ハイビスカスの空
以前投稿した短編とキャラクター、世界観を共有しています。前回以上に作者の願望(空戦要素)の比率が増えていますが、予めご了承ください。またゾーニングのために「ガールズラブ」のタグをつけていますが、作者としては恋愛ではなく友情を描いたつもりです。
どこからともなくセミが鳴く声が聞こえる。ついこの間始業式を行ったばかりと思っていたら、もう夏休みも半ばになっていたのだ。二年生になってから、イチカには時間が進むのが速く感じられた。
そんなことを考えていたら、終業のチャイムが鳴った。三限の古文が終わり、高校生たちは補習から解放された。
「やっと帰れる……」
後ろの席の熊野さんが溜息まじりにこぼす。彼女のような「普通」の女子高生は、夏休みの間にやりたいことがたくさんある。にもかかわらず、補習のために学校に行かなければならないのは、彼女にとって苦痛でしかない。
「おかしいよッ!今日は花火大会もあるのに、なんでキモイおっさんだらけのバスに乗って学校に来なきゃならないのッ⁉」
熊野さんは悲痛な叫びをイチカにぶつける。
「仕方ないって……今年はゴールデンウイークが長かったし、ちょこちょこ休校してるから授業日数が足りてないんだよ……」
「カスだな……」
熊野さんはがっくりと肩を落とした。そんなクラスメイトにはお構いなしに、イチカは荷物をまとめて席を立った。
「じゃあね……」
「ちょッ、イチカちゃん待ってッ……!」
教室を出ようとしたイチカを、熊野さんが引き留める。慌てて教材をバッグに詰め込んだ彼女は、小走りでイチカのところまでやってきて、二人一緒に教室を出た。
「どうしたの?」
不審がってイチカが尋ねると、熊野さんは少しためらいながら答えた。
「あのね、その……イチカちゃんは、この後は予定とかある……?」
「別に……帰ったら課題かゲームをするくらいだけど……?」
「そ、そっか……」
熊野さんは頬を赤らめ、何かを言おうとしているようだった。
「どうしてそんなにもじもじするの?告る訳でもないのに……」
立ち止まり、熊野さんの顔を見る。黒く長いまつ毛が下を向いていた。熊野さんは深呼吸をすると、顔を上げた。
「イチカちゃん、今日私の家で夕ご飯食べない?」
「ほぇッ⁉」
イチカは裏返った声を出してしまった。
「ど、どうして……そんな、急に……」
「実はね、妹が引きこもり気味なんだよね……」
熊野さんにユカという妹がいることは知っていた。今年で中学一年生だという。そんな彼女もまた、姉と同じく快活な少女だろうと思っていたイチカは、熊野さんの話を意外に思った。
「夏休みに入る少し前に、風邪を引いちゃって……それから仮病を使って一度も学校に行かなかったの……」
熊野さんの声は深刻そうだった。彼女は妹が心配でたまらないのだろう。
「夏休みになってから、ずっと部屋に籠ってゲームばかり……あの子、もう二週間も外に出てないんだよ……」
熊野さんは、イチカの手を握った。
「だからイチカちゃん、家に来てユカと一緒にゲームしてあげて!ご飯ご馳走するから!」
熊野さんの黒く大きな瞳がイチカを見据える。そんな目で見られたら、願いを断ることはイチカにはできなかった。
*
イチカは一旦家に戻ると、家族に熊野さんの家で夕食をご馳走になることを伝えた。それから私服に着替え、カバンに携帯ゲーム機とゲームソフトを詰め込んだ。ユカがどんなゲームをするのか解らないが、とりあえずマルチプレイができるフライトシューティングゲームとレーシングゲームを数種類持っていくことにした。
熊野さんとその家族はマンションの五階に住んでいた。現在、彼女の母親はアイドルを追って海の向こうに、父親は海外出張でモスクワに行っている。そのため、自宅にいるのは熊野さんとその妹だけだった。
イチカは教えられた通りエレベーターで五階まで登り、熊野さんの住む部屋を見つけた。人の家に呼ばれたことなんて、十七年の人生で数えるほどしかない。毎日学校で顔を見る人に会うのに、場所が違うだけで妙に緊張してしまう。ドアの前に立ったイチカは、深呼吸をしてからインターフォンのボタンを押した。
呼び出し音が鳴ってから十秒も経たずにドアが開き、イチカの心臓が跳ね上がった。
「イチカちゃんいらっしゃいッ!」
熊野さんは帰宅した主に飛びつく犬のような顔でイチカを迎えた。そんな彼女の行動にイチカは大きな溜息をついた。
「びっくりさせないでよ……あと、誰が来たのか確認もしないでドアを開けるのは不用心なんじゃない……?」
