父親の苦悩《SIDE》クリストファー・ウィステリア
「本当に体調は大丈夫なのか? 無理はしていないよな?」
「…もうクリス、いつの話をしているのよ」
だがベル、一度経験したあの時の恐怖は忘れられる気がしないよ――と、まるで何も無かったかのように平然と食事を口にしている妻に言いたかったが、もうあの時のことは思い出して欲しくないので、私はその場で口をつぐむことしか出来なかった。
「そういえば、あの子たちは大丈夫かしら?」
「…まあ、心穏やかではないだろうな。……ああベル、私はどうしたらいいだろうか…今度こそアイシャに嫌われてしまうかもしれない…!」
「そんなに嫌われるのが嫌なら、どうしてあの子を試すような真似をするのよ」
今日も美しい我が妻のベルは、頭を抱える私を呆れた目で見やると、また一口と食事を口に運ぶ。
「知ってるだろう、アイシャは嘘がつけない。…親しい者にだけだが。…とにかく、妙なのだよ」
「嘘のつけないあの子が、『街に出たことはない』と言い切っている割に慌てているからかしら?」
「流石ベルだ」
思えば、あの子は幼い頃から秘密が多かった。常に明るく正直で、とても愛くるしい子供かと思えば時折大人びたことを言う。本当に不思議な子だ。あの血のことが関係しているのかとも思ったが、ベルが否定するのだから違うのだろう。
どんな子だとしても、私達の子供だということに変わりはない。だが、不安になってしまうのも仕方がないだろう。あの子は秘密が多すぎる。それが何なのかは知る余地もないが、一人で背負って負担になってはいないか、気が気ではない。
だから王太子のことも、同年代の奴がついていればアイシャの助けになると思って許可したんだ。男だというのは心底気に入らんが。
「過保護ね。私にも、アイシャにも。あの件をまだ気にしているの?」
「そうじゃないさ、ベル。過保護になるべき相手に過保護になって、何が悪い」
「あなたったら」
そう、過保護。だから今日は、あの子がどんな手段に出るか様子を見ることにしたんだ。その必要がないほど、あの子たちは既に強いということは分かっていても。護衛をまこうとするようなら、今後の外出を厳しくするほかない。
私もレイも、あの件の事もあり、アイシャを目に入れても痛くないほど可愛がっている。だからレイがついてる限り、少なくともあの子たち自ら危険なことに首を突っ込むことはないはずだ。もう二度と、あの様なことがあってはならないんだ。
…さて、そろそろ来る頃か。
「閣下」
来たか。
「アイシャはどう出たんだ? ラノス」
「お嬢様は護衛を一カ所に集めるよう誘導し、私たち護衛を脅…いえ、説得なさいました」
流石アイシャだ、うまく立ち回ったな――と娘を誇らしく思っていると、ラノスが贈り物らしき袋を手に持っているのに気づく。
「そうか。…それはアイシャがお前にやったわけではないだろうな」
「いえ、お嬢様が『素敵な時間ありがとう』という言葉と共に閣下に届けるようにと」
「おお、そうか! アイシャが! そういうことは先に言わないか!」
一瞬で態度を変えた私を見て、ベルは私に呆れの視線を送って来たが、すぐに視線をラノス移す。
「ラノス団長、私の分は?」
「…ございません」
ん? 私にはあるのに、ベルにはないだと? アイシャがそんなミスをするとは思えんが…まあ、私の分と一緒にしたのかもしれんし、確認すれば分かるだろう。
ベルからのただならぬ視線は知らぬ振りをし、袋の中身を確認すると、一見普通の物が3つ入っていた。だが、嫌な予感がするのはなぜだろうか。
ひとまず中でも一番小さい物――香水を手に取ってみる。
「ベル、これは君へのなんじゃないか?」
「あら」
いくらアイシャでも、香水は男性の私にではなく女性のベルに宛てた物だろう。色は…まあ、少々独特な紫色をしているが、ベルの瞳の色と合わせようとしたのかもしれん。
ベルは目に見えて機嫌を直すと、早速香水を試していた。しかし、徐々に表情が曇っていく。
「どうしたんだ? まさか具合が悪くなってきたのか!?」
慌てて立ち上がると、ベルはそんな私をなだめるように口を開いた。
「落ち着いてクリス、違うわ。…少し風変わりな香りだったから」
「どんな香りだ?」
「…お花を摘みに行った香り…? と…何かしらこれ…煙草? のような香りがするわ」
「!? ベル、少し貸してみてくれ!」
急いでベルの手から香水を取り上げ、香りを確認すると、案の定思った通りだった。
「ラノス! 至急これを調べ――」
待て、アイシャからの贈り物は3つ。そしてこれが一つ目で、出所が不明の麻薬…もしやこれだけじゃないのか?
そう思い至り2つ目のアイシャからの贈り物――緑色のコアラの人形を取り出す。
なっ! これはテロ組織が毎回現場に残す意味不明の人形!? まさか3つ目も…
「…は!? テレモグラムが使われた絵本!?」
*テレモグラムとは、近頃国で存在が判明した、隣国が極秘取引に使う暗号である
「待て、待て待て待て、待つんだアイシャ!!」
「…ラノス団長? 私の夫はついにおかしくなってしまったのかしら? この場にはいない娘に話しかけているわ」
「……いえ。私にもよく――」
「おい! 私を除け者にしてベルと話すんじゃない! というかラノス!! 今すぐ! 速攻に! この3つを調べてこい!」
「…はっ!」
――そうして、運が良いのか悪いのかわからないアイシャーナのおかげで、3つの問題が同時に解決したのだった。
無論、私とベルの記念日は台無しになったが。
…私はアイシャに感謝するべきなのか、否か。




