2.No Code[前]
「大我さんはぼく達にお仕事を教えてくれる人だよ!かっこいいね奏くん!」
「マジかあれ先輩かよ…バイトだったら初日に辞めるわ」
『こちら八雲。中央通信局からスカーレットアルファへ通信中、確認次第応答せよ。繰り返す、確認次第応答せよ』
ノイズ混じりの音声がイヤホンを通じて瓦礫の隙間から顔を覗かせる青年達の耳に届く。
唸り声を上げ突進してくる黒い怪物を背面に避け、展開した銀色のブレードで漆黒の体躯を難なく真っ二つに裂き真紅の瞳の青年は涼しい顔で応答した。
「っ…こちらスカーレットアルファの柚木 奏。こっちは問題ない、内海!御幣島!俺1人で充分だからお前らは帰還準備しとけ」
砂煙の中、激しい物音を聞きつけ集まってきた犬型の怪物が三体、奏の周りを取り囲んだ。
余裕綽々といった表情で剣をくるりと回し衝撃波を発生させる予備動作に瞳孔の収縮を開始するも、不意に背後から腕を掴まれ集中が途切れてしまった。
奏は顔だけ振り返り、攻撃を妨害した人物に対して明らかにイライラとしてみせる。
「柚木待てッ!単独行動はダメだとあれほど言った筈だぞ!お、俺も…戦うからな!」
同年代だが、奏に比べてほんの少しだけ大人びて見える青年は震える手で重槍と盾を構えてみせる。
逃げ腰で膝を笑わせる青年を横目に啖呵を切る奏は、心配そうな目でこちらを見つめるもう1人の青年に自身の帰還用携行ポータルを投げ渡し右腕を振り上げた。
「無理に戦わなくて良いっつってんだから受け取っとけよ御幣島ァ!内海、ムダ死にしたくなきゃこいつ連れてとっとと帰れ!」
「な…柚木!俺がリーダーである以上、勝手な真似は許さないぞ!」
青年が言い終わるが早いか否か、目眩しに念力で瓦礫を吹き飛ばし、捻れた鉄骨を一体の犬型怪物に突き刺した奏はトドメに首を狩り取る。
散り散りに逃げた残りの怪物は、廃墟と化したビルの窓から奏の後頭部を抉ろうと飛びつくも青年が放った重槍を腹部に受け、衝撃で四散した。
バラバラ振る黒い物体を物陰に隠れたまま、怯えた瞳で上目に見るもう1人の青年は険悪に背を向けあう2人をなだめるように声を掛ける。
「2人とも落ち着いて、今は言い合ってる時間じゃ…わわわ!たすけてっ!」
包み込むような優しい声音が一瞬の内に叫びに変わった。
涙目に助けを求める青年の足首に噛み付き、引き摺っているのは犬型の怪物…現れたのは三体、仕留めたのは二体。
…彼らが逃した獲物が、今まさに青年の鼓動を止めようと無防備な背中に爪を立てていた。
「「内海ッ‼︎」」
つい先程まで目も合わせなかった2人が同時に駆け出す。
鋭い鉤爪が皮膚を突き破り、切り裂かれた三本の傷口が火に炙った鉄棒を押し付けられたように熱を持つ。
生温い液体が脇腹を伝って、傍に横たわる電磁砲の機構を鮮血に濡らした……。
ーー数日前ーー
『本日よりProject iが始動しました。特務機関アニムスは名を改め"プロダクションアニムス"となります。そうですそうです!君たち星の子には文字通りスターに…』
『ーーアイドルになっていただきたいと思います!』
「……ハイ?」
ちょっと、何言ってるか分からないんですけど?
