第3章 エリザベータ・ポリエ
フランソワーズ・ピノンの絵はまだ仕上がらなかった。
藤倉仁吾がこのアトリエに来るのも四回目だった。
「そろそろ完成するのかい?」
ポーズをとりつつ、仁吾は訊ねる。
「もう少しよ。芸術はあせっちゃだめ」
電子キャンバスの上で指をすべらせながら、フランソワーズはこたえる。
熱心に作業を続けるフランソワーズの手がときおり止まり、考え込むが、一、二分もすると、また指が動く。絵を描いているときのフランソワーズは、相変わらず異様なオーラを放っていた。
その間、仁吾はべつのことを考えていた。未だ連絡の取れないアントニオと、ジョンブリアンで見た張り紙。そして、気になったので、ネットのコミュニティで「尋ね人」を検索してみたら、かなりの数がヒットしたのである。最近の日付けで、地球人に限定しても数人がヒットした。アメンテに住む地球人二千人のなかで、数人……。それが多いのか少ないのか、仁吾には判断がつかなかったが、なにかが水面下で動いているような気がした。
アントニオがなにかの事件に巻き込まれてなければいいのだが……。
「仁吾さん……」
「はい?」
「絵を見てくださる?」
「できあがったのかい?」
「いいえ。まだ仕上げの途中よ。でももうモデルをしてもらわなくてもいいの。あとはわたしのイメージで一気に完成させるから」
仁吾はフランソワーズの電子キャンバスをのぞきこんだ。
そこには、複雑な線で構成された仁吾の姿が、凝縮されたスタジアムを背景に描かれていた。まだ完成には至っていないとはいうものの、フランソワーズの脳内を転写したような異様なパターンが見る者に迫ってくるようだった。
「…………」
絵のことはよくわからない仁吾は、感想をうまく言葉にできない。
「これまでで最高の絵ができるわ」
フランソワーズは自信たっぷりだった。
「だんだん構想が膨らんできてね――」
熱い息が、仁吾の耳元に届いた。
「あなたをモデルにもっともっと描きたくなってきたの。だから――」
「また、モデルですか。いいですよ」
フランソワーズの激しすぎる思いはじゅうぶん仁吾に伝わって、ここまで熱心なら、疲れるとはわかっていても次作のモデルも引き受けようと思った。モデルに選ばれたのが自分なのだから、と。
が、フランソワーズはかぶりを振った。
「仁吾さん。あなたをもっと知りたいの……。だから、わたしとつきあってちょうだい」
目がうるんでいた。
仁吾は瞠目した。
フランソワーズの両手が仁吾を捕らえていた。
予想していなかった展開に、仁吾は口をパクパクさせ、しばらく言葉がでない。
「ちょ……ちょっと待ってください」
仁吾は唾を飲み込み、やっと言った。
「あの……それは……」
フランソワーズは仁吾の困惑に気がついた。
「仁吾さん、だれかつきあっている女性いるの?」
「いや……その……」
エリザベータの顔が脳裏に浮かんだが、彼女とは全然そんな関係ではなかったから、すなおに肯定できなかった。
しかし、だからといって、エリザベータをあきらめてフランソワーズとつきあう気にはなれなかった。目の前にいるフランソワーズをそういう目で見たことはなかった。
「フリーなら、わたしとつきあってもかまわないでしょ」
フランソワーズは、裸の仁吾に身体を寄せてくる。
「待ってくれ。いきなりそんなこと言われても……。とりあえず、服を着たいんだが……」
「ああ……わかったわ」
フランソワーズは初めて気がついたように、仁吾の腕をつかんでいた手を離した。
カゴに入れられた衣服を取り上げ、着ながら仁吾は困っていた。
「絵が完成したら、知らせてくれ。それから、今の返事は……」
「待つわ。すぐにっていうのも無理だろうし……」
断ろうとしていた仁吾だったが、はっきりと言えなかった。仁吾はアトリエを出た。
藤倉仁吾の足は、自然とジョンブリアンに向いていた。いつもはジムを終えてから行くのだが、今日はジムへは行かなかった。
ドアを開けて入ってきた仁吾を、ショーケースの向こうにいたエリザベータの母親がみとめた。
「いらっしゃい。藤倉さん、今日は早いんですね」
店に毎日のように顔を出していたから、エリザベータだけでなく、母親ともすっかり顔なじみだった。
「あの……エリザベータさんは……」
「いますわよ。いま、ケーキを作っているところなの。新作のケーキが評判でね。あの子もはりきっているの。ちょっと待ってくださる? 呼んできますから」
