第4章 惑星マーレンベルλ
惑星アーランザτのミューカを脱した宇宙船を自動操縦モードにし、バズーザ・ボン・ベチラーゾはやっと一息ついた。
後ろを座席を見やり、
「とりあえずは安心だ。宇宙船で追ってくるやつは、今のところいない。シートベルトを外して船室で休んでてくれ。後で食事にしよう。なにかあったら呼ぶ」
「ありがとうございました。危ないところでした」
「めずらしかないさ。こういう商売だとな、おまえさんのようなヤバイお客を乗せることだってあるんだ。その代わり、たんまりといただくぜ。そうだ、自己紹介を忘れていた。おれはバズーサ。見てのとおり、ベチラ人だ。本業は私立探偵といっているが、今回のような仕事もする、要はなんでも屋だな。デデブブとはアーランザτに来て知り合った。やつめ、若い頃は天の川銀河中を荒らし回ってたって話だが、人脈を生かした今の仕事をみると、あながち嘘でもないらしい」
「これからまっすぐメンフィーμへ行くんですか?」
ベアトリスはバズーザの話をさえぎった。放っておくと、いくらでもしゃべっていそうだったし、探偵の個人的な事柄など、ベアトリスにとってはどうでもよかった。
「いいや。まずはマーレンベルλへ行く。なにせ狙われているとなると、今の装備じゃ心許ない。ちょっくらそこで装備を調達する。慌ただしくアーランザτを発っちまったからな、準備する時間がなかった。それに行き先が行き先だし、装備はあってこしたことはない」
「すみません。わたしがやつらに狙われてなければ……」
「いいってことよ。ま、ここまで来れば一安心だ。このアイレッカー号は、型は古いがナルン正規軍払い下げの高速宇宙船だ。宇宙航行用のエンジンはチューンナップしてあるし、他にもあちこちカスタムしている。たいがいの宇宙船ならまく自信がある」
ベアトリスはバズーザの饒舌に緊張をといたようで、すっと笑みをうかべた。
バズーザもニヤリとするが、地球人にはどう伝わったかわからない。
ベアトリスが船室に消えると、バズーザはコクピットでこれからの予定をたてることにした。マーレンベルλで調達する装備――主に武器であるが――や、航行日程、航行コース。宇宙図を見ながら、まだ行ったことのないメドーラン帝国の情報もネットで収集する。
メドーラン帝国は、銀河にその名も高い軍事国家だった。半鎖国状態で、いかなる星系国家とも同盟を結んでいない。永世中立といえばきこえはいいが、主要産業の兵器の輸出を安定させるため工作員があちこちで暗躍して国家間の緊張を高めているという。内情や文化があまり外へ伝わらないため、いまひとついい印象をもたれていない。メドーラン帝国領域のすぐ外側には海賊が出没するというのも、そんなところから出た、まことしやかな噂だった。
さらに、反地球人主義者の過激派から命を狙われるとなれば、丸腰で行くわけにもいくまい。
マーレンベルλには、馴染みの修理業者がいた。そこへ注文を入れておくことにした。「ウルガ&タイ宇宙船」は、この商売をはじめたころからのつきあいだった。小さな業者だが、腕は確かだ。違法改造もやっている。
電話にでたのは、社長兼チーフエンジニアのウルガだった。小さな画面に粒子の荒い映像が映った。バレラ人のいぼだらけの顔があまり目立たない。
「よお、バズーサじゃないか。久しぶりだな。電話をよこしたということは、どうやら仕事にありつけたようだな」
「まあな。そっちもまだつぶれずにやってるようで安心したよ」
「青息吐息さ。なんか景気のいい話はないか」
「ちょっとした装備を頼みたい」
「こんどはどこへ行くんだ?」
「メドーランだ」
「またややこしいところへ行くなあ……」
「自衛用の武器が欲しい。燃料もな。リストを送るから用意していてくれ」
「いつごろこっちへ着きそうだ?」
「あさってかな」
「急だな。在庫があればどうにかなるが、取りよせとなると……」
「無理は言わない。ないなら代用品でかまわない」
「わかった。とりあえずリストを見るよ。納期はそれからだ」
「頼む。ついでだが、なるべく安くしておくれ」
「もっと仕事をくれたら考えてやるよ。じゃあな」
通話を終えると、バズーザはリストを送信した。
さて、自動操縦装置も正常に動いているし、そろそろ食事にするか。
だが……食料の買い出しができなかった。船内非常食で間に合わせるしかない。地球人の口に合うかどうか、バズーザはわからなかった。
マーレンベルλに到着したのは翌々日の朝だった。砂漠の多いアーランザτとちがい気候穏やかで、大都市があちこちに点在していた。とにかくモノも人口も多いから、警察や軍の力が強く、バズーザのような違法ぎりぎりで商売する者にとってはやりにくかった。
マーレンベルλ第三の都市、スタイの第二宇宙港へと降下させる。個人の小型宇宙船は、定期航路用の大型商業宇宙船とは別の宇宙港を使うのだ。
