エピソード17
周辺に立ち並んだ摩天楼や、電気の明かりは、もうない。
草木の生い茂る獣道を抜けて、今見えるのは悠作でも往復したくないような石の急階段と、その上にある広い白壁だけだ。
明かりがなくて足元もはっきり見えない暗路。悠作にとっては普段と変わらないはずだが、やはり歩き慣れた『ガラクタ町』の道とは違う。悠作は階段以外にも、平らな土の道でえ何度か足を踏み外して転びそうになる。
(あー、もう!)
「ついでだしさぁ! ここもさ、軽く飛び越えれないのか?」
と先にいた徳楽へ文句を言って、上まで手を引いてもらった。
外観は武家屋敷、というのが近いだろうか。悠作は見たことのない建築についてうるさく聞くが、そこら辺は全部無視された。
「……んでも、すっげえ広いのに、地味だな」
なんというか、篤実から少しだけ説明を聞いて思っていた『国士』のイメージとはかけ離れているこじんまりとした本拠の様子に拍子抜けだった。
答えてくれないから、あとはもう気になることなんて、壁の内側にある蔵ぐらいか。しかしそれだけでも何があるのだろう、中を覗きたいな、なんて好奇心が湧いてくる。(あれは面白そうなのさ。後でいくつか見ていくか)
そのためには徳楽の目を盗んでやらないと……そう思ったら、魔物から逃げるより分が悪い気がしてきて、眉をハの字に寄せると、むすりと潰れた膨れっ面を晒す。
◇
「羊市」
徳楽が呼ぶと、奥からドタバタ騒がしい足音が聞こえてくる。
「良い子なんだ、きっと、仲良くなれると思う」
誰かを呼んで、その人物が出てくるのを待っている間、徳楽は次に悠作を見下ろすと、ほんの少し上がった口角以外どこも微動だにしない顔で言う。
どう反応するのが正解なのだろうか。いきなりそんなこと言って。
本題は『国士』とはなんだ。ということだけであり、それがここまで連れてこられて、しかもなんだ。知らないやつを紹介されても、困る。
(俺にそいつの引き立てでもさせるつもりか?)悠作はそんな勘ぐりをして何か言ってやろうか、とも考える。でも。最初会った時と違って、こっちを見ている徳楽と、ちゃんと目が合っている気がしたから。信用とは完全に別で、何故だか反発する気は起きなかった。(……ま、いいさ)
「でも仲良くしてやるかは、そいつ次第さ」
悠作の返事に、徳楽は小さく頷いた。
「おかえりなさいませ!」
悠作と同い年ぐらいのアルビノの少年が顔を出す。太眉にボブカット、その下にやる気のなさそうなジト目と、女顔。しかし、服は鼠色の男物長着で、その袖を黒いタスキで縛っている。
羊市を見ても、悠作はその特殊な見た目について一切触れることなく、純粋に顔つきだけで(生意気そうなやつだな)と第一印象を決め付けた。
「あれ」
羊市は玄関まで出てきて悠作の姿を見つけると、徳楽を迎えるためにできた笑顔がそのまま固まった。やや唖然とするが、玄関にいる2人の顔を見比べるとぽんっと手を打ち
「どうぞお上がりください。あ、君はここで待っていたまへ。徳楽様、食堂で待っていてくれれば! なにせ、今日のメニューはさっき捕まえて参りました猪のローストポーク、肉であります故。お楽しみに! 僕は其方の服とってきますので」
「え、俺も食べていいのか?」
「ふふん、もちろんだとも〜! どこに出しても三つ星貰えるような出来さ」
悠作は聞いたこともない料理だ。というか人工食品、味だけ染み込んだスポンジみたいな味の缶詰しか知らない。(……ま、食えるんなら多分いつもよりマシなのが出るだろ)
羊市はもう、奥へ戻って行こうとしているところだったが、徳楽に呼び止められ、渡り廊下の前にある部屋の前に連れて行かれる。
「2人で正説を起こして」
「おい、ちょっと! さっきからなんなのさ!」
「え。えー」
◇
徳楽は、そのまま悠作と羊市を置き去りにして行ってしまった。
悠作は横の羊市を睨んで「お前どーにかしろよ」と訴えるが、羊市は眠そうな瞼を更に下げ、ため息をついてから悠作に名乗る。
「きっと、正説様を起こすのは長期戦になるのだよ。なーので、自己紹介から! 僕は羊市。姓はないけど、戸籍はあるのだぜぃ。其方は?」
「俺は悠作さ。んで、さっき篤実のおっさんに身分証作って貰ったはずだから、俺も無戸籍じゃなくなったはずさ」
羊市の表情に影がさしたのを悠作は見逃した。
「ふうん? じゃあ京介が連れてきた、ってところかな?」
「そうさ。よく分かったな、知り合いなのか?」
「一応、ね」
「へー。京介たちも意外と顔が広いんだな」
羊市は、悠作の世話話を無視して襖に手をかけると、
「ほら、退きたまへー。正面にいると危ないよ」
と、部屋の前にずっと突っ立っている悠作へ注意する。
不服だ。(しかも開けるだけで何があるんだよ)が、何かしらに巻き込まれても嫌だし、一応、素直に部屋の隅へ避難しておく。
ーードサ。鈍い音が一瞬だけした。ぎっしり乱雑に詰め込まれていた辞書みたいに分厚い本が、出口を見つけ我先にと2人のいる部屋へ雪崩れ込んできたのだ。
「うっはー、またか」
悠作と羊市が立っているところ以外、畳が見えないぐらい本が足元に散乱する。悠作が元の位置にいたら、間違いなく飲み込まれていただろう。
尻餅までついてしまった悠作に対して、羊市には見慣れた光景のようで特に驚く様子はなかった。
「うわ。何さ、これ」
「これが、正説様のお部屋なのだよ……」
顔を引き攣らせる悠作に答えて、次に、
「僕、今、同じ気持ちなのだよ。多分」と羊市は付け加えた。
「もしかしてさ、これ」
「全部片付けないと起こせないでしょ、はあー!」