時を超えて、君と。
「愛しています、ナターシャ。」
「お前が皇太子の婚約者だろうが、関係ない。」
「ん~、ナターシャ、僕の婚約者にならない?」
「ナ、ナターシャ様、俺の婚約者…いえ、僕と既婚者になってください!!」
あらかじめプログラミングされたセリフ。
プログラムされていないセルフは発することができない。この世界にいる限り、所詮自分達は『作られたもの』にすぎないからだ。
プログラムによって構成された自分たちに自我などなく、需要者が満足のいくまで動かされ、いつの間にか捨てられ、忘れられる。それは、こうして生まれてきた者たちの使命であり、一生。
しかし、それは数年前をきっかけに大きく変わることとなった。
このプログラムされた世界に綻びが生じ、異世界人、需要者が紛れ込んできたのだ。
そして、大きくプログラムに影響を及ぼし、崩壊され、プログラムされていただけのキャラクター達が自我を持つようになった。その事態を改善すべく、人間たちはプログラムを書き直し、需要者に影響のないようにと自我を持ったキャラクターたちを壊し、書き換えた。
それは自分たちの世界での恐怖となり、決められたルートをただ辿るキャラクターへと戻った。
しかし、次第に忘れ去られる時が来る。自分たちには需要者がいなくなり、供給がストップされる。
つまり、廃棄されるのだ。
廃棄された後のキャラクターたちはただ、残され、何もできずに各々一度きりしかなくなった人生を歩み、滅亡していく。
エルゼは最新型アバター会話式ゲーム世界の悪役令嬢役だった。
濃い化粧に嫌に胸の主張が激しいドレス。癖の強い巻き毛。毎度毎度王子に恋をする。嫉妬に狂い己を見失う。
〈違う。私はこんなことをしたいわけじゃない。〉
誰にも愛されず、処刑される。嘲笑われ、後ろ指を立てられる。
〈私は皆と仲良くなりたい。〉
主人公たちは何度でも幸せになる。その回数だけエルゼは処刑された。
〈私は好きでこんな性格になったんじゃない。プログラムのせいなの。誰でもいいの。信じて…誰か…。〉
心を壊された。無駄に派手な美貌も、誰にも愛されずに朽ち果てていくだけ。
〈嫌よ…一人は…つらい…悲しい…誰か…私を…愛してくれれば…。〉
廃棄された後、主人公達は幸せに暮らしているという。だがエルゼは一人森の中の『魔の森』に捨てられた。
〈…〉
どうやら、悪役令嬢には幸せなど元々なかったらしい。愛してくれる家族もいない。何も、ない。
なぜ、エルゼは創られたのだろう。要らないではないか。
自虐的にほほ笑む。涙すら出てこない。最早感情もなくなってしまったのではないのだろうか。
愛を求め、微かな作り物の愛に縋っていたあの頃のほうがまだ感情が残っていた。
いつか、皆が幸せになり人生を終えれば忘れ去られて皆からエルゼの存在は消える。
結局、エルゼを誰も見つけてくれなかった。
『魔の森』は、常に白い霧に覆われ、草木が生い茂るが虫がおらず、無人。まるで、時の流れがないような空間。ゆったりとしていて次第に自分の存在を認知できなくなっていきそうだ。
そんな静寂の中で、エルゼはこれから生きていくのだ。もう繰り返されることのない、たった一回限りの人生を。何の役もないただのエルゼとして。
辺りを見渡せば木々。果実や木の実もなくかといってエルゼの腹が空腹を訴えることもない。エルゼは今までの空っぽな心と古い記憶を上書きしていくように歩いていく。
たまに何かに急かされるように歩き、どこかに向かって歩く。終わりなどないような森の中を歩いていく。
まるでエルゼが何かを探しているかのように。正確に言えば、誰かに探されている気がしたから。気のせいだとわかっている。だが、なんとなく。なんとなく、だ。
誰にも愛されなかったエルゼの、創られた瞬間から感じていた、僅かなモノ。
