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第3章 惑星ピュッコβ

 白い樹脂製の壁が四方を囲む部屋。窓は、明かり取りの小さなものすらない。家具は硬そうなベッドと、座り心地の悪そうなスチール製のイスがあるだけ。

 殺風景このうえない。

 目を覚ますと、藤倉鋭馬はそういう場所にいた。

 ベッドから起き上がり、あぐらをかいて、まだ頭にかすみがかかったような状態で思考をめぐらした。

 何者かに追いかけられていたことを思い出した。時計もなかったために、事故を起こして気を失ってからどれくらい時間がすぎたのかわからない。もしかしたら何日かたっているかもしれなかった。

 もちろん、ここがどこなのかもわからない。プイパクーラ市内なのか、それとも別の都市なのか――。

 部屋は狭く、歩きまわるほどの広さもない。

 いったい自分はこれからどうなるのか――。

 おそらく追いかけていた一団の仕業であろうが、なにが目的なのかさっぱり不明である。心当たりはない。

 この扱いは、誰かと間違えられているにちがいないと思った。そうとしか思えない。いったい誰と間違えられているのか見当もつかないが、少なくと、すぐに命をとられなかったことに、ホッとしている鋭馬だった。

 だが、不安が解消されたわけではない。

 これからなにを求められるのか、皆目わからないからである。人違いだと判明したら殺されてしまうのだろうか――そう思うと不安だった。

 とにかく脱出しよう。もたもたしていたらどんなことになるか、想像することすら嫌悪した。

 ドアがあった。レバー式の取っ手を引くと、かなり重かったがドアは開いた。

 ――閉じ込めたわけではない。

 が、そうなると謎が深まった。あれだけの大騒ぎの末に捕まえたというのに、このまま出て行かれていいのか? なにかウラがあるような気がして、部屋の外へ出るのを躊躇った。

 しかし、ここにじっとしているほうがはるかに危険であると、鋭馬は本能的に感じていた。

 部屋をそっと出た。

 監視カメラがあるかもしれず、素早い行動が求められる事態である。

 部屋の外は廊下になっていた。

 しかし、ここは……。

 ヒト一人が通れるほどの狭さなのである。天井も低く、窓もない。

 この構造は……。

 そのとき、Gを感じた。

 どうやらここは建物の中ではなく、乗り物の内部らしい。大きな乗り物だ。振動はないから地面を走るものではない。かといって、波に揺られもしないから船でもない。飛行機では、この部屋の広さはあり得ない。

 となると、宇宙船?

 が、それも現実離れしていると、鋭馬はその推測を否定した。そんなばかな、と。

 天の川銀河系全域に多くの種族が交流する現代であっても、宇宙へ出るのは大ごとだからである。先進惑星ならいざ知らず、後進惑星ベルフィオγではそれが一般的な感覚だったから、鋭馬は、では自分はいったいなんに乗せられているのだろうかと、感じる加速を不快に感じつつ、またも不安になる。

 とにかく状況を知ることが先決だ。

 歩き出した。もちろん、どこへ行くあてもないが移動しなければ情報は得られない。

 不快な加速のなか、鋭馬は進んだ。

 短い廊下の突き当たりの丁字路でどちらに行くか迷ったが、右側の通路に窓があったので近寄ってみた。

 鋭馬は絶句した。

 窓の外は宇宙だった。

「…………」

 額に変な汗が浮いた。

 ベルフィオγの姿はない。代わりに見えているのは、見たことのない惑星だ。

 鋭馬の乗せられた宇宙船は、おそらくその惑星に降下しようとしている……。

 恐ろしくなった。

 人間一人を捕まえて他の惑星に連れて行くなどと、普通の感覚ではありえない。ここにいては絶対にいけない、と頭が激しく警告を発した。

 すぐにでも脱出しなければ、大変なことになる!

