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第1章 惑星ベルフィオγ

 惑星ベルフィオγは、人種のルツボだ。銀河中の惑星からさまざまな人種が集まって、さながら動物園のようである。余所の惑星からの流れ者たちがあふれ、それぞれの民族の風習が衝突し、ベルフィオγはどの都市に行っても治安はあまりよくなかった。

 そのなかでもプイパクーラは治安のすこぶるよろしくない街として有名だった。開けた大通りから一歩路地に入ると、夜昼関係なく、賭博に興じるアーガ人やラリってふらついているメリン人を目にしたりする。強盗や殺人も珍しくない。

 だからといってプイパクーラに住むことをむやみに怖がる必要はない。プイパクーラ独特のルールさえ知っていれば、自由で快適な街なのだ。

 街の中心から少し離れたダウンタウンは薄汚れたスラム街だった。それでも商店なんかがあったりして、比較的治安はよかった(あくまで「比較的」であって、安全には程遠い。少なくとも夜間は出歩かないほうがいい)。

 かつてこの一帯が開発された当時に建てられ、今では落書きされた外壁のあちこちがはがれかかったアパートには、なんの仕事をしているのかわからない人々がお互いに無関心をきめこんで住んでいた。通りに面して何棟も並ぶそんなアパートの一室に、彼も住んでいた。

 藤倉鋭馬ふじくらえいま、十九歳。プイパクーラはおろか惑星ベルフィオγにおいて、ただ一人の地球人である。

 もともとは遠くの農場に住んでいたが、二年前に両親が相次いで病死してからは農場を維持できず、ここプイパクーラへ流れてきた。

 農場を処分したカネで最初は生活できたが、その額は買い叩かれて安かった上に仕事はなかなか見つからず、見つかっても賃金が安く、貯金はすぐに底をついて貧困生活を送っていた。

 今日も深夜まで働いて疲れきっての帰宅だった。配送センターで働いているのだが、今の時期はちょうどガッタ人の正月で荷物が多くなっていた。ベルフィオγにはガッタ人が母星の内戦による戦火を逃れた難民として大量に移り住んでいるのだ。

 近くのコンビニで朝食を買い込んで、アパートの、以前の住人のなごりである、へこみや傷だらけのドアを開けようとしたときだった。ふと、いつもと違う気配を感じた。

 プイパクーラで生きていくためには、気配に敏感でなくてはならなかった。そうでなければ、すぐになにかの被害に遭う。鋭馬も否応なしに敏感になっていたし、死んだ両親から他人には気をつけろと教え込まれていた。

 仕事で疲れていて一刻も早く休みたいところだったが、鋭馬はドアの向こうに得体の知れない異様な気配を感じ、一瞬凍りついた。

 このまま部屋に入るのは危険だ――確たる根拠があったわけではないが、鋭馬はそう思った。

 そしてそのまま回れ右すると、アパートの廊下から階段を下りていった。錆びて変色した金属製の階段をリズミカルな靴音を響かせて四階から一階まで一気に駆け下りたとき、鋭馬の部屋のドアが爆発するかのように勢いよく開き、数人の人影が廊下に躍り出てきた。

 かれらは通りを走り去る鋭馬を認め、追いかけだした。種族も服装も違っており、一見なんの共通点もない集団である。

 鋭馬が後ろを振り返ると、階段を下りる追っ手の姿があった。

 鋭馬はあわてて駐車場に入り、駐車とめてある自分のクルマに乗り込んだ。

 スズキの一人乗りマイクロカーである。ポピュラーな乗り物で維持費もかからず誰でも気軽に所有できる普及型だ。貧乏人の足としてプイパクーラだけでなく、ベルフィオγ全域でよく使われていた。

