第二話 蛹が蝶に羽化するように
「変じゃない……?」
「いや……変じゃないというか……」
あまりの変貌ぶりに言葉が出てこない。
春を先取りしたようなワンピースの上にふわりと袖を通さずに肩にかかったカーディガン。
制服越しだったせいで分からなかったが私服姿だと中学を卒業したばかりにしては大人びていてメリハリのある体のラインがうっすらと強調されている。
変わったのは服装だけではない。
普段の三つ編みはゆるりとウェーブのかかった艶やかなロングヘアに変わっていて、それがより一層清楚な印象に拍車をかけている。
それにトレードマークのようにいつもかけていたメガネは目元にはなく、キレ長で涼し気な目元が露出している。
そして露出した顔周りにはメイクが施されていて、大人びた雰囲気が醸し出されていた。
「気合い……入れすぎたかな」
えへへ、とはにかむと口元にはえくぼが浮かんだ。
そのえくぼがひょっとしたら別人じゃないかという勘違いを打ち砕いてくる。
笑うと幼く見える表情に浮かぶえくぼは紛れもなく樋本さんの、それだった。
「いや……すごい……似合ってる」
「ほんと? 嬉しいな」
語彙力はどこかに飛んで行ってしまった。
ここは彼氏として美辞麗句を並べ立てて気合を入れてきてくれた彼女のことを褒めるべきなのだろうが……俺には無理だった。
まずい、可愛さで意識が飛びそうだ。
頬肉をブルブルと振って強制的に意識を引き戻す。
ふとした疑問が頭をよぎる。
──あれ? 俺これからこの樋本さんの横を歩かなければいけないの?
今の樋本さんは客観的に見ても相当な美人だ。
現に今も男女問わず周囲の視線を暴力的なまでに引き寄せている。
これから俺はそんな樋本さんの隣を歩くことになるのだ──彼氏として。
ふと自分の身体を見れば、どこもかしこも駄肉だらけ。
それにチビだ。
俺は覗き込むようにしか樋本さんの顔を見ることができない。
身長差が10cm以上あるから。
俺だって今日のために気合を入れてきた。
慣れない整髪剤を付けて髪形を整えて、服だって新調した。
少しは普段とは違う自分になれたかな、と鏡を見るのが少しだけ楽しかった。
だが、目の前にいる樋本さんの蛹が蝶に羽化したかのような変貌ぶりを見ると、俺の変化なんて豚の毛が生え変わった程度の変化でしかないように思えてしまう。
そんな劣等感に似た申し訳なさを押し殺して初デートをスタートさせた。
「それにしても……本当に似合ってるよ」
「嬉しい……相羽くんも雰囲気が違って素敵」
「──ありがとう」
胸が跳ね上がるくらい嬉しい言葉のはずなのに、今の俺には惨めにしか感じなかった。
「あのね、今日のためにねお姉ちゃんにいっぱい色んなことを教えてもらったの」
「そういえば大学生のお姉ちゃんがいるんだっけ?」
中学の時にした会話の中でそんなことを聞いた覚えがある。
「実は今日の服もメイク道具もお姉ちゃんのおさがりなんだ」
「凄いよ、しっかり着こなしてて」
「ホント? 少し背伸びしすぎてないかなって心配だったの」
「樋本さんはスタイルいいから……」
「え!? そんなことないよ……でも、嬉しいな。相羽くんにそう言ってもらえるなんて」
樋本さんはキラキラとした笑顔を振りまいて頬をわずかに赤らめている。
それがもうべらぼうに可愛い。
今すぐに好きだと叫びたくなる気持ちを抑えるのに必死だった。
初めてのデートはぎこちないながらもつつがなく進んだ。
二人でコメディーに寄ったラブストーリーの映画を見て、その後俺たちは少し背伸びしてオシャレな感じの喫茶店に入った。
店内はジャズが流れていてシックな装飾で統一された大人びた雰囲気のあるカフェだった。
客層も大学生くらいのカップルが大半を占めている。
そんな中で樋本さんはともかく俺は確実に浮いていた。
木目調の座席に向かい合って座って、さっきの映画の話題で盛り上がっていると
──ねえ、見てよあのカップル
──うわ、あの娘めっちゃ可愛いのに男の趣味悪
みたいな声が聞こえてきた。
俺はただ下唇を軽く噛んで聞こえないフリをしたのだが、樋本さんは勇敢にもその声がした方向をギロリと睨みつけた。
視線が二つ、脇に逸れるのを感じる。
「あんな人たちの言うこと真に受けないでいいよ。私はどれだけ相羽くんがかっこいいかって……知ってるから」
「ありがとね、樋本さん」
「そのね、付き合ってるんだからさ……出来れば下の名前で呼んで欲しいかなって。ダメ……?」
さっきまでの威勢はどこへやら、急にしおらしくなった樋本さんが指と指をついついと合わせながら上目遣いで俺を見つめてきた。
その破壊力たるや……。
抗える男なんて多分この世にはいないだろう。
「じゃあ……涼音」
「私も、いい? 将也……くん」
甘酸っぱい空気に視線が集まるのを感じる。
今度は巣立ちする鳥を見守るかのような生暖かい視線が大半だった。
彼氏の特権だから……とカッコつけて、喫茶店での支払いは俺が持つことにした。
そして何とも健全な初デートは無事に終了した。
多分涼音に悪い印象は持たれなかったと思う。
だけど……。
──うわ、あの娘めっちゃ可愛いのに男の趣味悪
脳の裏側にへばりついたあの言葉。
あれだけ綺麗になった涼音の隣に俺がいていいのか……?
浮かんでしまった疑問。
その疑問を振り払うために帰宅した俺は、親友である田代慧に電話をかけることにした。