社長の口から出たアイドルになって欲しい宣言に、奏の頭に疑問符が浮かぶ。
しかしながら疑問を持ったのは、先程目覚めたばかりの奏だけでは無かったのだと周囲の人物の顔を見ればよく分かった。
「………⁇」
皆一様に微妙な表情である。
ポカンとしている辺り、やはり何を言ってるか分かってないようだ。
そんな中、隣に立つ青年が困ったように眉を下げて上目遣いにおずおずと左手を上げる。
「あの…今こんな事聞くのもアレなんですが…特務機関ってなんですか…?」
「あ、それ俺も聞きたい。仕事って何するんですか」
学ラン姿の少年もスマホからホログラムへと目線を移す。
…そもそも特務機関が何であるかを知らされていない者も多いみたいだった。御多分に洩れず、奏も知らされていない側の人間であったので無論興味はあったがここに来たのはなにせ昨日の今日である。
時差もあり、幾分頭が追いつかない。
社長は驚いたように肩をすくめ、頭をこつんと叩いて舌を出した。
『あり?あー、めんごめんご!君たち"二期生"には特務機関の業務を伝えてなかったみたい!社長うっかり!うっかり社長!』
仕事内容をうっかり伝え忘れるとはどういう事だろうか、皆拉致されてきたのだろうか。
デスクの下からカンペを取り出し、まるで初見の如き抑揚のない口調で特務機関の説明をする。
『どれどれ…"特務機関は全国各地の流星災害跡地を調査、整備して避難している皆さんをいち早く元のお家に返すお仕事です。"だってね!誰かな?こんな趣味が悪い文章書いたの』
無機質に書かれた文を鼻で笑い、ぐしゃぐしゃ紙を丸めて後方に投げ捨てると深く掛け直し今度は自らの言葉で社長は言う。
『特務機関は流星災害跡地から現れた生命体と戦闘し、グラウンドゼロを人類の手に取り返すために組織された秘密結社だ…秘密結社ってかっこよくない?この響き良くない?僕ねぇ昔から秘密裏に結社したかったんだよね!』
「何を?」
「いいから、続き」
テンションが上がり、話が脱線し始めた社長に秋がドスの効いた声で続きを促す。
咳払いし、落ち着きを取り戻した社長は打って変わって画面の向こうに居る彼らを真っ直ぐに見つめた。
『つまり、君たちは戦うんだ。流星から湧き出る謎の生命体と。…君たちは望んでなかったかもしれない、その"特殊な能力"でこの国を…こんな国でも、救ってくれないか』
およそ信じられない出来事がこの短期間の間に次々と起こる。
…掌を開いた奏は、ため息と共に瞼を伏せた。
突然ニホンを救えと言われて理解が出来る者などいるのか。
少なくとも奏には理解が出来ない。行くあてなどないも同然だが、此処に居るよりはマシだろう。
「…悪い、帰…」
「なるほど…!ぼく、がんばりますね!」
すぐ隣に居た。
社長のスピーチを聞き、隣の青年は感動に目を潤ませ奏の両手をしっかり握る。
「一緒にがんばろうねっ!」
「えぇ…?いや俺帰るから」
「…うーん…特務機関の事は分かったけど、その…アイドルと何の関係があるんですか?」
学ラン姿の少年が引きつった顔で社長に聞く。
『皆さん知っての通り特務機関アニムスは民間企業なんですよぉ〜。特務の補助金を国からあまり受ける事が出来ません。秘密結社ですしね。』
「…?つまり、運営資金…えっ?お金が足りないって事ですか…?」
『そうそう!察しがイイね君ぃ!設備投資や君たちのスカウトで資金がほとんど尽きちゃったんで君たちにも資金集めを手伝って欲しいなーって。だから君たちをアイドルに!もちろん手伝ってくれるよね?』
うじうじとしていた先程までとは違い、今は向日葵のように顔を輝かせて社長は笑う。
周囲は未だに困惑の色を濃く残すが、それでも最初よりは事態を上手く飲み込めているようだった。
掴まれていた両手を振り解き、奏はホログラムの画面へ溜め込んでいた怒りをぶつける。
「あぁもう!なんだよそれ!秘密結社とかアイドルとかさっきから意味分かんねぇから!…とにかく俺は帰る!」
踵を返し、象牙色の扉に手を掛ける奏の背に社長の静穏な声が残響した。