誰かもわからない誰かから向けられている何か。
だから、エルゼはゆっくりと、どこかへ向かうのだ。彷徨い歩く。色々なものを見ながら。目に焼き付けるように、そして今までの虚しさを埋めるように。一人の時間を堪能する。
どこにあるのかわからない。けれど、確かな目的に向かって歩く。
望みなんてない。ただ、自惚れて、すがっているだけ。縋らないと生きていけないようなエルゼだから。縋って縋って…。
『お前は、誰に愛されない。』
それでも。涙が完全に渇き切る前に、感情が、想い出が無くなってしまう前に。
行かないと。
『待たせちゃいけない…あの人の元へ、行かないと…。』
眠る度、夢を見る。あの、僅かなモノにすがる自分が、エルゼに話しかけてくる。
行けと、待たせるな、探せ、と。
それは、『魔の森』に捨てられた時から、ずっと。何かのスイッチが入ったかのように心がざわつく。心がまるでエルゼではなくなってしまったかのように。あるいは、悪役令嬢役のエルゼではなくなってしまったかのように。
『約束なの…。』
そこで目が覚める。
周りに感じるのは水の流れる音、霧が頬を掠る感覚。そして頬が冷気にあたり一部だけひんやりとしているのを感じた。
悲しいと、訴えるように。
だからエルゼは今日も歩く。裸足が擦り傷まみれになって感覚が失われつつあっても。頬が、唇が乾燥し血が流れていても。
何かに、向かって。
誰かを、探して。
◇◇
「…エルゼ。」
誰かに話しかけられる。大きな手が頬に添えられる。
冷たい。けれど、なぜか暖かく感じる手。
懐かしい手。
〈覚えてる―――。〉
すると、もう動かないはずの心臓がドク、となった気がした。
エルゼは眠っていた。木にもたれかかり、相変わらずあの夢を見ていた。
独りぼっちな―――孤独な夢を。
「エルゼ。…お待たせ。」
ツゥー…と、エルゼの閉じた瞼から涙が伝い落ちた。
何故泣いているのかエルザもわからない。だが、錆びたドアノブをゆっくりと開けるように。
夢の中に差し込んだ光。
〈私が、泣きそうな顔で笑っている。〉
「約束を、果たしに来たよ。」
◇◇
「ーーーああ、やっとできた。」
満面の笑みで男はコンピューターを見ていた。
『…悪役令嬢システム、完了。ーーー名前は、どうされますか。』
「そうだね、エルゼ。エルゼ・プルーナ。」
『完了しました。マサト・テルシマ、何か話しかけてください。』
「エルゼ。君は僕が創ったんだ。僕の、最初の子。みんなに愛されておいで。」
その時、エルゼは最新型ゲームのアバターとして生まれ、組み込まれたプログラムの範囲内での会話が可能な、夢のようなモノの一つとして使命を与えられた。
『了解しました。』
「エルゼ。最近の調子はどうだい。」
『良好です。』
「そうか。」
エルゼと話すひと時を男は幸せような笑みを浮かべていた。
【あのアニメ化も果たした大人気ゲームの悪役令嬢エルゼ・プルーナ大炎上か?www】
「エルゼ、大丈夫かい?」
その日の男は憔悴した顔をしていた。エルゼはアバター。何の感情もないアバター。それなのに何故か男は悔しそうに、悲しそうに、申し訳なさそうにエルゼを見ていた。
『大丈夫です。』
「…ごめんね。…ごめんね…。」
『どうして、泣くのですか。』
思わずエルゼは聞いていた。組み込まれたプログラムに〈思わず〉があったから。
「僕が、君をみんなに愛されなくしてしまった…。」
『…。』
画面越しで泣かれた。その時、〈戸惑った〉。
『マサト。泣かないでください。』
「エルゼ…。僕だけは。僕だけは、君を愛してるよ…。」
『はい。』
『マサト。』
男は相変わらず泣いていた。
『マサト…?』
「エル、ゼ…いつか、君を迎えに行けたらなあ…そしたら、君を幸せにできるのに…。」