 鋭馬は電源を入れ、マイクロカーを発進させる。黄色い車体は鋭馬の趣味ではなかったが、中古市場で安かったので買ったのだった。

 ついさっき職場の配送センターから乗ってきたばかりのマイクロカーはモーターも冷えてなくて快調に走り出した。

 逃げなければならない理由に覚えはなかったが、鋭馬はとにかく逃げることにした。理由もなく理不尽な目に遭うことは、この街でなくとも珍しくはなかったから。

 追っ手はアパートのすぐ側に停めてあったGMの大型車にどやどやと全員が乗り込み、ドアが閉じるのももどかしく走り出した。

 鋭馬のマイクロカーを追跡する。黒塗りの大型車は窓にシールドが施してあり、どんな人間が運転しているのかもわからない。甚だしく怪しい連中だ。

 鋭馬は広い通りへ出る。早朝で、まだ交通量も激しくない幹線道路を疾走する。バックミラーを何度も確かめる。

 追っ手はあきらめなかった。スピードでは大型車のほうが分があった。鋭馬のスズキは小型ゆえ馬力がなく、法定速度を超えるスピードさえでない。

 次第に追いついてきた。GMのゴツイ車体が接近してくる。

 追っ手は鋭馬に「止まれ」とも言わず、なにが目的なのかも分からない。不気味な黒い車体が迫る。もっとも、「止まれ」といわれて止まるつもりはぜんぜんないのであるが。

 しかしながら、このままではいずれは捕まってしまうと予感した。鋭馬は恐怖を覚えた。捕えられたらなにをされるかわからない。理由のわからぬ恐怖が鋭馬を突き動かした。

 信号が赤でも突っ切った。横から来たピザの配達バイクにあやうく接触しそうになり、盛大にクラクションを鳴らされたが、かまってはいられなかった。朝っぱらからピザを食うやつなんて鋭馬には信じがたいが、いろんな種族がいるのでそんなやつもいるのだろう。

 追っ手がカネ目当てでないのは間違いない。鋭馬をどう誤解しても、金持ちには見えないから。

 とはいえ、ほかに狙われる理由に見当がつかない。なにか重要な情報をもっているわけでもない、ただの貧乏な小市民にすぎない。となると、誰かと間違えられている――。

 ハンドルを右に左に操作しつつ、鋭馬は考えた。追っ手の心理を想像し、なんとか誤解を解かないことには……と必死だった。いつまでも逃げ回ってはいられないだろうから、捕まったときのことをあらかじめ考えておくべきだと思う鋭馬だった。

 ――しかし、誰かと間違えられているとなると……。

 そうなると厄介だった。異議申し立てをしても通じないだろう。話を聞いてくれる気はなさそうである。問答無用で殺される可能性もあった。人違いが判明したとしても、逃がしてくれるとは限らない。用はないとばかりに、消されるかもしれなかった。プイパクーラは、それが起こりうるような街だ。

 警察は、もちろん、いる。だが彼らは決して正義の味方ではない。理不尽な要求を突きつけてくることもあり、思うほど頼りになるような存在ではない。言い方は悪いが、そのへんのゴロツキとなんの変わりもない。いや、ゴロツキより性質たちが悪いといえるだろう。警官の姿を見たら逃げろとまで、鋭馬は聞いたことがあった。

 鋭馬は路地に入りこんだ。減速をしなかったので、あやうくビルの壁面に衝突してしまうところだった。風化してひびの入ったコンクリートが目の前に迫ったかと思うと、後方へと流れ出す。破れかけた派手な政党ポスターが一瞬だけ目に入った。

 夜通し働いていた鋭馬は、疲労のためクルマの安全な運転など望めなかった。というより、安全運転などしていたら、警察には捕まらないだろうが追っ手には捕まってしまう。

 何度か入り組んだ路地を曲がった。大型車からの追跡なら、それで振り切れると考えた。

 無我夢中で走り回った。通行人の脇をほんの数センチの間隔ですり抜ける。声の大きいバスーン人の悪態が後方に消えていった。

 そして鋭馬はバックミラーを見てホッとする。大型車は見えない。どうやらうまくまいたようである。

 しかし安心はしなかった。自宅はすでに張り込まれているはずだ。戻れる安全な我が家はもうないのである。

 どこか休めるところはないか――。

 鋭馬は考えた。自宅以外に身を隠せるようなところがあったろうか。誰か、かくまってくれそうなやつは――。

 友人と呼べるような連中はいたが、信用できるかといわれると首を傾げざるをえなかった。カネさえつめば平気で親友であろうと仲間だろうと引き渡すようなやつばかりだった。だがそれは仕方がなかった。どいつもこいつも貧乏なのだ。いつホームレスになるかわからない貧しい労働者はカネのためならなんでもする。プイパクーラではそれは常識だ。責められやしない。鋭馬自身も裏切りを後ろめたく思わなかった。命あっての――なのである。

