二話-部屋を掃除しろ-後編
ユウはスカートが捲れた魔王から目を逸らす。
見たいという邪な心はあるが、それ以上に倫理も道徳もあった。
だが、ぱっと見たものでも覚えられるくらいに能力が高いユウは覚えてしまった。
魔王は塩か雪のように白く美しい太ももをしているのを。
さらに、ユウが目をそらしているうちにもっと状況は悪くなった。
スカートに問題を起こしてるだけではない、魔王の靴や脚にも思いっきりほうきは血をつけて汚していたのだ。
ユウはそろそろ視線を戻していいかなと思い、戻し、状況に気づきすぐさま顔面蒼白になった。
「なにしてるんだ?‼?やめて!!」
ほうきが魔王のあちこちにべったり血をつける。
そのせいで明らかに彼女の怒りは高まってる。
でもユウの指示でほうきは魔王から離れた……しかで壁に文字を書き始める。
ユウは壁を汚さないで欲しかったが我慢した。
「魔王、とりあえず怒らずに何書くか見てみようよ」
魔王に謝罪の言葉でも書いてくれると期待していたのだ。
なぜならば誤解していたからだ、ほうきのスカート捲りは事故なのだと。
だが本当は違う。アレは故意だ。
ユウはとっととほうきを無理やり捕まえて魔王からひっぺがすべきであった。
壁に書かれた字は“血のせいで掃除が滞るのがむかつく、そして原因の魔王はもっとムカつくんだ”
すぐさまユウは後悔する、ほうきを殴り倒しておくべきだったと。
「そりゃまぁムカつくのはわかるけど、スカート捲りなんてしなくていいでしょう!?」
“家を汚されたんだぞ?掃除すんのは俺達なのに”
ほうきの怒りはある意味もっともだ。
魔王のせいで手間をかける羽目になったのだから。
でもスカート捲りで仕返しするなんてよくない、まず倫理的に問題があるし「……潰すか」なんて魔王が冷たく機械的につぶやくほどブちぎれされる羽目になったから。
「だめだ‼」
ユウはほうきを素早く手に掴み、バックステップを踏む。
さっきまでほうきがいたところに、魔王の蹴りが空ぶった。
そうユウは思った。
"思った"と表現したのは、蹴りの軌道が見えなかったからだ。
魔王が棒立ちの状態から一瞬で蹴り終わりの姿勢になったようにしか見えなかったのだ。
ユウは考えた、自分と魔王はあからさまにスペックが違う。
彼女と真正面から戦って勝つのはまず無理。
だが……ユウは「逃げるよ‼」手にもったほうきを連れて走り出した。
他の掃除道具達もユウについて全力で移動しだす。
ユウ達は、怒る魔王から離れるため玄関に背を向け廊下を走る。
そして階段を駆け上がる。
このまま走っていけば自室について窓から逃げられるはずだ。
「止まれよ、コレ投げるか考え中だぜ今、」
だが、ユウは背中に熱を感じて階段の途中で立ち止まる。
振り返ると、魔王の手の平に何やら明るく小さい光の球が浮かんでいた。
どうやらそれは異常な高温を出しているらしく、ユウ達は10m以上魔王から離れてるのに汗が止まらない。
魔王が持っているのはコンパクト太陽みたいなものだというのは遠くからわかった。
もし投げつけでもされたら、一瞬で人が死ぬ。
ユウは幸か不幸か察しが良い。
今、自分が命の危機にいると理解出来ていた。
汗の理由は暑さだけじゃない。
「……それ投げるのか?その小さな玉」
ユウは聞いた。
「テメェがそのほうきを私様に差し出さねェなら」
魔王は答えた。
「じゃあ、戦うしかないか」
ユウは一旦ほうきを手から離し、魔王に向けファイティングポーズをとる。
「なぜ庇う?無駄死にだぜ」
そんな事わかっている。
勝てるわけがない、このままだとたぶん殺される。
だが一切引くつもりは起きなかった。
「お前にわざわざ説明する義理ないだろ?」
むしろ手をくいくいとし、挑発した。
ユウにはわからない。
自分がなんでこんな行動をしているのか。
ユウにはわからない。
自分がなんで死と向き合って冷静なのか。
ユウには一つだけわかる。
きっと、今逃げたら後悔する。
緊迫した時間の中で、突如ほうきが毛の部分についた血で壁に文字を書く。
「なにする気?!」「なんだテメェ?」
ユウも魔王も驚く。いきなりそんな事するのは意味不明だから。
“かばわなくていい、お前まで死ぬ必要無いだろ”
壁にそんな文字が書かれた。
「いや掃除した場所汚さないでよ……」
"今気にしてる場合かよ!"