 鋭馬はしかしどうしたらいいかわからず、闇雲に駆け出した。

 宇宙船から脱出する? そんなことが可能か……。

 と、通路の途中で、不意に立ち止まる。

 脱出用の救命ボートだった。

 宇宙船には必ず備えていなければならないと決められている設備だった。宇宙船に乗った記憶がはるか子供のころだった鋭馬には、その存在は頭になかった。目立つように表示していあるから気がついたのである。

 ――よし、これを使えば……。

 鋭馬は壁に貼られた銀河標準語である「英語」の説明をしっかりと読み、図解と見比べた。

 学校へ通ったことはなかったが、英語の読み書きは幼少のころに両親にしっかり教わっていた。勉強は嫌でたまらなかったが、今思えば読み書きは生きていくには必要な知識で、両親には感謝である。

 脱出の方法は簡単だった。膝元の小さなハッチを開けて中へ乗り込むと、座席の前にある大きなボタンを二つ同時に押せば、あとは自動的に発進するようになっていた。あまり操作が難しいと、とっさのときに使えず役に立たないからだ。

 これならいける。

 そう思うと、恐怖が幾分ひいていくのがわかった。

「待ちたまえ!」

 ところがそのとき、静寂を破る声が通路に響き渡り、鋭馬は腰を抜かしそうになった。

 振り返ると、通路の先に長身の人影。

「やべっ!」

 通路にいたのが誰かはわからないが、味方でないことははっきりしていた。

 ここで捕まってしまってはいけないと、急いで四角いハッチを開けようとしたが、あせってしまい、開いてくれない。

 レバーを引いて、やっとハッチが開いた。

 一人ずつしか通れないハッチから中に入ると、同時にセンサが感知して照明が灯る。十人は乗れそうな救命ボートの一番前の座席に滑り込んだ。赤い大きなボタンが二つ、表の説明書きのとおりに在って目立っていた。

 鋭馬は躊躇うことなく二つのボタンに同時に手をかけ、力をこめて押しこんだ。

 ハッチが自動的に閉まり、救命ボートは大きく揺れ動いた。

 シートベルトを着用していなかった鋭馬は頭を打って、軽い脳震盪を起こした。

 しばらく意識が混濁するなか、救命ボートは宇宙船から離脱し、どことも知れない惑星へと急降下していった。


 意識が戻ってきたのは、ちょうど救命ボートが大気圏に突入する寸前だった。

 救命ボートには窓がなかったが、その代わり外の景色を映し出すモニタ画面があった。それが今まさに大気圏へ突入しようという瞬間を映し出していた。

 細かく振動する救命ボート。

 鋭馬はシートに収まり、何度もシートベルトを確認した。

 ともかく脱出できたのは幸運だった。この先どうなるかは地上へ到達してから考えればよい。それまではひとまず安全であると、張り詰めた緊張感が抜けていくのを感じて。

 外を映し出す画面が真っ暗になった。おそらく大気圏へ突入したのだろう。

 すさまじい摩擦熱が救命ボートの外殻を()いているが、その熱はボート内には伝わらない。だが激しい振動と、ボートの構造体がねじれるような音は不気味に耳に届いていた。

 数分後――。

 その騒がしさも消え、外を映す画面が青い空を映し出した。

 画面には、どの地点に降下する見込みなのか緯度と経度が示されていたが、鋭馬にはよくわからない。地形図には、どこかの森の中が示されていた。

 鋭馬は、どうせなら町のそばに下ろしてくれればいいのにと思いつつも、救命ボートに搭載されている簡易操縦装置の使用方法がわからない以上は、自動操縦に任せるしかなかった。

 鋭馬は、下りたらどうするかを考えた。

 救命ボートは、地表に降下すると自動的に救助信号を発信するはずだった。すると、おそらくその惑星の救助隊がやってくることだろう。それから地元の警察に連れて行かれ、しばらく拘束されることになるのではなかろうか、と想像した。そうしたら、警察に命が狙われていることを訴えて保護してもらえば、自由は当面の間は失われるが安全ではある。そのうち悪人の正体もはっきりするだろう……。

 だいたいの目処がついてくると、鋭馬はすっかり落ち着いてきていた。必ずしも見通しどおりになるわけではないだろうし、相当都合の良い想像ではあったが、それでも自分の中で安心できる要素ができたことで、心を平静に保つことができた。

