無意味な曲線
自分が夢を見ていると自覚していて、かつ非常にはっきりとした夢。
明晰夢。
私は今、セーラー服を着て
高校の通学路の途中にある百貨店の5階にある画廊にいる。
横には同じくセーラー服を着て杖をついた、まだ高校生の頃の由美がいる。
画廊では丁度焼き物の個展をやっていて、由美は私の横であの頃のようにその焼き物を熱心に眺めていた。
由美がこちらを向く。
「今日はごめんなさい、付き合わせてしまって。」
「別にいいよ、そんなこと。ところで、ねぇ。由美、なんで由美はさ、焼き物好きなの?」
「そりゃ、面白いからだよ。」
「わたしにはイマイチその面白さが何なのか分かんないんだけど。」
「うーん、何故か、ね…。そう言われるとちょっと説明が難しいなぁ。んーとね、焼き物が面白いのは、焼き物を形作る要素がとても興味深いから、かな。」
「要素ってどんな?」
「そうだね…、その要素は大きく2つあると思う。一つは人為的要素。もう一つは偶発的要素。まず、人為的要素から説明していくね。焼き物は、花瓶、皿、湯呑みに茶碗なんかがその大半を占める。ここで一つ質問。
香奈はサルトルの実存主義って知ってる?」
「ううん、知らない。」
「実存主義は哲学に於ける考えの一つなんだけど、平たく言えばつまり、道具は存在に当たってその理由が先立つけど、人間はそうではないってこと。」
「それが焼き物とどう関係するの?」
「それは後々説明してあげる。で、話を戻そう。この実存主義に当てはめると、焼き物って言うのはさ、存在するに当たってその存在理由が先立っている筈なの。それによってその形を成しているって言える筈なの。でも、焼き物は決してそれだけじゃないんだ。焼き物はね、人為的でありながら、その形の中に偶発的要素を秘めているの。
昔ね、「ペスト」って言う本を書いたカミュって言う文豪がいたんだけど、その人がこう言ったの。
『人間は例え意味のない世界であっても、永遠にその意味を探し続けるだろう。それが人間の最も不条理な部分だ』って。
人間の生活や行動の基礎は全て『意味』の上に成り立っている。『意味』無くして人間は1日たりとも生きては行けない。故に人間は意味の囚人であり続けると同時に、意味の牢番を自ら進んで行い続ける…。」
そう言って、由美は静かにその視線を目の前の焼き物に移した。
「…八代目清水六兵衛の花瓶…。」
長方形の側面の四角柱の上に逆さまの台形が載っていて、その台形の右上のと左下に太い裂け目があって、その裂け目の周辺が滑らかに歪んでいる。
由美はその歪みを指差した。
「この歪み…。焼き物はね、元となる土を焼く際に、その熱で完成品に歪みが出る。これが焼き物の偶発的要素。そこには、何の意思も意図もない。たまたま、偶然に生じたその曲線には意味がない。きっとこの歪みにはちゃんとした名前があるんだろうけど、私は知らないから勝手に『無意味な曲線』って呼んでる。…でも、意味がないにも関わらず、この曲線は美しい。それだけじゃない、この世界には意味などないにも関わらず美しい物が沢山ある。悠々と流れる大河、空に浮かぶ雲、秋に色づく紅葉、苔むした岩、寄せては返す波…。どうして、それらは美しいと思う?私は、それらは意味が無いからこそ美しいんだと思うの。」
「意味が無いからこそ美しい?」
「そう、人間は意味から離れることは出来ない、それなしでは1日たりとも生きながらえていけない。
つまり、人間は意味に束縛されている。そして、意味に縛られている限り人間は決して『真の自由』を得ることが出来ない。
でも、この『無意味な曲線』はその存在に意味を必要としない。この曲線は、私たちには絶対手に入れることの出来ない『真の自由』を内包しているのよ。その憧憬から私達はある種本能的に『無意味な曲線』に美を見出す。
