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悪魔の微笑み《SIDE》セス・フォード

ああ、見えてきた、見えてきたぞ…あいつ、10分後にはあの方に跪いて助けを乞うているんだ。


…あれは、夏が終わり涼しくなり始めた頃だったか。

忘れはしない。忘れるもんか。少なくとも、3歳の少女のあの姿は僕にとってかなり衝撃的だった。


◇◇◇


「…どうしたんですか?」


授業をするために公爵邸を訪れると、いつでも太陽のように元気なあのアイシャーナ様が、今日に限ってしょんぼりしている。授業をすると言っても、公爵令嬢は既にほとんどの魔法を扱えているから教えられることは基礎くらいだが。


するとやはり、以前よりも力のない声で答えた。


「…せんせー、わたしにこんやくしゃが出来たのはごぞんじですか?」


「ええ、有名ですから」


相手はまだ公表されていないが、ウィステリア公爵令嬢に婚約者が出来たというのは有名な話だ。

公爵が至る所で娘の婚約を愚痴…嘆いていたのだから、有名にならないはずがない。


ここで一番重要なのが、婚約した相手のことだ。公爵令嬢に年齢が近く、公爵が断れないほどの力を持っている家柄を持つ令息は、1人しか思い当たらない。


つまり、この王国の王太子と婚約した可能性が高いということ。

隣国の王子という可能性も無くはないが、娘を溺愛している公爵が婚約を承認したという事実でも信じ難い事柄だというのに、ましてや嫁いでしまったら滅多に会えなくなってしまう隣国の王子が相手だとは考えにくい。


娘を王太子妃に、と野望を抱いていた貴族は事実が気になってしょうがないだろう。


「そのせーで、こーしゃく家がわるく言われているの…むすめを3さいでこんやくさせるなんて、こーしゃくはやしん家なんだって。きっとさいきんのやしきの空気がわるいのも、これがげんいんなんだわ…」


ああ、そのことか。どうせ貴族様お得意の妬心からそう噂しているのだろうが…そういえば、以前来た時にここの使用人が「天使のようなお嬢様がいつかどこかに行ってしまうなんて」と話していたのを聞いたことがあったな。

なるほど、子供は勘が鋭いと聞くから、使用人達が普段より落ち込んでいると気付き、それを公爵の悪い噂が出回っているからだと解釈したのか。


このお嬢様は、些か好意と悪意に鈍感すぎるのではないだろうか。

だが、この話に僕が介入するのも気が引ける。


「…それは、本人達に尋ねたほうが良いかと」


アドバイスだけをして、後は成り行きに任せよう…と考えていただけだったのに、どう勘違いしたのか余計に落ち込んでしてしまった。


「あっ、そうですよね、ごめんなさい。せんせーに言う話ではありませんでした」


そのような会話をしながらいつもと同じく書庫へ向かっていると、2人の男の声が聞こえてきた。


「閣下も救いようのないほど強欲なものだ!既に地位も財産も十分持て余しているというのに、それ以上を望むとは!」


「しっ、おいやめとけ。ここはまだ邸内だぞ」


「どうせ誰も聞いてやいないさ。あの閣下、随分と偉そうで澄ましてるというか、気取りすぎなんだよ。ああいう奴がいるから貴族の品位が落ちるんだ。あんな奴が俺らみたいな有能の上司だとは世も末だな」


どうやら2人の男は公爵の執務室から出てきたらしく、書類を抱えている。そこそこの地位を持っている文官というところだろうか。


だがまずい、ただえさえ落ち込んでしまっているのに、こんなやり取りを聞いてしまっては…

と思いアイシャーナ様を見やると、予想と反して少女は無表情だった。


?そんなに落ち込んではいないのか?


にしてもこれだけの美少女に表情が無いと、美しくも寒気がするほど恐怖を感じる。


「それは流石に言い過ぎだ。同感はするが、場所は考えろ」


それは言外に、ここでなければ好きなだけ悪口を言ってもいいという意味にも取れる。ああ最悪だ、いくら慈悲深いアイシャーナ様でも、家族をこんな風に貶されてしまえば泣いてしまってもおかしくない。僕は子供をあやすのが得意ではないというのに。


そんな心配はよそに、少女はニヤリと片方の口角を上げ笑った。


ゾクッ


今までに多くの者と戦ってきたが、ここまで誰かに恐怖心を抱いたのは初めてだった。

この少女の魔法の実力が僕以上なのは既に認めているはずなのに、それとは別の、感じたこともない恐怖心。


アイシャーナ・ウィステリアは、怒りが高ぶるほど表情が無になる少女だということを、この時の僕はまだ知らなかった。


「ねえ、あなたたち」


凛とした、それでも冷たさが滲む声が響く。


その声に気づいた2人が振り向くと、その姿を見て目を剥いた。


「「こ、公爵令嬢!?」」


「うふふ、どーしたの?そんなにおどろいて。なにかわるいはなしでもしていたの?」


「と、とんでもないです!」

「ま、まさか!ははは!」


同時に喋った2人の様子は、子供でも分かるほどに動揺していた。一応、聞かれてはまずい会話だったとは理解しているみたいだ。


「そーなの?ああそうだわ、きぞくのひん位とかよも末だ、とかいう話をしているのが聞こえたのだけど、わたしもまったくおなじことをかんがえたことがあるわ」


「え、あ、そうですよね!やっぱり閣下は―」


「お、おい!」


この馬鹿とは違ってもう一人は少しばかりでも頭は回るようだ。間違っても公爵令嬢の前で公爵の話を、しかも悪口を言ってしまえば首はない。それだけ公爵家の地位は高い。


パチンっ!


途端にそんな音がしたと思えば、目の前の二人はずぶ濡れになっていた。


…は?


今、水魔法を使ったのか?この一瞬で?少なくとも幻影の魔法を使っていた時はもう少し時間がかかっていたし、魔力の痕跡も感じた。だが今は魔力の痕跡を一切感じなかった。


…嘘だろ。こんなの、大陸一の魔術師と呼ばれてもおかしくないぞ。


「フォードせんせー、ここで少しまっていてくれませんか?」


ダメだ。行かせてはいけない。そう本能が告げているのに、少女のニッコリとした微笑みは、まさに悪魔の微笑みのように見えて、僕には返事をすることが出来なかった。


翌日、公爵邸のとある薄暗い小さな倉庫にて、2人の男性が震えながら縮こまっているのが発見されたという。そして、見つかった2人はその日を境に、傲慢な性格は消え、時々何かに怯えるようになったとか。


少女は自分への悪意や好意には鈍感だが、家族への悪意には酷く敏感なのだ。


この話を聞いたそれからの僕は、公爵令嬢へ馴れ馴れしい口を利けなくなった。

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