 そこへチャイムが鳴った。

「まもなく、救命ボートは地表に到達いたします。衝撃にそなえてください」

 と音声案内。

 鋭馬はシートの両サイドにある握り棒を握り締め、衝撃に備えた。

 画面にカウントダウン。あと一分もない。

 救命ボートに衝撃が来た。が、思ったほど強くはなく、ボートは少し斜めになった状態で停止した。

「地表に到達しました。外部環境は異常なし。ハッチのロックを解除しました」

 その後、音声案内は、ながながと医療キットや非常食の説明をし始めた。

 鋭馬は途中まで聞いて、もう外の様子が知りたくて、入ってきたハッチを開けて外へ顔を出していた。摩擦熱のために灼け焦げた救命ボートの外殻はまだ熱を持っていて、顔が熱くなるほどだった。

 鋭馬は周囲を見回した。

 鬱蒼とした森が広がっていた。しかし、目を反対方向に転ずると、森は切り開かれており、舗装された広い場所と、その端に四階建てのビルがあった。

 どうやら救命ボートの搭載コンピュータは、降下場所を適切に選んでくれたようである。人里離れた場所に降下してしまったら、たとえ命が救かったとしても、怪我人が乗っていたりした場合、ちゃんとした治療を受けられず手遅れになってしまう可能性もある。できるだけ人工物の近くに降下しようとするのも納得できた。

 近くには宇宙船が一隻、着床していた。民間の宇宙船で、普及型の外宇宙航行船だった。

 してみると、この広い場所は宇宙港ということになるのか? しかし正規の旅客宇宙港でないことは明らかで、となると、プライベート宇宙港ということになる。

 とはいえ、隣接するビルは無機質な実用的なデザインで、どこかのお金持ちの別荘には、とてもではないが見えない。どちらかというと大企業の研究練といった佇まいだ。

 ――つまり、そういうことか……。

 鋭馬は一人で合点した。

 だがともかく、そんなことはこの際どうでもよい。とにかく警察に連絡して身の安全を確保することが大事だ。警察に頼るのは抵抗があったが、やむを得まい。この件に警察がからんでいるという可能性も否定しきれなかったが、独りでどうにかできる状況でないのもまた事実だった。

 鋭馬は救命ボートを這い出た。

 周囲に人影はなかった。

「?……」

 鋭馬は感づいた。

 普通、不審な宇宙船が勝手にプライベート宇宙港へ不時着したとなれば、騒ぎになってもよさそうなのに、この静けさはどういうわけだろう……? 誰一人、あのビルから姿を現さないというのは……。

 鋭馬は、もしや警戒されているのかと訝った。

 この惑星がどこで、どんな社会体制になっているのかはわからない。絶えず動乱が起きている、不安定な社会なのかもしれないし、地域的な問題を抱えているかもしれない。

 ろくに学校で学んでこなかった鋭馬には、自身が生きてきた社会以外について、さまざまな想像を巡らすことはできなかったが、過酷な現実を見てきていたせいで、呑気には構えず、まずは疑うことが身についていた。

 だから相手もこちらを警戒しているのかもしれないと思うのも当然だった。

 こちらに敵意がないことを示さなければならない。

 意識して、ゆっくりとビルに向かって歩いていく。素早い動きは、それだけで相手を刺激してしまうおそれがあり、慎重に行動する必要があった。いきなり銃撃されることもあり得るのだ。

 ことさらゆっくりとした歩調で歩いていると、予想しなかったことが起きた。

 先に着床していた外宇宙航行船から、誰か一人が降りてきたのである。開いた搭乗口からタラップを降りてくる背の高い種族……。

 鋭馬は立ち止まり、じっとその人影を見つめた。彼我の距離は五十メートル以上あったが、鋭馬にはそれが誰かわかり、瞠目した。

「!……」

 救命ボートで脱出する直前、鋭馬を見つけて声をかけてきた、その人物だった。一瞬だけしか見なかったが、それでも恐怖にかられた目に強烈な印象を残していた。

 まさか――と思った。

 とすると、ここに着床している宇宙船は鋭馬が脱出した船であり、救命ボートを先回りして待っていたということである。

 救命ボートがここへ降下するように、外部からコントロールされていた、ということなのか……。

 鋭馬の顔がひきゆがんだ。

 信じられなかった。

 ここまでするか?