「せめて記号書くのやめてください!」
フ―――ッ、とこの場にいる全員に聞こえるよう魔王がため息をついた、イラつきすぎて何もかも面倒になったようなそれは場の緊迫感を上げる。彼女のいらだちをそのまま吐き出したそれは。
「おいテメェら、”コレ”もうそろそろ投げていいか」
魔王が冷たく言い放つ。
「マジで当てるぜ?最小出力とはいえかすっただけでも生存確率0.00000038%だ」
「ちょっと中途半端だな?」
ユウはたずねた、こんな場面とはいえ気になった。
「四捨五入すれば0.0000004%だ」
「キリ良くしなくてもいいよ」
「とにかくはやくどけ、まとめて殺すぞ」
「やだ」
魔王に強気な態度を取ってはいるが、ユウに打開策はない。
頭の中でぐるぐる思考を回しても何の成果も無し。
そうしてじっとユウ達がにらみ合っていると。
「ケッ」
唐突に魔王が手を握りしめ、光の珠を握りつぶした。
少し静寂があった。
しばらくして、サウナ以上になっていた部屋の温度が普通に戻っていく。
魔王は攻撃をやめた。
なぜ彼女がそうしたのかわからずユウが困惑していると、同時にすべての掃除道具たちが倒れた。
それから微塵も動かなくなっていく。
「そんな!?皆さん大丈夫ですか?!」
道具にユウは声をかける、返事はない。
「時間制限があるんだぜ、この魔法にはよォ」
「……つまりこの道具達は死んだってこと?」
ユウがほうきを手に取ってみても、一切動かなかった。
こんなに冷たく感じるほうきを握るのは始めてだった。
「私様の魔力を元に作った奴らは、壊れたり時間経過でその魔力が強制的に私様に戻ってくる」
「つまり、どういうことだ?」
「奴らには私様の魂を分けただけ、しばらくして私様に還ったんだから死んでねェ」
「へー……」
ユウに魔王の理屈は納得しがたいものだ。
「テメェが命賭ける程必要はねェんだよ」
「……でもあのままじゃ、酷い終わり方をあのほうきはしたじゃないか」
「何言ってんだ?私様の魔力を込めたほうきにあの程度の攻撃、お仕置き程度にしかなんねェよ」
「え」
魔王の言葉を元にすると、ユウがほうきを助けなくても壊れたりすることは無かったらしい。
つまり、ユウが命を張ったのは完全に無駄だった。
「まぁいいや生きてるし、あーすごい熱気だった……」
とはいえ、ユウは無駄に命を賭けてしまったのを受け入れた。
「なんだテメェ、死にかけてその態度」
「それに死にかけただけじゃないさ、これで試練クリアの条件が整った」
ユウは壁にこべりついた魔王の血を指でなぞる、それはそれは楽しそうに。
すると壁の血が薄くなった。
指についた分壁から無くなったのだ。
これは当たり前のように思えるが、とてつもない進歩だ。
だった今日はずっと、その”当たり前の出来事”をどうやって起こすかで悩んでいたのだから。
さっきまで無かったような当たり前の物理現象が、今起きるようになっている。
つまり魔王の血を掃除できるようになったのだ。
ユウは足元に落ちていた雑巾を拾い上げ、血を拭き始めた。
「血が拭き取れるようになったのは、さっきの魔法で家が熱くなったからだろ?」
掃除しながらユウはたずねる。
「テメェ……いつから気づいてたんだ?私様の血の性質が温度と関係あることに」
魔王は驚いた様子だった。
「"熱気"って言った瞬間、お前の言葉思い出した」
ユウは淡々と答える。
「ケケケ、もっと注意力があれば早く気づけただろうな」
「"熱が必要なんだぜ"ってやつをヒントだなんて普通は思わないぞ」
これにてユウは魔王の血を掃除する方法を発見し、クリアまでの障害は取り除かれた。
さてユウの挑んだ”試練”は家を掃除する事だった。
魔王との勝負で色々とごちゃごちゃになった部分もあるが、タイムリミットの夜までにユウは綺麗することが出来た。
試練はクリアである。つまりユウが勝利。
ほぼ運で勝ったとはいえ、ユウは結構うれしかった。
そして、玄関で二人は話す。
「僕が勝ったということは、お前は人間界の支配を止めるんだな」
「あ?誰が試練は一度しか出さねェなんて言った?」
「え?」
ユウは呑み込みが早い方だった……だから魔王の言わんとすることはわかる。
つまり何一つとして終わってなかったのだ。
魔王はユウに試練を出し、クリアすれば人間界の支配をやめてやるともちかけた。
だがしかし、"一回で試練は終わり"なんて一言も言ってないのだ。
ユウは納得した、納得はしたが、ちゃんと説明しておくべきだろという文句が言いたかった。
「クソったれ」
ので言った。
「ケケケ、言いたいだけ言え」
魔王はユウの反応を予想していたようで余裕な反応だ。
「ゴミ屑、詐欺師、最低、暴君、末路は重犯罪者として死刑」
「流石に言いすぎだろ……」
