1.Take over[後]
「柚木 奏、特務機関の命によりお前をニホンへ連れ帰る。泣こうが、いくら文句をたれようが、お前に拒否する権利は」
「無い」
某国 ある公園 9:38AM
時刻は正午に差し掛かり、暖かな日差しが厚い雲間から顔を覗かせる。
「ハァアアアアアアッ」
子供たちが元気に遊び回る小さな公園全体に大きなため息が響き渡った。
「なにその顔、ホント腹立つ」
「いやだって…なんで来てんの?」
「うるさいハゲ!」
「ぶふぇ!聞いただけなのに!」
理不尽な暴力が奏を襲う。
あからさまに嫌そうな表情をする奏はイライラしたリタに思いっきり頭をはたかれて、前のめりにつんのめった。
「ホンット、サイテー!あんたなんかもっかい消えればいいのに!」
「ハァ⁉︎さっきは探したとか言ってたじゃヴフゥ」
「黙らっしゃい!」
理不尽な暴力(二回目)
目の前のサンドバッグを景気よくぶん殴り続けるこの強気な少女リタは、奏が生活をしていた養護施設で生まれ育った唯一無二の親友…は建前にして、単純に言ってしまえば好意を抱いている存在だった。
長いまつ毛の奥にエメラルドに似た丸い瞳が陽の光を受け艶めき、濃紺に輝く髪が北風にサラサラと揺れる。
「…………」
「…急に黙んないでよ、もう。調子が狂うなぁ」
突如として抵抗をしなくなった相手を前にリタはグッと握り締めていた拳を緩め、戦闘態勢から解除した。
油彩画に閉じ込められたような一瞬から現実に戻った奏は喉から出かけた何かを咳き込み散らし、話を戻す。
「え?…ごほっ!げふっげふっ、いや相変わらず変な顔してんなって思っただけ。それで、何の話だっけ?」
「なによ…はぁ。あのサングラスの人から奏が帰ってきたって聞いて…それで…心配で…会いたかったんじゃない…」
うつむきがちだった顔を上げたリタの表情は、潤んだ瞳に唇を震わせ、耳まで頬を紅潮させた、いじらしいぐらいに可愛い物だった。
「へっ、え…?」
予想外の反応に心臓が飛び出しそうになる。
全身の血液が沸騰し、身体の内側からマグマが煮えたぎり火を噴きそうなほどの熱が頭を突き抜けた。
遠くから見ても分かりやすく照れが入った、実に真っ赤な顔だったと奏は思う。
どう返事すればいいか分からず、挙動不審に辺りを見回す奏の額をリタは小突いていつも通りの快活な笑顔を見せた。
「…なんて、冗談に決まってんでしょ〜。ほ〜ら!二年分のショッピング付き合いなさいよ!」
「冗談……っておい!そんなのいだだだだだ!」
耳たぶを引っ張る力の強制力たるや。
有無を言わさぬ彼女と歩くのを…奏は内心楽しみに頬を緩ませていた。
某国 噴水広場 6:54PM
「ほらどーよ!ストロベリーチョコミントバナナパンキッシュオールスターカオス美味しいよ!ん、食べたら?」
「いらねぇ。マジそれどんなアイスなんだよ」
ワッフルコーンに山々盛られたビビッドカラーのアイスに奏は眉をひそめた。
なにやら近頃、写真写りに特化した”ボンボンバニッシュアイスクリーム”という店が女子に人気なのだとショッピングの最後に連れてこられたが…色彩に圧倒され、頼むことなくリタイアして逃げて来たのだった。
安定のキャラメルポップコーンを貪る、流行が理解出来ない男にリタは言う。
「味は普通だけど見た目がすごいのが良いの!見てこれ超可愛いでしょ!味はホント普通過ぎて言うことないんだけど」
「ひどい奴だ。見た目だけならせめて写真撮って思い出にしてやりなさいよ、ほれほれ」
足元に溢れたポップコーンをせっせか突っつく鳩と戯れながら奏は息を吐く。
「ぁあ⁉︎ 写真撮るの忘れてたぁっ‼︎」
リタは既に半分まで減ったアイスの残骸を慌ててスマホで撮り始めた。
………
……………
…黄昏時、茜色に染まるパンジーがふわふわと風に囁きを乗せる。
賑わうショッピングモールから少し離れたばかりにもかかわらず2人が腰を休める噴水広場は閑散とし、人が一人も居なかった。
互いに何を発するでもなく安穏とした心地よい空気が流れていく。
「……今日は、楽しかった。…ありがと」
「そっか。良かったな」
薄紫に霞む雲を眺めてふと隣に目をやれば、同じようにこちらの眼を見つめる相手が居た。
右手にリタの飾りっ気ない指が重なり、体温の違う温もりが肌を伝って鼓動が早鐘を打ち鳴らす。
だが次に紡がれた言葉は、燃え上がっているこの気持ちが奏にとっては脆く儚い物であったと気づかせた。
「………奏、約束して。今度居なくなる時は…ちゃんと言って。もう勝手に居なくならないで…!」
「それは……」
涙を堪えて震える彼女の肩を抱こうと出した手は、自らが触れてしまう事を拒んで行き場なくさまよう。
ーー約束を
小指を結んだあの日と、業火に包まれる我が家の記憶がフラッシュバックして苦痛に顔を歪ませた。
ーーー約束をしたら、君はどうなる?