 職場の配送センターも安全とは言い切れない。すでに手が回っているかもしれないからだ。

 鋭馬にとって安全な場所はプイパクーラにはどこにもなかった。眠かったが、どこかで休憩するわけにもいかない。が、そうはいっても、いつかはクルマの電池も切れてしまう。それまでにどう逃走するか考えなくては――。

 プイパクーラを脱出するか、それとも市内に潜伏し続けるかで、今後の行動も違ってくる。

 プイパクーラを脱出するとしたら……。

 路線バスは市内を巡回しているだけで市外へは出られない。長距離バスとタクシー、あるいは鉄道。空港は、おそらく張り込まれているだろうから避けたほうがいい。

 とはいえ所持金がわずかである。安い料金でもっとも遠くまで行こうとすれば長距離バス……。

 しかし、とはいうものの、さて、どこへ行く?

 というか、どこへ行けるバスがあるのか、鋭馬は知らなかった。バスセンターに行けばわかるのだが、そこに張り込まれている可能性に思い当って顔をしかめた。

 空港やらバスセンターやらにまで張り込まれる――そこまでやるだろうかと、少し大げさではないかとも思ったが、この追跡劇の裏になにがあるのかわからない以上、用心を重ねるにこしたことはない。

 このままマイクロカーで移動しようとしても、隣の町までも行けず電池切れになるのは明らかだった。途中に充電スタンドがあるにはあるが、町を出るとなると職を失うのだから、なるべく金は使いたくはなかった。着のみ着のままの逃走は、そのあとのことを考えると気が重かった。

 ではプイパクラーラ市内のどこかに潜伏して、ほとぼりが冷めるまで待つというのは……。

 ごちゃごちゃしたスラム街なら潜伏も容易いかもしれない。身元不明の住人ならいくらでもいた。その中に紛れてしまえばわからないだろう。しかしながら、市内では追っ手が鋭馬の行方を探し続けているわけであるし、潜伏しているところを発見されればもう逃げ場はない。案じながら潜んでいるなどと、びくびくして気の休まるときはない――。

 いっそのこと他の惑星にでも脱出できればいいのだが……。

 鋭馬はそう夢想した。だがもちろんそれは現実的ではなかった。惑星間定期旅客船の三等室でも鋭馬の給料半年分以上はするのだ。

 貯蓄さえほとんどできない生活の鋭馬にそんな高い買い物はできなかった。よその惑星に逃れることができれば、追っ手の心配もなさそうだが、それは淡い希望だった。もちろん、よその惑星へ逃れたら脅威が去るかといえば、そんな保証はないのであるが。

 考え事をしすぎていた。気がつくともう朝のラッシュを迎えようとしていた。道路にクルマが増えだしていた。

 運転に集中しなければならないのに、それどころではなかった鋭馬は対向車線にはみ出していた。

 対向車が迫る。運転席のドンポック人のウロコだらけの顔がアップになって、盛大にクラクションが鳴らされた。

 鋭馬はあわててハンドルを切り、かろうじて正面衝突を免れたが、こんどは反対側の歩道へ乗り上げてしまった。歩道に面するパチンコ店の前で開店を待つ列につっこみそうになるのをあやうくよけたが、その代わりに照明灯の柱にぶつかってしまう。

 衝撃。スズキの軽い車体は跳ねとんで、鋭馬は投げ出された。

 コンビニのガラスにまともに体をぶつけて気を失った。

 その音を聞きつけ、水色のユニホームを着たコンビニの店員のミンス人が様子を見るためでてきた。巨大な目玉が驚きのあまりより大きく見開いて。

 鋭馬の周囲にたちまち人だかりができた。誰かが救急車を呼んだが、それより先にどこからか、まるで獲物に舞い降りる猛禽類のように、鋭馬を追跡していた黒いGMの大型車がやってきた。

 大型車から数人がおり、事故車のそばでのびている鋭馬を確認すると担ぎ出した。

 こうして、周囲で見ている誰もがなにも言わずに見守っているうちに、鋭馬は大型車へと乗せられ、どこへとともなく連れ去られてしまった。あとには破損したスズキのマイクロカーが残された……。

 救急車がかけつけたのは、それからおよそ十五分後のことだった。警察が来たのは、さらにその三十分後のことである。


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