『奏くん、外の世界に君が帰る家はあるのかい?君の家はここです。今日から君が帰る"家"は、ここだよ』
「っ………」
『おや、もうこんな時間!続きはまた明日!二期生の諸君、後の詳しい話は秋くんか御幣島くんに聞いてねー!…通信終了。』
返事も聞かず、ぶつり、跡形もなくホログラムは消える。
会議の時間は終わった。
無性に腹立たしい気持ちが胃の腑を煮え繰り返し、唇が切れるほど噛み締める。
「柚木様…?柚木様、お待ち下さい…」
道案内をしてくれていた白銀の髪の青年の声が奏を呼び止めるも耳には届かず、重たい扉の隙間を抜け、足早にエレベーターに乗り込み地上へのボタンを押した。
「…なんだよ、コレ」
ロビーで奏を待っていたのは固く閉ざされた扉だった。
いくらドアノブを捻ろうが蹴ろうが、念力で弾き飛ばそうとしてもまるで力が効かない。
鍵穴は初から無いのだ。
濃緋色の扉は全てを拒絶し、逃げ出すのは許さないとばかりに閉じ込める。
「クソっ…なんなんだよ」
何度も何度も拳を打ち付ける内、伸びた爪が掌に食い込んで大理石の床に彼岸花のような模様をつける。
誰もいない、不穏なほどシンと静まり返るロビーの後方からパタパタと足音が奏の方へ近づいて来た。
「…奏くん?」
「…何?」
振り返ればそこには会議室で隣に立っていた青年がカフスボタンを手に奏を見上げていた。
だが相当目つきが悪かったのか…奏の顔を見た途端怯えたように後ずさった青年は数秒の後、意を決して駆け寄って来たのだった。
「わわっ!…これ、さっき取れちゃったみたいでごめんね。あとハイ!これ持ってないと色々不便らしいからあげようと思って」
サーベルを模った金色の小さなカフスボタンと見知らぬ端末を渡し、青年はへにゃりと笑う。
愛嬌たっぷりで誰にでも好かれるような笑顔を怪訝に見やる奏は、渡された端末をすぐに突き返し自嘲の笑いを浮かべて青年に問う。
「スマホ?俺のじゃないから要らない、返すよ。それより出口は知らないか」
青年は腕を組み唇を尖らせ、眉をハの字に下げて悩む。
「出口?ごめんね、ぼくも初めて来たから分かんないや」
薄桃色に色づく頰をぷくりと膨らませたかと思うと突き返された端末をまた渡そうとして奏の手を取り、青年は血がこびり付いた掌を見てギョッと目を見開いた。
「あっ、これはね、スマホじゃなくてI.Dって言うんだって!色んな事に…ってはわぁ!手、大丈夫?まってまって、今手当てしてあげるね」
「いや、いいよ、これ位ほっとけば。それより」
「失敗しないから安心して!ちょっとしみるかも、あいててて」
青年はリュックから救急セットを取り出し、手早く消毒液を掌に掛け自らの事のように痛そうに目を閉じる。
ガーゼをピンセットでつまんで傷口を抑えると包帯でぐるぐる巻いた。
やけに手際が良い青年の身体には、痛々しい処置跡や包帯が巻かれている事に奏は気が付く。
「これでだいじょーぶ。あっ!まだ自己紹介してなかった!ぼくの名前は内海 昂幸。
Fortunaのコードを持ってます!よろしくね」
「フォルトゥーナ?コード?なぁ、俺にも分かる言葉で言ってくれないかな」
起きてからというもの、周りに居る人物が何を言っているかさっぱり分からない。
まるで異世界のようだがこんなのは御免だ。奏はとにかく外に出たい、外に出て訳の分からない組織から早く逃げ出したいのだが…天井から降って来た謎の声に奏はまた脱出を阻まれる。
「Fortunaは運命、コードは天から授かりし異能の名称だ…迷宮に出口は無い。アンタも早く己の運命を受け入れたらどうだ、柚木」
シャンデリアを逆さに天地返しをしている青年は、瑠璃色に輝く靄を足元に纏いアンニュイなポーズと表情でこちらを見下ろし…いや、見上げていた。
「大我さん、来てたんですね!」
「割と最初からな…オレが迷える仔羊の救世主、御幣島 大我だ!重力使い《グラビティホルダー》とは正にオレの事…!人類よ、いや後輩よ!地に平伏すがいい!」
重力使いと名乗る青年は空を一回転したかと思えば2人が唖然と立つ地面へ着地し、奏に対し指を指してみせた。