滑走路へタッチダウン。無事に着陸した。管制塔の指示に従い、駐機スポットへと移動する。周囲には大小さまざまな宇宙船が係留されていた。かっこのいい豪華なクルーザーもあれば、飛びそうにないような塗装のはげたオンボロ宇宙船もあった。
そして駐機スポットの周囲には、民間の宇宙船整備業者が軒をつらねていた。宇宙船の整備には欠かせない存在である。
バズーザはアイレッカー号をそのまま、その中のひとつ、「ウルガ&タイ宇宙船」の建家へ入れた。滑走路から一番遠いところにある、掘建て小屋のような粗末な建物だった。儲かってないのか、建物に金を使いたくないのか、一年前と同じ――いや、少し悪くなっている。まえから気になっていた屋根の端の樋のはずれている場所が、一カ所増えていた。
エンジン音を響かせながら、アイレッカー号は倉庫のような建屋のあけっぱなしの正面開口部から入る。
エンジン停止。
バズーザとベアトリスが船を下りると、ウルガが出迎えてくれた。
「いよ、早かったな」
「ああ。大気圏突入が意外とスムーズだったんでな」
「お客さんかい?」
ウルガはバズーザの背後に立っているベアトリスをちらりと見る。フードも変装用の仮面もとっていた。
「ああ。今回の仕事はこの人をメンフィーμへ運ぶことなんだ」
「まてよ……」
ウルガはベアトリスに歩み寄ると、
「あんた、地球人じゃないのか」
いぼだらけの顔を近づけた。
その真意にとまどってか、ベアトリスは、
「そうです」
とだけ短くこたえた。
ウルガはバズーザに向かって言った。
「今回はヤバイ仕事を引き受けたな」
「なんでおまえにそんなことわかるんだよ」
「ま、引き受けたということは、承知の上なんだろうから、今さらなにを言ってもはじまらんが、いつもより余計気をつけるこった」
「おまえに言われるまでもない、と言いたいところだが、実は引き受けてから思い知った。それより装備を取り付けるのにどれぐらいかかる」
「ああ、見積書にも書いたが、マーレンベル時間であしたの夕方だ。値段の安い代用品が手に入りそうなので、その分は負けといてやる」
「恩にきるよ」
「で、これからどうする?」
「出発まで時間があるんだろ? 今夜はぱああっと遊ぶ」
「やっぱりな。マーレンベルへ来たら、いつもそうだしな」
バズーザのような稼業だと、いつ命を失うかわからない。大金が入ったとなれば使えるときに使う。バズーザだけじゃない。同業者に、金を貯めるなどという酔狂なやつはいない。
前金で千も入ったのだ。ここでの装備品の代金をさっ引いても、十分だ。メンフィーμまで何日かかかるし、その間の食料も買いこんでおかなければならないから、どのみち街へは出ることになる。
「しかし、大丈夫か?」
ウルガは案じる。
バズーザは軽く受け流した。
「ここはマーレンベルだぜ。アーランザとはちがって治安がいい。街ん中でドンパチがおっぱじまるようなことはないだろう」
「ま、そりゃそうだが……、犯罪がないわけじゃないんだから……」
「ここで遊ばないで出発したとして、もしメドーランで海賊に襲われて、いよいよ最期というとき、ものすごく後悔すると思うだろうな」
ウルガはやれやれというふうにうなずいた。
「わかったよ。豪遊してこい。おれにはおまえの性格が羨ましいぜ」
「だったら、修理屋を廃業して、アーランザに来るかい? デデブブに紹介してもいい」
「そんな根性はないよ」
「ということだ」
バズーザはベアトリスを振り返った。
「おもしれえところへ連れていってやるから、楽しみにしてな」
「どこへ行くっていうんですか?」
「いつも行ってる店の数々さ。派手に騒ごうぜ」
「わたしはそういうところには……」
「大丈夫だ。なにかあってもおれが護ってやる。過激派のような素人には負けねえよ。ここにいても、ウルガやタイでは、ボディガードとしては頼りないぜ」
「言ってくれるぜ」
ウルガは苦笑した。
「じゃあ、クルマを借りてくるから、待ってな」
そう言ってバズーザはターミナルビルのほうへと歩いていく。
どこでクルマを借りてくるのか、バズーザが行ってしまうと、ベアトリスは手持無沙汰でアイレッカー号を見やった。
大気圏突入の際の熱で薄汚れた船体。軍用らしい愛想のない無骨なフォルム。何度となく死線をかいくぐってきたであろう、そんな雰囲気を発していた。
「すぐに帰ってくると思うから、そこで座って待ってな」
ウルガが訛の強い銀河標準語で言って、壁ぎわに置かれた椅子を指し示した。ちゃんと稼働するのかどうか怪しい古びた工作機械の前にそれ用のイスがあった。
ベアトリスはイスを引くと、どれぐらい使っていないのかと思うほど積もっていた埃をはらって腰かけた。