母親が奥にひっこんで十秒としないうちにエリザベータが現れた。赤いエプロンをつけ、頭には白い帽子をかぶっていた。鼻の頭に小麦粉が白くついていた。
「藤倉さん、ごめんなさい。あのケーキ、いま作っているところなの」
無邪気な笑顔でそう言った。この仕事が楽しくて仕方がない、というのが傍目からもよくわかる。
「あの……エリザベータ……」
しかし仁吾は、今日はケーキどころではない。頬を上気させ心臓をばくばくさせながら、勇気を振り絞って言った。
「おれと、結婚してください」
エリザベータと母親は、目を見開いた。
周囲の空気がかたまって、数秒が流れた。
エリザベータは顔を引きつらせ、奥へひっこんでしまった。仁吾がその背中になにかを言う余裕もなかった。
気まずい空気が店内を満たした。
このあとどうしていいかわからない仁吾に、フランソワーズの母親が声をかけた。
「まさか、このまま帰るんじゃないでしょうね」
仁吾は、世にも情けない表情を彼女の母親に向けた。
「エリザベータの返事を聞かないとね……」
そう言う母親の口元は笑っていたが、目は笑っていなかった。
「でも……」
と、仁吾は店の奥へ視線を向ける。エリザベータはひっこんだまま出てこない。店の奥は工房で、パティシエである父親がケーキを作っているはずである。
今頃、仁吾の唐突なプロポーズが伝わっているだろう。父親がどんな思いでいるか、仁吾には想像もつかない。怒鳴り返されるかもしれないと思った。
「待つのよ」
と母親は優しく言った。
仁吾は待った。その間、何人かの客がケーキを買い求めて店に入ってきた。
母親が応対し、仁吾はしばらく放置された。
手持ち無沙汰で店内を見回す。尋ね人の貼り紙もそのままで、まだ見つかっていないようである。
と、父親が現れた。白いコックコートを着込み、頭にはシェフキャップ。いかにも職人という顔つきは頑固そうだった。店先に出てくることはなく、仁吾とは初対面で、エリザベータとは本当に父娘かと思うほど似ていない。
仁吾は緊張した。喉がからからに渇いていた。
「話は聞いたよ……。きみが藤倉くんだね……。ずいぶん急な申し出のようで、娘も驚いているようだ。ぼくも驚いている」
「あ、すみません、実はわけがあって……」
仁吾は大きな身体を固くした。
父親は肩をすくめ、
「そうだろうとも。よっぽどのわけがあったんだろうさ。――グレートロケッツの選手なんだって?」
「あ、はい!」
思わず背筋をのばし、直立不動。
「プレーオフの優勝決定戦……。最後の一分でゴールへ迫ったがボールを奪われた。もう少しで同点になるところ、惜しい試合を落とし、グレートロケッツは六年ぶりの優勝を逃した……。あのプレーは、そのあと評論家にこきおろされた。だが、ぼくはそう悪くないプレーだと思ったよ。タイターンズの選手はあきらかにあわてていたし、普通に攻めていては、たぶん、ゴールをわれなかったろう……」
「ありがとうございます!」
仁吾は明るい顔になった。父親がプロ空中フットボールに詳しくてホッとした。脈があるかもしれない。
「今度もそうだ。きみの申し出は、個人的には悪くないとは思うよ。しかしいささか意表をついたプレイではないかな……」
それに――、と父親は言った。
「選ぶのはあくまで娘だ」
反対はしないものの、諸手をあげて賛成というわけでもなかった。
奥の工房へ引っ込んでいたエリザベータが顔を伏せながらゆっくりと姿を見せたのは、何分後だったろうか……。
両親と仁吾が注目する……。
だれもがエリザベータの言葉を待って、店内に異様な沈黙が流れた。
いつまでも工房にいるわけにもいかないと、出てきたものの、まだ仁吾がいることに、エリザベータはやっと静まってきた心臓の鼓動が再び激しくなるのを感じる。
「あの……」
と、消え入りそうな声で、仁吾の顔を見られない。
「あの……あたし……、仁吾さんとはお付き合いしているわけではありませんし……その……すぐに結婚なんて……考えがいかないんです。だからそういうのは……」
エリザベータはゆっくりと目を上げた。上背の高い仁吾の顔をまっすぐに見る。
「ちゃんとつきあってからにしてください」
「!」
仁吾は緊張に顔をこわばらせて、返答した。
「はい。わかりました」
すると、父親が釘をさした。
「安心するなよ。娘にふられないよう努力しないとな」
その夜、仁吾は興奮のあまり眠れなかった。
デート。
さて、しかしどこへ行く?