ド派手な演出で登場した大我に奏はあからさまに怪訝な態度を隠す事なく内海に聞く。
「ねぇ変なの来たんだけど?なんなの?なんのつもりなの?」
「大我さんはぼく達にお仕事を教えてくれる人だよ!かっこいいね奏くん!」
「マジかあれ先輩かよ…バイトだったら初日に辞めるわ」
穴開き革手袋にチョーカーといった出で立ちを現実に見ると確かに強烈であるとは思う。
大我は奏が仏像のような表情になっているのも構わず尊大な口調で話を続けた。
「早速だが貴様らに任務だ。"アリーナ"へ行くぞ。柚木…お前が求めている答えはそこにある!さぁ!付いて来るがいい!」
「レッツゴーだよ!奏くん!」
「ぐぇえ!力つよ…落ちる…」
鼻息荒く奏の首にロックを掛け、引きずって行く内海の腕力は存外強く意識が落ちそうになったまま二の腕に視線をやる。
よく見れば筋肉隆々である。細マッチョめ。
……
…………
「八雲!新人を連れて来たぞガイドシーケンスを頼む!」
「お待ちしておりました…おや?柚木様の具合が悪そうでございますが」
「おえぇ…死ぬッ」
着物姿の青年…八雲が大我の後ろに続く2人を整然と見やる。いやに長い間落とされかけていた奏は内海の腕の中で白目向いて泡を吹いていた。
ーー3Dで展開されるホログラムが八雲の手の上で様々に分解、再構成され目まぐるしく計算の結果を変える。
「改めて申し上げますが、私たち特務機関の任務は正体不明の怪物の調査、戦闘。戦闘の際、僭越ながらオペレーターを努めさせていただく八雲でございます。以後お見知り置き下さい」
丁寧にお辞儀をする八雲の髪が白銀にサラサラと揺れる。
頭を上げ、様々な種類の武器から収集された戦闘データをホログラムに反映し、金魚草のように儚げな笑みを微かに称えた。
「戦闘任務の際、任意のチームを組み流星災害跡地へ出向いていただきます。その際、武器の携行をお忘れになりませぬようお確かめ下さいませ」
武器、戦闘、およそ非現実的な会話を前に内海は何かを思い出したように丸い眼をパチクリと瞬かせる。
「あっ!そういえば武器って、本物…ですよね?そしたらぼく達捕まっちゃうんじゃ…?」
「案ずるな、我々は法の外で息を潜める存在だ。それに正義の刃を撃ち砕く馬鹿などこの国には存在しない」
なるほど、とはならないであろう答えを出し大我は得意げに口角を上げる。
ご機嫌な大我とは正反対に、八重歯が見えるほど奥歯を噛み締める奏はある単語が気に食わない様子で喧嘩上等として彼に噛み付いた。
「…おい、その"我々"とか、俺も入ってんじゃねぇだろうな」
「当たり前だ。貴様は特務機関の一員になる運命だとさっきも言っただろ」
「あのなぁ、いい加減にしろよ!俺は外に出たいわけ、あんたらが言うような変な仕事は御免被りたいんだよ!」
円卓を挟み真向かいに立つ相手に対して奏は声を張り上げ、猛烈な抗議をする。
腕が届かない故に殴り合いにこそ発展しなかったものの、それでもやいのやいのと言い合う2人に八雲は衣擦れの音も立てず右手を上げその場を制した。
「…そのお話ですが、私の方から社長へお伝え致しましょう」
「はぁ…?」
「ですが、今回の任務を遂行するという条件の下です。その後の柚木様の自由は私が保証致します…其れで、宜しいでしょうか」
銀細工のようなまつ毛の下からシトリンの瞳で八雲は奏の疑いに染まった目を捉える。
十字を切った紋様が浮かぶ眼で見られると、言いようの無い不安や沸き立つ怒りが深い海の底に沈んでいくから不思議な物だ。
「…本当に?あんたを信用していいのか」
「ええ。ご期待に添えましょう」
八雲は瞳を閉じ、奏を安心させるよう笑みを浮かべる。
これが彼の有する"異能"かは知らないが、一縷の望みが紡ぎ出せたという期待と…半ばヤケクソで奏は賭けてみることにした。
「…あぁ、いいだろう。分かったよ。やってやろうじゃねぇか」
青白く光る点描が剣の形を為していく。
空虚に燦然と輝く契約の象徴を奏は迷わず手に取った。