料理に込められたメッセージとは
「気を付けてね」
「行って来ます」
何気ない毎日、いつも通りの日常。毎朝、僕と妻が交わす会話と言葉は基本これだけだ。
夫婦二人が住むのはありきたりなアパート。僕たちはお互い働いているのでそれで充分だ。結婚してから妻が転職した以外は、仲良く平穏に暮らして来た。
夫婦仲が冷めたわけではない。ただ僕は役職について仕事が忙しくなり、妻もこれからパートに出かけるため、悠長に会話する時間がないだけだ。
もともと面と向きあって話すのが苦手な二人なので、会話はもっぱらSNSを使う。付き合い始めたきっかけがメッセージのやり取りなのだから、それが僕らには当たり前だった。
むしろ無口な二人が顔を合わせて付き合うようになって、結婚までしたのだ。人生って不思議なものだと思う。
そんなわけで今、僕は慣れない仕事に忙しくて残業が続いていた。帰りが遅くなるのがわかれば、必ずメッセージは入れるようにしている。
「働き方改革だ」「職場環境をホワイトに」 なんて言ったって、就業時間に終わらなければ誰かが割りを食うのは変わらない。無理やり仕事を切り上げられて、業務のクオリティが下がる事になれば、お得意先の信頼だって失うだろう。
新米管理職に訪れた試練の一つに僕は辟易する。この御時世だ。職を失う事になればどうなるか、わかったもんじゃない。
しがみつきたい仕事ではなくとも⋯⋯食べていくために、やらざるを得ないのが現状だった。
────頼りになるのは優しい妻の料理。いまの僕の唯一の楽しみと言っても過言ではない。彼女の調理の腕はプロ級⋯⋯というわけではないが、疲れて帰った身体に優しく染みる。何よりも心遣いがありがたかった。
⋯⋯最近は残業のせいで、その楽しみすら奪われている。妻だって働いている中で、僕の為に夕食を作って待ってくれているというのに。
「今日のお昼は、駅近ビルのパスタを食べようと思ったけど混んでてさ」
「それなら今夜はナポリタンにしよ」
「ナポリタンか、いいね。具沢山のやつがいいな」
「オッケー、任せて! あっ、帰りにビールよろしくね。カロリーオフのやつ」
「よし来た! ビールは僕にまかせて」
お昼のやりとりもこんな感じだ。新婚のラブラブ時期はとうに卒業しているが、やり取りの内容はいまだバカップルかもしれない。
「ごめん⋯⋯今夜も少し遅くなるから、先に食べてて」
「わかった。チン出来るようにお皿わけとく。サラダは冷蔵庫にしまっておくね」
最初は気にしなかった。僕の好物を頑張って用意してくれたのに申し訳なかったな、と思うくらいだった。
忙しい僕を、全力でフォローしてくれる妻には感謝している。
◇
翌日は「海苔の佃煮と長芋の細切り巻き」 だ。海苔を海苔で巻いちゃう妻のオリジナルレシピだ。お酒のつまみにちょうど良くて、僕の大好物になった。
「ただいま。遅くなってゴメン」
「おかえり。今日もお疲れ様」
今日も残業。先に食事を済ませて、ゆっくりしていて欲しいと妻にはメッセージを入れてある。
温かく出迎えてくれる妻の心遣い。それだけで仕事の疲れが和らぐようだ。
「いつもすまない。でも、ありがとう」
彼女だって仕事をしている。それなのに家事の大半を引き受け、僕の為にご飯まで用意してくれる。
⋯⋯感謝を直接言葉で伝えたい。出来るなら、ゆっくり一緒にご飯を食べたいよ。
◇
「行ってきます」
「気を付けてね。あっ⋯⋯今夜はあなたの好きなカレーにするから、お昼は被らないようにしてね」
「わかった。楽しみにしておくよ」
仕事に疲れている僕のために、妻は一所懸命に美味しいものを用意しようと頑張っている。僕の大好物のカレーライスと聞いて、それだけで今日は乗り切れる。
