■前編
これは、まだ大正ロマン華やかなりし頃。恋愛よりお見合いが優勢で、結婚とは家と家を繋ぐ手段だと、誰もが当然のように考えていた時代のお話です。
しばし、おばあさんの昔語りにお付き合いくださいまし。
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あれは、私が洋裁の女学校に通っていた頃のことでした。
当時のわたしは、西洋文化に強い憧れをいだいており、和の伝統文化に対しては、古臭い時代遅れの遺物だという印象を持っていました。
そんなわたしには、物心つく遥か前、親同士が勝手に決めた許嫁がいました。
土曜の半ドンが終わる度に、矢絣袴姿で母親から預かった風呂敷包みを抱え、編み上げブーツをタッタカ鳴らしながら、その許嫁の家へご機嫌伺いに行かされていました。
許嫁の家は代々続く筝曲家の本流で、許嫁の彼もまた、のちに家元となる大事な長兄でした。
門扉を潜り、格子戸の敷居を一歩跨ぐと、決まって奥の床の間から、ツンツクツンと上品な箏の音が聞こえてきました。
一幅の掛け軸と、一輪の椿が生けられた花卉を背にして、明眸皓歯の成人男子が羽織姿で優雅に筝曲を演奏している姿は、とても近代的とは程遠いものです。
これで衣冠束帯姿なら、平安時代に迷い込んだものと勘違いするところでしょう。
当時の次期家元は、歌舞伎役者に勝るとも劣らない端整な外見で、平日の昼下がりに開かれていたおこと教室は、美男子に飢えた貴婦人で大人気でした。
ただ、その凛とした佇まいと整然とした立ち居振る舞いは、ともすれば隙が無く、わたしは彼に対し、冷酷で近寄り難い印象を受けていました。
これには、嫉妬や劣等感があったからかもしれません。
なにせ当時のわたしは、学校の先生から卒業顔と太鼓判を捺されるほどの田舎娘然としており、何かと早とちりだったり鈍くさかったりで要領が悪く、成績表には乙と丙がずらずらと並んでいるといった有様でしたから。
そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、筝曲一家の嫁になるわたしに少しでも箏について関心を持ってもらおうと、許嫁の彼は、わたしに箏の魅力やら歴史やらを語って聞かせるのが常でした。
時には、一張十三本の弦が並ぶ箏を前にして、爪の使い方やら構え方やらを教わることもありました。
手取り足取り懇切丁寧に演奏方法を教えてくださるのですが、至近距離で異性と接する機会が少なかったわたしは、緊張で身体がカチコチに強張ってしまうばかりでした。