「ごめんごめん、待ちきれなくて……」
謝りながらも、熊野さんはイチカの手をグイグイと引っ張って部屋の中に入れた。
リビングでは二人の少女がテーブルの上に広げた教材とにらめっこをしていた。一人は少しパサついた黒髪の少女で、恐らく彼女がユカだろう。もう一人の少女は栗色の髪をボブカットにしている。イチカはその後ろ姿に見覚えがあった。
「あれ?なんでツバサちゃんがここにいるの……?」
イチカの声を聴いてツバサが振り返る。
「お久しぶりですね、イチカさん。」
ツバサは私立高校に通う一年生だ。今年の春にイチカと知り合い、お互いに自分の趣味を語り合える理解者となった。しかし、最近はなんだかんだ忙しく、直接会うことはできていなかった。
「ツバサちゃんにはね、ユカの宿題を見てもらってたんだよ……」
熊野さんは「せっかくの女子会なんだから、人数が多い方が良いしね」と付け足した。それを聞いたイチカは、改めて熊野さんの人脈の広さに驚いた。鵜潟市内の高校全てに彼女の知り合いがいても、全く不思議ではないだろう。
ふと、イチカは何者かの視線を感じ、ツバサの隣を見た。ユカが数式を解く手を止め、黒い瞳をこちらに向けていた。イチカと目が合うと、彼女はまた頭を下げて問題を解こうとした。
「ユカってば……これから遊んでもらうんだから、ちゃんと挨拶しなさい」
熊野さんにそう言われて、ユカは立ち上がった。小さな声で「どうも、熊野ユカです」と言うと、ぺこりとお辞儀をした。
「ユカちゃんってゲーム好きなんだよね?」
ユカがクッションの上に座り直すのを待って、イチカは尋ねてみた。
「は、はい……」
「どんなゲームするの?」
「その……RPGとかFPSとか、いろいろです……最近は『ソード・ファンタジー』の最新作をやってます……」
「へー『ソード・ファンタジー』か……私、ファンタジーゲームとかあんまり詳しくないな……」
イチカは立ったままユカの話を聴いていたが、熊野さんに勧められてソファーに腰を下ろした。
「えっと……“フラン”さんは、どんなゲームをするんですか……?」
今度はユカの方から質問してきた。彼女はイチカを「フラン」と呼んだ。イチカは一時期クラスの女子からこのニックネームで呼ばれていたが、体育祭が終わるころには忘れられていた。ユカは姉からその名前を聴いていたのだろう。
「ちょっとユカ!イチカちゃんはその名前があんま好きじゃ……」
「べ、別にいいよ……」
イチカは妹を注意する熊野さんを止めた。
「フランでもイチカでも、好きに呼べばいいよ。男子が言ってた『ゴロウマル』よりはマシだから……」
イチカと熊野さんは、女子高生には似合わないアグレッシブな仇名を思い出し、クスクスと笑った。ユカには二人が笑っている理由が解らないようだった。
「それに、ユカちゃんに呼ばれるなら、別に嫌な感じはしないしね……」
イチカはそう付け足すと、ユカの方を向いてにこりと笑みを見せた。ユカは少し照れくさそうに下を向き、髪を耳にかけた。
熊野さんはユカの教材を覗き込み、ポンと手を叩いた。
「宿題もキリが良いみたいだし、そろっと始めますか!」
それを聞いたユカの顔は、少し明るくなったようだった。教材を片付けると、彼女は自室に行った。ほどなくして、ユカはイチカが持っているものと同型の携帯ゲーム機と、ゲームソフトのケースを抱えて戻ってきた。
イチカの隣に座ったユカは、彼女が持っているソフトを見せてくれた。先刻の話の通り、ユカは様々なゲームを持っていた。有名なものだけでなく、日本国内ではマイナーな海外ゲームや個人製作の同人ゲームまである。イチカはその中に一つだけ、自分が持ってきたゲームを見つけた。
「あっ!『エアロガンナーⅣ』があるじゃん!」
「フランさん、これ知ってるんですか?」
ユカはソフトを手に取った。
「まぁ、その手のフライトシューティングゲームは一通りチェックしてるからね……」
「フランさんって飛行機が好きなんですよね?」
「そうだよ。フランっていうニックネームも、フランカーっていうロシアの戦闘機に由来してるし。ミリオタほどじゃないけど、戦闘機の知識は……」
そこまで言ってイチカは言葉を切った。ユカの顔がこわばっている。危うく訊かれてもいないのに戦闘機談義を始めるところだった。
「ご、ごめんね!とりあえずゲームしようか!あはは……」
苦笑いでごまかし、イチカは自分のゲーム機にソフトを入れた。