「あんた、メンフィーμへ行くって言ってたよな」
ウルガが話しかけてきた。
はい、とベアトリスがこたえると、ウルガはふんふん、とうなずき、
「人さらいベッケータッケか?」
「どうしてそれを?」
「ちょっと小耳にはさんだだけさ。だが、メドーラン宙域に入ったとしても、安全だとは言えないぜ」
「……それはそうですが」
「ここよりはマシってか。ま、そうかもしれんな。だが、おれならメドーランなんて面倒なところには行かないね。余計なお世話かもしれないが、ライックオーリ星系には地球人居住区があると聞いている」
「わたしはそこから来ました」
「なんだって? なんでわざわざそこから移り住もうっていうんだ?」
「そこが襲われたのです。わたしは命からがら逃げてきました」
「なるほどね……それでバズーザに依頼が来たってわけだな」
ウルガは顔をぼりぼりとかきむしった。はがれた角質が細かく散った。
「バズーザはいいやつだ。しっかり依頼を完遂してくれるだろう」
そのバズーザがクルマに乗って戻ってきた。
「待たせたな。宇宙港のターミナルで借りてきた。ま、乗れよ」
「大丈夫なの?」
クルマに歩み寄り、ベアトリスは少し不安顔。
「もちろん」
バズーザは胸を張った。しかし、クルマといっても一人乗りかと思うほどひどく小さい。一応、車輪は四つついているが、車体はフレームにタンデム座席があるだけの、一応屋根はあるもののオートバイ仕様である。シートはあちこちレザーが破れており、中の緩衝材がのぞいていた。よくもこんなメーカーも不明な代物をレンタルしている。バズーザも、もう少しマシなクルマがあったろうに……。
というより、正規の店で借りてきたものではないような気がしたが、ベアトリスは深くは訊かなかった。
バズーザは前部シートでハンドルに手をかけて、ベアトリスが乗り込むのを待っている。
ベアトリスはあきらめて後部シートに収まった。
「じゃ、ウルガ、あとは頼んだ」
「わかった。気をつけてな」
出発。クルマは意外と勢いよく走り出した。
スタイ市街地へ向かった。
宇宙港はスタイ市の郊外につくられていて、市街地までは高速道路で十五分ほどである。
交通量のそれほど多くない高速道路に乗った。
太陽が中天高く照りつけ、右手側には青く静かな海が広がってその光をまぶしく反射させていた。マーレンベルλの環境を象徴するような景観だった。
屋根をたたんでオープンカーにすると、爽やかな風が耳を打った。
目に痛いほど白い雲が空をゆっくり流れていく。潮の香りが生臭い。
アーランザτの荒涼とした景色とはちがい、海から受ける圧倒的な生物の気配が感じられた。
運転しているバズーザはよそ見できなかったが、ベアトリスはずっとその海を、穏やかにうちよせる波を眺めていた。
故郷の地球にもこんな景色があって、それを思い出しているのかとバズーザは想像し、しかし、たしか地球が小惑星の衝突で消滅したのはずっと前ではなかったか、と思い、
「地球生まれなのかい?」
と訊いてみた。
ベアトリスはバズーザを見返し、
「わたしが生まれる前に、地球はなくなってしまったわ。でも、こういう景色は、べつの星で見たことがあるの」
「そういうことか」
バズーザの住むアーランザτには、こんな景色はなかった。もともと荒廃した惑星をテラフォーミングでどうにか住めるようにしたのだが、快適とは言い難かった。
高速道路の前方にビル群が見えてきた。スタイ市の市街地だ。
バズーザにとって、この街に来るのは久しぶりだった。これからたっぷり遊べると思うと、この愛想のない町並みも愛おしく見えてくる。
「まずは、食事だ。三日も味気ない非常食だったから、ちゃんとしたものを食おう。懐もあったかいし、ここは豪華な料理としゃれこもう。いいだろ? 金ならおれが払うから気にするな」
「料理」という文化も、地球人が銀河中にもたらしたものだった。これほどのバリエーションの多さは他の星にはなかった。今では土着の素朴な料理と組み合わされて無限の種類の料理ができあがっていた。
「でも、わたし……」
ベアトリスは口ごもった。
地球人の表情の微妙な変化はバズーザにはよくわからなかったが、体から発する気配がなにを思っているかを伝えてきた。
「不安か? 大丈夫だ。母国のメイコアの神に誓って、あんたの命はおれが護る。なんせ大事な金蔓だしな」
クルマは賑やかな通りに入った。さまざまな星の種族が行き交っていた。これほど雑多な種族が入り乱れていると、地球人がいても目立たないだろうとバズーザは思った。たとえ反地球人主義団体がスタイ市に入っていようと、つけねらうことはできまい。
とはいえ、ベアトリスは慎重だった。バズーザとはじめて会ったときのように、レッター人の変装をしていた。無表情の仮面がその心の内を表しているかのようだった。
