第5章 鋭馬とフランソワーズ
退屈な毎日を送っていたところにモーンが連れてきたのは、六十歳ぐらいのフランソワーズという女性だった。
顔の皮膚はたるみ、シミが目立つ。両親以外の地球人と会ったことのない鋭馬にとって、それは奇異に見え、自分と同族であるとは思えなかった。両親はすでに亡く、地球人は年をとったらこんな感じになるのかと、鋭馬は自分の未来も合わせてショックだった。
「こんにちは」
と挨拶する声はしかし意外に若かった。「フランソワーズ・ピノンよ」
「……こんにちは」
鋭馬はそう返したものの、そのあとが続かない。
ではわたしはこれで、と退室しようとするモーンを呼びとめた。
「ちょっと待った。これはいったいどういうことなんだ?」
モーンの目的がわからなかった。鋭馬にフランソワーズを引き合わせてなにをさせようというのか、まったく説明がない。
「同じ地球人どうしのほうが、よいだろうと思ってな」
振り返り、モーンは言った。
しかし鋭馬にとっては、これまで種々雑多な種族に囲まれてきたから、異種族だから同種族だからという感情は希薄だった。それどころか逆に同じ地球人といるほうがへんに意識して緊張しそうだった。
それを言うと、モーンは意外だ、と言った。
「だがそのうちに慣れるはずだ」
まともに取り合わず、出て行った。
「いったいモーンはなにを考えているんだ……」
鋭馬は閉じたドアをしばらく見つめ、つぶやいた。
部屋のイスに、遠慮なくすわるフランソワーズを見た。
「腰が悪くてね。ちょっとすわらしてもらっているよ」
「べつにかまわない」
鋭馬はベッドに腰掛ける。硬いクッションはへこみもしない。
「フランソワーズさん……だっけ? おれに用事があってきたわけじゃなく、モーンに連れてこられたんだろ?」
「そうよ」
フランソワーズはゆっくりと返事した。目をぱちくりさせて鋭馬を見返す。
「おれも自由を失った。まるでかごの鳥だ」
「そうね。でも安全よ」
「安全か……。だがいつまでここにいなくちゃならないんだ? モーンはなにか言っていたか? そう、モーンの目的だ。モーンはおれになにかをやらせるつもりらしい。それはいったいなんなんだ?」
それは地球人がもたらした文明と関係があるようなのであるが、それはまるで雲をつかむような話だった。
「…………」
フランソワーズはお茶でも入れましょう、と言って立ち上がり、モーンが用意してくれたティーセットに手をのばした。
「時間ならあるから、あせらないで」
慣れた手つきで紅茶を入れる。
鋭馬にはできないことだった。モーンが持ってきてくれたさまざまなものも、鋭馬にはほとんど用がなく、放置していた。ティーセットもそのひとつだった。ワゴンテーブルに置かれたまま、さわりもしなかった。
「さあ、どうぞ」
ソーサに乗せたティーカップをテーブルに置いた。茶色の液体からは、鋭馬が嗅いだことのない香りがした。
鋭馬は湯気の立つティーカップを持ち、口につけた。
「熱っ!」
「熱いから気をつけて」
「先に言えよ」
ティーカップを置き、
「で、話をしてもらえるのか?」
鋭馬はフランソワーズのゆったりとした動作に焦れていた。時間は確かにあるだろう。これまでも長く軟禁されてきた。これがもっと長く続くだろうとは予想できた。
保護という目的のもと、この建物から出られずに、まるで動物園の動物のようである。もしかしたら一生飼殺されるのだろうかとイヤな予感がした。動物園の動物なら、なにも求められずに、エサをもらって死ぬまでそこにいる。
そうなのか?
