1.楽し過ぎるクソみたいな生活
あの頃は楽しかった。
毎日バカやっては笑って、またバカやって。
いつも隣には仲間がいた。
いつも空には大きな青が広がっていた。
時は経つもので、今もう一度確かめたいことがある。
あの頃好きだった空は今でも変わりませんか?
僕らが好きだった空は今でも変わりませんか?
高宮春樹の目覚めは遅かった。
昨晩のアルコールがようやく抜け、ベッドから出た時はすでに夕方になっていた。
シャワーを浴び、身支度を整え、家を飛び出した。
その際ぶつかって倒れてしまった赤いギターには目もくれなかった。
行き先は街のパチンコ屋、スリーセブン。
パチンコよりはスロットに力が入っている店である。
今日は打つつもりはない。それでも彼が足を運ぶ理由は二つある。
一つは台のチェック。データ採取はスロッターの基本。
もう一つの理由は、恐らくいるであろう親友、金山哲に会う為だ。
そしてやはり彼はいた。
「よ~!遅い出勤だな~」
「どう?調子は?」
メビウスのライトに火をつけ、哲の隣の台に座った。
調子というのはもちろん収支のことだ。
「全然。設定は悪くないはずなのにな~」
スロットには設定というものがあり、 基本1~6まである。
その数値が多いほど当たりが来やすいと解釈して欲しい。
もちろん今日の哲の様に、設定がよくても負ける場合がある。
己の引きの強さ。こればっかりは仕方ない。
「捨てるならもらうよ?」
「まさか!閉店までブン回すよ!」
ヤケになっている哲を横目に、春樹はデータ採取に取りかかった。
高校時代からの親友である二人は、卒業後上京し、今は時の流れに身を任せる職業。
簡単に言えばフリーターをやっている。
家賃や食費で首が回らないはずなのに、スロットと酒とタバコ。
ここら辺の費用はどこから出るのかは謎である。
春樹は店を一回りした後は、マンガを読んだりし、閉店を待った。
「待たせたな!」
声色を渋く、哲は春樹に近づいた。
「劇場版のピッコロさんかよ!で、どうだった?」
春樹の問いに、にんまりと微笑み、右手でVサインを作って見せた。
「二千負けまで巻き返した!」
「負けてんじゃねえか!」
「バカやろう!ここまで来たらいかに負け分をなくすかだ!」
それはごもっともだと頷き、「さて、行くか!」と続けた。
彼らが向かった先は、スリーセブンからさほど離れてはいない居酒屋、「串丸」。
上京した頃からの常連で、最近ではこの店以外行ってない。
こじんまりとした小さい店だが、炭火焼きの焼き鳥と自慢の地酒、そして大将の人柄が人気を呼び、週末になるとなかなかの盛況ぶりである。
「うっす!」
「来たな~!ダメ人間!」
「ほら!言われてるぞ?ダメ人間!」
哲は自分を棚に上げ、春樹の方を向いた。
「ダメ人間は自分のダメさに気づかないもんなのか…」
「悪い!ダメ人間ズだったな!」
仮に二人が喧嘩になったとしても、大将のこの笑顔があれば全て治まる。
彼はそんな人間なのだ。
「宗太は?」
「最近つき合い悪いさ。後輩入って来たってさ」
面白くなさそうに哲が呟く。
春樹や哲とは違い、桜井宗太は大学進学を理由に上京していた。
「あいつももう二年か~。お前らも見習って頑張らなきゃな!」
「誰を見習えって?親の金で大学行ってるだけだろ?毎日遊び歩いて!」
「遊び歩いてるのはお前らも一緒だろ」
「俺らは自分で稼いでるもんな?春樹?」
「そう!自給自足!」
「バイトもしないのにか?」
「生きてるんだからいいじゃん!」
極論を言い切った春樹の目の前に冷えたビールが置かれた。
待ってましたとばかりに手に取り、哲と乾杯。
何に乾杯するのかわからないが、きっと酒を交わす時の儀式なんだろう。
その儀式は毎晩同じ場所で行われた。
大将はいつも宗太にひいき目を使う。
大学生とはそんなに偉いのか。
やってることはほとんど春樹と哲と変わらないが、一応合理的なのだろう。
「哲。お前またバイト辞めたんだろ?」
「バイト?ああ、引っ越しの?」
「やることないなら、うちで面倒見るか?」
「哲は接客ってタイプじゃないだろ!」
「お前に言われたくないわ!」