[バサバサバサッ、カァー!カァー!]
カラスが飛び立った先、人気がなかった筈の広場に1人の男が立っていた。
濃紫色の長い髪を三つ編みに纏めた、黒曜石が如く鋭い殺気を放つ美しい青年が。
「お前がKか?柚木 奏」
その青年はロングのミリタリージャケットをはためかせ、異国語で奏達に語りかける。
一瞬何を言われているか理解が出来なかったが、直ぐにあの国の言葉だとピンと来た。
「…ニホン語か?何の用だ」
とっさに出た母国語を聞き、青年は口角を上げ妖しげに笑う。
「なんだ、喋れるんだ?用件ついでに先に挨拶しとこうか」
ブーツが仄青いタイルを蹴る度、金属が打ち付けられる小さな音が規則的に植樹された沿道の木々に吸い込まれていく。
ただならぬ気配を感じた奏は、いまいち状況を掴めていないリタを背に身構えた。
「相賀 秋声だ。時間がないから簡潔に言うが、今からニホンに来い」
「簡潔過ぎて意味分かんねぇ…イヤだ、って言ったらどうする?」
「くだらねぇ事聞くんじゃねぇ。これは命令だ、お前が選べる選択肢など存在しない」
一歩、また一歩。秋がこちらへ距離を詰めると息をするのさえ許さない重圧が霧の如く充満して、肺の中から喉を握り込まれた感覚に陥り苦しくなる。
今まで感じた事のない、張りつめられた糸のような緊張感にリタの額から冷や汗が伝って顎へ流れ落ちた。
「奏…今の会話…」
聞き慣れない外国語だったが、内容は分からずとも掌から伝わる彼の殺気に言い知れぬ不安がリタの脳内を巡った。
奏は返事の代わりに小声で、ある合図を送る。
「…リタ、隙を作るから逃げろ」
「とにかく人がいる方向、警察でもなんでもいいから人を呼べ…お前、足早いだろ。俺もなんとか逃げるから心配すんな」
後ろ手に手を握り、安心させるように笑ってみせる。
ニホン人と名乗る青年は、胸の下を通るベルトに備え付けられたガンホルダーから二丁の拳銃を取り出して、2人に銃口を向けた。
「柚木 奏、特務機関の命によりお前をニホンへ連れ帰る。泣こうが、いくら文句をたれようが、お前に拒否する権利は」
「無い」
躊躇なく引かれたトリガーから放たれる発砲音に、カラスが鳴き喚いた。
………
……………
病院の待合室に掛けられている時計の針は既に夜の7時半を過ぎている。
夜の帳が黄昏を隠す中、ロイはスマホに目を落としてメールを送り、返信を待って目を瞑り腕を組む。すると1分も待たず奥さんからのメッセージウインドウが表示された。
[ケイ君はまだ帰ってないわよ、どうしたの?]
