第2章 惑星アーランザτ
乾ききった大地に湧き出るオアシスの周囲に、その町は広がっていた。
粗末な住宅がぎらつく主星の光を浴び、埃っぽい路地にはなにをすることもなくうずくまっている住民たちがいた。
惑星アーランザτは長く内戦が続いたため経済が疲弊し、他星系の支援を受けていたが、環境破壊がひどく復興はまだまだ先が長かった。
この町――ミューカも、発展しようにも、どこから手をつけてよいかわからないまま時間だけが過ぎ、途方に暮れた空気が沈澱していた。かつては豊かな穀倉地帯だった町の周辺も砂漠化が進行して、内戦が終結しても貧しさは変わらなかった。
それでも、この大陸中央部では最も大きな町だったので、彼もどうにかこうにか暮らしていけた。
――バズーザ・ボン・ベチラーゾ。名前のとおりベチラ人である。探偵事務所を開いている。探偵といえば聞こえはいいが、要は「何でも屋」である。復興中のこの星ならなにか仕事があるだろうと流れ着いて、このまま居座って三年になる。
今日も仕事にありつけるという知らせを受けて、この場末の酒場にやってきていた。本来なら事務所で話をしたいところだが、残念ながら事務所を維持できるだけの稼ぎはない。自宅は独房みたいに狭い、やっと眠ることができるだけのボロアパートでとても事務所としては使えないのだ。
バズーザがあらかじめ指定されたテーブルで待っていると、エージェントが現れた。昼間っから飲んだくれていられる安い酒しかない薄暗い酒場は、仕事にあぶれてやることがないろくでなしどもでそこそこ客がおり、エージェントはバズーザの姿を見つけるのにやや時間を要してからテーブルにやってきた。
デデブブというそのエージェントは、何人もの、バズーザのようなアウトローに仕事の世話をちょくちょくしてくれていた。彼と出会ったことで、バズーザは今のような仕事をしているのだった。
バズーザはグラスの底に残った廃油のような安酒を飲みほし、落ちない汚れでシミだらけのテーブルについたデデブブを見やる。久しぶりに会ったデデブブは、マクヤ人特有の甘い匂いがいつもより強くなっていた。きっと加齢臭で、相当な歳なのだろうが、バズーザはよくは知らない。ただ、匂いが体調や年齢を知る手がかりなるらしいとどこかで聞いたことがあるだけだ。
傍らに不審な人物をつれていた。
「元気そうだな」
デデブブはそう挨拶してから、
「こちらは今回の仕事の依頼人だ」
デデブブに紹介されたその人物は、独特の気配を放っていた。長年この商売をやってきたバズーザには、店に入ってきたときからそれがびりびり感じられた。普通者ではない。わざわざ依頼人がこんなところへ出向いてくること自体珍しい。
「なにをやればいい? 人探しか?」
人探しは一番ポピュラーな依頼だ。
「人探しじゃない。ただ、運んでもらいたいだけだ。できるだけ早く、目立たずにだ」
なにを警戒してるのか、デデブブは声を低くして言った。酒場ではてんでが好き勝手に話をしていて、わざわざ他のテーブルの会話に首をつっこんだりはしないものだ。
「ほう、なるほど」
バズーザは依頼人を一瞥する。
依頼人はウェイターがもってきた酒には手をつけず沈黙している。レッター人だろうか。頭を覆うフード。薄暗い店の照明の下では顔はよく見えない。だが緊張感はすごく感じられた。今回はかなりヤバイ仕事らしい。
「で、どこへ連れて行けばいいんだ?」
「メンフィーμだ」
ほう、とバズーザは少し驚いた。
「メドーラン帝国領内じゃないか。定期航路もない」
そんなところへ行くなどとは、物好きというものである。
「だからこうして頼まなければならない。バスーザ、おまえなら苦もなくやってのけるだろう」
「おだてるなよ」
メドーラン帝国は、アーランザτを含むピレン帝国とは違う恒星国家連合体だ。皇帝が治めている点では同じ社会体制ではあるが、お互いが領土拡大を模索し合って緊張状態が長く続いていた。軍がうろうろしている宙域を突破しなければならないとなると、けっこう厄介である。
「高速宇宙船をもっているやつとなると、そうはいないからな。頼むよ」
とデデブブは言う。
バズーザが貧乏生活をしているのも、この宇宙船の維持が影響していた。メンテナンスに多額の費用がかかった。ならば宇宙船など処分してしまえばいいのだが、そうなると仕事にあぶれてしまう。宇宙船があるから、バズーザには仕事が回ってくるのである。
「高くつくぜ」
バズーザは言いながら、どれぐらいの額なら黒字になるだろうかと見積もった。燃料費や宙港使用料、入国手数料などなど……。
「前金で千。あとの千は出来高払いでどうだ?」
「ふうむ」
頭の中で見積額と比較する。
「悪くないな」
「よし、交渉成立だ」
デデブブはレッター人の依頼人からマネーカードを受け取り、バズーザに差し出した。バズーザも懐からマネーカード取り出す。信号を照合し、決済。これで指定口座に入金が確認された。これをもって契約となる。
天の川銀河のどこかにあるその銀行は、バズーザのような人間にも口座を作ってくれるのだから、マフィアが運営している信用度の低い銀行なのだろうが、利用しないわけにはいかなかった。口座は複数の銀行にもっていたから、突然倒産しても全財産を失うことはない。そこらへんのリスクヘッジは当然していた。
「では、乾杯といこうか」
契約成立を祝して、バズーザはグラスをとった。
「あぶない!」
そのとき、今まで沈黙していた依頼人が叫んだ。甲高い声だ。
ほとんど同時だった。反射的に放り出したグラスが砕け散った。
バズーザたちはテーブルをひっくり返し、その影に潜り込んだ。上着の内側から拳銃を引き抜く。愛用のスミス&ウエッソンM881である。
――どこから撃ってきた?