実際、焼き物の世界ではこの偶発的要素は、作品の良し悪しを決める非常に重要な要素なの。ここで、さっき話した実存主義を思い出してみて。道具は存在に当たってその理由が先立つけど、人間はそうではないって話だったでしょ?きっと、初めにこの偶発的要素を重要だと考えた人は、最初から意味を持って作られる道具である焼き物に、『無意味の美』を取り込む事で、自身の作品を単なる道具ではなく、芸術の域まで高めようとしたのね…。」
「なるほど…。そうして見ると確かに面白いかも知れない。焼き物には本来二律背反である筈の要素が同時に混在しているのね。」
「そう。しかも、ここから導かれる推論は更に複雑で面白い。」
「どういう推論?」
「『無意味は無価値』では無いという推論よ。この事から無意味には『美』そして『真の自由』という価値がある事が証明された。そしてそこから更に面白い推論ができる。
価値がある以上はそこに意味だって生まれ得る。つまり『無意味は有意義』であるとも捉えることができ得るの。しかし、もしその推論が正しいなら、無意味は有意義で確かに意味があるにも関わらず、その源は無意味って言うパラドックスが成立するのよ。これって不思議じゃない?」
「言われてみれば確かに…。」
由美はこちらを向いてにこりと微笑んだ後、少し俯いて、もう一度こちらを見た。
私はその何処か切なげな瞳に、触れれば壊れてしまいそうなほど儚い印象を受けた。
由美が語り始める。
「ここから、私は死が、決して無意味なんかじゃないと思うの。
…だから、どうか私が死んでも悲しまないで。」
「「pppppppppppp!!!!!!!!!」」
けたたましい目覚まし時計の音で私は目を覚ました。
側で鳴り続ける目覚ましを一旦止めて、アラーム機能のスイッチを切る。
…随分と懐かしい夢を見たものだ。
でも、最後の言葉は…あんなことは、由美は言っていなかった筈だ。
キッチンに移動して冷蔵庫から食パンを取り出して、ハムと薄い正方形のチーズを乗せ600Wで1分レンチンする。
レンチンが済むまでの間に洗面所に行って顔を洗い、それが済んだらレンジからパンを取り出して、牛乳をコップに注いで、ダイニングに移動。適当にニュースをつけて、流し見しながら朝食を摂るのが、私の毎朝のルーティンだ。
普段と違うのは…
「ごちそうさまでした。」
私は食べ終えたパンの皿とコップを流しに持って行って水に浸ける。
そしてクローゼットに行き、クローゼットの奥の透明なプラスチックの箱から、真っ黒な喪服を取り出す。
クリーニングの袋に覆われたそれは、久しぶりに取り出したものの、埃も被っておらず状態は良好のようだ。
もう40年以上前からずっとこの日が来るのを覚悟していた。
でも、いざその時になると全くもって現実味が湧かない。脳裏にまだ今朝見た夢の余韻が残っていて、まだ夢の中にいるんじゃないかと錯覚してしまいそうだ。
そのせいで、手元の喪服の、硬い、ざらざらした布の触感は砂を噛むような無機質な感じがした。
鞄に必要なものを詰める。
数珠、袱紗と不祝儀袋に香典あと水筒、空模様が少し怪しいので折り畳み傘。持ち物は必要最低限の方が良い。
葬儀場までは車で行く。
10年間乗り潰してきた愛車のラパンのエンジンをかけ、私はアクセルを踏んだ。
木花 由美
先週死んだ私の親友。
享年46歳。
彼女は持病を抱えていた。
病名は進行性骨化性線維異形成症。
通称FOP。
全身の筋肉や靭帯が徐々に骨に変わっていく世界的に見ても稀な奇病だ。
患者は筋肉が骨化することにより少しずつ体の自由を奪われてゆく。内臓の筋肉は骨化しないものの、肋骨の内側が骨化により圧迫され、呼吸障害が起きたりする。最終的には体内器官を圧迫され、患者は死に至る。
IPS細胞の発見により病気の進行を遅らせる薬は開発されたものの、そのメカニズムは謎が多く、未だ治療法は存在しない。
