引き出しの中にある。こうして彼女の姿を目に焼き付けてから、家に戻ってそのヘアゴムを見てると、まるで彼女が自分がつけていたヘアゴムを僕にくれたような気になって‥‥。
幸せだ。
「‥‥ふふ」
思わず笑みがこぼれるが、
「だから変な目で眺めてんじゃねえ!」
クラスの男子‥‥確か運動部だったか、そういう奴が、僕の胸倉をつかむ。
「僕は何もしてない」
「お前のせいで、女子はみな気持ち悪がってんだよ!」
手を離されて僕は椅子の上にドサっと落ちる。
「ったく‥‥いい加減にしろよな」
舌打ちして戻っていく。
周りの人は今の出来事を見ていたはずだ。それなのに誰も何も言わない。つまりこのクラスではいじめられるターゲットの僕一人が、袋叩き状態。
いい加減にしてほしいのはこっちだ。
ため息をついて今までの人生を振り返ってみる。
最初は小学生の時だったかな。
クラスで係を決める時、どうしても面倒なものは押し付け合いになるのは想像するに難しくないだろう。それでも持ち回りで、誰かはならなければならない。そんな時になぜか僕が皆に指名された。
「先生、図書委員には藤巻海斗君がいいと思います!」
そう言って手を上げたのは、学年で一、二を争う可愛いさだと、僕がランキングした岡野美鈴ちゃん。彼女に名前を呼ばれるのはそれだけでゾクゾクするが、図書委員というのは、放課後あたりに、重い本の整理をさせられたり、本の貸し出しの記入欄に、借りる人の名前を書いたりと、面倒臭いものでもある。
美鈴ちゃんが、そう言うと、クラスはそれでいい‥‥みたいな雰囲気に包まれる。
僕的にはただ、仕方ないな‥‥としか思ってなかったんだけど、突然、別の女子が泣き出した。
彼女は若菜ちゃん。彼女が泣き出した訳は僕には分かる。彼女は先に図書委員に決まってた。僕と一緒にいる事になるのが嫌だったんだろう。
クラスの皆が僕を見つめる。それはさも、彼女を泣かした犯人はお前だ‥‥みたいな感じだが、もとはと言えば、僕を無理矢理図書委員に推薦したのはお前らだろう。その美鈴ちゃんも僕を睨んでるのは理不尽すぎないか?
「仕方がありません」
先生が口をはさんできた。僕には特に厳しい女の先生だったという記憶しかない。普通は女性の先生は優しいと思うんだが。
「図書委員は、藤巻君一人でやってください」
途端にクラス中から良かったね‥‥などという、柔らかな空気が広がる。
一言も何も言っていない僕は完全に悪者扱い。どういう事?
まあ、別にいいけど。
そうして中学、高校と時代は変わっていったけど、結局、僕の扱いは変わらなかった。
イジメというのは特に意味もなく被害者は決定してしまうものらしい。それは働かないアリ理論と一緒で、クラスに必ずイジメられ役が必要になるという事を理解するのに時間はかからなかった。
それから、もう一つ‥‥いじめられてる奴を助ける奴はいないという事だ。
そうして春が過ぎて、夏がやってきた。
僕は一年の中でこの季節が一番好きだ。
もちろん、猛暑日なんてのは身体的には不快だが、それ以上に気持ちが昂る季節でもある。
暑いという事は薄着にならざるをえない。30度超えの時に、厚手のゴワゴワした服を着る奴はいない。それは男女問わずだ。
学校には一応、エアコンが付いているが、よほど暑くならないと付けないようだし、付けても気持ち、涼しい風がくる程度で、そこまでの効果はない。
だがそれがいい。
人間なら汗をかかないはずがない。教室中に蒸れた臭いが充満しているはず。もちろん男のも混じってはいるが、半分は女性徒のもの。つまり吸った息の2回に1回はソレが100%のはず。
薄着になってるせいで、前の女子の透けたブラウスが眩しい。髪の短い女子は首の辺りの汗がまた素晴らしいんだ。
「‥‥ふふふふ‥‥」
周りに聞こえないように僕は静かに笑う。
女子の汗も男の汗も同じだと訳知り顔で言う奴がいるが、それは僕から言わせてもらえば、何も分かっちゃいない。何よりロマンというものを理解していない。