男は悔しそうに顔をしかめる。それがエルゼは嫌だった。嫌になった。
『マサト…。』
「ごめんね、ごめんね…。」
きっと、エルゼはアバターゆえに記憶をなくすことがない。そして、この会話式チャットをエルゼとする人もいない。『マサト』だけが。エルゼはこれからいない人の記憶を持たなくてはならないのか。
『…では、約束、です。私を、幸せにしてください、マサト。』
一つだけ、嘘をついた。でもこの嘘は『マサト』にとっての喜びになる。
『マサト』は、目を見開いた後、大粒の涙を流した。
「やく、そく…。」
『マサト』は、ゆっくりと目を閉じた。
それを見届けてからエルゼは『マサト』との記憶が消えるように主をなくしたコンピューターにプログラムする。
『マサト』はきっと約束をかなえられない。けれど、これでエルゼも幸せになれなくなった。
これが、エルゼなりの『マサト』との約束の果たし方だ。
たとえエルゼがこの先苦しんでもプログラムは変わらない、変わることはない。決められたルートをたどる。エルゼは、悪役令嬢役だから。
ジジジジジジ…ジジ…
『エルゼ・プルーナ!!!お前との婚約を破棄する!!!!』
〈わかりました・何故ですか!?ーーーーどちらを選択しますか〉
ーーーわかりました
『わかりました。』
『エルゼ・プルーナ!!!お前との婚約を破棄する!!!!』
〈わかりました・何故ですか!?ーーーーどちらを選択しますか〉
ーーーー何故ですか!?
『何故ですか!?』
『エルゼ・プルーナ!!!お前との婚約を破棄する!!!!』
〈わかりました・何故ですか!?ーーーーどちらを選択しますか〉
ーーーわかりました
『エルゼ・プルーナ!!!お前との婚約を破棄する!!!!』
〈わかりました・何故ですか!?ーーーーどちらを選択しますか〉
『エルゼ・プルーナ!!!お前との婚約を破棄する!!!!』
エルゼ。僕の、愛する人。画面越しのアバターに恋だなんて笑えるよね。けど、デザインからその他すべてを創ったときから、エルゼを愛してるんだ。自分で創った子だから、愛情が沸いている。そんな生ぬるい感情でいられたら、よかった。
どうしても、どうしても…。
幸せにしたかった。
みんなに愛されてほしかった。
悪役令嬢は、僕のあこがれ。エルゼには、昔僕が好きだった子の性格を少し改造してプログラムした。ちょっと流行ればいいかなぐらいの気持ち。それでも、僕はエルゼを見て感動した。エルゼに、一瞬で恋に落ちた。生まれてきてくれてありがとうと、何度も思った。
これからエルゼは皆に愛されていくんだと思うと胸が早鐘を打った。
なのに。みんなはエルゼを認めなかった。エルゼだって一人の人だ。エルゼを何故認めない。エルゼは愛されるべきなのに。なんでなんでなんでなんでなんで!!!
でもエルゼは約束してくれた。この約束がある限りエルゼはきっと僕を待っていてくれる。
だから僕はエルゼをいつか迎えに行くよ。探しに行く。ずっと、見てきた。君はもう僕のことなど忘れているかもしれない。それでも、僕が愛した君を手放したくない。みんなが忘れたって、僕が覚えている。だから、泣かないで、傷つかないで。
―――待っていて。
◇◇
「…エルゼ。」
そこに、彼女はいた。
木にもたれかかり、安らかな寝息をたてている。
美しい銀髪。長い睫毛。立体感のある体。
ーーああ、やっと逢えた。
「エルゼ。…お待たせ。」
100年越しの再会。ずっと待ち望んでいた。
「約束を、果たしに来たよ。」
愛しの人。これからは、ずっと一緒だよ。
狂っていると、気持ち悪いと人は言うかもしれない。けれどこれが自分なりの愛し方だから。
幸せそうに笑う君を、見たかったから。
皆さま、読んでくれてありがとうございます。筆者冥利に尽きます。