少し残業にはなったけれど、妻とカレーライスを待たせるわけにはいかない。残業が続いていたので、流石に今日は早めに帰らせてもらうことが出来た。
「もう〜、カレーだと早く帰るならさ、毎日カレーにしようかな」
可愛らしくほっぺを膨らませて言う妻の冗談に、僕たちは笑い合う。
カレーにはトッピングに唐揚げと半熟玉子がついていた。
「あなたの身体のたまにね?」
「ありがとう」
妻と一緒に食べる夕飯が美味くてついついおかわりして、お腹がパンパンになってしまった。
この時の僕は、豪華なトッピングがブラスされた意味をまだ理解していなかった。
◇
その次の日は休日だったが、この所忙しいからと、上司が慰労会を設けてくれた。急な話だったけれど、パートに出ている妻にはメッセージを入れるのを忘れない。
妻を迎えに行き、一緒に夕飯の買い物をする予定だった。誘いを断ろうと思ったのだが「付き合いも大事なんでしょ?」 妻に気を遣われ怒られた。
「ただいま。今日は急に飲み会になって、ごめんな」
「ううん。あなたの事を心配してくれる良い上司さんで良かったじゃない」
「ありがとう。でも君の顔を見るのが、僕の一番の癒やしなんだよ」
お酒が入っているせいか、普段の僕より饒舌になる。
「『ごぼう天うどん』なら作れるけど、締めに食べる?」
「食べる。実は緊張してあまり食べた気がしなかったんだ」
「ふふっ、用意するから楽な格好して待ってて」
労ってくれた上司には悪いが、やはり妻の優しさと料理には敵わない。柔らかめのうどんとおまけの肉入り。まるで本場の博多ごぼう天うどんのようで、僕の酔った胃に優しく溶けた。
◇
次の日は「ニラ玉もやし炒め」 その次の日が「コロッケとたっぷりキャベツ盛り」 だった。
ご飯がすすむ、僕の好物シリーズ。コロッケとキャベツは、ソースを食べるようなものだ。
────違和感を覚えたのは、後輩とお昼ご飯を食べに来た時だった。
「先輩のブログ、奥さんの料理写真ばかりなんですね」
「いいだろう。この所、毎晩僕の好物の料理ばかり作ってくれてな。仕事の疲れを癒やしてくれるんだ」
僕は優しい妻を自慢したくて仕方なかった。目ざとく食いついた後輩には悪いが、胸焼けするまで甘い話を聞かせてやろう。
そう思ってスマートフォンを手に取り、自分のブログのあるサイトを開く。ちょうどナポリタンの日から、何気なく料理名と写真が並んでいた。
「あれ⋯⋯なんだこれは」
「どうしたんですか」
「いや、何でもないよ」
後輩が疑問を浮かべ首を傾げる。僕は最近の料理のメニューを見て、青くなった。
今日は「ロールキャベツ」 にするね、とメッセージが入っていた。キャベツが特売で安く買えたから、二玉も買ってしまったと、舌を出していたな。
昨日のコロッケとキャベツ盛りでも使い切れず、ロールキャベツになったはずだ。
「あまり上手くないって謙遜していたのに、充分旨そうじゃないですか」
自慢はしたいが、誰かに盗られたくない独占欲が謙遜させていた。まあ⋯⋯それだけ妻が可愛くて大事って思うのは僕だけで、世間から見ればありふれた仲良し夫婦なのだろう。
少なくとも僕はそう思っていた。でも妻は違ったのか?
後輩と職場に戻ると、僕は再びスマートフォンに自分のブログ画面を開く。
「ナポリタン」
「海苔の佃煮と長芋の細切り巻き」
「カレーライス」
「ごぼう天うどん」
「ニラ玉もやし炒め」
「コロッケとキャベツ盛り」
「ロールキャベツ」
たまたま並べられた料理名の頭文字が揃っていた。ロールキャベツを予定に入れた所で、僕は⋯⋯料理名の違和感の正体に気がついたのだ。
「七日後にころ⋯⋯す?」
────偶然なのか?
あんなに優しく、尽くしてくれる妻が僕を殺す?
いったい何故?
殺したい程に憎まれるような事をした覚えがないし、そんな相手の好物を作るものなのか?
