犠牲
「おい、お前らはそのまま、部屋の中にいろ」
奴隷小屋は粗末な造りで頑丈ではないが、風雨に耐えるだけの強度はある。
そこに籠っていれば、弱いゴブリンからは襲われないだろう。
そうこうしているうちに、敵の集団が肉眼で見えるところにまで近づいてきた。
これが防衛戦でなく一人で戦う遊撃戦なら、姿を隠し敵の数を減らすのだが、三人を守るのが最優先事項だ。この場所を守る戦いをする。
俺は弓を装備して、松明持ちのゴブリンから狙い撃ちにしていく。
敵は女神の結界の影響で戦闘能力が多少なりとも落ちている。
弓攻撃でも順調に一撃で倒せているが、数が多すぎる。
統率されていない敵というのは、守るものがある防衛戦においては厄介だ。
いつのまにか奴隷小屋の周囲は、無秩序に徘徊するゴブリンで埋め尽くされるようになった。ゴブリンたちは小屋の中から奴隷を引きずり出して、殺して食べ始めた。
男子部屋の方でも、同様の事態になっている。
奴隷側も、捕食されるばかりではない。
ここを襲撃しているゴブリンは、戦闘能力100未満の雑魚だ。
成人している奴隷なら、なんとか抵抗出来る。
そこかしこで、揉み合いになっている。
だが、弱い奴は――
老人や子供だとろくな抵抗もできずに、生きたまま自分の肉を食いちぎられている。自分を襲う魔物から必死に逃げだしても、周囲はゴブリンで溢れている。
囲まれて、なぶり殺しに合う。
悲鳴と恐怖と絶望が、辺り一帯を包み込む。
俺は装備を弓から剣に切り替えて、周囲を囲む敵の急所を一撃で切り裂いていく。
倒すのに手数をかけてしまえば、たちまち張り付かれて食い殺されるだろう。
敵の数は多い。
だが、戦い慣れた俺の身のこなしとスピードに、ゴブリンたちは付いてこれていない。空間探知を使い、予期せぬ死角からの攻撃にも対処できている。
数の暴力は確かに恐ろしいが、今のところは余裕を持って捌けている。
それに奴隷小屋周辺のゴブリンが、すべて俺に向かって来ているわけではない。
ゴブリンの内の半数は、倒れている人間を食べていたり、抵抗している奴隷と揉み合っていたりで、俺との戦闘には参加していない。
俺は自分に向かってくるゴブリンを倒し終えると、他の奴隷を襲ったり食べたりしているゴブリンを後ろから斬って回り、それが終わって一息ついてからアカネルとモミジリとイルギットの様子を確かめる。
「おい、三人とも無事か?」
「あ、あんた……なんか凄いわね。マジで戦えたんだ」
「わ、私たちは大丈夫だけど、その……他の皆は?」
「な、なんでこんなに、ゴブリンがいるのよ?」
ゴブリンは松明を持っている個体も数名いた。
地面に転がっている松明はまだ消えずに燃えているので、夜でも少しは周りを見回すことは出来る。
「何人かは生きているが、食い殺されている途中のもある。見ない方がいいぞ」
「うっ、……そ、そうね――」
死体の詳細は、見せない方がいいだろう。
この辺りを襲撃してきたゴブリンは、討伐し終えた。
俺は自分の戦闘に集中していて、屋敷周りの状況は把握していない。
全体の戦況を再度確認する為に、改めて広域探知を使う。
屋敷の方は予想通り、戦闘員は全滅している。
生き残りの反応は弱い、生き残っているというより食われている最中のようだ。
今から行っても、助けようはない。
敵の主戦力のゴブリンは目的を達成したのか、もうこの農場からは引き上げるようで、農場の北西方向へと移動している。
強い魔物ほど、女神の結界の効果を強く受ける。
奴らは、早く出たいだろう。
スラ太郎も、言うことを聞かない時もある。
魔物使いは対象の魔物を、完全に言いなりに出来る訳ではない。
到底勝ち目のない戦闘能力数千の敵が、自分から消えてくれたのは助かるが――
まだ残っている奴もいる。
屋敷周辺に残っているゴブリンは、二十八匹。
敵集団の詳細は――
戦闘能力300以下が二十五匹。
戦闘能力780と920のゴブリンナイトが二匹。
戦闘能力2670のグレートゴブリンが一匹。
戦闘能力1000以下はなんとかなりそうだが、問題は2500を超えるグレートだ。
本体は撤退している。
こいつらは殿か?
いや、自分たちが倒した人間の肉を食っているのか――
だとしたら、食べ終わったら……本体を追いかけて出ていくか?
出て行ってくれると、助かるんだが――
しかし俺の期待とは逆に、ゴブリンの集団は奴隷小屋を目指して移動を開始した。
この辺りにはゴブリンの、食い残しの死体が散乱している。
血の匂いに引き寄せられるように、奴らがやってくる。
生き残りの奴隷たちは、男も女も全員へたり込んでいる。
突然の魔物の襲撃のあとだ。
無理もない。
どうする――?