そんな奴の言い分からすれば、人間はいつか死ぬから生きるのが無駄と言っているようなもの。生きる為に生きてる、飛行機は飛ぶ為に飛んでいる‥‥そんな訳はない。
生きる途中で自分の信じる道を掴み、人生の中で可能な限りそこに近づく事が大事なんだ。
飛行機は目的地へ向かう為に飛んでいる‥‥そういう事だ。
前置きが長くなったが、今、僕は保健室で一人、ベッドに横になっている。途中で体調が悪くなったという事で。
もちろん仮病だ。この程度の暑さで、目的を断念するほど、僕の目標は低いものじゃないんだから。
「‥‥‥‥」
目を開けて顔を動かさずに目だけで辺りを見渡す。
僕の視界は普通の人の1.05倍広い。天井のシミが見えたあと、保険医が近くにいない事を確認して、音もなくス‥‥と、無表情のまま体を起こす。
「‥‥‥‥」
誰もいないようなので、ベッドから降りて扉を開ける。長い廊下の何処にも気配はない。今は他のクラスは授業中。何かのアクシデントがなければ誰にも会わずに教室に戻る事が出来る。
校舎の真ん中の階段を音を立てずに駆け上がる。なるべく体を上下に揺らさないのがコツだが、この瞬間を誰かに見られると、階段を滑るように無音で動いているように見える。
僕は別にそうは思わないが、それをキモイなどと表現する輩もいて、非常に困惑している次第だ。
教室のドアの取っ手に手をかける。そこで躊躇なく引いて瞬間移動するかの如く素早く中に入る。
目撃者があってはならない。
ここまでは成功だ。だが時間はあまりない。
「‥‥‥‥」
眼鏡の淵を掴んで直してから、ポケットから白い手袋を出してはめる。
これは別にこれで指紋がつくとか、そんな事の為ではない。
事を完璧に成す為に必要なのだ。
目的のロッカーに移動して、辺りをもう一度探る。
そして手をかけてロッカーの扉についてるダイヤル式の鍵を回す。
「‥‥‥‥よし」
カチと小さな音を立ててロックが外れる。もちろん番号を最初から知っていたわけじゃない。何度も何度も総当たりで繰り返した結果だ。それまで何度、時間を費やしたか分からないが、全く苦にはならなかった。
「‥‥そこに至宝があるんだから」
扉を開けた瞬間、中に充満していた空気が顔に当り、僕は柔らかな女子の世界に包まれる。
このロッカーの主は西野二奈ちゃん。小柄だけど行動的で笑顔が可愛い。
学校に更衣室はあるものの、ロッカーは教室内ものを鍵をかけて使う方式になっており、体育の授業で着替えた制服はここにある。
奥にある制服を取り出す。ここで僕自身の匂いが混じらないようにする為の手袋だ。僕は完璧な彼女の匂いを求めている。
きちんと畳んではいるが、シワになっている所もある。僕はそのブラウスに顔を埋めた。
「‥‥ほう‥‥」
男とは全く違う匂いがそこにあった。
柔軟剤とシャンプーと汗と、彼女そのものの何かの匂いが混じりあい、それぞれ独自の匂いを創りあげている。それはこのクラスにいる女子の誰一人として同じものはなく、日によって違ったりもする。その時の体調や気分、そして感情‥‥それが理由だ。
今日の二奈ちゃんは、絶好調のようで、僕は良かったね‥‥と、頷く。
制服の胸元に付ける赤いリボンを、顔にこすりつける。こうすると彼女の温もりが伝わってくるようだ。
「‥‥はあ‥‥」
至福の時間は短い。名残り惜しいが、きちんと畳んで元に戻す。畳み方もそれぞれ違っているが、俺は全員の分を暗記している。彼女達が再びロッカーを開けたときには、何の違和感も感じないだろう。
時間を逆再生したように全てを元に戻した後、疾風の様に保健室に戻る。
それからベッドに横になった後は、しばらくは余韻が残っていて、感触までが蘇ってくる。
人の感情で一番記憶と結びつきやすいものは匂いだとか。だから彼女達の匂いを記憶している僕は、そのシワや汚れの細部に至るまで全てを記憶している。
それは誰よりも幸せな事なんじゃないだろうか。
