エピソード1
『ガラクタ町』の衛生問題を考慮され、町の片付いたスペースに並ぶ仮設トイレとプレハブのシャワールーム。これらの建物はどれもそれなりに劣化がひどく、掃除なんかも行き届いていない。そのくせ、毎日誰かが使う物だからカビやアンモニアなんかの匂いもちょっとする。挙句、有料だ。
だからユウサクはあまりここには来ることはなかった。なにせ、綺麗になった気がしないのだ。
が、今日は違う。ユウサクは普段のハイライトが消えた瞳に、虚ろな顔に据わった目をしてここに現れた。顔も体も泥なんかで汚れているし、お気に入りの一張羅だって穴が空いてボロボロの有様になってしまっている。傷だって、まともに治療できる環境もないから、このまま放置し化膿すると死ぬ可能性だってあるのだ。
ユウサクは脱いだ服をカゴに入れる。いつもは小さく思う荷物置きのカゴであるが、服以外に入れる物がない今のユウサクにはちょうどいいサイズをしている。連中にリュックだけでなく、服以外の持ち物は全て取り上げられてしまったからだ。思い出して、ユウサクは何も言わず俯いたまま、カゴをトンと軽く蹴る。ボコられている最中は変に達観して何も思わなかったが、今更気づいて悔しくなったのだ。
内ポケットに入れてたおかげで残った僅かな金、脱いだ服からそれを取り出し、シャワーのコイン投入口にいれて蛇口を捻る。100円で10分弱しかお湯が出てこないので、急いでかいた汗と、転がった時についた汚れをざっと流す。流石に、生傷がある部分なんかは染みないように慎重にするが。
「うぐっ」
早くしなければそろそろシャワーが止まってしまうので、急いで体を洗っていたが、腕にひどく痛むところがあって手を止める。傷自体は細くて見えないぐらいだが、鋭いもので深くまで切れてるのか。沁みる。
黙ってしばらくその箇所を抑えていたら、痛みの方は引いてきた。が、代わりに怒りが湧いてくる。
「くそ。全然話が、通じないのさ……」と自分をリンチしていた連中に対して小さな愚痴をこぼす。本当はまだ続けて「バカばっか!」とか「チクショウめ!」なんて、もっともっと付け加えて罵ってやりたいワードがいくつもあったが、プレハブの建物はよく音が外に漏れるのだ。
(もし聞かれたら、今日は機嫌が悪いしほんとに殺されそうだな)ユウサクは思い留まり、言葉を飲み込んだ。
「あー、もう! どうすりゃいいのさ」
震えた声でぼそっとつぶやいた。実際、これまで何度もこんな目に遭わない方法を考えたことはある。しかし話をつけようにも、向こうは一切話を聞かない連中だ。といって、相手に合わせてやるのも癪だし、そこまでしても連中の態度は変わらないだろうから。
今回も解決できそうなアイディアが思い浮かばず(結局か……)そんなふうに思って、ユウサクはモヤモヤする。やるせない気持ちだった。
目頭が熱くなってくる。歯を噛んで俯く。
痛みや悔しさ、程度のことで、そんな情けないのが外に漏れたら最悪だ。もしもバレたら? それこそ明日から、今までよりひどい笑われ方をされてしまう。分かりきったことだ。
下を向き、喉にグッと力を入れて声だけは必死で我慢しようとする。
だが、声を堪えようとすればするだけボロボロと涙が出てくる。どうにか泣き止もうとしても、その度に胸の方がギュッ痛くなってどうしようもない。何なら、そのせいでずっと耐えていた言葉まで、もう喉の奥の方まで上がってきてしまっていた。
自分を奮い立たせるために(この程度のことでへこたれてたらやってけないじゃん。今更さ!)なんて思って励ましてみるけれど、あんまり具合は良くならなかった。
ーーユウサクが俯き、気持ちの整理をし始めてから数分もしないうちにシャワーの湯が止まった。
(こんな時でも、のんびりできないのか)、とまだ悲しくなる。
声も出ずらいし、考えなんか何一つまとまってない。けど(ゆっくりしてたらまた怒られるな)と思って服を着る。
ユウサクは泣いていたのがバレたくないから、頭だけ、あんまり乾かさず湿らせたまま狭いシャワールームのドアを乱暴に開けて出た。
◇
日が沈み、辺りが暗くなった頃。
