1話 バ美肉Vtuber野地ヤロリ
バ美肉という言葉を知っているだろうか。
バーチャル美少女受肉の略で、主に男性が美少女のアバターを纏ってバーチャル世界で活動することを指す。
あくまで中身は男性として、外側だけ美少女になる者もいる。
矢井田清彦。独身、34歳。彼もまた、バ美肉Vtuberの一人だ。
女性のフリをして、のじゃロリ系美少女Vtuber・野地ヤロリとして活動している。
立派なバ美肉おじさんだ。
「全く、仕方のないやつらじゃのう」
矢井田がマイクに向かって喋る。
目の前の机の下に設置しているデスクトップPCが、一般的な成人男性の声である彼の声をリアルタイムで加工して、全世界に美少女ボイスを配信する。
幼い少女のようでありながら、少ししわがれた独特の声。まさにのじゃロリを体現する声だ。
[来たーーー!]
[助かる]
[さすがヤロリママ!]
机の上に置いてあるモニター。
Vtuer野地ヤロリのライブ配信を見ている視聴者たちのコメントが勢いよく流れていく。
ヤロリアン(野地ヤロリのファンを指す用語)たちから台詞を募集し、それをヤロリが配信で口にするコーナーの始まりだ。
送られてきた台詞には欲望や性癖が含まれている。
それを向けられる側として気持ち悪いと思う一方で、同じ男として向ける側の気持ちも分かる。
だから矢井田は彼らの気持ちを無下にはできなかった。
「わしはお主らみたいな大きなこどもを産んだ覚えはないんじゃが」
矢井田が演じているヤロリは、ママとか母上とか、母に関連するワードを使われることがある。
なんでもバブみがあるからだそうだ。
配信を見てくれることが嬉しくて、ついついヤロリアンたちを甘やかしてしまうからだろう。
[はよしろ]
「待たんか。そう急かすな」
和風の着物(えっちな感じに改造されている)を着たロリ美少女。
ただのロリではなく、額には2本のツノが生えている鬼娘であり、可愛らしい風貌でありながら、長命種として長い年月を生きてきた経験も感じさせる。
野地ヤロリは、矢井田の性癖を詰め込んだ最強の美少女だ。
「お兄様! わしはお兄様のことが大好きじゃ!」
◆
今日の配信も終わりに近づき、スパチャ読みのコーナーへと移った。
スパチャとは動画配信サイトにおける仕組みの一つだ。ライブ配信中に視聴者が配信者に金銭を送ることができるもので、簡単に言えば、お布施みたいなものだ。投げ銭とも言われている。
配信者側にとっては、配信している動画が再生されることによって得られる収益と並んで、大事な収入源になっている。
スパチャには一つの特徴がある。
コメントに付随する形でスパチャができるのだ。
スパチャありのコメントとして、他の普通のコメントとは差別される。しかもかけた金額によってコメントの色が変わり、より高額なスパチャほど、視聴者からも配信者からも目立ちやすくなっている。
配信者に認識してもらいたい・他の視聴者とは区別されたい視聴者は、高額なスパチャをする。
よくできたシステムだと思う。
慣習として、スパチャのコメントは読み上げることになっている。
配信しながら読み上げることもあるが、今回の配信では配信中に触れている暇がなくなったため、最後にまとめて読み上げてお礼をすることにした。
「おっ、またお主か」
スパチャにお礼を述べていくと、一つのスパチャが目に入る。
旧都アグレスというアカウント名のヤロリアンだ。
[またこいつか]
[厄介ガチ恋ニキ]
[きもいストーカー氏ね]
他のヤロリアンたちの反応はあまりよくない。
旧都アグレスというアカウント名は、数か月前から目にするようになった。
いつもスパチャは上限額を投げており、しかもそのコメント内容にいささか問題があった。
[やぁヤロリ、この前の配信から81,321秒ぶりだね。会えない時間が愛を育てるって言葉を聞いたことがあるかい? ヤロリの配信がない1秒ごとに、僕のヤロリへの愛はどんどん大きくなっていく。このままだと僕の愛が宇宙よりも大きくなってしまいそうだ。愛のビッグバンだね(笑)。宇宙すら凌駕する僕の愛はヤロリだけに注がれている。ヤロリはとっても優しい子だ。優しすぎるから、君はみんなに愛を注いでしまう。あぁ、僕の可愛いヤロリ。僕だけに愛を注ぎ返してくれたらそれでいい]
要するに――自分だけを見てほしいということだ。
Vtuer野地ヤロリという存在は、既に矢井田だけのものじゃない。
誰か特定のファンのものでもない。
矢井田と、ヤロリアンたちみんなのものだ。
旧都アグレスはその共通認識を弁えておらず、ヤロリに対する独占欲が異常に強い。
しかも好きな子を虐めたいタイプなのか、ヤロリを困らせるような発言をよくしている。
「すまんのう。わしの美貌は全世界に届けねば、世界にとって損失じゃろう?」
[自分で言うなし]
[ヤロリは国宝級]
旧都アグレスというファンが本気で言っているのかは分からない。
でも彼(あるいは彼女かもしれないけど)からは危ういものを感じる。
だが熱心にヤロリのことを想ってくれているのは事実で、だから彼のことを嫌いになれないでいた。
◆
スパチャの読み上げも終わり、今日の配信が終わった。
(感触はまずまずかな?)
矢井田はいわゆる会社によるバックアップを受けている企業系Vtuberではなく、あくまで個人でやっている個人系Vtuberだ。
今をときめく企業系Vtuberグループ【夢現】ほどの人気はないけれど、個人系Vtuberとしては上位に位置している。
チャンネルの登録者や配信の視聴者数もそれなりで、お陰様でVtuberとしての収益だけで十分に生活することができている。
「ん~」
椅子から立ち上がりノビをする。
配信中は基本的に座りっぱなしなので少し腰が痛い。
配信専用にしている部屋から出て、リビングのソファーに横になりながら、テレビの電源を点ける。
ちょうどニュース番組が放送されていたので、そのまま視聴する。
こういう時事ネタがVtuber活動時のちょっとした雑談に活かせたりするのだ。
普通の社会人として働いていたころよりも熱心にアンテナをはるようになったのは皮肉が効いている。
――ピンポーン。
インターフォンの音が鳴った。
集合玄関ではなく、玄関前のインターフォンが鳴らされたらしい。
慌てて玄関まで行く。
扉を開けると――とんでもない美少女が立っていた。
野地ヤロリが最高最強の美少女であることは揺るぎない事実だ。
それはそれとして、今までリアルで見てきた中で(いわゆる3次元の中で)、テレビで見た芸能人やアイドルを含めたとしても、一番の美少女が目の前にいる。
矢井田は色々あって仕事を止めて、今はほぼ引きこもり状態だ。
彼女のような超絶美少女と親密な仲になれる可能性はゼロだから、こうして目の前に現れても冷静でいられた。
きっと真っ当な社会人だった頃なら、なんとかしてお近づきになれないかと夢想し、しかし何もできずに終わっていたことだろう。
この美少女はいったい何の用だろうか。
心当たりは何もない。
とりあえず、彼女の言葉を待つことにした……のだが、美少女は矢井田を見て固まっている。
口をポカンと開けて呆然としていた。
美少女はそんな間抜けな姿ですら絵になるらしい。