『エアロガンナーⅣ』は一昨年にアジアの会社から発売されたフライトシューティングゲームだ。日本に輸出することを前提として開発されており、日本語音声では人気の声優がキャラクターに声をあてている。自衛隊の運用する戦闘機も多く登場しているが、商標の都合でロシアの運用する機体は収録されていない。その代わり、日本国内のイラストレーターがデザインした架空の戦闘機が数多く登場する。
架空機のデザインが気に入ったイチカは試しにこのゲームを買ってみた。グラフィックやストーリーの脚本は他に劣っていたが、マルチプレイにおいて対戦以外にも協力プレイなどができることに魅力を感じていた。
「これやるの久しぶりだな……最近は他のやってるから……」
「他のって『スカイファイターズ7』のことですか?」
「そうそれそれ……あれにはフランカーが出てくるから……」
そんな話をしながらイチカ達はマルチプレイの準備を進めた。イチカは機体選択の画面で、フランカーをモチーフとした架空機を選んだ。
「《アスベル》ですか……?」
ユカがイチカの手元を覗き込んだ。細い肩がイチカの身体に触れ、どぎまぎしてしまう。それを隠そうとして、イチカは愛機の自慢を始めた。
「や、やっぱり《アスベルⅡ》はイケメンだよねぇ?」
「はい!グレー基調の迷彩もカッコイイですね!」
「えへへ、ありがとう。そういえば、ユカちゃんはもう機体決めた?」
「はい、私は自衛隊の飛行機を使おうと思います。対地対空両方にバランスが良いので……」
ユカはイチカにゲーム機の画面を見せた。そこには自衛隊が運用するF-2Aという戦闘機が映し出されていた。白字に赤いラインが引かれたカラーリングで、尾翼にはハイビスカスのエンブレムが描かれていた。
「そのエンブレムカッコイイ!」
「そ、そうですか……」
ユカはまた照れくさそうに髪を耳にかける癖を見せた。その仕草にイチカは子犬か子猫のような愛らしさを感じた。できることならユカの頭を撫でたいと思ったが、よその家の子にそんなことはできない。理性で踏みとどまったが、もっとユカと仲良くなりたいイチカは一つの提案をしてみた。
「どうせなら、お揃いのエンブレムで出撃しようよ?」
「え……⁉」
ユカがイチカの顔を見た。彼女はイチカの誘いに戸惑っているようだった。
「お揃いって……このハイビスカスのマークでってことですよね?」
「だめ?」
しばらく考えたあと、ユカはコクリと頷いた。イチカは「ありがとう」と伝えると、自機のエンブレムをユカと同じものに交換した。
「じゃあ、行こっか?」
全ての準備が整い、イチカとユカは共同戦役に出撃した。ゲームのクリア条件は、五分以内に一定数の敵戦力を破壊すること。敵は空母を中心とする艦隊とそれを守る航空部隊に分けられ、味方機との連携が重要になってくる。
イチカは戦域に飛来する敵航空機部隊に攻撃を加える。編隊飛行をしているところに正面からマルチロックミサイルを斉射。編隊が崩れた所をドッグファイトで各個撃破していく。
「協力プレイなんでしょ?どうして一緒に戦わないの?」
画面を覗いていた熊野さんがイチカに尋ねる。
「同時に攻撃するだけが協力じゃないよ。ユカちゃんの機体は対艦ミサイルを積んでるけど、対空兵装は持ってない。航空機に対しては不利なんだよ。だから空対空ミサイルを積んでいる私の機体で航空機を撃墜して、ユカちゃんが対艦攻撃を仕掛ける隙を作ってるんだよ」
熊野さんはイチカの話を理解できていないらしく、顔に「?」を浮かべている。そんな彼女をツバサがフォローする。
「つまり適材適所ってことですよ……ですよね、イチカさん?」
「そうゆうこと!」
イチカはぱちんと指を鳴らす。そんなことをしている間に、撃ち漏らした敵機がユカの機体に接近していた。
「フランさん、敵機からレーダーを照射されてるんですけど⁉」
「あーゴメン!今助けるから何とか持ちこたえて!」
イチカはユカの機体に絡む敵機を撃墜する。間一髪、ユカの機体は撃墜されずに済んだ。慌てたイチカの様子を見て、ユカはクスクスと笑った。それはイチカが彼女に会ってから初めて見る笑顔だった。
その後イチカたちは数回共同戦役に出撃した。二人の絶妙なコンビネーションにより、いずれもSランクでクリアすることができた。何回か一対一の対戦もしてみたが、二人の実力は伯仲しており接戦となった。
ふと、イチカは美味しそうな匂いを嗅いだ。食卓の方を見てみると、熊野さんとツバサが夕食の準備をしていた。
「あ……ごめんね、わざわざ……何か手伝おうか?」