ユウサクはせっかくキレイになったというのに、またすぐ全身汚れながら足元のグラつく瓦礫の積もった山をよじ登っていた。
「お」
道中、珍しいガラクタを見つけて止まる。装飾のある棒、これはあまり近代的な物でもないし、きっと遺跡なんかで展示されていた物だろう。(あれは高く売れるかもな。いや、売れなくてもいいや欲しいのさ!)ユウサクは手を伸ばしてみる。
今のうちに落としておいて後で降りたとき拾えないかと考えたのだ。
「うーん」
腕を全部伸ばしても届かなそうだったので(こーいうところで欲を出すと死ぬんだな)と思い直して、つまらなそうに頷く。今日は儲けた金だけじゃなく元々持っていた物まで取られているのに、ここで欲を出せないのは弱気になっている部分もあるが、それより元々この山の瓦礫の下にある地面がぬかるんでいたり、積もった瓦礫がどれも小さな物ばかりでバランスの悪いところなんかよく崩れたりすることをユウサクも知っているからだ。
(これで何も良いことがないのは辛いな)目尻を下げて(何かしらいいことが起こってくれないかな)なんて思いながら、また山登りを再開した。
◇
それから大体10分程度。
ようやく頂上まで来たユウサクは、さっと真ん中の盛り上がりへ駆けて行く。ここがユウサクの秘密基地、というか家である瓦礫のカマクラ。
最初は価値のありそうなものを探すのに掘っていた場所のひとつなのだが、ここだけ中々いい感じのクレーターになってきたので、忙しい生活の合間を縫った時間2年をかけ、ユウサクは拾ったガラクタで屋根なんかを作り快適な住処にした。
「はぁはぁ」
ユウサクはカマクラの前まで全力で走って来て息を切らす。
こんなもの、普通の人が見れば全部違う素材のものを繋げただけで、そのチグハグさや、出っ張っている部分や逆に凹んでいる表面のでこぼこが目立つ。上の飾れそうな物をつけることのできる限り付けて盛った感じも、何だかアンバランスで、どうもカッコ悪く見えてしまうだろう。しかしこれを造ったユウサク本人にとっては違う。このチグハグなパーツひとつひとつに全部拾ってきた時の思い出もあるし、このゴツゴツした感じだって威厳があってカッコいい。カマクラのてっぺんに突き刺してあるデカいアンテナだって全く機能していないけど、そこはユウサクなりの設定やロマンがあるのだ。
息が整うまで自慢のカマクラに、うっとりと見入っていた。なんだが、さっきまで随分沈んでいたのにホッとする。
落ち着いてくると、ふとカマクラが全体的に汚れてるのが気になったからツルツルした金属部分の埃をキュッキュッと袖で磨き出す。いつもはこんな丁寧なことしないが、今日はなんだかそれが気になったのだ。
どこもいくら擦っても袖がさらに黒くなるだけで完璧に綺麗にはならない。ただ磨けば磨くほど表面の色が褪せて、元の色も見えてくるようになったりするのは良い発見だ。
「中々いい感じじゃん」
額の汗を拭い満足げに言って座り込む。まだそんなにたくさん場所は綺麗にできていないが、磨いた箇所を眺めて(これはこれでいいな)と微笑んだ。
まあ、今日はもう流石に疲れたのでこの作業も終わりにするようではあるが。
(どこまでやるかな〜)とカマクラの横で考える。一部だけ磨いてみると全体で違いがあって、それがなんだか男心をくすぐる。でも全部磨いてしまうと面白くない。敢えてこういうのが残っているところによさがあるように思う。
――本来『ガラクタ町』には復興支援の一環として立派な宿が数軒建てられており、それらにはほぼタダで泊まることができる。これはガラクタを全部撤去してから、そこに新しく都市開発したい国が、まさしくこのカマクラみたいな違法建築をさせないための対策だろうが……。
しかし、そんな思惑をユウサクは知らないし、言い分だってある。まず泊まるとなると『ガラクタ町』の人間が多すぎるからタコ部屋になって暑苦しい。そして何よりユウサクにとって耐え難いのは、そのせいで昼間の連中みたいなのが夜まで一緒の部屋にいて、ゴロゴロしていることだ。そのためユウサクはこの制度を利用していない。
「スゥー」
体を伸ばして深呼吸する。