それほど混雑していないとはいえ、いきなり銃撃をかましてくるとは乱暴な話だ。しかし、思ったとおりだ、このお客はかなりヤバイ。二千で割が合うか?
「もう少しイロをつけてくれないかな?」
「なにを言うか。もう契約は成立した。こんなことは織り込み済みだろ」
デデブブは客の肩を持つ。
バズーザは「くそ」と毒づいて、それから店の構造を思いうかべた。おそらく外にも敵がいるだろう。
「二階から脱出する。ついて来い」
デデブブと依頼人のレッター人に言うと、テーブルの陰から飛び出し、拳銃を天井のほうに連射しながら階段へと急いだ。敵がどこかわからないから応戦できないのだ。しかし丸腰でないことがわかれば、敵も堂々と攻撃はしてこないだろう。
騒然となった店内。他の客の中には堅気でない者も多く、突然の襲撃に反応して銃撃戦に加わったことも幸いした。混乱に乗じて三人とも無事に階段を登り切った。
一階よりやや狭い二階で、吹く抜けから一階が見下ろせた。何人かが倒れていたのを横目でちらりと見て、驚いている二階の客の間を抜けて窓から外へ脱出した。
合金製の屋根伝いに足音を派手に鳴らしながら隣の建物の屋根へと移動した。くたびれた外階段から酒場裏の狭い駐車場に降りるまで、ほんの数秒である。
バズーザが停めていたクルマは、いつ故障するかと思えるほどのおんぼろのフォードで、外装があちこちへこみ、いろんな意味で乗るのを躊躇う代物だった。
「こいつはまだ走るのかい?」
デデブブが助手席に乗り込むと質問したが、それにこたえる前に、バズーザは後部席に依頼人がちゃんと乗っているのを確認すると、フォードを発進させた。
分解するのではないかと思えるほどの急加速で酒場をあとにした。
傷んだ舗装道路を高速で走行すると、揺れが激しい。
「こういう危ない仕事は、できれば他をあたってほしかったな」
ステアリングを握りながら、バズーザは助手席のデデブブに訴えた。
「こういう仕事が専門なんだろ」
デデブブが言った。口調が楽しそうだった。
たしかに、バズーザの仕事は非合法のものも多い。危ない目に遭うのも日常だ。
このアーランザτは、無法者が流れる惑星として有名だ。金さえ積めばどんな仕事でもやろうというやつはミューカに限らずどんな町にもごまんといた。
バズーザも、要するにそのひとりなのだ。金さえもらえれば、多少危険な橋をわたろうとも、たいがいの仕事はする。そうでなければ食っていけない。
「普段なら客のプライベートには立ち入らない主義なんだが、命を狙われてるとなると、少しは話してもらわないとな。だれに追われてる?」
バックミラーを見る。内戦で破壊された建物が、道路の両側にちらほらと映っていたが、追っ手らしい車両の姿はない。どうやらうまくまいたようだ。
「ある人種主義者の団体の過激派グループです」
話したものかどうかデデブブが迷っていると、客がそう言った。
「たしかに過激だな」
「連中はわたしたち種族を根絶やしにしようとしているのです」
「見たところ、あんたはレッター人のようだが……。レッター人が絶滅するなんて話、聞いたことがないぞ」
バックミラーに映る後部座席を一瞥する。依頼者の顔に表情らしきものは浮かんでいない。もっとも、顔に表情が浮かぶ種族は少数派だ。
「わたしはレッター人ではありません。ただ、人目を避けるためにレッター人の姿に変装しているのです。しかしこの変装も彼らに見破られたとなれば、もう必要ありませんね」
そう言って、フードを脱いだ。顔を覆っていたのは仮面だった。レッター人は硬い甲殻皮膚をもっていた。変装は容易い。
はずした仮面の下から現われたのは――。
「あんたは……」
バズーザは絶句した。実物を見るのは初めてだった。さまざまな星の種族が集まるアーランザτを根城にするようになってもうかなり長かったが、見たことは一度もなかった。
「そうです。わたしは地球人です。名前は、ベアトリス・レイフィールド」
バズーザの運転するおんぼろフォードは町の郊外にある宇宙港に向かっていた。とにかくこの商売、早く動くことが大事だった。もたもたしていたら、どんなトラブルに巻きこまれるわからない。
今回の場合もそうだ。客が命を狙われているというのなら、できるだけ速やかに仕事を始めなければ、もらえるものももらえなくなる。
それにしても……レッター人だと思っていたのが、実は地球人だとは……。