患者の平均寿命は40代と言われている。
私と由美は幼馴染みで、家も近くて、家族ぐるみでの関わりがあった。物心ついた時には、彼女の骨の関節は徐々に骨化が進んでいて、昔からよく病院に通っていた覚えがある。
でも、その頃の私はまだ事の重大性を理解してはいなかった。
その時の私にとって、死はただの一単語以上の意味を持たなかった。
現象としての死を知らなかった訳じゃない。
潰されたアリだって見たことあったし、真っ白になったダンゴムシだって知っていた。
ただ、それは風が吹くとか、水が流れるだとかと同列の、当たり前のただの現象でしかなくて、それが「死」なんだと意識したことはなかった。ましてや、その現象が自分に、はたまた由美にも起こり得るだなんて想像だにしなかった。
ある日、保育園で突然由美が泣き出したのを今でも良く覚えている。お外遊びの時間の最中のことで、私達は園庭の隅でシロツメグサの花を摘んで遊んでいた。不意に私がアリを踏んづけて殺してしまったのを見て、由美は泣き出した。私の右手を強く握り、その場にうずくまって大きな声で泣いた。
私は不思議で仕方なくて、
「どうしたの?」
と尋ねた。
「怖いの。」
そう、由美は答えた。
「何が怖いの?」
私が聞くと由美はそのまま押し黙ってしまった。そして暫くして躊躇うようにこう答えた。
「私、死んじゃうんだって。」
その日、私は初めて「死」という言葉の本当の意味を知った。
そして、それは由美にも、私にも平等に訪れるということも。
後で由美に聞くと、その日の前日、由美は通院先の病院で自分の病気についての説明を受けたそうだ。
幼い私たちにとって、その切実な現実は、自分の身を脅かす初めての具体的な恐怖だった。あの日の夜ほど暗闇が恐ろしかった夜は無い。周囲は闇で囲まれて、どこにも逃げ場は無かった。小さなベッドランプの光が照らす範囲は狭くて、私が目前に抱える大きな不安を包み込むには余りに窮屈過ぎた。私はただ打ちひしがれて怯えるだけだった。
信号待ちをしていると、ぴとりとフロントガラスに水滴が落ちた。
一つまた一つと落ちてた水滴は、次第にその数を増やし、葬儀場に着く頃にはすっかり小降りの雨となっていた。
傘を持って来て正解だった。
由美には旦那さんと悠君という今年14歳になる息子がいる。
由美も強い人だと思うが、旦那さんもまたとても強い人だと思う。
由美の大学の同級生だった人で、大学の先生をしている。愉快だが生真面目で、何処か達観したような人だ。
そして、悠君の方だが、彼は2人の間に出来た子供ではない。養子なのだ。
由美の持病は遺伝性で、必ずという訳ではないが子供に遺伝してしまう可能性が少なくなかった。由美は自分と同じ思いを子供にさせるのを嫌い、夫婦間の談義の末養子を取ることにしたそうだ。
「おはようございます。」
「あぁ、香奈さん。おはようございます。」
先に控え室に来て、会計の計算をしていた旦那さんが答える。
「この度はご愁傷様でした。…あ、えーと、これ、不祝儀袋です。」
「あぁ、すみません。ありがとうございます。…にしてもこんな早くからお手伝いに来て下さるなんて、本当に助かります。」
「いえ…とんでもありません。早速何かお手伝いできることはありますか?」
「いえ、香奈さんには受付をして頂きたいんですが、まだ皆さんが来るまで時間がありますから、会計は僕一人で大丈夫なので、よろしければ由美に会って来てやって下さい。きっと喜ぶと思うんで。」
「そうですか…。それではそうさせて貰います。」
「あ、荷物は奥に畳の部屋があるので、そこの適当な所に置いといて下さい。」
「わかりました。」
広い、白を基調とした式場のホールの大理石の床の上には、30脚程の椅子が左右対称に綺麗に並べられていて、その真ん中には通り道として2メートルほど間隔が開けられていた。