フランソワーズに迫られた勢いで、エリザベータと交際が実現したわけだが、もとより計画性のあったことではなかった。具体的になにかを考えていなかったことに改めて気づき、仁吾は途方に暮れるのだった。
ハイスクールを出てすぐプロ選手になってから毎日が必死で気がつけば入団四年目のシーズンを終えていた。ここに至っても、まだ心に余裕ができていない。だからこれまで女性と交際なんかしていなかった。
学生時代のようなデートのプランではいくらなんでもだめだろうと、昔を思い返してかぶりを振る。
だからといって、だれかに訊ねるなどという真似はしたくなかった。それはあまりに情けない。というか、グレートロケッツのチームメイトに訊ねようにも、地球人は仁吾の他には失踪したアントニオがいるだけで訊ねる相手がいない。他のやつに聞いて、地球人の趣味に合わない、とんちんかんなアドバイスを受けて初デートで恥をかきたくはなかった。
で、定番ながら映画に誘った。そのあとは食事にしようと、アメンテでも有名なレストランに予約を入れておいた。だから服装も小ざっぱりした感じのものを選んだ。落ち着いた色のジャケットにタイを締めて。
少し気合いが入り過ぎかなと、姿見に映る自分の姿を気にしつつ、仁吾が待ち合わせの時間にジョンブリアンへ行くと、エリザベータはドレスアップしてもっと気合いが入っていた。
「ちょっと派手じゃないかしら?」
それはエリザベータも意識していて、その服装で映画を見るとなると、権威あるバリーナック映画祭に招待されたゲストスターのようで、仁吾も少しばかり驚いたが、そこまでしてくれたエリザベータの気持ちがうれしくて、一層舞い上がった。
「すごく似合ってるよ!」
と大袈裟な口調で誉めた。
「そ……う、かしら……?」
去年、初めてリゾート惑星ナカンラサθに家族旅行で行ったとき、カジノに着て行く用にとあつらえたドレスだった。それ以外に着て行けるような服をもっていなかった。
もともと興味はもっぱらケーキに向いていて、どちらかというとおしゃれには頓着しない性格だった。
母親がエリザベータの背中を押した。
「さ、楽しんできなさい。いつまでもそんな格好で店にいられちゃ、商売の邪魔よ」
「では、行ってきます」
仁吾は少し照れ臭そうに言うと、エリザベータをつれて店のそとへ出た。
駐車場に入れたフェラーリのドアを開けエリザベータを乗せ、仁吾は運転席に滑りこむ。ステアリングをにぎる手が汗ばんだ。
車載コンピュータに登録された目的地へと、クルマは半自動で走り出す。
クルマの中で二人は会話がはずまなかった。互いになにを言えばいいか、そのきっかけがつかめなかった。
仁吾は片思いがすぎて舞い上がってしまい、エリザベータは単なるケーキをよく買ってくれるお客さんにすぎなかった人以上でなかったから、急に親しくしようにも会話が思いつかなかった。
要は二人とも過剰に意識しすぎなのである。
カーオーディオからヒットナンバーが流れても車内の空気は硬いままで空回りしているような感じ。
窓外を流れるアメンテの街は普段となにも変わらず平和そのもの。話題になるようなものはない。荒野を開いて作られた都市は、ありあまる土地を食いつぶすかのように拡大し、高層の建築物はほとんどなかった。
ガソリンスタンドや牛丼屋やコンビニが窓の外を通り過ぎていく。
交差点をゴルフ練習場の方向に曲がった先、家電量販店の隣が映画館だった。
広い駐車場を取り囲むように映画館が建っている。スクリーンは二十を数え、多種多彩な映画を上映していた。映画館だけではない。レストランや書店も併設してある。
映画なら自宅のホームシアターで観ることが多く、映画館に足を運ぶことはほとんどなかった仁吾は、入場システムがわからずまごまごする。