鋭馬はこのフランソワーズもその一人なのだと思った。
そうやって保護しなければならないということは、もしかしたら、地球人は、鋭馬が想像している以上に数が少なくなっているのかもしれなかった。
もしそうなら……地球人の希少価値がもっと高まるのを待って、ベッケータッケ人に売り飛ばすつもりではないか。
頭が痛くなってきた。
フランソワーズは紅茶を半分ほど飲み、ソーサにカップを戻した。
「わたしも、つい最近、ここへ来たの。それまでは大変だったわ。平穏な暮らしにあこがれていたから、ここへ来てやっとそれが叶ったかのよう」
鋭馬は急かすのをこらえた。大きく息をつき、心を落ち着けた。プイパクーラでの生活は、なにもかもがせわしかった。ぼやぼやしていたら出し抜かれるような都会の暮らしに慣れてしまって、フランソワーズのゆったりとした仕草が苛立たしかった。
「モーンの目的は、単純に、地球人を護ることにあって、本当にそれだけなの。わたしも最初は疑っていたけれど、いろいろ話していて、そう思ったわ。天の川銀河の文化を発展させるためには地球人が必要だと思っていたモーンは、地球人の現状を知って驚き、地球人を絶滅から救うべく有志をつのって行動を起こしたの……。わたしたちはその一環でここへ連れてこられた。でもね――」
フランソワーズは、ふうっと深いため息をついた。
「絶滅を防ぐには、集めてきてベッケータッケ人から保護するだけではいけない。次の世代を産み、育てていかなくちゃならない。モーンは、それをわたしたちに求めているの。この意味、わかるかしら?」
「………………」
フランソワーズにそう言われて、鋭馬はしばし考えだした。そして叫んだ。
「なんだとお?」
すわっていたベッドから弾かれるように立ち上がった。
「おれに、親父のようにしろっていうのか?」
二の句が継げなかった。これまで生きてきて、まったく考えもしなかったことだった。子を育てるなんて……そんなことはもっと歳をとってからのことだと思っていた。
それに――。
「なんでおれがそんなことをしなくちゃならないんだ! それこそ、モーンがやればいいじゃないか。あいつなら金を持っている。おれなんか自分の食い扶持を稼ぐのがやっとの仕事をすら取り上げられて……」
あまりのことに頭に血が上っていた。口をパクパクさせて、怒濤のように出てくる罵りを言葉にできないほどだった。
「地球人は、地球人に育てられるべきだとモーンは考えているのよ」
対照的に、フランソワーズは静かな物言いだ。子供をあやす母親のように。
「それはそうかもしれんが……おれにできるとは思えんし、やりたくもない」
地球人が絶滅しようがしまいが、正直、鋭馬にとってはどうでもいいことだった。地球人の未来には興味がないのである。地球人とその文化を護るというモーンの目的は、自分とはかけ離れた、遠い国の政のようにリアリティが感じられなかった。
「それにクローンでは寿命が短くて、次の世代を残せないし」
「クローン……? なんの話だ?」
「男性の遺伝子が必要ってことよ」
フランソワーズやや顔を赤らめて言った。
「は……? わけがわからん」
鋭馬は、地球人が母親の腹から生まれることは知っていたが、それ以上の知識はなかった。地球人といえば両親以外は知らず、だからなぜ「男」が存在するかというのも、実のところよくわかっていなかった。人間を産むのは女性であって、男性である鋭馬はそれができないから、ここでやるべきことはなにもないはずだと思ったのである。
性別というものが、他の人種には存在していなかった。地球の生物における雌雄のシステムは、他の惑星には見られなかった。
「でも、わたしはもうこの歳だし、赤ちゃんを産むことはできないから、モーンの期待には応えられない。でもモーンにはそれがどうも理解できないみたいなの」
そう言ってフランソワーズは少し寂し気に微笑む。
「だから若い鋭馬に、がんばってもらわないとね」
鋭馬は混乱した。モーンもフランソワーズも自分になにかを過剰に期待しているようだと感じたが、自分になにができるのか具体的にピンとこなかった。
最初に思った「人違い誘拐」だと結論した。なんの能力もない自分なのに、間違って誘拐されたのだ、と。
「しかし……おれになにができる?」
なんの取り柄もない地球人だと鋭馬は自分を認識していた。
ろくすっぽ学校にすら通えず、農場を手伝ってはいたものの、だが両親が死んでからはその農場を維持できなくなってしまった。生きるためにプイパクーラに出てきたはいいが、安い賃金で現場で働くただの労働者以上にはなれなかった。なんの資格も特技もない。
まったくもってどうしようもない。自分でもそれはよくわかっていたが、だからといっって、どう努力すればこの貧困生活から抜け出せるのかもわからなかったし、できることも限られていた。危ない橋をわたる根性もなかった。
「今はなにもできないわ。もしわたしがもっと若かったらね……」
そう言って、フランソワーズは鋭馬の目をじっと見つめる。その視線にはどこか懐かしむような色が含まれていた。そして次に言った言葉に、鋭馬の両目は飛び出さんばかりに見開かれるのだった。
「ほんと……仕草や声がお父さんにそっくりね……。やっぱりあなたが、仁吾とエリザベータの息子なのね」
鋭馬は絶句した。
「なんでおれの……」
と言ったきり、しばらく言葉が出てこない。
「親父を知っているのか?」
フランソワーズは大きくうなずいた。
「よく知っているわ。あなたのお父さん、藤倉仁吾と出会ったのは、わたしが二十代後半……もう三十年以上も前のことになるわね」
そしてフランソワーズは、ぽつりぽつりと語り始めた。鋭馬の知らない、父母の過去を……。