春樹は上京後、すぐに楽器屋のバイトを始めたが、接客業が合わなく一ヶ月で辞めた経歴の持ち主だ。
「お前らにも夢があるんだろうから、無理にとは言わないけど、一応社会人だろ?」
「一応ね!」
彼らはスロットを仕事と呼んでいる。
しかし、本業にするには負け過ぎている。
「誰か俺の才能について来れる奴いないのかね~」
春樹のこの台詞が出れば酔ってる証拠だ。
今夜8回目の乾杯をした後なので、頃合いと言えば頃合いだ。
「東京も軟弱な奴らばっかだからな!何なら俺歌おうか?」
「ふざけんなよ!ボーカルは俺だ!」
高校時代は「Johnny B」と言うバンドで歌っていた春樹。
地元の若者で知らない者はいないくらい有名なインディーズバンドだったが、上京を目前に解散した。
それぞれ進む道が違ったのだ。
自分の才能だけを信じ、一人東京へ来た春樹だが、一年経った今じゃギターもろくに弾いていない。
「一人じゃ出来ないもんなのか?」
大将だって、バンドは一人では出来ないことくらい知っている。
「いや、バンドじゃなくてもさ、駅とかで歌ってる奴らいるだろ?」
「大将はわかってない!一つの曲があれば、メンバーそれぞれの感性があって、やっと最高の曲になるんだよ!俺に言わせればワンマンバンドなんてバンドじゃないね!」
「要はお前は一人でやる実力ないってことだろ?」
「ちげえよ!だから…」
「一人じゃ最高の曲作れないんだろ?誰かに助けてもらわなきゃ」
哲の言い過ぎとも思える言葉にムッとした。
「まあまあ、ケンカするな!春樹はバンドがやりたいってことなんだろ?ほら、一杯ずつサービスだ!」
「お、サンキュー!」
放っておけば間違いなくケンカになっていたが、ビールと大将の力で丸く収まった。
それから更に小一時間後、二つの影はいつも通り千鳥足で、夜の街へ消えていった。
朝七時。
叩き起こすように目覚ましが鳴った。
普段なら逆に殴りつけるとこだが、今日の春樹の寝起きは良かった。
昨日も深くまで飲んではいたものの、意外と残っていなかった。
「よし!絶好調!」
洗顔後の顔を確認し、両手で叩いた。
栄養ドリンクを一本飲み干し、家を飛び出した。
赤いギターはまだ倒れたままであった。
開店前のスリーセブンにはすでに行列が出来ていた。
春樹がここまで早起きする理由はもちろんこれだ。
月で一番のイベントの日。
今日の為にデータを取り、昨日は打たなかったのだ。
哲と宗太は?
イベントの日には必ず顔を出す二人だが、どうやら来ていないみたいだ。
哲に関しては昨晩大分酔っていたので、まだ起きていない可能性が高い。
どちらかが前方に並んでいれば、さりげなく横入り出来たのだが、いないものは仕方がない。
九時になると店員が出てきて、数名ずつの入店が許可された。
お目当ての台が空いていたので、タバコを置き一回りしたが、それ以外めぼしい台はなかったので、缶コーヒーだけ購入し、席に戻った。
左手に備え付けられた小型のテレビのワイドショーでは毎日変わらず毒舌を吐くキャスターがいた。
その頃には既にプラス二万にまでなっていた。
流れは変えたくなかったが、空腹には耐えられなかった。
ランチ休憩の札を店員に差してもらい、徒歩五分くらいの牛丼屋へ向かった。
そろそろ起こしてもいい時間だと思い、哲に電話したが留守電になったのですぐに切った。
次は宗太にかけてみた。
「おう!」
彼らは「もしもし」とは言わない。
「来ねえの?」
「手持ちなくてさ~。どんな感じ?」
「絶好調!」
「マジか~!行けば良かった~」
「周りも出てるし、まだ間に合うぞ!なんならどっかキープしとくか?」
「う~ん。明日の据え置き狙うわ~。今晩麻雀で稼いどく!」
「お!いいね~」
「来るか?面子一人足りねえんだ!」
「何時?」
「六時くらいかな?」
「あ~。無理だ。閉店までいるから。哲誘えば?」
「あいつ行ってねえの?」
「昨日大分飲んでたからな~」
「自己管理なってねえな!じゃあ誘ってみるわ~。終わったら合流しようぜ!」
「オッケー!串丸でいいよな?」
「おう!じゃあ後でな~」
瞬間的に牛丼を平らげ、速やかにスリーセブンに戻った。
春樹が串丸に到着したのは、午後十一時ちょうどだった!