バズーザは、ふと、ベアトリスがこれまでどこで暮らしていて、どういう経緯でアーランザτにまで流れてきたのかということに興味がわいた。そして、目的地であるメンフィーμにはなにがあるのか――。
だが、そういった事情を知らないほうがいいという気持ちもあった。客との信頼関係を保つ上でお互いを知らないということは鉄則だ。バズーザは好奇心をうち払った。
ちゃんと舗装された道路の両側には、さまざまな商店が軒を連ねている。オフィスビルにマンション、それに病院や学校……。
アーランザτにはない文化的な生活がそこにはあった。金のない今のバズーザにとっては縁遠い暮らしだった。
とある駐車場に入った。
金が入ると必ずこの店に来ていた。ベチラ人であるバズーザ好みのメニューを出してくれるのは、スタイ市のレストランの中でここだけだった。高級料理店ではないが、いろんな種族に対応できるメニューの幅は広かった。
ドアをあけると、全テーブルが見渡せる小さな店内に客は半分ほどだった。
左側の奥の席に見覚えのある顔。
「よお、しばらくだな。ずっと来ないものだから、てっきり死んだものだと思っていたぜ」
軽口を叩いたのは、クヤロ・ンマ・ベチラーギーという、バズーザと同じベチラ人だ。名前が示すとおり、同郷ではないが、同種族ということでなにかと親しくしていた。
バズーザとベアトリスは、クヤロの隣のテーブルについた。
「なんて言い草だよ。あいにくおれは悪運が強くてな。早死にはしないんだ」
「つれは、お客さんかい?」
「ああ」
「だろうな。バズーサに友人なぞいるわけないものな」
「言ってくれる。そういうクヤロこそ、相変わらず独りでメシか?」
テーブルには食べかけのベチ魚のソテー。
「仕事の最中なんだ。今は休憩中。いや、張り込み中かな」
クヤロは、大きく開口された窓から道路を挟んだ向かいのビルを指さした。一階がドラッグストアになっていた。店の外まで商品が並べられている。
クヤロも、バズーザと同じ私立探偵をやっている。が、それ以上のことは、バズーザは知らない。知らないほうがいいだろうと思い、同郷といえど、根掘り葉掘りプライベートに踏み込むことはしなかったし、クヤロのほうもバズーザに対して同じ態度をとっていた。
「なんか、ヤバそうな気配だな」
と、バズーザはつぶやくように言った。
クヤロから危険な香りというのが感じられたのだ。ヤバい仕事といえば、それはお互い様であるのだが――。
クヤロの仕事の邪魔はしたくなかったから、それ以上の詮索は遠慮した。
それより食事だ。
テーブルには、メニューを表示したディスプレイが備え付けてあった。タッチパネル方式で注文すると、料理が運ばれてくる仕組みだ。
「どれにする?」
銀河標準語ではなく、スタイで使われている言語だったがバズーザには読めた。
ほんの一時期、バズーザはこのマーレンベルλで暮らしていた。アーランザτへ来る前の、まだ堅気だった時代である。小さな貿易商に勤めていた。それが今のような暮らしになるとは当時は思ってもみなかった。まったく人生なにが起きるかわからない。
「なんて書いてあるの?」
ベアトリスは首を傾げた。読めないのだ。もっとも、銀河標準語だったとしても、食べたことがなければどんな料理かわからない。
「わかった、おれがオーダーしよう」
バズーザはディスプレイのメニューに指を走らせた。
「おれが推薦する料理にした。地球人の口に合うかどうかわからんが……」
料理が来るまでの間、バズーザはこれから明日の出発までの予定を説明した。予定というより希望である。遊びの。中にはベアトリスにつきあわせるのは悪いような場所もあったが、バズーザは頓着しなかった。
しばらくして、料理の皿を背の低い寸胴のロボットが運んできた。
「お待たせしました!」
店じゅうに響き渡るような声で言ったので、ベアトリスが驚く。
バズーザは全然気にせず、ロボットから皿を受け取り、手際よくテーブルに並べていった。色とりどりの料理が目の前を飾った。
ベアトリスはどう手をつけていいかわからない。見たことのない料理はごちゃごちゃとした盛り付けで、見た目もおいしそうではないし、味も想像できない。
「これはマクナートのから揚げ」
「これはマーペンの実のスープ」
「これはジャリジェンが入ったパンだ」
これは――と、バズーザが一品一品説明し、
「さあ、召し上がれ」
これはこうやって食うのだと、フォークとナイフで食べてみせる。
ベアトリスはマーペンの実のスープを仮面を少し浮かして口に運ぶと、「うっ」とうめいた。
「どうだ?」
「すごく酸っぱいですね」
「そうか……。口に合わないのなら、ちがうのを食べな。料理は他にもある」
二人が食事をしている間、隣テーブルのクヤロは、絶えず外を睨んでいた。