その道の先に、花で囲まれた由美の遺影と棺はあった。
棺を覗いた瞬間、訳がわからなくなった。
目を逸らしたい。
でも見つめずにはいられない。
頬はうっすら紅が挿してある。
でも肌はほんのりと白い。
閉じた目のまつ毛が綺麗。
髪も艶やか。
でも唇は重苦しい灰色。
昔から目鼻立ちが整っていた。
肌が白いせいか
陰影がはっきりして
普段より美しく見える。
でも、まるで蝋人形みたい。
言葉と感情の奔流が理性を呑み込む。
頭から血が引いていく。
逆に体は激しく発熱する。
指先が覚束ない。
胸が
苦しい。
とても。
胸に手を当てると、首筋があたたかくなって引いていった血流が戻ってきた。
「由美。」
私は棺で目を閉じている由美に声をかけた。勿論その返事が返ってくるはずはないけれど、死化粧をした由美は余りに死んだように見えなくて、ひどく虚しかった。
なんだか胃の裏側にふわふわとした覚束ない感覚があって気持ち悪い。
私は完全に持て余していた。
由美の死は40年前から覚悟していたことだ。
だから、受け入れられない訳じゃない。
けれど、私はこの死とどういう態度で向き合えばいいのかわからない。
この胸の内に渦巻く感情を、素直に受け入れるべきなのか、それとも押し留めておくべきなのか。
「…由美、貴女の人生は
納得のいく形になったかしら。」
「死」の意味を知ってからの由美は、何か僅かばかりの「生」を求めてもがいているように見えた。
症状の進行に差はあるとは言え、FOP患者は20代頃になると歩くことが出来なくなり、車椅子の生活を余儀なくされる。更に、打撲などをすると症状が進行する為、外出もほぼ出来なくなる。
50年近く生きられると聞けば、そこまで短い寿命ではないと思う人もいるが、そうではない。
FOP患者が何かをしようとして出来る範囲も期限もとても限られているのだ。
由美は
人が、そして、自身が生きて死ぬその意味を強く求めるようになっていった。
その答えを求めるのが、由美の生きる意味になっていった。
午前10時になると一気に人が集まった。
通夜なので親戚とごく親しい人しか集まっていない。私は殆どの由美の親戚の皆さんとは納棺の時に顔をあわせただけの上、親戚でもない人間が受付などしていたら嫌な目でも見られるのではないかと思っていたが、杞憂だったようだ。
私がかなりの頻度で由美のお見舞いに行っていたことは、思いの外親戚の皆さんに周知されていたようだった。
10時半には全員が集まり、無事読経に入った。
読経は1時間半に及び、行事は通夜振る舞いに入った。
食事を終えた私は、少し席を外して外に出た。
葬儀場のエントランスホールには一面ガラス張りの壁があって、その向こうには池のある庭園が併設されていた。エントランスホールの隅の扉から外に出る。
空はまだ曇っていたが、雨はいつの間にか止んでいた。
初夏の熱気は雨上がりのひんやりした湿気に打ち消され、とても気持ちが良い。
池には石橋がかかっていて対岸まで行けるようになっていた。橋のそばの水面にちらちらと錦鯉の鮮やかな紅白の鱗が見えた。
対岸の先に小さな屋根付きの小屋があった。
ベンチが併設されているようで、そこには人影があった。
私は近づいて声をかける。
「隣、いい?」
彼もこちらに気づいたようで、突然かけられた声に驚いた風だったが、変声期独特の少し高い声で静かに答えた。
「香奈さん…。どうぞ…。」
「悠君、どうしたの?こんなところで。」
少年は少しばつの悪そうな顔をして目を逸らした。
「言いたくないなら無理に答えなくても大丈夫よ。」
思うところがあったのか
少年は少し目を細めて難しい顔をした。
しかし、顔を上げこちらを向き、言った。
「むなしいんです。とても。」
私は問い返す。
「それは…どうして?」