……逃げるか?
他者と一緒に空間移動する為には、対象に触れる必要がある。
生き残り全員を連れては、空間移動はできない。
全員を助けるのは、無理だ。
じゃあ、戦って勝てるか――?
勝てる!
勝ち筋はある。
だが…………
いや、やるしかないか。
どのみち、全員を助けることは出来ないんだ。
俺は側にいた軽症の女二人に声をかけて、モミジリの部屋へ入れる。
年上の女と、年下の女だ。
部屋は五人が入るとギュウギュウだが、しばらく我慢してもらう。
「俺は今からゴブリンの残党を狩りするから、お前らはまだそこに居ろ」
「は? いや、ちょっと、まだあの化け物がいるの?」
「えっと、付いて行っちゃダメ……?」
「ああ……」
俺は短くそう言うと、部屋を覆うように隠密結界を張る。
こういう使い方は初めてで、どのくらい結界が持つのかは分からないが、少しの時間持てばいい。
そういえばスラ太郎はどこにいるのかと気になって居場所を探ってみると、あいつの反応は地下室にあった。
どうやらずっと、隠れていたらしい。
まあ、あいつらしい。
俺はスラ太郎に、そのまま隠れているように命じる。
俺は敵を迎撃する用意をした。
ゴブリンの群れが現れた。
最初にやってきたのは、戦闘能力300以下の二十五匹だ。
そいつらは、地面に落ちている人間の肉片を食ったり、まだ生きている人間を襲って殺しだした。
殺傷能力の高い武器で武装したゴブリンに襲われては、丸腰の人間に勝ち目はない。それに奴らは、奴隷よりも力が強い。
奴隷たちは、次々に死んでいく。
俺は隠密結界を張っていて、奴らは気付いていない。
ゴブリンナイト二匹と、グレートゴブリンは少し遅れてやってきた。
三匹は連れ立って、歩いてくる。
グレートゴブリンは、身長三メートルを超える恰幅のいい巨漢で、巨大なこん棒を装備している。
ゴブリンナイトは二メートルほどの身長に、引き締まった体で剣を装備している。
グレートの方は山賊の頭のような見た目で、ナイトの方は鍛え抜かれたアスリートといった見た目だった。
俺は周囲のゴブリンとぶつかり、隠密結界が破れない様にだけ気を付けて、まっすぐにグレートゴブリンの元に向かう。
右手に剣を装備し、左手に魔術師の杖を持っている。
魔力属性は火属性。
魔術師の杖に炎を作り出しては圧縮をくり返す。
ゴブリンたちは農場の主戦力を倒して、油断している。
残っている人間は、戦闘能力の低い者ばかり――
奴らにとっては、エサにしか見えないだろう。
俺はグレートゴブリンの十メートル手前まで近づいて、油断しきった奴に圧縮しまくった火炎球を放った。
火炎球はグレートゴブリンに直撃した。
周囲の二匹も巻き添えにして炎は広がり、巨大な火柱を天へと伸ばす。
俺が使える、最大火力の攻撃魔法だ。
MPの大半を使ってしまったが、この場合は仕方がない。
不意打ちで一気に勝負をかけないと、勝ち目なんかない。
俺は左手に持った魔術師の杖を異空間へと収納して、魔力属性を変化させる。
俺の放った炎の魔法は、グレートゴブリンの上半身を焼き切って消えた。
辺りは再び、暗闇に包まれる。
俺の左右から、同時に斬撃が襲ってくる。
グレートゴブリンに放った炎は、両隣にいたゴブリンナイトも巻き込んだ。
ダメージを与えることは出来たが、仕留めるまでには至らなかったようだ。
俺は斬撃を後ろに下がって躱す。
さらにゴブリングレード二匹の追撃が、流れるように襲ってくる。
俺は二匹の攻撃を捌くので精一杯で、反撃に出る余裕はない。
敵の攻撃を、剣で受け止める。
力負けはしていない――
だが二対一だ。
このままでは、押し切られるだろう。
俺は目を閉じて、空間探知で敵の動きを見極める。
それから数十秒、その状態で敵の攻撃に対処する。
斬撃を躱しきれずに、傷を負ったり防具で受け止めることが増える。
そろそろ良いか――
俺は完全にランダムなタイミングで、光魔法を放つ。
目を瞑っている俺にも、辺りが光で包まれていることが解かるほどの光量だ。
光が収まってから――
俺は目を開けて、周囲を見る。
二匹の魔物は完全に、目をやられていた。
手で顔を覆って、蹲っている。
隙だらけだ。
俺は戦闘能力の強いほうから順に、首を切った。
今の光で――
奴隷たちを襲って食っていた他のゴブリンたちが、こちらの状況に気付く。
奴らは食事を中断して、俺に襲い掛かってきた。
それから十分後――
俺は襲ってきた、二十五匹のゴブリンを殲滅した。
夜が明けて、朝日が昇る。
この農場で生き残ったのは、俺以外には五人だけだった。