「ええっと……。『メッセージ・オブ・サテライト』はどこで上映てるんだろ……。チケットはそこで出すのかな?」
前もってチケット予約を入れていたまではよかったが、いまいち詰めが甘かった。
すると、エリザベータが横から助け船をだした。
「あの……こっちです。チケットセンターでチケット番号を照会して、飲み物なんかは先に買っておくんです」
「あっ、そ、そうなんだ……」
快晴で陽射しはあるものの、そう気温も高くはないのに仁吾の額に汗が光った。
売店でコーラを買って、エリザベータのあとについて映画館に入った。周囲から明らかに浮いた服装の二人に、他の客の視線が遠慮なくそそがれる。
上映前の明るい館内は、評判の映画とあってそこそこの込み具合。これ見よがしにカップルが多い。エリザベータが観たいとリクエストしたのだが、仁吾はどんな映画なのか全然知らずにチケットを買っていた。エリザベータが観たいならなんでもよかった。が、館内の雰囲気に仁吾は落ち着かない。
指定されている席につく。
「これはどんな映画なの?」
と小さな声で聞いた。
けれどもエリザベータはなんとなく言いにくそうはにかんだ。甘い甘い恋愛ストーリーで、今日は意識しすぎてなんだか説明しづらい。
やがて上映時間になった。暗がりの中で、スクリーンだけが明るい。
約二時間――。沈黙の時間がすぎていった――。
「おもしろかったですね」
仁吾はぎこちなく言った。正直なところ、それほど面白いとも思わなかったのだが、エリザベータの機嫌を損ねることもないかと思ったのだった。スポーツマンの好みは派手なアクション映画だった。
「そう!」
が、エリザベータは素直にうれしそうに言った。映画の中では登場人物たちが清々しい恋愛ドラマを演じていて、それを自分たちに重ねていた。自分たちも映画のようなハッピーエンドを迎えたいと思って。
映画が終わり、二人は連れ添って予約していた高級レストランへ行くことにした。
クルマで移動すること数分。着いた場所は、広い庭園が有名な、アメンテでも最高級のミシュラン三ツ星レストランだった。
駐車場にはキャデラックやベンツなどの高級車がずらりと停められていて、客層のレベルが知れた。
花形スターというわけではないがプロ空中フットボール選手である仁吾の収入なら、こういった高級店に出入りするくらいできたはずだったが、食に対してほとんど頓着しない性格だということもあって、こういう場所にはこれまで一度たりとも近寄ったことがなかった。しかし、今日ばかりは無関心でいるわけにもいかないと、いろいろと調べた挙句に見つけた店だった。
初デートでこれは〝重い〟とかいう心理もよくわからなかった。しかしそれはエリザベータも同じで、ドレスアップした二人にはちょうどいい店に落ち着いた感じだった。
静かな音楽が流れ、メニューをタッチして注文するのではなく、ロボットではない店員がネクタイを着用して給仕する。料理以外にもカネがかかっていた。
「コースを予約してあるんだ」
案内された席に着いて、仁吾は言った。とはいえ、どんな料理が出てくるのか、食べたことがないからそれ以上は説明できない。というより、テーブルマナーが心細いことに今さらながら気がついた。
「わたし、こういうところへ来ること、あんまりなくて」
エリザベータが言う。
ということは、初めてではないんだな、と初めての仁吾は育ちの悪さがばれてしまわないだろうかと心配になった。
大都市アメンテには地球人街があったが、このレストランはそこから外れた市の中心街にあった。
アメンテの主な人種構成は一番多いメーユン人でさえ十二パーセントを占めるにとどまっており、他は三十種にもおよぶ人種が混ざり合っていた。いわゆる典型的な開拓惑星だった。だから地球文化のアレンジもそれぞれの人種特有のものが多様に交じり合い、このレストランのメニューも多様だった。