たしか、彼らは母星である地球を失ってから天の川銀河に散り散りになり、寿命の短さと繁殖力や環境への適応力の弱さが原因で急速にその数を減らしていったときく。
かなり高い文明と技術力をもって、現在の天の川銀河世界に多大な影響を遺したといわれるが(事実、地球人が銀河に進出しなかったら、ほとんどの種族は未開人のままだっただろう)、同時にその凶暴性から怖れられてもいた。
バズーザが知っているのは、そんな伝説的な話ばかりだった。そう、もはや地球人は伝説の存在なのだ。
その地球人の生き残りが、どうしてメンフィーμなんかに行かなくてはならないのか――。疑問はあったが、バズーザはそこまでは訊ねなかった。
仕事を依頼する客は、みんな「訳あり」だった。だからたいがい事情は知らないほうがいいという場合が多い。
ミューカ宇宙港についた。二階建ての粗末なターミナルビルが建つ、地方空港のような宇宙港であるが、これでもアーランザτではまだマシな空港だった。
フォードをだれもいない駐車場に入れ、帰ってくるまでの間にどうか盗まれませんように、とバズーザは祈る。ここではこんなポンコツでも盗むやつがいるのである。
駐機場に移動した。
広い駐機場に、何十隻もの宇宙船が係留されていた。ほとんどが個人所有の小型船だ。定期便はあったが、このミューカ宇宙港からの便は日に数便だったので、大型の貨客宇宙船は、今は二隻しか離着床にはいない。
バズーザの持ち船、アイレッカー号の船体が48番スポットで黄昏の残照を受けて赤く染まっていた。もうすぐ日が暮れる。出発はどう急いでも夜になるだろう。
ちなみにアイレッカーとは、バズーザの出身のベチラの言葉で「素早く逃げろ」という意味である。
三人で船内へ入った。小型宇宙船であるアイレッカー号に、居住スペースは広くはない。座席が三つのコクピットと小さな船室がひとつあるきりである。
バズーザは、船の搭載コンピュータに整備状況をチェックさせた。コンピュータではできないような箇所は自分の目でチェックするしかない。
「では、あとは頼んだぞ」
そう言い残して、デデブブは去っていった。忙しそうだった。これからまたろくでもない仕事を見つけにいくのだろう。
デデブブを見送ると、
「では、あんた、ベアトリス……だっけ。船室に案内する。おれは出発の準備をするから、それまでそこで待っててくれ」
地球人を船室に案内すると、出航の準備にかかった。
日が沈み、ミューカ宇宙港は静かに眠る城となっていた。
準備をはじめて一時間後、やっと出航準備が整った。
ベアトリスをコクピットに呼び、シートに着かせた。大気圏突破の際の衝撃はかなりのものだからである。
管制塔から滑走路への進入許可が下りた。アイレッカー号、滑走路へ進入。
が、コンピュータが警告メッセージ。接近してくる物体を感知。
「来やがったぜ、おまえさんの友人がよ」
後部座席のベアトリスにも見えるように、コクピットの上半分を占めるマルチディスプレイを視界モードにして。
夜の闇に紛れてしまいそうな黒塗りクルマが二台、タキシングをはじめたアイレッカー号に接近してくる。
「あいつらだわ」
「わかってるさ。しかしタイミングの悪いやつらだぜ。もう少し早かったら、おれたち仕留められたのによ」
たぶん、デデブブが時間をかせいでくれたのだろうと、バズーザは思った。感謝したいところではあるが、エージェントにしてみれば、探偵が仕事をしくじると、探偵を紹介しにくくなって、結果、稼ぎが減る。持ちつ持たれつなのである。
「どうするの?」
「かまわず離陸する」
「でもこのままだとぶつかってしまう」
「よけてみせるさ」
管制塔から離陸中止の指示が来たが、無視して滑走開始。加速Gに、体がシートに沈みこんだ。アイレッカー号は離陸態勢。
クルマが滑走路に進入してきた。まさかとは思うが、ブラスターを撃ってくる気か? 自殺行為だぞ。それとも、自爆覚悟でつっこんでくるか――。そこまで性根のすわった連中でもあるまい……。
滑走路の前方で、二台のクルマは停止した。危険を回避するため、アイレッカー号は離陸を中止するだろうと予想したわけか……。だがそうはいくか。
クルマを下りた人影が滑走路に立ったのが確認できた直後、アイレッカー号がその頭の上をぎりぎりで通過した。エンジンの轟音と船体の風圧に、何人かがひっくり返った。
アイレッカー号は急上昇。あっという間にアーランザτの大気圏を離脱した。