バズーザは、気にしないようにしつつも、今にもなにかが始まるような気がして、ときどき視線を送っていた。そしてその予感は的中した。
張り込みの対象である道路向かいのビルから一人が出てきた。それを見て、クヤロがイスを蹴って立ち上がった。どうやらターゲットらしい。
すると、どういうわけかベアトリスも席を立ち、あわててクヤロを追う。
え? とバズーザは呆気にとられたが、瞬時に状況を理解してベアトリスの後を追った。食事はまだ残っていて大層惜しかったが、そうも言っていられない。客になにかあったら大変である。
せっかく落ち着いて食事していたのに、それどころではなくなった。
本来なら他人の仕事にかかわらないのがルールだったが、そうはいかなくなった。
レストランを出ると、すぐ横が駐車場である。
ベアトリスがクルマに乗り込もうとしている。いったいどうしたというのか、バズーザにはまだわからない。
駆け寄って、
「勝手に動いてもらっては困る」
とバズーザ。
「さっきの人を追って!」
ベアトリスは運転席から後部座席に移った。
「クヤロの追っているやつをか?」
なにが目的なのか、と問いたいところだが、急を要するようなので、とりあえずその質問はひっこめた。
が、発進しようとバズーザが運転席に収まろうとしたとき、クヤロが乗りこんできた。
バズーザが面食らっていると、
「やられた。おれのクルマを壊されちまった。悪いがちょいと借りる」
バズーザの了解を待たず、押しのけるようにして運転席にはまりこんだ。バズーザは運転席から押し出され、フレームにしがみついた。
「なにをしやがる!」
「二回つづけて仕事をしくじってるんだ。今回は是が非でも完遂しなくちゃならんのだ」
クヤロはステアリングを大きく回し、路上に出る。いきなり猛スピードで走り出した。
二人乗りのクルマに三人乗り込んで、その重さにモーターが悲鳴をあげた。
前方に一台のクルマが見える。黄色いフィアット。どうやらそれを追っているらしい。
「今回はどんな仕事なんだよ」
振り落とされないようにフレームにしがみきながら、バズーザは訊く。後部席ではベアトリスが、クヤロの乱暴な運転に身を縮ませていた。
「なにを寝言を言っている。依頼内容をしゃべるわけがなかろう!」
怒鳴り返された。
破顔して、バズーザはこのままクヤロにステアリングを預けることにした。
シートにすわってベルトで体を固定しているベアトリスを押しのけるわけにもいかず、フレームに足をかけてふんばった。
「だれを追いかけているんだ?」
体を後部座席へとずらしてベアトリスに訊いた。ベアトリスの目的も同じなようだから。
目をつむっていたベアトリスは片目だけ開けてバズーザを見た。だがすぐには質問にこたえない。立場の危うさから、必要以上の情報を隠そうという意識がはたらいたのだ。
が、
「わたしたちの仲間だった人よ」
とだけ言った。
「なるほど」
バズーザは追及しなかった。その代わり、
「おれの知らないいきさつが、ずいぶんありそうだな」
と言って、会話を打ち切った。
黄色いフィアットは、バズーザたちに気づいたようである。振り切ろうとスピードを上げだした。
減速せずに交差点を曲がったりしたが、軽い分だけバズーザのクルマのほうが速かった。
前を走るクルマを次々と追い越し、フィアットに迫る。
乱暴な運転に、周囲のクルマは驚いて運転操作を誤り事故を起こしているらしかったが、現場はあっという間に後方へ去り、遅れて衝撃音が届いても、もはや知ったことではなかった。
フィアットの窓が開くと、何かが落とされた。握り拳程度の大きさの金属塊が、道路に跳ねて転がって――
「うっ!」
クヤロは目をむいた。あわててステアリングを切った。
爆発した。きわどいタイミングだったが、直撃は避けられた。小さな爆発だったが、運転操作を誤らすぐらいの効果はあった。
「しまった!」
クヤロが叫んだ。クルマの制御がきかない。カーブの向こうに消えるフィアットを追いかけられずに正面のガードレールに衝突した。さらにバウンドしてスピン。中央分離帯に乗り上げて停止。
どうやら本物の爆弾ではなかったようだ。火炎と煙で驚かせるこけおどしの爆弾だ。もし直撃したとしても、クルマを破壊したり人を殺傷できるほどではない。だがそれで見事に逃げられた。
「くそぅ」
クヤロが毒づいた。「なめやがって」
「大丈夫か?」
渾身の力でフレームにしがみついて振り落とされずにいたバズーザは、ベアトリスの体を心配した。あれだけ急に振られたらどこか痛めているかもしれない。地球人の体はバズーザにはよくわからなかったが。
ベアトリスは頭を二、三度振り、
「大丈夫よ。なんとかね」
「そうか」
本人がそう言うのを信じるしかなかった。あとでどこかが悪くなっているのがわかるかもしれなかったが、そのときはそのときだ。