毎晩の夕飯に込められたメッセージは、僕と同じく口下手で会話の苦手な妻らしいと言えば妻らしい内容。
バカップルというには、現実的でそっけないやり取り。ずっとそうやって来たので気に留めていなかったが、何か隠された意図があったのだろうか。
────僕は、信じたくなかった。
妻を愛していたし、愛されていると思っていた。
僕はそう思っていたけれど、妻はそう思っていなかったのか。
頭がグルグル回り出して、仕事が手につかない。
「⋯⋯ただいま」
「おかえりなさい。ご飯にする? お風呂先に入る?」
悩んだおかげで、無駄に仕事が遅れて残業になってしまった。自業自得なのだが、妻には怖くて言えない。
いつもと変わらない妻を見る。優しい彼女の笑顔に殺意など微塵も感じられない。
考え過ぎかもしれない。でも確かめるのは怖かった⋯⋯。
肉汁たっぷりのロールキャベツは美味かった。明日全てが決まると思うと、味がしない────ことはなかった。たぶん僕は心のどこかで、妻を信用しているからだ。
妻に限って殺人なんてあり得ない⋯⋯僕はそう信じたかったのだと思う。
狭いアパートでは嫌でも行動が重なる。妻の気分があまり良さそうに見えないのは気のせいだろうか。
⋯⋯寝室で眠る横顔が遠く感じた。信じて愛する妻の寝息。僕は複雑な感情に襲われ、涙をこぼした。
◇
最後の審判の日の朝がやって来た。殺されることを考えてしまい、あまり眠れなかった。
妻に変わった様子は見られない。いつもの優しい妻のままだ。
「行ってきます」
「いってらっしゃい、気を付けてね」
何度も交わした朝の挨拶。これもいつも通りだ。
ただ⋯⋯普段通りのはずの妻の様子がおかしいと思ってしまうのは、料理に込められたメッセージのせいだろうか。無理をしているように見えた。
こんな時に相談出来る相手がいない事を悔やむ。生来の人見知り。一番の話し相手は妻だった弊害だ。
まさか物わかりが良いとはいえ他人である上司や、実家の親や妻の両親に、妻に殺されるかもしれない⋯⋯なんて相談出来るわけない。
時間だけが刻一刻と過ぎてゆく。電源をオフにしたままの、スマートフォンの画面は真っ暗だ。お昼頃になれば、嫌でも妻からのメッセージが届くだろう⋯⋯。
「おい、今日はもう仕事にならんから帰れ」
⋯⋯急に上司から声がかかった。僕が具合悪く見えたからか? と、思ったが違った。会社で使っているパソコンのサーバーメンテナンスにトラブルが起きたそうだ。
復帰するのに半日かかるらしい。取り引き先への連絡など済ませてしまえば、会社でやることがない。
急に空いた時間。普段なら妻に喜んで連絡を入れて、空いた時間にデートでも楽しんだことだろう。
しかし⋯⋯僕は躊躇った。躊躇ってしまった。妻にメッセージをいれるのが怖くてたまらなかった。それでもお昼近くになれば、彼女から連絡が来る。
お昼の時間になったというのに、妻からのメッセージが届かない。
たまに妻の方も忙しいと連絡は遅れることはあった。僕はこちらから連絡すべきかどうか迷った。
迷いつつも妻の身が心配で、メッセージを入れかけた時に、彼女からメッセージが届いた。
「今晩は酢豚なんてどうかな」
そうか────酢豚か。
メッセージが出来上がった。呪いのようなメニューが完成した。
────僕は今晩、妻に殺される。
返信するのが怖い。どうせ最後の晩餐になるのなら、酢豚よりステーキにしてくれれば良かったのに。
【七日後に殺す】 料理は、僕の好物や思い出の詰まったメニューで固められていた。
僕は妻を愛している。僕が彼女に、殺されるような仕打ちを知らずに行っていたのなら⋯⋯メッセージでもいいから言って欲しかった。
「酢豚より、肉ピーマン炒めの方がいいかな」
どうせ殺されるならば⋯⋯と、少し意地悪な我が儘を言ってみようと返信した。
「いいよ。わたし酸っぱいのが少し食べたいから中華くらげのサラダも作るね」
あっさり受け入れられた。メニューを僕に告げて、殺すことが確定したからなのだろうか。
僕は妻に会社でパソコンのサーバートラブルで仕事が早く終わる事を告げる。
「不謹慎だけど、なんか嬉しいね」
待ち合わせて買い物を済ませて、久しぶりに喫茶店で足を休める。
これから僕を殺そうというのに、妻は明るい。久しぶりのデートが楽しくて仕方ないのか計画を実行出来て嬉しいのか、どっちなのだろうか。
「ねぇ、浮かない顔をしてるけど⋯⋯具合でも悪いの?」
「いや⋯⋯身体は元気だよ。君こそ今日は随分はしゃいでるよね」
「えっ、そうかなぁ。だって、あなたとこうしてゆっくりするの久しぶりだから」