「…初めて、母さんの病気を知った時から、ずっと考えてる事があるんです…。
初めて母さんが死ぬ事を知ったとき、俺はまだ5歳でした。その時の俺は無知だったんです。母さんがいつかいなくなるんだ、なんて考えたことも無くて、凄いショックで、怖くて…。
でも、その時同時にこうも思ったんです。
なんで人は死ななくちゃいけないんだろうって。何のために人は死ななくちゃいけないんだろうって。
…でも、いくら考えても結局死っていうものに意味を見出せなかったんです。どこまで行ってもそれは、水が高いところから流れたりするのと同じ自然現象の一環で、そこに意志の介在が無い以上、意味なんて見いだしようがないんです。
だとしたら、母さんは何の意味もなく死んだように思えて…なんだか…虚しいんです…。」
不意に心臓が高鳴るのを感じた。
「不思議ね…。」
「へ?な、何がですか?」
「いや、貴方の言ったことと同じようなことで由美も迷っていた頃があったなと思って…。」
「そうなんですか?」
「えぇ。とても、悩んでいたわ。」
「そうですか。」
「そしてね、悠君。
死には確かに意志の介在はないけれど、
死は決して意味のないものではないわ。
少し昔話をすると、
由美はね、焼き物が好きだったの。高校生の時よく一緒に焼き物の個展なんかを見に行ったりしたわ。
由美はね、焼き物に人生と近いものを見出していたわ。
ミッシェル・フーコーを知っているかしら?」
「いえ、知らないです。」
「フーコーは20世紀初頭に活躍した哲学者なんだけれど、彼は人生というものを一つの芸術作品のようなものではないかという考えを持っていたの。由美はフーコーのその考えが好きだった。」
「それが、どう焼き物と結びつくんですか?」
「そうね。そこには、焼き物を構成する要素と人間が意味に縛られて続けていることが深く関わっているわ。
焼き物には、大きく分けて二つの構成要素があるの。一つは人為的要素。もう一つは偶発的要素。焼き物は、まず土をこねて形を作って、それを窯で焼くという工程で作られる。土をこねて陶器の形を作る。これが人為的要素。そしてその形作ったものを焼き上げるこれが偶発的要素よ。陶器はね、焼き上げる時にその熱によって色合いが変化したり、形が歪んだりするの。由美はこの偶発的要素を『無意味な曲線』って呼んでいたわ。この偶発的な部分は作品の良し悪しを決める重要な要素なのだけれど、どうしてこの要素がそこまで重要だと思う?」
少年は少しの間考えて込んで答えた。
「いえ、わかりません。」
「由美はその理由を、『この偶発的要素は焼き物自体を意味というものから解き放つものだから。』と結論付けたわ。」
「どうしてそうなるんですか?」
「カミュっていう文豪がこんなことを言っているの。『人間は例え意味のない世界であっても、永遠にその意味を探し続けるだろう。それが人間の最も不条理な部分だ』って。
人間の生活や行動の基礎は全て『意味』の上に成り立っている。『意味』無くして人間は1日たりとも生きては行けない。故に人間は意味の囚人であり続けると同時に、意味の牢番を自ら進んで行い続ける。
つまり、人間は意味に束縛されている。そして、意味に縛られている限り人間は決して『真の自由』を得ることが出来ない。
でも、この『無意味な曲線』には、何の意思も意図もない。たまたま、偶然に生じたその曲線には意味がない。その存在に意味を必要としない。この曲線は、私たちには絶対手に入れることの出来ない『真の自由』を内包しているのよ。そして、その憧憬から私達はある種本能的に『無意味な曲線』に美を見出す。
由美は、『きっと、初めにこの偶発的要素を重要だと考えた人は、最初から意味を持って作られる道具である焼き物に、『無意味の美』を取り込む事で、自身の作品を単なる道具ではなく、芸術の域まで高めようとしたんじゃないか』って言っていたわ。