「残念だったな、クヤロ」
バズーザは運転席に声をかけた。「三度つづけての失敗だな。おまえ、もうこの商売、やってけないぜ」
「まだ終わっちゃいないさ」
クヤロは携帯端末を取り出した。電源を入れると画面に地図が表示された。真ん中にマーキング。
「発信機をつけるのは基本中の基本だ。もっとも、発信機を付けるために接近しすぎたから、こうなったとも言えるがな」
「やっぱりおまえ、この商売、向いてないと思うぜ」
「大きなお世話だ。さて、どこへ向かったかな」
画面を眺めるクヤロをバズーザが諫めた。
「悠長にやってる場合じゃないぜ。警察が来たら厄介だ。さっさとこの場を離れろ」
ここまでの間で相当派手なことをやっている。当然通報されているだろうし、監視カメラでもモニタされている。アーランザτのミューカならともかく、ここ、マーレンベルλでは、多少の差はあれ、どの都市の警察もちゃんと仕事をやっている。ここで逮捕されては面倒だし、そもそも仕事の遂行に差し支える。
「ああ、そうだな」
クヤロは携帯端末をしまい、クルマを発進させた。
日が暮れるころ、ようやっと目的地にたどり着いた。警察の捜索網をかいくぐるためにあちこち寄り道したり身をかくしたりして、マーレンベルλの四十時間におよぶ一日の大半を使ってしまっていた。
ベアトリスをメンフィーμへ送り届けるという仕事を受けているバズーザに、いつまでもクヤロに付き合う義理はなかったが、当のベアトリスがどうしてもクヤロの探している人物に会いたいといってきかなかった。
レセというそのベトマン人がいったい何者なのかはクヤロでさえ知らなかったが、ベアトリスがやっと語ってくれた。
レセは、以前、ベアトリスが暮らしていたライックオーリαのウグダスワという地球人居住区に世話係として働いていたのだという。
「ウグダスワでは、地球人たちが地球人街を作って生活していました。平和でした。ところが、そこへベッケータッケ人が現れ、地球人を連れ去っていきました。みんな方々へ脱出していきました。わたしも命からがら脱出しました。レセといっしょに脱出した人もいたはずです。彼から脱出した仲間のことを聞きたい」
「そういう事情ね……」
バズーザはうなずいた。「しかし、ベッケータッケ人は、なんで地球人を連れ去るんだ?」
ベアトリスは少し口ごもり、言った。
「神へのいけにえにするためです」
口にするにもおぞましい行為だと、顔をひき歪んだ。
「いけにえ……だと? 神が地球人を食うのか?」
とクヤロに問う。
「おれが知るか。しかし、いけにえだと? まさか」
「彼らは、他種族を神に捧げる習慣からなかなか抜け出せないのです。彼らにしてみると、地球人は文明度が高い上に希少価値が高いと。それでベッケータッケへ地球人を誘拐して売りつける者もいる。もちろん違法ですから星系連合警察によって取り締まられてはいます。しかし……」
「なるほど、そんな事情があったとはな」
バズーザはつぶやくように言った。「それでメドーランへ行こうということなのか。たしかにあそこなら手は出しにくいかもしれない」
ということは、レセを見つけるようクヤロに依頼した客の目的というのは……。
バズーザはそこに思い当ったが、クヤロは黙ったままなにも言わなかった。依頼者にどんな事情があるのかは知らないし、知ろうとも思わないという態度だった。
レセが潜伏している建物は、郊外の耕作地帯に立つ粗末な小屋だった。周囲には広大な畑が広がり、農家が点在する。使われているのかどうかわからない納屋があちこちにあって、家主に断っているのかどうか、レセはそこに潜んでいた。黄色いフィアットは見えなかったが、小屋の中に入れてあるのだろう。クヤロの情報端末に表示させた地図上のシンボルは小屋を示していた。
ベアトリスが戸を叩いた。湿った音が静かな空気を震わせた。クヤロとバズーザは戸から見えない位置にいて、戸口の様子をうかがっている。訪問者が知り合いとなれば、レセも出てくるだろうが、何人もいては警戒されるとの判断だった。
中から音はしない。静まり返っていて、人のいる気配がまったくなかった。一度はクヤロが尾行しているのだ、もしいたとしても警戒しているのかもしれない。無理からぬことである。いつベッケータッケ人に狩られるかわからないとなれば、用心深くなって当たり前だ。しかももう日暮れで、間もなく長い夜がやってこようという時間だ。マーレンベルλでは人々は夜出歩かない。そういう習慣なのである。
もう一度ノックした。そして待つ。
一分ほど待ったが、反応がない。
さらにノックをしようとしたとき――。
戸の向こうから、しわがれた声が聞こえた。
「だれかね?」
その声に、ベアトリスの目が見開かれた。まちがいない。レセだ!