「いいよ、呼んだのは私なんだし。イチカちゃんは座ってて……」
「で、でも……」
イチカは台所を覗いたが、熊野さんに推し出されてしまった。ソファーにイチカを座らせると、熊野さんはその耳元に囁いた。
「もう少しだけ、ユカの話し相手になってあげて……」
「え……?」
急にそんなことを言われても、イチカは何を話していいか解らなかった。熊野さんの顔色をうかがったが、彼女はウィンクをして台所に戻ってしまった。
イチカはユカの方を見る。彼女はソファーの上で背中を丸め、撃破した敵のデータを閲覧している。一緒にプレイしてるときとは違って、その顔は無表情だった。その顔が曇っているように見えたイチカは、ぽんとその肩を叩いてみた。
「ねぇ、ユカちゃんは一緒にゲームする友達とかいるの?」
「……?」
ユカは少しの間イチカの顔を見て硬直していた。やがて質問の意味が解ったのか、うつむいてしまった。
「ゲームのフレンドは十五人くらいいます。でも、直接会ったことのある人はいません。学校でも同じゲームをして遊べる友達は……」
それを聴いたイチカは、無意識にユカの肩を抱いていた。小中高と交友関係が狭かったイチカには、彼女の気持ちが痛いほど解った。イチカは今でこそ熊野さんやツバサという「友だち」を得たが、それ以前はユカと同じく孤独な学校生活を送っていたのだ。
子供は共通点を持つ者同士でグループを作る。そのグループに入れなかった者は、会話をすることすら許されない。それにも関わらず、先生は「みんなで仲良くしましょう」とグループワークを強要する。イチカやユカのような「異端者」は、自分を排除しようとするクラスの皆と、同化を強要する大人たちの間で板挟みになり、学校という空間に苦痛を感じていた。
「別に、学校に友達がいなくても良いんだよ……」
イチカはゆっくりと語りかけた。今度は何のためらいもなく、自然とユカの頭を撫でることができた。
「学校で認められなくても、別の場所で認められればいいんだよ。事務的に必要最低限の会話さえできれば、後は黙ってケータイを見てればいい。自分を認めてくれない人達と、無理に慣れ合う必要は無いよ……」
ユカはイチカの服の裾を掴んだ。その手は少し震えているようだった。
「でも……」
「大丈夫。ここに一人、あなたを認めてくれる人がいる……私は嬉しかったよ、ユカちゃんみたいなパイロットに出会えて……」
イチカはユカの手を握った。畏怖と敬意をこめて、力強く。ユカの小さく柔らかい手が、イチカの手を握り返した。
不意にイチカの耳に爆発音が入ってきた。さっきまでミサイルやら機関砲弾の飛び交う戦場を飛んでいたせいか、イチカは少し身構えてしまった。一つ、また一つと爆発音は不規則に続いた。
「お?始まったみたいだね!」
台所から熊野さんが出てきた。彼女が窓のブラインドを開けると、暗闇の中に大きな花が咲いた。ちょうどイチカたちが自機に付けていたエンブレムのように、赤く力強い花だった。
「この部屋は、ちょうどあのビルの間から花火大会が見れる位置にあるそうです」
料理を運んできたツバサが説明する。
「たまにはこんなのも良いと思ってね!」
熊野さんはイチカを見る。イチカは彼女が自分を家に招いた本当の目的を察した。
「熊野さん、もしかして……私の為に?」
熊野さんは「てへっ」と舌を出して笑う。彼女はもじもじし手を揉みながら語った。
「イチカちゃん、人混みとか嫌いでしょ?でも私、どうしてもイチカちゃんと花火が見たかったから……そしたら、ツバサちゃんが家で花火大会を見ようって言ってくれて……」
それを聴いてイチカの頬が熱くなる。同時に胸の奥から何かが溢れてくる感じがした。熊野さんもツバサも、夏の思い出を作ろうとこの夕食会を企画してくれたのだ。率直にそのことは嬉しかったが、それをどう表現していいか解らなかった。
「ありがとう……嬉しいよ、すごく……すごく……」
「へへ……」
熊野さんも頬を赤らめて笑う。去年から熊野さんとは色々な事があった。殺したいくらい恨んだ時も、その容姿に嫉妬したときもあった。だが今は彼女を心から大切に想えた。間違いなく、熊野さんはイチカの「友だち」であった。
「ご飯の準備が整いましたよ!さぁ、始めましょう!」
ツバサがイチカ達を呼ぶ。イチカは「今行く」と答えるとユカと一緒にソファーから立ち上がった。
全員が食卓に着いたのを確認して、熊野さんが手を合わせる。
「それでは、いただきます!」
――終――