一応、前菜、スープ、メイン、デザートと順番に出てくるが、内容は馴染みのない料理ばかりだった。
マジゲ虫の蒸し焼きなんか木槌で殻を砕いて食べなければならなかったし、ピクピク動いているダンジェル魚寿司は上品に食べようとしてもワイルドにならざるをえなかった。
お互いマナーどころではなかった二人は、ワインでほろ酔い気分で店を出た。日はとっぷりと暮れ、イルミネーションが街を飾っていた。
「今日はとっても楽しかったわ」
エリザベータは言った。
送っていきますよ、と仁吾。
アルコールが入っていても、クルマは自動運転だから問題はなかった。もちろん、フェラーリゆえ、オールマニュアルでも運転できたが、仁吾は平素切り替えたことがなかった。実は運転に自信がない。
クルマに戻ると、仁吾の携帯端末に留守番メッセージが入っていたことに気づいた。
マジェル・マジェシーからだった。
「ちょっと失礼するよ」
と断ってから、仁吾はメッセージを再生した。メールではなく音声だった。しかもその声は切迫した声音で、
『アントニオのことだけど……わかったよ。やつはベッケータッケ人と失踪した。いや、正確にはベッケータッケ人にだまされて、失踪したというべきか……。つまり、ここのところアメンテで発生している地球人失踪事件はベッケータッケ人がからんでいるということなんだ。やつらは地球人を密かにモニタして、精神的な弱みを見つけると言葉巧みにせまって連れ出してしまうんだ。アントニオの場合も、自分の成績を気にしていたからな。たぶんプロ選手としての限界を感じていたのかもしれない――。問題は、そこからだ。じゃ、アントニオはどこへ行ってしまったのか――。ベッケータッケ人はなんだって地球人ばかりを連れ出すのか……。おれは、調べて、おぞましい事実を突き止めた』
マジェルの声がそこで少し途切れた。しかしまだメッセージの再生時間は終了していない。
『これはアントニオと同じ地球人である仁吾にとって重要なことだ……。ベッケータッケ人はかつて、いけにえの習慣があったんだ……。銀河連盟に加盟したときにその習慣を棄てたはずだったんだが、一部ではまだ根強く残っているらしい。そして、やつらにとって最高のいけにえが、地球人だということなんだ……。やつらは地球人が多く住むアメンテに目をつけたようだ……。気をつけろ。今もやつらがおまえを見張っているかもしれない。そして、なにかのきっかけがあったら、近づいてくるぞ。今は暴力的な誘拐はしていないようだが、それもどうなるかわからんからな。おれとしては、シーズンオフということもあるから、しばらくはおまえにアメンテ……いや、惑星ワッタービッチェンδから離れることを薦めるね……じゃあな』
メッセージの再生が終了した。
車内の空気が異様に重くなっていた。
――まさか、アントニオが……? いけにえにされた?
仁吾は信じられない。
そして、助手席にすわっていたエリザベータに気づいて振り向いた。
エリザベータの顔が蒼白になっていた。
――しまった、と思った。
仁吾は、うっかり再生してしまったことを後悔した。こんな話を聞かされるとは思ってもみなかった。
つい今しがたまでデートを楽しんでいたのに――こんな深刻な話を聞かされるとは――。
なんともいえない重い空気が車内に沈殿していた。
もちろん、事実かどうかはわからない。それでも、あまりに荒唐無稽であると切り捨てることもできなかった。天の川銀河にはさまざま種族がいて、それぞれ風習も宗教も価値観も異なる。軋轢も生じて戦争になったりもする。奇異に感じることがあり得てしまうのである。
「出発します」
言いつくろう言葉も見つからず、仁吾はとにかくクルマを出した。