大きく息を吸い、言った。
「わたしです。ベアトリス・レイフィールドです!」
薄汚い戸が細く開くと、ベトマン人の背の高いシルエットがぬっと出てきた。不審そうな眼で訪問者を見る。黄昏の暗がりに浮かぶ地球人の丸い顔がだれだかわかるまで数秒を要した。
「おお、ベアトリス!」
ドアが大きく開かれた。
「どうしてここへ?」
驚きに、あとの言葉が出てこない。
「ちょっとね……。入ってもいいかしら」
「もちろんだとも」
レセはベアトリスを屋内へ招き入れた。さっと戸を閉める。
室内に黄色いフィアットがあった。農業用トラクターを入れるような小屋なので、それ用の大きな扉が裏側にあった。フィアットはそこから入れたようである。
クルマがあるおかげで室内は半分しか使えなくなっていた。天井には明かりが一つで薄暗い。粗末なテーブルと簡易ベッド――そのベッドに、だれかが横になっていた。
「マイラだよ」
レセが言うと、ベッドの上の影が動いた。
「だれか来たの?」
か細い声だった。だがそれはまぎれもなくマイラだった。ベアトリスがウグダスワで暮らしていたとき、二軒隣に住んでいた一歳年下の娘。
「ベアトリスよ」
「えっ?」
確かめようと起き上がるが、起き上がれずに倒れてしまう。
「どうしたの?」
ベアトリスはベッドに駆け寄った。そこには衰弱したマイラの顔があった。薄暗い照明のせいか、よりいっそう顔色がひどく見えた。
「病気なの?」
ベアトリスの後ろから、レセが説明した。
「そうなんだ。逃げる途中に怪我をして体力を消耗していたところにこの星の風土病にかかってしまった」
「病院に連れていってあげたの?」
「行った。しかしそのせいか、やつらにこの惑星にいることを知られてしまった。ひとつところにじっとしているわけにはいかなくなり、こうやってこんな小屋で夜露をしのがざるを得なくなったのだ。さっきも薬を買うために町へ出た。すると、尾行がついた。まったくもって油断がならない」
クヤロのことだ。いっしょに行動していたことを、ベアトリスは言わず、
「これからどうするの?」
「どこか落ち着ける場所へ行きたいが、この状態では宇宙にも出られない。宇宙港にも手が回っているかもしれない。マーレンベルλは比較的治安がいいと聞いていたんだが……。ベアトリスはどうしてここに?」
「メンフィーμへ行く途中なのよ」
「メンフィーμ……。どこだ?」
「メドーラン帝国領内」
「また、遠いところへ……」
「それぐらい離れたところでなきゃ、安心できないもの」
「そこなら、ベッケータッケの手がおよばないというの?」
マイラが病床から訊く。眼の下のクマが病状の深刻さを伝えていた。
ベアトリスはうなずかなかった。
「それは保証できないけれど、少なくともここよりは安全でしょうね」
「たしかにメドーランなら……。かの国は管理社会だからな。不審な動きをすれば当局が黙っていない。ただしライックオーリほどの自由は期待できないだろう」
「自由がなんだっていうの」
マイラが吐き棄てるように言った。「殺される自由なんか、いらない。ねぇ、ベアトリス。わたしたちも連れて行って」
「もちろんよ、マイラさえよければ。レセが思っているほどメドーランは暮らしにくい国じゃないわ。レセも行くでしょ?」
「行こう。選り好みしている場合ではないからな。だがどうやって? メドーランへ行くとなると、定期便はないし」
「探偵に頼んでいるの」
「雇ったのか? そんなカネどうした?」
「ライックオーリから脱出するときに、ちょっとね」
ベアトリスはウインクする。
レセは苦笑した。
「どさくさに紛れて。しっかりしているというか、大胆というか」
「探偵は小屋の外で待っているわ。マイラ、立てる? 手を貸すわ。クルマに乗って」
バズーザとクヤロは待っていた。
もう日はとっぷりと暮れ、これから約四十時間の間、夜が続く。その間、マーレンベルλではすべての人間活動が休止する。古くからの習慣は、マーレンベル人だけでなく移住してきた異星人も右にならい、この地は夜行性の動物の天下となる。