何時だって悪い予感は的中する物だ。
昼近くに出掛けていった奏が未だ帰っていないという報せを受け、背中を丸めて思考する。
[今日は帰れないかもしれない。楽しみにさせて悪]
…そこまで文字を打って指を止めた。
唇に指を置き、考え込んだロイは文章を削除してもう一度新たに書き直し…躊躇いながら送信する。
[いや、なんでもないよ。少し遅くなりそうだから食べててくれないか]
相手の返事は待たず、画面を暗転させてポケットに突っ込んだ。
…襲撃されたファミリーの1人は全治二週間と大事には至らず、駆けつけて直ぐに退院したものの頬に真っ赤なヒールの後が付いていて何故か恥ずかしそうに身を縮こまらせていた。
大怪我した経緯を聞いたロイは拍子抜けしたようにケタケタ涙を浮かべて大笑いする。
「ぶはははっ!バカだね〜。後ろ姿見て綺麗な女の子だと思って声をかけたら男で、そのままぶん投げられたってか。は〜凄いなそれははははっ!」
「そ、そんな笑わんでくださいよ!綺麗な髪だったし、足も細かったですし…知らなかったらロイさんもきっと騙されてますから!」
坊主頭の青年は真四角の痣を恨めしそうにさする。
得意げに片目を瞑るロイは、指先でサングラスをふらふら揺らして青年に本日6回目の問いを投げかけた。
「あのね、ロイさんは浮気なんかしませんから。…それで、お前は何を聞かれた?」
「……Kさんが今何処に居るかと聞かれ、自分は何も知らない、分からないと答えました」
「そう、やっぱりKが狙いか…」
もはや聞き慣れた7回目の回答に、大きく息を吐いて真っ白な天井を仰ぎ見る。
その様子を不可思議に思ったのか、青年はおずおずと疑問を問うた。
「あの、ロイさん。自分の他にも襲撃された奴が居るんですか?」
「居るよ〜、後6人。おそらく全員同じ奴から襲われてる。…何処のネズミかと思ったらとんでもない化け猫から目ぇ付けられたみたいだなぁ」
襲われた1人が命からがら撮った写真は、多少ピントが合わずぼやけているが確かに坊主頭の青年が罠にかかったあの謎の男だった。
「ミリタリージャケットを着た、濃紫髪の男…!マフィアの新しい殺し屋ですかね…俺たちに続いてKさんを狙って…!許せません!」
「落ち着け…!Kは簡単に殺られるような奴じゃないって。でも早く見つけた方が…」
ポケットの中で眠るスマホが振動で着信が入ったのを知らせ、2人の話を遮る。
右手を上げて静かにするよう青年を制したロイは病院を抜け、入り口付近の喫煙所で電話を受け取った。
『ハアッハァ……ロイさん⁉︎助けて…!お願い…!』
「その声、リタちゃんか…⁉︎どうした何があった!Kは…奏はどうした⁉︎」
『奏……襲われて……ごほっ、それで…逃げてきたの!ごほごほっ』
「え?奏に⁈…いつかやると思ってたんだよ、あいつ…待ってろリタちゃん!今どこに居るんだ!ぶん殴って…」
『えっ⁈ちょっ!違う違う!私じゃなくて奏が襲われてるの!』
噴水広場から遠く離れた路端でリタは呼吸を整え、とぼけた事を言う電話口の向こうへ声を荒らげた。
「ーーミリタリージャケットの男に拳銃撃たれてるの‼︎」
背後から銃声が何発もこだまし肩をすくめる。
振り返り噴水広場へ顔を向けた時、こめかみ辺りに嫌な感触がして身体が鉄のように硬直した。
「嬢ちゃん、ここで何してる?」
カチャリと突き付けられた拳銃は月灯りの下で鈍く光を反射しており、耳元で囁いた男の声は電話口まで届きロイに警告を発した。
「リタちゃんどうした⁉︎今何が起きてる?おい!」
『離して!イヤ‼︎触らないで!』
揉み合うような雑音がした後、破壊音と共に通話が途絶えた。
「…リタちゃん?返事しろ!クソっ!奏…‼︎」
刻々と悪化していく事態を止める事が出来ず、悔しさに唇を噛み締め血が滲む。
天には鮮血のような紅い紅い満月が登っている。
「うらぁあっ‼︎」
