3.金山哲の上京物語
「哲!あんた遊んでばっかいないで、少しは店の手伝いしなさいよ!」
「うっせえな!」
ようやく周りは受験が終わり、遊べる仲間が増えたのだ。
しばらくは会えない友人と遊んで何が悪い。
三月のまだ寒い夜道に、哲の錆びたチェーンの自転車は、毎晩同じ時間に同じ音を鳴らして走っていた。
「就職する気がないなら、パンの焼き方覚えなさい!長男なんだから!」
哲にはまだ中三の弟がいた。店の後継ぎは弟に全て押し付けるつもりだった。
「そうか~!受かったか!いや、知ってたよ!お前はやれば出来る子だ!」
「お前はおかんか!」
哲は大学の合格通知が届いたばかりの宗太を居酒屋に誘った。
「あ、とりあえず生二つ!」
慣れないビールで乾杯をした。
「あ~!うまいな~!」
「生き返るわ~」
二人の言葉と表情は合っておらず、二杯目からはカシスオレンジとスクリュードライバーに変わっていた。
「お前どうすんの?やっぱ店継ぐの?」
「まさか!継ぐなら家出るね!」
「ならさ、東京行かねえ?春樹だってバンドで出るだろ?」
「いいねえ!何かデカいことやろうぜ!」
「住むとこなかったら、うち来てもいいからよ!」
「まあ、最悪頼むわ~」
「一人暮らしか~。楽しみだな~」
宗太は広い夜空を見上げるようだったが、そこには煙にまみれた照明しかなかった。
「うちに来てもいいけど、女連れ込む時はどっか出ろよ!」
「俺が女連れて来た時どうすんだよ!」
「知らねえよ!どっかホテルでも行けよ!」
「冷てえな~」
渋い顔で哲は煙草に火をつけた。
「わりい!一本甘えていい?」
「あれ?お前吸ってたっけ?」
マルボロライトを一本差し出した。
「受験の時だけ止めてたんだよ」
哲に火をつけてもらい、一口目でむせた。
「いや~、久々だからさ~」
宗太は煙草を噛み締めながらニッとした。
久々に酔った。
自転車を押して帰った時間には、もちろん店は閉まってるし、親も寝ていた。
着替えもせずにベッドに横たわった。
「東京か~」
壁に掛けてある時計は深夜一時を指していた。
東京への思いに浸っていると、部屋のドアが開いた。
「酒臭えな!」
弟の俊だった。
「ノックくらいしろよ!てか中坊がこんな時間まで起きてんじゃねえよ!」
「どうすんだよ!店継ぐのかよ?」
「継ぐわけねえだろ!お前にやるよ!」
「ふざけんな!俺にだってやりたいことあんだよ!俺に押し付けんな!長男だろ!」
「好きで長男やってるわけじゃねえよ!」
「だったら出てけよ!働く気もねえのに毎晩遊び歩きやがって!邪魔なんだよ!」
「何でお前にそんなこと言われなきゃなんねえんだよ!」
哲はベッドから起き上がった。
俊の胸ぐらを掴む準備はすでに出来ている。
「何やってだ!?」
トランクスにTシャツ姿の父親が起きて来た。
脇の辺りが少し黄ばんでることも気にならないくらい、二人からはアドレナリンが出ていた。
「別に…」
俊は部屋に戻って行った。
「何でもねえよ!」
父を廊下に突き出し、再びベッドに横たわった。
出てってやるよ!
心の叫びは誰にも届いていないだろう。
春樹が突然やって来たのはその次の次の日だった。
昨晩の解散宣言には流石の哲も驚いた。
いつもなら呼ばれてもいないのに打ち上げに参加するとこだが、その日は遠慮した。
「で、結局どうなった?」
春樹はバンドが解散すると、随分カッコ悪い人間になっていた。
自分の才能を信じ、高飛車ないつもの姿はなかった。
金山哲という男は何もない、口だけの人間。
それは自分でもよくわかっている。
だが高宮春樹は違う。こいつには歌がある。
しかし音楽がなくなれば自分と一緒。何もないのだ。
それだけはどうしても避けたい。
春樹の才能を信じているのは、何も本人だけではないということだ。
「一緒に東京行こうぜ!」
春樹は口数少なく帰って行った。
後はあいつ次第。
これ以上俺がどうこう言うことじゃない。
部屋の窓から、春樹の後ろ姿を見ながらそう思った。
「あんたこれからどうすんの?店手伝うの?」
母のいつもの小言。時間もない。そろそろはっきりさせなければならない。
「あのさ、俺東京行くわ」
「東京?そんなとこ行ってどうするの?」
「やりたいことあんだよ!」
「何さ?」
「関係ねえだろ!」
「関係ないってことないでしょ!」
「決めたんだよ」
冷蔵庫から出した牛乳を一気に飲み干した。
「あんたの人生だから口出したくないけど、お金どうするの?面倒見れる程裕福じゃないんだからね」
「それくらい自分で何とかするよ」
見栄を張ったが、自分で何とか出来るレベルではない。
引っ越しも、部屋を借りる金もない。
バック一つで宗太の部屋に転がり込むしかない。
店が閉店し、遅い夕食。
その食卓には久々に哲がいた。
「お前東京行くんだってな」
「ああ」
父には母から伝わったのだろう。
「何したいのか知らないが、部屋はどうするんだ?」
「どうにでもなるよ」
「契約金だけは出してやる。家賃と光熱費は自分で払えよ」
父が出した茶封筒には三十万入っていた。
「お前の人生だ。失敗して俺らのせいされたくないからな。好きにしな」
腐ってもこの人達の息子なんだ。
哲は素直に気持ちを言葉にはしなかった。
無言で封筒を受け取った。
スマホで東京のアパートを調べている時だった。
俊がノックもせずに入って来た。
「ノックしろって言ってんだろ!」
「細けえな」
俊は左手に下げたコンビニ袋を床に置いた。
「何?」
「飲もうぜ!」
袋には酎ハイや、ポテトチップスがパンパンに入っていた。
「中坊が何言ってんだよ!」
「来月から高校だよ!」
「同じようなもんだろ」
プシューと音を立て、二人で静かに乾杯をした。
「東京で何やんの?」
「別にいいだろ。お前は?何やりたいの?」
「昔から言ってたろ?カフェやりたいって」
「あれ?それマジなの?」
「大学行って経営学勉強して、自分の店持ちたいんだ」
「へ~。パン屋どうする?」
「兄貴は継ぐ気ないんだろ?」
「全くな。親父の代で終わりか。まだじいちゃんと二代だけどな。土地貰えば?」
「そこまで世話になりたくねえよ」
「しっかりしてんな~」
二人で朝方まで飲み明かした。
普段はケンカばかりでも、兄弟ってのも悪くない。
あの晩のことを俊も気にしていたようだが、今となってはいつもの兄弟喧嘩。
「でもな、俊。親父とお袋の面倒もちゃんと見ないとな。何かあったら俺も帰って来るからよ!」
「頼りにしてるぜ!お兄ちゃん!」
「お前酔うと調子いいな~」
頑張れよ!兄貴!
お前もな!