ちょっと魔王は悲しそうだった。
「侵略者に対してはむしろ優しい対応だと僕は思うけどね」
「……ケケッ、そうだな、テメェに私様はひでーことしてるんだからその程度の罵倒は当たり前だな」
「うーん、まぁ考えてみればべつにいいや」
ユウは本気でべつにいいと言った。
「……は?」
本日一番驚いた顔を魔王がした。
「今日は楽しかったよ」
「殺されかたんだぜテメェは?」
「それがなに?」
「試練続けたらホントに殺されるかもしんねェぜ?」
「そうならないよう頑張る!」
「ギブアップしてもいいんだぜ、不戦敗にするけどよォ」
「ギブアップしない」
「おいおいおい、めんどうくせェなァ、テメェが試練やめる事予想して予定組んでたんだが」
魔王は心底面倒そうに頭を掻く。
そんな彼女を見て、ふとユウの中に疑問がわいた。
「……じゃあお前これから宿はどうするの?」
魔王はこの世界にやって来た人間らしい、ちゃんと宿泊施設について調べてから来ているのだろうか。
彼女は笑った、苦いものでも食ってるように。
「悪いけど泊めてくんねェ?」
「やだ」
ユウは即答した。
「……私様はテメェのアドバイスで警察に行き電柱壊した件を話した」
「うん」
突如電柱の件を語る魔王にユウは疑問を抱く。
「賠償のために宿代ゼロ」
どうやら銭無しだから助けてということらしい。
ユウはこの時の気持ちを一生忘れないだろう。
魔王はユウを殺しかけたり、滅茶苦茶色んな迷惑をかけてきた。
だというのに”泊めてくれ”なんてとんでもないことを言い出したのだ。
何という厚顔無恥だと、ユウは驚いていた。
「福祉施設に保護されてこい、案内してやる」
当然ユウはそういうことを言うしかない。
「侵略目的の違法入国者が行っていいわけねェ」
「侵略やめればいいだろ」
妙なところは倫理的な魔王ににユウは驚く。
「まだ侵略を始めてねェ、テメェの試練結果次第で始めるんだから」
「屁理屈だな、そもそも始めなきゃいい」
「うっせェなァ、適当にやめる程度の覚悟で侵略なんて計画するわけねェだろ」
「……それはそうか」
「まァ家がねェのはもう仕方ない、私様そこらへんの公園で寝ることにするぜ」
「いやちょっと待て」
ユウは引き止めた。
魔王は公園に寝泊まりするとか言い出しやがったから不安になった。
彼女がそうしたら、青少年を保護してくれる警察や、少女を狙う悪人など、この世界の誰かと関わることになるはずだ。
そして繋がりを持った時、家がなくて余裕のない魔王はこの世界に順応した行動をとってくれるだろうか。
それがユウには不安だった。
ほっといたら、どっかでものすごい迷惑をこいつはかけるかもしれない。
そして、それは廻り巡ってユウの不利益にもなりかねない。
「……お前の事泊めてやってもいいよ、家族も海外出張でいないし」
魔王を泊める事にした、嫌だけど背に腹は代えられない。
「そうか?」
「礼してくれれば」
でもただで泊めるほどお人よしではない。
「面白くて、危険で、テメェの知らねェ世界を見せてやるよ」
「いや礼って金とかそういうのじゃない?そんなものを家賃にされると困る」
「一文無しだって言ってんだろが」
「僕が頼んだらパンとか買って来て、店の場所も買い方も教えるから」
「その程度なら安い御用だぜ、今から買ってきてやろうか?」
「明日でいい、だってお店閉まってるし」
ふとユウは気づく。
魔王はユウを不思議なもののようにみてる。
「なにその目?僕変なこと言った?」
「テメェよくそんな平静でいられるな」
「何か悪い?」
「私様と殺しあったヤツは、大概怯えまくっちまうから珍しいぜ」
「へー」
魔王の発言から、ユウは遠くへ思いを馳せる。
彼女はどういう国で育ってきたのだろう、結構殺しあった事があるってことは治安が悪いのはたしかなのだろう。
……しかしすぐその思考をやめる、他者の過去に興味を持ってもしかたない。
それよりも魔王の寝床は何にするかを考えるのが先決だと思った、ベッドも布団も余ってるのはそうそうないのだ。
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さて、今日この日、魔王の試練が始まった。
魔王の試練は、自宅を掃除するというシンプルなお題であった。
だけど掃除道具が動き回ったり、ちょっと戦ったり、血がこべりついたりとトラブルは目白押し。
そしてユウは”熱”という解を導き出し、クリアできた。
それから、試練はまだ続くとユウは知った。
ちょっと楽しかったので続けることにした。
夢を見ているような現実感のなさ、魔法というこの世では本来ありえぬものを体験する興奮。
そういうものがあったからだ。
だが間違いなくそれはいばらの道。
その先に待ち受けるものを、まだユウは知るよしもない。