 そう思った。

 そこまでする理由はなんだろうと、いったい誰と間違えられたのか、その人物がどれほど大物なのかと、鋭馬は目眩がする思いだった。

 動けなかった。いきなり背中を向けて走り出したりしても、それで逃げられるわけはないだろうと覚悟した。

「まさか、宇宙船から脱出するとは思っていませんでしたよ」

 十メートルほどにまで近くまで来て、その背の高い種族は鋭馬に話しかけてきた。口調は穏やかではあるが、どこか傲慢な響きが感じられた。

「こんにちは。こんな形で目的地に到着するとは思わなかったが、なにはともあれ、ようこそ」

 鋭馬は、横柄な態度の相手を睨みつけた。

「その前に、説明してもらおうか。いったいこれはなんのマネだい?」

 鋭馬は不安を見透かされないよう、強気な態度をとった。弱さを見せてはならない――どんなに心細くとも、虚勢を張っていなくてはならない。弱いとわかれば攻撃される――それが世の中のルールだと鋭馬はプイパクーラでの流儀にしたがい、警戒した。

「説明している時間がなかったのだ。その点は謝罪する。しかし信じてほしい。我々はきみの安全のためにここへ連れてきたのだ。だから監禁もしなかった。その結果、こういうことになってしまったがね」

 たしかに、もし逃亡やハイジャックを恐れていたら閉じ込めておくだろうし、これほどスムーズに脱出できるわけがない。

 そこは鋭馬を信用しているのだということだと理解できなくもない。

 だが、それで心を開けとは無茶な話だった。そもそも強硬な手段で鋭馬の身柄を確保しようとしたのはどういう了見なのか……。

「そんな話が信じられるか? おれの安全だって? たしかにプイパクーラは物騒な都会(まち)だが、機嫌よく暮らしてるんだ。ま、貧乏ではあるがな。だからあんたらの世話になる必要はないね」

 甘い話を持ちかけて、人をだまそうという腹のやつらは、これまで何人もみてきた。うかつに信用したらどんな目にあうかわかったものではない。貧乏だからなにも失うものがないと思ったら、とんでもない。乾いた雑巾を搾るかのように血の一滴まで取られてしまう。

 鋭馬の働いていた配送センターにも、はめられて借金を背負わされたやつがいた。

「それがそうではないのだ」

 鋭馬の態度に、その種族は諭すような口調で言う。

「だったら、人違いだね」

「地球人の藤倉鋭馬。間違いない」

「うっ……」

 ずばり名前を言われて鋭馬は絶句した。

 人違いではなかったとなったことで、鋭馬は居住まいをただした。しかしまだまだ警戒心は消えない。ある日突然現れて、儲け話をもってくるやつにろくな奴はいないのだ。

「わかった。話を聞こう。その前に、あんたはだれだ? 名乗ったっていいだろう」

 相手は即答した。

「私はモーン・タジ・ティカという。パッテロカツ人だ」

「聞いたことのない惑星(ほし)だな」

「銀河は広い。聞いたことのない惑星などいくらでもあろう。それはともかく、我々の目的は地球人の保護にあるのだ」

「地球人の保護?」

 鋭馬は目をしばたたいた。話が飛びすぎて理解できない。

「きみはこれまでの人生で地球人に会ったことがあるかね?」

 モーンは、さらに話を飛躍させた。

「死んだ両親以外でか?」

 鋭馬は訊き返した。

「そうだ」

「いや、ない」

 それは本当だった。ベルフィオγで生まれ育ち、やがて両親の死後、プイパクーラに流れてきたが、これまで一度たりとも同族に会ったことはなかった。しかし不自然には思わなかった。ベルフィオγ自体が移民の惑星で、土着の種族がいなかったこともあったし、とくにプイパクーラは多種族のるつぼだ。となりに違う種族が住んでいて当然という環境だった。