小屋から少し離れた防風林の陰で、二人は語らずじっと待っていた。
バズーザはベアトリスが小屋から出てくるのを。
そしてクヤロは――。
と――。
ライトが接近してきて、振り向いた。マーレンベルで夜間に活動する者は変人扱いされる。しかもここは市街地ではなく、郊外の田園地帯である。クルマが動いているのは、まったくもって奇異な眺めともいえた。
しかもそれが接近してくる。
バズーザは色をなした。
「クヤロ! てめぇ!」
胸倉をつかんだ。
「さっきベアトリスから話を聞いたばかりだろ。依頼人の目的ははっきりしている。なのに、なんでここで呼んだりするんだ」
だがクヤロは平然とした態度である。
「まてよ、バズーザ。こっちも仕事なんだよ。おまえだって仕事は大事だろう。冷静になれ」
「仕事なら、なにをしてもいいのか!」
接近してくるクライスラーのライトが周囲を昼のように明るく照らす。眩しくて、二人は目をそむけた。
クライスラーが二人の側で停止した。目玉のようなライトが消灯し、あたりは再び闇に包まれる。
「ご苦労だった」
降りてきたのは一人のベッケータッケ人だった。今回のクヤロの依頼人である。
バズーザが初めて目にするベッケータッケ人は、人さらいのイメージに似合うような大柄な体躯ではなかったが、毛むくじゃらの頭部に三つの目が縦にならぶ、ちょっと他に例のない顔をしていた。衣服で覆われてはいたが、太い手足は強靭そうで、素手でのケンカでは分が悪い気がした。
「あの小屋にいるぜ」
素気なく、事務的に、クヤロは言って小屋を指差した。
いけない! あの小屋には今、ベアトリスがいる。
バズーザは焦った。ベッケータッケ人がレセの所在をつきとめたいのは、彼が地球人と接触があったからであり、その地球人こそ、ベッケータッケ人の目的なのだ。ここにベアトリスがいるのがわかれば、当然ながら捕まってしまう。そうなれば今度の仕事はここで終わる。前金をもらっているとはいえ、それで満足して仕事を完遂しなかったりすれば信用が落ちて次から仕事にあぶれてしまう。商売は信用第一である。
「ちょっと待ってくれ」
バズーザはベッケータッケ人の前に体をわりこませた。しかしどうすべきかまでは考えていなかった。なんとしてもベアトリスを逃がしてやらなければならないが、彼女に危機を知らせる余裕がなかった。
「なんだ、おまえは?」
ベッケータッケ人が不快な声音で言った。
「おれは、クヤロと同じ私立探偵なんだ」
とにかく、時間稼ぎをするしかないとバズーザは思った。だが根本的な解決にはならない。ベアトリスに逃げてもらわなければならないのに、今は小屋の中で知人と再会したばかりである。絶望的な状況だ。
「そうか、わかった。覚えておく。そこをどいてくれ」
「まあ、そう急がなくてもいいじゃないですか」
バズーザは必死に頭を回転させた。このピンチを切り抜けるなにかいい方法はないだろうか。懐に隠していた愛用のスミス&ウエッソンM881にものをいわせることも考えた。クヤロには迷惑がかかるが、もともと友情なんか持ち合わせていないから遠慮をすることはない。ただしそれは最後の手だった。自分のために同業者の妨害をしたとなると、やはり後々面倒だった。
腕っ節ではかないそうにない相手だから姑息な手段を用いるしかない。なにを言えば注意を引くことができるだろう。
「どけ、邪魔をするな」
大きな腕がバズーザの肩にかかった。
そのとき、小屋の農機用扉が開いた。大きな扉を手であけて出てきたのはベアトリスだ。扉の向こうに黄色いフィアットが見えた。
「バズーザ! こっちへ来て!」
その声に、ベッケータッケ人が反応した。バズーザの肩にかけた手をはらい、突き飛ばした。軽く動かした程度だったが、すさまじい力だった。バズーザは草むらに転倒してしたたかに腰を打ちつけた。
そして、気を失った。