(夜な夜な下にいる連中と揉めるのも嫌だし、なんだかこっちのが下より空気もいい感じがするさ)振り返って、しみじみそう思う。
しばらく自分のカマクラを鑑賞していたのだが、ふと背景にあった『ガラクタ町』へ目が移る。
(そーいえばやけに明るいな)普段、夜になると折れたり埋もれたりしてる街灯の中でまだ動く物や、細い月光ぐらいしか光るものがない。しかし今日はこの時間でもまだ皆んな瓦礫なんかを拾っているのだろうか? 照明の光があちこち動くのがよく見える。
ビルみたいな高い建物も、一目でわかるシンボルもない『ガラクタ町』の景色なんて好んでみたいやつはいないだろうけれど、こうやって高いところから見下ろしてみると地上じゃわからないようなデカいガラクタや、災害前の街跡だったりが分かって案外見どころがあるものだ。
(あれは明日拾いに行こ)下でキラリと光を強く反射する金属らしいものを見つけて、ユウサクは密かにそう決心した。
「うし寝るか!」
十分気も紛らったので、ユウサクが立ちあがろうとしたら「ぐー」と腹が鳴った。まるで車のクラクションぐらいの大きな音に、自分の腹から出たのか疑いたくなる。一応確認のために、腹を押さえてみると「ぐー」またすごいデカい腹の虫が鳴いた。
「……はー、仕方ない」
ユウサクは溜息を吐く。(非常食を食う時が来たか)本当はもっと重症とかで腹が減った時のために残していたから、今出す気はなかったのだが。腹の虫がうるさく鳴いてから、どーしても気になって我慢できないし、これで寝れなければ仕方ないので結局食べることにした。
ドア代わりに入り口に立てかけられている木の板をズラしてカマクラに入る。中は窮屈だが、大体これはユウサクが新しく自分用に、形とか色が綺麗だと思う物を集めてきては散らかしているからである。
「ようやく見つけたのさ」
散らかった地面を漁って、その中からいつぞやに買った人工食品の缶を取り出す。しばらく前のだ。いつ買ったかもあんまり詳しく覚えてないが、ずっと新しく蓄えられるようないい暮らしはできてなかったから。にしても、今更新しいのと小まめに取り替えていれば良かったとやや後悔して苦い顔をする。
カマクラから缶を持って(今日持って行ったのも全部巻き上げられたからな、明日からまた大変だ)と疲れた感じで頭を掻いて出てくる。まだ持ってきた缶を開けるのを渋っていたが(まあでも、昨日も食ってないしな。背に腹は変えれないか)と覚悟して食べることにした。
ちなみに、食べられなくなると嫌なので見てはいないけど期限が相当怪しいので加熱はしっかりすることにした。
早速、ユウサクは周囲に火が移らないよう足元を蹴って場所を広げてから、そこらへんに落ちていたゴミに火をつける。機械類がまとまって転がっているような場所の周りは大体、汚染されていて様々な薬品や化学物質がどこも染み込んでいるので簡単に燃えるのだ。
ぱちぱちと音がするぐらい火点くが大きくなってきて、黒い煙が出始めると「ゲホッ、ゲホッ」咽て、手で煙を散らしながら「すぐ点くのは楽でいいけど、なんかヤな臭いするんだよな」と眉を顰め涙目で環境に文句を飛ばす。それから安定してきた火の加減を見て「そろそろ放っておいても大丈夫そうかな?」と言って立ち上がる。
煙たいのもいい加減嫌になって来ていたので、ちょっと離れたいのだ。後ろに下がって、楽しみの缶を手に抱えそこらの丈夫そうなガラクタの上に腰掛ける。
もう少し火が大きくなったら、適当な棒を拾って缶を吊るし温めればいいだけだ。
こう座って燃える音を聞いていると心地よい。今日はもう疲れていたのもあって、うつらうつらとしてくる。時々、半眼だけ開いた眠そうな目で火の様子を見て(まだいいか)とユウサクは耳だけ火に傾ける。こうしていると気持ちよくなってくるが、眠ってしまうと困るので、眠らないように体を揺らしながらのんびりしておく。
ーー火が大きくなるのをそんな風にして待っていると突然、ぞわり、背中を何か重くて冷たい不快な風が撫でた。悪寒に振り返ると、ちょっと離れた場所に真っ黒でユウサクより小さい人影が佇んでいた。
(なんだ?)