「では、地球人の現状がどうであるかは知っているか?」

「いや、知らん」

 地球人に対する帰属意識を育むことなく今日に至った鋭馬だった。地球人についての情報が入ってこないからといって、わざわざ調べようなどという気もおきなかった。

「だろうな。そうでなければ、ベルフィオγなんかで生活しているわけがない」

 無知め、と言いたげなモーンの口調だった。それがいちいち鋭馬の気に障る。

「天の川銀河の今の文明が、地球人によってもたらされたのは知っておるだろう? 十九世紀の偉大な産業革命の後、二十世紀前半には天の川銀河全体に向かってその版図を広げた。第二の大航海時代を迎えた地球人は、その恩恵を我ら未開の種族に与えたもうた……。だが二十一世紀を迎えた直後、当の地球は爆発していまや存在していない。そして地球人も散り散りになって、その存在感を失ってしまっている。だが我々は、地球人の潜在的能力を必要としているのだ」

「そんなこと言われてもなあ……」

 いきなり大きな話をされても、鋭馬は天を仰ぐほかない。

 たしかにモーンの言ったとおり、二十世紀、地球人が宇宙に進出し、天の川銀河じゅうの種族がその文明の恩恵にあずかった。もし地球人が存在していなかったなら、天の川銀河は未開の宇宙のままであったろう。多くの種族が太古からの生活を続けていて、なんの進歩もない。

 それは鋭馬も両親から聞かされて知ってはいたが、ろくに学校にも通っていなかった今の鋭馬にはなんのスキルもない。なにか大きなことができる自信はまったくなかった。

 モーンたちがなにを企んで、なにを鋭馬にやらせようとしているのかはわからないが、地球人だからといって誰もかれもが有能であるわけではないのだ、過度な期待をよせられても困惑するばかりである。

 その意味で、今回の誘拐は人違いだったといえなくもなかった。どうせならもっと優秀な技術者を誘拐すべきだった。

 だが、なにもできないとなると、今度は鋭馬の立場が危うくなる。無能だとして消されてしまうかもしれないのだ。それを察して、鋭馬は口をつぐんだ。

「きみの衣食住と安全は保障する。だからぜひとも協力してほしいのだ」

「にしては、やり方が強引じゃないか」

 鋭馬は動揺を悟られないように、口を尖らせた。

「さっきも言ったとおり、時間がなかった。なぜなら、きみは狙われいるのだよ」

「狙われている? だれに?」

「狩猟者だ」

「なに?」

「かれらに捕まったら、命はない」

 鋭馬は怪訝な顔をした。殺される理由に思い当たらない。誰かに恨まれるような生き方はしてこなかった。小さな犯罪なら、いくつかはしてきたかもしれないが、決して死刑になるような重い罪は犯していない。――と、自信を持っていえた。

 いや。そうではないのかもしれない。

 多種多様な習慣がうずまいている天の川銀河では、何気ない行動がべつの種族にとってのタブーとなってしまうことはよくあった。もっとも、同じ種族ではないならどれだけおぞましくとも無視するという不文律がどこの惑星にもあり、ベルフィオγもそうだった。だから気にすることもないのだが、一方で、それを許しがたいと考える人々も少なからずいた。そういう人々がトラブルを起こすのは、そう珍しいことではない。

 今回はそれに触れてしまったのだろうか――。知らず、虎の尾を踏んでしまったというわけなのか。

 鋭馬はおそるおそる訊いた。

「おれがなにかしたのか? それが、おれが地球人であるということと、なにか関係があるわけか?」

「きみが過去になにをしたかは、我々は関知しない。きみの命が狙われている理由は、きみが地球人であるからなのだ。それ以外の理由はない」

「地球人だから……?」

 鋭馬は反芻するように言い、その理由の理不尽さに腹を立てた。

「なんで地球人だから殺されるんだ」

「地球人を狙う種族は、ベッケータッケ人だ。聞いたことがあるか?」

「いや。ない」

 鋭馬の知らないことだらけである。

 モーンはゆっくりと、鋭馬が聞き逃さぬよう、はっきりと言った。

「かれらにとって、地球人を神に捧げることは、大きなステイタスなのだ」

「神に捧げる……なんだと?」

 鋭馬は絶句した。そして、なにかの聞き間違えだというように言った。

「すまんが、もう一度言ってくれないか」



 いけにえ――。

 モーンの言ったことは衝撃的だった。

 ベッケータッケ人は、他の種族と同じようにもとは未開の種族だったが、地球人によって文明化した種族によって構成される「天の川銀河連合」との接触により、あっという間に文明を取り入れ近代化した。だが古代からの宗教感に支配されており、そこからの脱却はなかなかできなかった。