そうだよな、僕は納得した。末端とはいえ役職付きになってからというもの、仕事量も増えて、ろくに遊んでいなかった。妻には寂しい思いをさせていた。動機としては充分だ。
「動機ってなんの事?」
思わず声に出してしまい、妻が問う。キョトンと見る妻の顔は可愛らしい。どうせ殺されるなら、いまぶちまけてやれ────僕はそう開き直った。
「君は僕を殺すつもりだったのだろう?」
「⋯⋯はぁ? なんのこと?」
あれ? 動揺がない。すでに殺意が固まって動じないのか。
「このところのメニューを並べて見てごらんよ」
僕は自分のスマートフォンに、ブログの画面を出して彼女に見せた。
「上手に撮れてるね。なんかわたしの作った料理まで良く見えるね」
うん? なんかおかしいぞ。妻の喜びの表情も仕草も変わらず、いつもの調子だ。
「今晩、僕を殺すつもりだったんじゃないのか」
「殺すって、なんで? さっきから動機とか言って、おかしいよ。ノイローゼになったのかな。体調や健康には気を使って来たのに」
心外な様子でしょんぼりする妻。なんか申し訳ない。僕が勘違いしたのか。だけど証拠のメッセージは残っている。他ならぬ彼女自身の作った料理として。
僕は妻に料理の名前をあげてみせた。
「ナポリタン」
「海苔の佃煮と長芋の細切り巻き」
「カレーライス」
「ごぼう天うどん」
「ニラ玉もやし炒め」
「コロッケとキャベツ盛り」
「ロールキャベツ」
「酢豚(予定)」
「確かに、そう読めるけどさ。だいたい七日分じゃないわよ?」
「えっ?」
なのかごにころす⋯⋯⋯⋯確かに八文字だ。
メッセージに従い、僕を殺すなら昨晩になる。とっくに予告日は過ぎていた────。
「様子がおかしいから私の気持ちに気づいていたのかと思ったよ。まさかそんなバカバカしい理由で悩んでいたなんて」
めちゃくちゃ恥ずかしい。自分の生命に関わる事を、推理漫画のようにドヤッたのだ。普段感情の薄い妻の顔のニヤニヤが止まらない。
「野菜を多く摂らせようと、メニューをヘルシー路線にシフトしていたのを見破られたのかと思ったわ」
殺すどころか僕の身体を気づかい、油はオリーブオイルを使うなど、調味料なども変え始めたそうだ。
────そもそもブログを作って、料理の写真を撮らせたのも妻だったっけ。
どうしても外食だとお昼は食事のバランスが偏る。夕飯の献立はお昼の後に聞かれることが多いのは、食事バランスを考えての事だ。
大好きなカレーのトッピングの唐揚げも、こっそりともも肉からムネ肉多めになっていた。肉類は喜ばせるためより、僕にたんぱく質を摂らせるメリットを考えた結果だった。
健康だけじゃない。節約も頑張っていた。特売品や残り食材の関係で、先に夕飯の献立が決まることもある。
殺意はなく愛情と生活を続けてゆくためだとわかってホッとしたものの、急に変えようとしたのは事実だ。
動機の意味は僕を気づかい、愛しているのもあるとわかって嬉しい。逆に僕は妻に頭が上がらない。
でも⋯⋯急な変化の理由を、僕は知りたかった。僕は妻の真のメッセージに気づいてなかったから。
◇
「子供をね⋯⋯授かったかもしれないの。あなたはパパになるのよ」
────妻から告げられたのは、衝撃の事実。
それは僕たちの間に、子供が生まれるということだった。
妻も僕のお嫁さんから、お母さんになる。きっと僕をいままで通りに僕を甘やかす事は難しくなる。
だから、いま出来るだけ二人の時間を大切にしてくれていた。なるべく要望に応えて、好きなものを食べさせつつ将来に向けて配慮し備えていた。
「そういうの、やっぱり男の人は鈍いのよね」
返す言葉はない。妻の様子がおかしい理由を勘違いして最悪な予想を立てたのに、彼女はバカだねと呟き、笑って許してくれた。
────僕は殺される。ただし、夫として。僕の覚悟を求められる最後の晩餐だった。子供が無事に成長し大人になるまで、少なくとも十数年は僕もお父さんになるだろう。
いつかこのバカバカしい一幕を、生まれてくる子供に伝えようと思った。
そして、妻がお母さんになっても大切にしようと思った。
お読みいただきありがとうございます。公式企画「春の推理2024」 参加初作品となります。
※ 2024年4月14日、誤字脱字の修正と、文字の表現等を少し変更しました。
※ 沢山の方からご感想、ご評価いただきありがとうございます。推理ジャンルの盛り上げの一助となるように、私も他の方の作品を読んで楽しませてもらっています。
※ 2025年7月23日、改稿と加筆しました。