こんなところにガキがいる、というのはユウサクだって小さい頃ここを見つけたわけだしそう驚くことじゃない。その人影を不気味に思ったのは、こんな暗く高い場所じゃ今ユウサクが燃やしてる火以外に明かりなんてないのに白い目と歯が全部ギラギラと光って、こっちからでもしっかり見えることだ。
たじろぐ。
健康的で文化的な最低限度の生活はできていないが、こんなでも発達した時代の人間らしく(別に、幽霊やオバケなんてもの、この22世紀にもなって信じるてるわけじゃないぞ!)とユウサクは虚勢を張る。自分が緊張して体中から血の気が引いていくのがわかった。冷たい汗がユウサクの、耳の後ろと背中に流れる。
(コレは、ダメだ)そう思って急いで逃げ場を探す。まだ遠いが、もう声を大きくすれば話ができるぐらいの距離にはいる。しかしユウサクはこの人影に声をかけたりとか、そういうことは思いつきもしなかった。明らかに人外なのだ。話が通じたりとか、そう言うことは思わなかった。
だから逃げようとしたのだが、鋭い瓦礫やスクラップが積もったところもある高い山だ。そもそもここに登るのだって何十分もかかるような場所だ。絶対早くは逃げられないし、落ちたら死ぬ。
じゃあ逃げるのはないだろうから、やるしかない。(でもこの高さならどんなのでも落とせば勝ちだ)無理やりそう納得して人影に向き直る。腕ぷしに自信があるわけじゃないが、足を肩幅に開いていつでも応戦できるように構えた。
ゆらり。黒い人影が近づいてきて目があった。
「オニイチャン」
気づいてもらって嬉しそうに、不気味な人影は手を振ってくる。ユウサクはそれにビビり、なんとも弱弱しい拳を振って見せ威嚇する。
もちろん目の前のバケモノがその程度気にするわけもなく、ゆっくり距離を詰めてくる。
それでもまだ距離は遠い。ユウサクから見て3mはあった――
「バア!」
瞬きして目を開くとソレはもうユウサクの顔の前に居た。目前に出現した大きな顔。ユウサクは驚いて腰を抜かして、火の横に尻餅をついてしまった。
もはやビビりすぎて声すら出せないユウサク。しかし、これはある意味幸いだったのかもしれない。
バケモノはそれから何をするでもなく、腰を抜かしたユウサクを見下ろしながら火とユウサクの周りをぐるぐる歩いて見張っていた。気が抜けてくると「じっ」たまに目の前まで来てはガンガンに開いた目と、裂けた口に並ぶギザギザの歯でユウサクの顔を少し覗き込み脅かすのを繰り返していた。
が「チッ」ついに飽きたのか舌打ちをして、ようやく振り返ってどこかへ行くようにユウサク以外の方向を向いて歩き始めた。
ユウサクはその間もまだ怖くて何もできなかったが(やっとどっか行ってくれたか)と思って胸を撫でる。
そろそろ姿が見えないぐらいになるとグルン、振り返ってケタケタと笑った。
「ーーーーッ!」
悲鳴が出そうになるが、ユウサクは手で喉を掴んでそれが出るのを必死で押さえる。それを見てバケモノはまたケタケタ笑い、また別の方向に向かって歩き出してはグルンと振り返り反応を見るのを繰り返した。
もう怖くなって必死に目を閉じ縮こまりながら声を全部完全に抑えていたユウサクに「チッ」バケモノは忌々しげな顔で舌打ちした。
ユウサクの顔をガン開きの光る目で下から覗き込んでくる。さっきまでのニヤけた面とは違う、本当にこっちを見て。
しつこかったバケモノは、それでも反応しなかったユウサクを見て、最後に子供みたいな可愛らしい仕草でしょんぼり肩を落とすと、やっと本当に興味がなくなったのか山の下、明るい夜の『ガラクタ町』に落ちて消えてしまった。
(よかった)心からそう思った。一応、バケモノが完全にいなくなったのかを確認しながら、バレないように手で口を塞いだまま「はぁぁ~!」やっと呼吸を再開した。
正直ユウサクはあのバケモノについて、バケモノが一体何者だったのかより(なんだって、今日こんな目にばっか遭うんだよ~!)悪いことが連続してしまったことの方が嫌だった。
倒れて大の字になる。ようやく解放されたがすごい量の汗だ。疲労も限界で、瞼も重くなってくる。この際、食事は明日でいいとして……けれど頭のちょっと先ではまだ火が燃えてるし、そっちは絶対消さなければならない。
(火事になっちゃうのさ)よく分かっているのに、ひどく疲れてそれも難しい。鉛みたいになった瞼が勝手に閉じてしまう。もう限界みたいだ。
ユウサクは最悪だった今日を振り返って、心から(もー、これで明日から悪いことはないだろ)と開き直り(きっと厄も全部落とし切ったさ)そう思ってから眠ってしまった。