 いけにえの風習もそうだった。自らより進んだ種族を捕え、神へのいけにえとする。それによって自らの種族に発展をもたらす。

 そんな古来の風習も、銀河連合への加盟によりようやく改めるようになった。しかし一部にはまだそれを棄てられない村もあった。

 最も文明度の高い種族である地球人を神へのいけにえにするため、闇で地球人狩りをおこなっていたのである。ただでさえ少なくなっている地球人が狩られてしまえば、絶滅してしまう。

 モーンとともにビルに移ってから、鋭馬はそんな説明をうけた。

 地球人をいけにえにするベッケータッケ人は一部の富豪に限られているが、それでも組織的な狩りを行っているとなれば脅威である。

 しかし事実なのだろうか。

 鋭馬は驚きつつも疑っていた。モーンの話だけで証拠はなにもない。もしかしたらすべてがデタラメで、ほかに別の意図があるのかもしれない。

 とはいえ、確かめようがなかった。ここから逃走しようにも、手段(あし)がない。

 しばらく様子を見るしかなさそうだった。そうしている間にも、鋭馬の置かれた状況が悪くなっていくのかもしれなかったが、下手に動けなかった。周囲の状況がわかってからしか行動できそうになかった。

 ピュッコβ。それが、鋭馬が連れてこられた惑星だった。ベルフィオγから八〇光年も離れた惑星だった。その事実を知って、鋭馬はモーンを信じざるを得なくなった。こんなカネのかかることをするのだから、と。

 もはや故郷に帰ることはないだろうと、さすがに落胆した。

 衣食住の心配はないと言われたが、この建物からは外へ出られないとのこと。つまり自由がないのである。安全のためとはいえ、事実上の軟禁である。

「時期が来たら自由に外出できる」

 とモーンは言ったが、それが実行されるのがいつなのかは明言しなかった。

 騙されているのではないか、と鋭馬は思った。


 やることもなく、仕方なく与えられた部屋のベッドで眠った。

 次に目が覚めると空腹を感じていた。

 部屋を見回すと、いつの間にか食事が入れられていた。

 床に置かれた五〇〇ミリリットルの水のペットボトルと菓子パンがひとつ。まるで災害時の救援物資のような質素さだった。袋を破ってパンを食べたら意外とうまかった。空腹だったせいもあるだろうが、これだけではなんとも味気ない。だが文句を言う相手もいなかった。

 そんな中途半端な待遇のまま、数日がすぎていった。

 食事はちゃんと出たし、情報(ネット)端末にはアクセスできた。鋭馬は、プイパクーラでわずかな賃金のためにあくせく働いて頃に比べたら実にぐうたらな毎日をすごしていた。部屋から出て建物の内部をうろうろ歩きまわっても、なにをするでもなかった。

 何階建てかはわからないが、四つのフロアを行き来できた。しかしそれより上下に移動することはできなかった。階段もエレベータも四フロアまでしか通じていないのだ。おまけに誰もいない。

 窓から見える宇宙港には、たまに宇宙船が離着陸するが、それほど頻繁ではなかった。

 いったい自分はこれからどうなるのだろう。モーンの言っていた地球人としての能力とはいったいなんなのか。なにを求められるだろうか。モーンはまだなにも教えてはくれず、こたえの出ない問いを日に何度も繰り返した。

 そしてさらに数日がすぎたとき、モーンが一人の地球人をつれてやってきた。

「紹介しよう。今日からここで暮らすことになった、フランソワーズさんだ」

 モーンの背後から現れたのは、鋭馬の死んだ母親よりも年上の、六十歳ぐらいの太った女だった。


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