ーー地面を強く踏み出し、強烈な一撃。
だが渾身の力を込めた攻撃も難なく受け止められ、左手で足首を掴まれた奏は抵抗虚しく腹部へ数発の銃弾を撃ち込まれる。
[バチッ、バシュッ、パチン]
瞳孔の開収縮と共に弾き返した相手の攻撃に転じ、足首を軸に捻り上げた下半身で首をかけて地面に叩きつけた。
ドスッ、という鈍い殴打音が骨から通じ耳に伝わる。
しかし攻撃が通った様子も無く素早く体勢を整えた秋は同じく立ち上がった奏の背後を取り、大蛇が獲物を締め上げるような強靭な腕力で喉の骨を軋ませた。
「ぐっ…あ″ぁあぁぁ」
もがき苦しみ爪を立てる奏の耳元へ顔を近づけ、ゾッとするような声音で囁きかける。
「百年早いんだよ、馬鹿が」
「…ゔぅ、あ″…う…るっせえ、なアアァァ‼︎」
真紅の瞳が真黒に染まり、瞬間的に走った閃光が秋の身体を夜の雑木林へ吹き飛ばした。
電灯のアークが弾けガラスを粉砕し、衝撃波になぎ倒された沿道の植樹が上げた土煙は月光で朱色に映される。
「ッあ…、…痛っ…うぇッ、ヴっ、ガハッゴホッ」
目の前の色彩がチカチカと反転し、頭の奥が痺れて感覚が鈍り足元がふらつく。
内臓を手で掻き乱されたように波打つ腹部の不快感に耐えきれなくなり吐き出した液体は、黄色と赤が混じった奇怪な模様をしていた。
口中に広がる酸と鉄の味に、奏の顔は一層酷いものになる。
ーー厚く張った雲が唯一の光源である紅い満月を街から遠ざけ、刹那の間、濃密な暗闇が噴水広場に満たされる。
月の灯りが漆黒の洪水を引かせた時、頭から血を流した秋が整然と奏を見つめていた。
「はぁ、はぁッ…この野郎…やめる気になったか、…あぁ?」
「…ミジンコ如きが調子に乗んな、この微生物共が」
「はぁん⁉︎もう許さねぇぶっ飛ばしてやらぁ!」
微生物呼ばわりにとうとう我慢ならなくなった奏が己の満身創痍を忘れ、正面切って特攻する。
装填し、銃を構え直した秋が狙いを定めて弾丸を放つ。
[カチカチカチ、カチリ、パァーン‼︎]
命中した肉体はゆっくりと倒れて、魂が抜けた悲壮な表情を浮かべていた…のを、奏は側と見ていた。
葉擦れの乾いた音が周囲を取り囲み、武器を構える黒服の集団が車のヘッドライトで2人の輪郭をはっきりと照らし出す。
「うわまぶしっ」
突如として逆光に浮かび上がった奏は目を細めて乱入者の確認をすると、先ほどまで戦い続けていた相手と背中を預け合うこととなった。
「おいおい、マフィアのご登場じゃねぇか…冗談きつすぎるだろ全く…!」
「要らん邪魔が入った、話し合いは後だ」
背中合わせに構える秋は、奏を責めるような冷たい視線を送る。
「俺の所為じゃねぇよっ!てか話し合ってねぇし…」
「ご、ごめんね…私の…せいだ…」
割り込んだ声は少女の物で、両手を上げ車の陰から現れた幼馴染の顔に愕然と言葉を失った。
「…リタ⁉︎逃げたんじゃ…⁉︎」
「”ボアが飼う異能者”と”正体不明の異能者”。2ついっぺんに手に入る機会があるなら、逃さない手はないだろ?」
”異能者”という単語に、リタの瞳は動揺に揺れる。ニヤニヤと悪どい笑みを浮かべる黒服の男は、幼気な少女のこめかみに銃口を押し付けた。
『ーーお、まえ…ボアの異能者か…?』
鼻が折れ、治療した生々しい痕跡が残る顔に秋の記憶が蘇る。
暗いトンネルの中で受けた、ただただ不快で下劣な言動も思い出し社長から禁止されていた舌打ちをしてしまう。
「チッ…下衆野郎が…」
「奏…”異能者”って、嘘でしょ…?」
「リタ………」
微弱に震えるリタを前にそれ以上の言葉が出てこない。
鼻が折れた男は秋に銃口を向け、高らかに宣言する。
「”ワクチン”の効果がどれほどか、捕獲ついでに試してやろうかなァ!…特にお前、後でたっぷり可愛がってやるよ」
「よくもまぁベラベラ喋って口が減らねぇな。少し黙れよ、下手に舌でも噛まれたら厄介だ」