先に飲み始めていた哲と宗太に、八人の福沢諭吉と満面の笑みを惜しみなく披露した。
「大勝利じゃん!」
「今日は春樹のおごりな~」
「任せろ!お前らは?」
「こっちも!チームワークの勝利だな!」
哲がイタズラに笑った。
またやったな。
彼らは麻雀でチームを組み、どちらかが上がるように捨て牌を考え、勝ち分も負け分も山分けし、リスクがかなり少なくなる。
ただこれはかなりの邪道で、もし相手にバレたら何を言われるかわからない。
「あれお前の後輩だろ?可愛い新入生から巻き上げちゃって」
「洗礼だよ!俺も大分やられたからな~」
確かに一年前の宗太はよくこの場所で嘆いていた。
「春樹!お待たせ!」
春樹のビールが届いた。
今日はちゃんとした理由がある。
三人の勝利に…
「かんぱ~い!」
「うちの演劇サークルやっと人数二桁いったぞ!」
宗太は嬉しそうにマルボロメンソールのボックスを開けた。
「活動してんの?」
「当たり前だろ!活動場所は居酒屋だけどな」
「ただの飲みサークルだろ!」
「お前らも夢あってこっち来たんだもんな。宗太は俳優だろ?」
大将の問いを激しく否定した。
「ただの俳優じゃない!俺は劇団を作りたいんだ!日本各地の舞台を回って、俺らのお芝居を見てもらうんだ!」
「でも活動場所居酒屋だろ?結局口ばっかだな」
「春樹に言われたくねえよ!」
「若いってのはいいよな~!春樹は音楽で、宗太はお芝居。哲は…、何だったか?」
「俺はあれだよ。何かデカいことやんだよ!歴史に名を残すような!」
哲だけが漠然としていた。
「哲はいいよな。ダメでも実家のパン屋継げばいいだろ?」
「絶対嫌!あんなクソ面白くない生活は!だからこっち出てきたんだよ!」
「歴史に名を残すパン屋でいいじゃん」
「どんなパン屋だよ!」
タバコと焼き鳥の煙に巻かれ、いつも通りの夜は更けていく。
昨日と違うのは、千鳥足の影が三つに増えたことだ。
「もう一件行こうぜ~」
「いいね~。今日は全員金あるし!」
肩を組んで歩いている、顔の赤いサラリーマンと何度かぶつかったが、気にはしない。
「カラオケいかがっすか~」
若い女の子の客引きが声をかけた。
「お姉ちゃん相手してくれんの?」
「バカ!キャバじゃねえんだから!」
「飲み放題お安くしますよ~」
若い客引きはクスリともせず、仕事を続けた。
ただ、業務用の笑顔は崩さなかった。
「久々にカラオケもいいか~」
春樹の言葉が鶴の一声になったのか、店まで案内してもらうことになった。
カラオケ特有の不味いビールを飲みながら、まずは哲が歌い始めた。
哲や宗太は今流行りのJーPOPや、懐かしのアニメソングが中心だったが、春樹は違った。
崇拝するビートルズや、ストーンズを中心に、80年代付近の洋楽が多かった。
哲も宗太も知らない曲だったが、それでも引き込まれてしまう。
カラオケとは言えど、惹かれる歌声だった。
英語は話せないが、歌の発音は完璧。
中でも二人が聞き入ったのは、昔から春樹よく歌っていた、チャック・ベリーの「Johnny B Good」だった。
高校時代の春樹のバンド名もここから来ている。
「やっぱ春樹上手いわ~」
しみじみ哲が呟いた。
「まあな!でもカラオケだと本来の声でないわ」
これはカラオケに来ると毎回言うセリフだった。
実際、ライブで歌う春樹の歌の方が抜群に存在感があったが、カラオケでも上手いものは上手い。
たまに哲や宗太が歌う曲に、コーラスで入るが、いかんせん発声が違う。
メインで歌う声が、ハモリに負けることは多々あった。
完全に酔いが回ると、自然とスロットのボーナス中のBGMメドレーになっていった。
昼過ぎに目が覚めた。
春樹はガンガンする頭で考えた。
昨日あの曲歌ったとこまでは覚えてるんだけどな。
気づけば散らかった部屋の万年床で寝ていたのだ。
記憶がなくなるくらい酔った時は不思議なもので、昨晩来ていた服は珍しくハンガーにかけられていた。
財布からは串丸の代金以外は、小銭が少しなくなっていただけであった。
小銭はタバコを買ったとして、きっとカラオケ代は払っていない。
哲か宗太が出したのだろう。
今日は家からは出ずに過ごそう。
タバコを一本吸い終えた時にそう決めた。
布団の横にある、タカミネのアコギを久々に手にした。
酒焼けと寝起きの為、チューニングを半音下げてビートルズを歌ってみた。
我ながら酷い声だったが、陽が落ちる頃には戻っているだろう。
倒れていたエレキギター、赤いフェンダーのジャガーをスタンドに立て、シャワーを浴びた。
二日酔いの時は迎え酒に限る。
夜七時になると、お気に入りの芋焼酎を水で割り、ニルバーナのファーストアルバムをかけた。
いずれなくなる命なら、やはり偉大なロックンローラーと同じ死がいい。
カート・コバーンの様に、ショットガンを用い、錆び付くよりも燃え尽きるか。
ジミ・ヘンドリックスの様に睡眠薬か。
ジョン・レノンの様にファンに打たれるか。
フレディ・マーキューリーだってある意味最高のロックだ。
いずれにしても、まずはこの世に生きた証を残さなければならない。
春樹も、親友のダメ人間ズもまだ何も残してはいない。
春樹が宗太に言った言葉。
結局は口だけ。
これは三人全員に当てはまる。
俺たちはどこに向かおうとして、何に怯えているのか。
何となく即興で歌ってみた。そのうち練り直そう。
今じゃなくていい。今はまだこのままでいい。
このクソみたいな生活が楽し過ぎる
部屋の電気を消し、イーグルスのデスペラードを流した。
ならず者とはまさに今の自分。今はこれでいい。
再び電気をつけ、高校の頃のバンド、Johnny Bの解散ライブのビデオを流しているうちに酔いが回り、気づけば眠りについていた。
そしてまたあの日の夢を見た。