だから一生に一度しかない学生時代にイジメにあったとしても、特に何も思わない。僕は彼らの何倍も幸福な時間を生きてるわけだし、むしろ彼らを哀れにさえ思う。
暴力的なものは僕には向けられる事はあまりないが、それでもごくたまにある。
「また加奈ちゃんを変な目で見てただろう!」
廊下で学校中に響くような声で怒鳴ってくる。先輩のこいつはつまり加奈ちゃんが好きなようだ。それで、僕が何かしたと誤解が生まれる。
「そ、そんな事はしていない」
変な目では見てはいない。僕はいつでも真面目だ。
彼女が両手を上げて髪を整えてるその一瞬、彼女の袖口から覗く、白く輝くものを見逃さなかった。
「だからキモイんだって!」
「ぐふっ!」
突き飛ばされたその刹那。僕はこのシーンが何かに似ている様な気がした。
そう‥‥これは以前見たドラマで、女子高生が車に跳ねられた時、スローモーションがかかってこんな感じだった。
なるほど、彼女はあの時、こんな感じだったのか‥‥と、いう事は今、僕はあのコと一体化してるという事なんだ。
「あはああ‥‥」
吐息が漏れてしまう。
「な‥‥何だこいつ‥‥」
今度は殴ろう近づいてきたけど、
「もう行こうよ」
誰か、女子がそう言った。
クラスの女子ではない。同学年じゃないな。先輩か?
見れば、遠巻きに見ていた中に、その声の主がいた。白いブラウスに真っ黒で艶のある長い髪が目立っている。
あれは誰だ?‥‥あれほどの美人‥‥今まで見逃していたとは、不覚だ。
「う、うん」
その彼女に促されるように、見ていた女子達が数名、そこからぞろぞろといなくなる。
「今度同じ事をしたら許さないからな!」
そんな状態で何となく毒気を抜かれたのか、僕を突き飛ばしたそいつは、捨て台詞を残して行ってしまった。
「‥‥‥‥」
僕は眼鏡をさわって体についた埃を払う。そして感動に打ち震えた。
いじめてきた奴がいなくなったからではない。
その先輩の真意を知ったからだ。
彼女は僕を助けてくれたのだ。
騒動の腰を折り、取り巻きの注意を惹きつけ、あの男の戦意を挫く。
「素晴らしい、完璧なタイミングだ」
彼女はイジメる者でも、イジメられる者でも、傍観者でもない。1%の存在だ。
学校の規模から言えば、もう一人ぐらいいそうなものだが、どうやらこの高校では、彼女だけらしい。
いじめられていて良い事があるとすれば、大勢の人の中から唯一無二の存在を見分ける事が出来る事だ。
赤い糸の先には彼女がいる。だから必ず結ばれる運命にある。
そうと分かればすぐに行動しよう。
認めたくはないが、時間だけは、他の有象無象の男子生徒と同じく過ぎていくのだから。まずは彼女の人となりを調べる事が先決。全てはそこから始まる。
そんな事で、あの衝撃的な事件から三日ぐらい経った頃、僕は彼女に関して分かった事をまとめてみる、
名前は月宮佐那‥‥つきみやさな。まるで月の世界から流れてくる癒しの光の様な響きのある名前だ。彼女の名前を口にする、それだけで僕の顔は紅潮してくる。
一つ上の二年生。一人っ子。家は学校から結構離れていてバス通学。
身長158cm、体重 52kg、血液型はB型。保健室で入手した基本パラメーターとして実際に分かったのはそこまでだが、ここまで分かれば僕はその他の数値をほぼ完ぺきに割り出す事が出来る。結果、81、61,84という所だろう。ちなみに、僕の眼光は、例え女子がどんな厚手の服を着ていても、裸になったときの姿を的確に想像可能なのだ。
他には交友関係、親の仕事、お小遣いの金額や、バイトの有無。好きな服のブランドや食べ物の好み、体調の周期、ETC‥‥。
彼氏はいないようだ。いた所で関係はない。最終的な帰結が問題なだけだからな。
あとは趣味‥‥と、言うか、彼女が中学から続けているものがある。
吹奏楽部でトランペットを吹いている。ソプラノのパートリーダーをつとめてる所から、上手な部類なのだろう。
「‥‥‥‥」
以上の事から、これから僕がどうすべきか考える。
【次回】 彼女の楽器、僕の指先