愛用する二丁拳銃のリロードを済ませ、自然な動作で踵を二回打ち鳴らすと歯車が起動し機巧が徐々に銃身へ変形する。
四対一丁の銃で武装した秋は紅い月の下で妖美にその身を捻らせた。
「…撃てェッ‼︎」
最初の一発を合図に銃撃戦が開幕する。
「キャアアアアアアア‼︎」
恐怖に耳を塞ぎ車の横にしゃがみ込む。
ヘッドライトが明滅し、発射されたワクチン試剤入りのラバー弾を全てはね退け剰え撃ち返した。
複数の呻き声に陣形の空白を見抜いた奏はそちらの方向へ猛然と走り去り、残った秋は攻撃の雨を避ける様子もなく悠然と立っている。
「クソ!ワクチンが効かねえ‼︎」
銃撃、装填、銃撃--。
命中している筈の標的には穴が1つも空いておらず、ただ冷ややかに男を見ていた。
…黒く伸びた影の上、秋の指先が常闇を讃える漆黒の水に変わり乾いた地面に吸収される。
足首、ふくらはぎ、太ももから特定の輪郭を無くした黒い水が揺らぎ、蠢き、次第に肉体の組成を不安定な状態にさせた。
弾丸を水の中へ撃ち込む手応えのない感触。まさしく、秋の身体は今”黒い水”そのものだったのだ。
「…………」
口角を上げ、光を通さない純黒の液体と化した秋はとろりと闇の淵へ流れ出で夜に消える。
姿を消した秋に慄き後ずさった男は、無闇矢鱈に拳銃を振り構えて不気味に横たわる雑木林のシルエットに銃口を向けた。
「⁈ どこに行った…!」
手が届きそうなほど迫る満月が男の足元に影を落とす。
円形状の歪な池に波紋が映った。
「ここだよ」
「あ」
逆さまに飛び出した踵が顎に直撃し、衝撃に折れた歯が弧を描きタイルの隙間に入り込む。
大きく後方へ弾かれた男は、白目をむいてピクピクと痙攣しながら気絶していた。
秋は男が持っていた拳銃を手早く解体し、植え込みへ投げ棄てる。
「喋る暇無かったな」
怯えて身を縮こませるリタを見下げる秋は、一息つく事なく周りを取り囲んだ黒服達に四丁の銃を構えた。
「ぐわあぁ!」
「…どいつも!こいつもぉッ!」
「うわあああっ」
勢いよく背負い投げた男の1人が仲間を巻き込み再起不能になる。
何本もの銀糸の残影を避け、奏は男達が構える銃を触れる事なく破壊した。
殴り、蹴り、投げ、受け身を取り、また投げる。
まさに乱戦--。
壊れた街灯を凄まじい念力で捻じ切り、向かってくる男達が怯んだ隙を突いて衝撃波を放った。
胃から逆流する血を吐き、喀血に気道が塞がれ苦しくあえぐ奏の背後を狙う男が、一発の銃声に沈黙する。
「ぁがっ……」
ブーツの踵部が変形した特殊銃から仄白い煙が上がった。
「二回目。背中がガラ空きなんだよ」
「ハァッハァッ…うぇ…ごふっ…」
余裕さえ感じさせる秋にもはや反論が出来ないぐらい疲弊した奏は、凶弾に倒れた男を見てある事実に気づく。
「………生きてる?」
スヤスヤ寝息を立て眠る男達に撃ち込まれたのは、象をも眠らす強力な麻酔針が仕込まれたラバー弾だった。
広場の入り口から大勢の足音やエンジン音が聞こえて、護身用に持っていたリボルバーを構えロイが血相を変え突入する。
「居た!銃を捨てて今すぐ離れろ!…大丈夫か奏‼︎」
「…俺はいいから、あいつを頼む」
「……かな、で……」
「……リタ」
ロイに肩を支えられ、ようやく立つ事が出来た全身を震わせる少女の姿は実際、奏の想像よりか細くていつもの強さなど微塵も感じられ無かった。
血と泥に汚れた指先が無意識に彼女を求めてその青ざめた頬に触れようと手を伸ばす。
「怖い思いさせてごめんな」
「イヤっ!…あ…ちが、違う…違うの……そんな…」
「…そう。そう、だよな……ごめん」
突き刺さった拒絶が夢から引き離し、心臓に棘が刺さったように息が詰まった。自身から滲み出る嫌悪の感情が大切な人を遠ざけていってしまった現実に涙をこぼしてリタは謝り続ける。
「違う…許して……いかないで!いかないで……いやあぁぁ…」