由美は、焼き物を焼き上げる作業は、作品に『無意味』の要素を付加する事でより芸術的な意味を与えるものだと考えたのよ。
そして、人生を作品だと考えていた由美は、「死」とはこの焼き物を焼き上げる作業と同じ、『無意味の美』を付加するものだと考えていた。
確かに死は無意味だけれども、必ずしも無意味が意味を持たない訳ではない。
由美は自分の人生を最良の作品として形づくることを生きる意味とすることで、「死」という無意味に意味を持たせようとしたの。」
「そうだったんですか…。」
「そう。だから、死は決して意味のないことじゃない。」
少年は暫く俯いて、それから、すっ、と横を向いた。
「すみません、少し向こうを向いててください。」
少年は泣いた。
叫ぶように嗚咽を上げて。
胸の奥が突然熱を帯びた。
心の内側の張り詰めた糸がするりと解けていくような気がした。
次の瞬間、その熱はぐっと喉元を駆け上がって、私の瞼の裏から外へと溢れ出した。
由美が死ぬ意味を求めた理由は、自分のためだけではなかったんじゃないかと私は思う。
由美は私に必要以上に悲しんで欲しくなかったんじゃないか、私が由美の死に対して心に遺恨を残さないようにしたかったんじゃないか、と。
彼女は私と何処かに出かけたとき、よくこう言っていた。
「ごめんなさい、付き合わせてしまって。」
由美は、もしかしたら、私が由美と関係を結び、その結び付きを強める度に罪悪感を感じていたのではないかとずっと感じていた。
結び付きを強めれば強めるほど、最終的に私をより悲しませてしまうから。
由美ははっきりとは言わなかったけれど、そう考えていたような気がする。
だから、私は迷っていた。
由美の思いをわかっていても尚止まることを知らない、この胸の奥の悲しみを、遺恨を素直に受け止めるべきなのか、それとも、面には出さず胸の内に秘めておくべきなのか。
でも…今分かった。
————それでも、やっぱり
「私も…由美がいなくなって、
とても、とても、悲しい…!」
私も声を上げて泣いた。
心の内にある物を全て吐き出すように、思い切り泣いた。
涙を流す度に胸がひどく痛かったが、私には由美と関わりを持ったことへの後悔など微塵も無かった。
泣きながら私は気づいた。由美との関わりは確かに私を悲しませることにはなったけれど、それもこれも全てひっくるめて良かったと思えるのもまた、その関わりのお陰なのだと。
確かに由美は私と関わることに罪悪感を覚えていたのかもしれない。もしそうだったとするならば、どうして由美はそれでも私と関わりを持ち続けたのか…。
それはきっと、由美はその事を解っていたからなのだと、そう思えた。
だとするのならば、これもまた由美が生きたことの一つの意味なのかもしれない。
涙が流れるのと共に、次第に胸の痛みは失せていった。
気づけば空はいつの間にか晴れて、周囲の木々からは木漏れ日が差していた。
時計をみると20分が経っていた。
「そろそろ片付けが始まる頃だわ。いきましょう。」
私は少年に声を掛ける。
少年が少し恥ずかしげにこたえる。
「あの…、その前に…」
「何?」
「ありがとう…ございました。」
「こちらこそ、どうもありがとう。」
私が微笑むと、少年もまたにこりと笑った。
雨上がりの風が二人の間を静かに優しく凪いでいった。
見上げた空は、どこまでも、どこまでも透き通った澄んだ青をしていた。
翌日、
由美の葬儀が行われて、私は由美に最後のさよならをした。
葬儀を終えた由美の棺は、火葬場に運ばれて燃やされた。
ボイラーから出てきた由美の遺骨は、無数の破片となって砕けていたが、そのうちの大きな破片の幾つかが炎の熱で溶け歪み、滑らかな曲線を描いていた。
その、曲線を
私は、とても、とても、美しいと思った。
※FOPは実在の病気です。