「奏…待て…奏‼︎」
呼び止める声はもう届かない。
無気力に歩く青年の背に銃声が反響した。
午前7時30分 ??? 某所
額に触れた手の温もりは心地よく、ずっと眠っていたい気分だったが意識が覚醒した為仕方なしに開眼する。
「……あったかい…」
奏がぼんやりと呟いた声に気がつき、花が咲くようにふんわり笑みを浮かべる人物が居た。
「おはようございます。目が覚めました?良かった…傷がひどかったので一時はこのまま目を覚まさないかと…」
銀に近い白髪に、腰まで伸びた髪をハーフアップにした着物姿の青年がこちらの顔を覗き込んでホッと胸をなでおろした。
蓮の花が立って歩いているような、不思議で柔らかな神聖な雰囲気を纏っており何故だか気安く話しかけるのを躊躇わせる。
「……ここは?」
「治療室です。私たちには通常の治療薬が効きませんので、此処で大小関わらず様々な医療を受けています。もちろん貴方も」
嫌に白い壁で四方を囲まれた部屋には他に見ない医療器具が並んでいる。
上半身を起こし、窓の外を確認すれば歪んだビル群が眼下に広がり異質な光景を創り出していた。
「…どこなんだ?」
「トウキョウ、珠兆木にあります
”特殊技能調査執務機関アニムス”です。私たちは略して特務機関アニムスと呼んでいます」
「トウキョウ…特務、機関…」
およそ聞いた事がない単語に小首を傾げる奏に、白髪の青年はくすりと微笑み綺麗に畳まれた洋服を差し出す。
「はい。動けるようでしたら此方にお着替えください。会議室で皆様がお待ちしておりますよ。では、私は外に出ていますので」
青年は、指先まで意識された艶麗な所作で丁寧なお辞儀をして足音を立てず去って行く。
渡された洋服を傍らのテーブルに置き立ち上がった。
……五分後、用意されていた革靴に白いカッターシャツ、上質なベストを着こなし現れた奏を扉の外で青年が出迎える。
「よくお似合いですね」
「…どうも」
案内されるがままエレベーターへ乗り込み、地下へと下っていく。
五階、四階、三階、二階、一階、地下一階…エレベーターは地下二階と表示した所でベルを鳴らし潜るのを止めた。
「………」
空調さえ耳に残る静寂を2人は歩く。
長い長い廊下の突き当たりに象牙色の両開き扉が閉ざされていたのを青年は2、3回ノックし、開け放った。
「失礼します。皆様お揃いでしょうか。柚木様が目を覚まされたので御案内致しました。…お入りください」
中央に円卓が置かれた純白の部屋の中には既に10人の青年がそれぞれ自由に”会議”の開始時刻を待っている。
椅子の上で器用に足を折りたたみ眠る者やスケッチブックにイラストを描いている者。犬と戯れる者や学生服にスマホをいじる者等々…それこそ千差万別だった。
その中の1人、前髪をピンで止めたパーカーの青年と奏は目が合い人懐こい笑顔で手を振られる。
[ザザ…ザザザッザザッ……]
その時、スピーカーからノイズが流れ部屋いっぱいにホログラムウインドウが浮かび上がった。
狗の面を着けたスーツ姿の男性が半透明に表示され、やけに陽気な音声を開通する。
『あ、あ、本日は快晴なり…グッモーニン”星の子”諸君!よく眠れたかな!社長の不二木です!重大なお知らせですよ!みんなもワクワクしながら聞いてね!』
笑顔いっぱい、大きな身振り手振りで快活に話をする社長を前に円卓の間に集まった青年達の注目が集まる中、得意げな表情で社長は言う。
『本日よりProject iが始動しました。特務機関アニムスは名を改め”プロダクションアニムス”となります。そうですそうです!君たち星の子には文字通りスターに…』
『ーーアイドルになっていただきたいと思います!』
沈黙、そしてざわめき。
「………ハイ?」
ホログラムの向こうに居る人物が何を言っているのか…奏だけではなく全員よく分からなかった。