第五話「六月の章②」
2勝1敗、鳥山中リードの状態で勝敗の行方はシングルス4上原に託された。
「一ノ瀬ええええ!良かったぞ最後!二宮もよくやった!」
まだチームの勝ちは決まっていないが、急造一年ペアの活躍に鳥山中ベンチは沸いている。
「イチー!ニノー!ナイスナイスー!」
観客席から応援している一年メンバーも、大喜びの大歓声だ。
「すげえプレッシャーだよ、まさか勝っちゃうとはなぁ…」
上原がストレッチを終えて立ち上がった。
「ウエ、下山まで回さなくていいからな!お前で決めてこい、遠慮はいらん!」
佐々木が豪快に上原を送り出す。
「遠慮なんかしませんけど…」
苦笑いで一番台についた上原の相手は冨樫中3年の小麦。ひと学年上の相手が持つ威圧感に気を引き締めながら、上原は去年の新人戦を思い出していた。その大会で、上原は小麦と松坂が当たっているのを観ていた。松坂はさして苦戦せず勝ちを収めていたように見えた。
主審の前で先攻決めのジャンケンを行い、勝った小麦が先攻を取る。両者は自分のラケットを相手に差し出した。
試合の開始前には、必ず行われることが決まりごとがある。
まずは先攻後攻を決めるジャンケン。このジャンケンに勝つと、先攻を取るか後攻を取るか選ぶことができる。
次にラケットの交換。お互いに相手のラケットが不正な道具でないかどうかを確かめたり、どんなラケットにどんなラバーを貼っているのかを観察する。とりも直さず、それは相手の戦い方の予想にも繋がる。
そして最後に、数本のラリーでウォーミングアップを行う。
ラケット交換を終え、ラリーをしながら上原は考えていた。
去年の試合、松坂先輩と小麦の試合は松坂先輩が勝った。小麦は典型的なショートマンタイプで、松坂先輩がとにかくドライブで攻めまくり、押し切った。おれは表ソフトの速攻型だ。松坂先輩のような強いドライブは打てない。でも、攻めまくり押し切ることはできるかもしれない。
3本のラリーを終えるとタオルで軽く額を拭い台に向かった。
小麦の一球目はフォア面に貼った裏ソフトからのナックルサーブ。上原のラケットがペンホルダーで、オモテ面に表ソフトを貼った典型的な前陣速攻型のラケットだった為のサーブと見えた。回転の影響を受けにくい表ソフトラバーに、回転系サーブは効果が薄い。
やっぱりナックルで来たな。
予想通りの寄せ手に、上原はバックハンドで切り返した。お手並み拝見と言わんばかり、これは小麦のバック面に貼られた粒高ラバーへの挑戦だった。
ゴッ…と、粒高ラバーが独特の打球音を立て、上原のバックサイドへボールが返る。返った打球は上原の放った僅かな上回転から下回転へと姿を変え、それも回転数を上げて戻って来た。
すかさず上原はバックサイドへ回り込み、フォアスマッシュを叩きつけた。打球は微かに台のフチを掠め、そのまま床へと転がってゆく。
「ヨォォォ!!ラッキーラッキー!!」
背後が歓声をあげる中、上原は「すみません」と軽く頭を下げた。試合中、今のように台のフチへ当たり床へ逃げるエッジボールや、ネットに引っかかりつつ相手コートへボールがインしたネットボールが起きた場合は、対戦相手に謝るのがマナーである。
会釈をしながらも上原の思考は止まらない。
こういう球が返ってくるのか…。
上原は粒高ラバーとの対戦は初めてだった。チームメイトにも粒高使いはおらず、予習や対策などはしていない。粒高の返球は回転が逆になって戻ってくる、という予備知識のみで攻撃を試みて成功はしたが、今回は運が良かっただけのような気がした。
間髪入れずに次のサーブを小麦が繰り出す。さっきと同じナックルサーブ。上原も同じにバックサイドへ切り返す。一球目のリピートのように、バックサイドへ下回転が返ってきた。
展開が同じ過ぎて気持ちが悪い。しかし、取れる時に取る。数秒前の自分のプレーをなぞるようにバックサイドへ回り込み、スマッシュを放った。しかし、この打球だけは先刻の焼き直しとはならず、ネットに阻まれ小麦の得点となった。
「イエェェェェ!ラッキラッキ!!」
小麦が声を上げ、冨樫中ベンチもそれに呼応する。
「ウエー!回転読め!表だからって粒高相手にゃ通用しねえぞ!」
後ろから松坂の声が聞こえた。
そうだ。例え表ソフトが回転に鈍感とはいえ、全く影響を受けないわけではない。今の球は自らドライブをかけなければ、沈んで当たり前の球だった。
上原にサーブ権が移り、この試合最初のサーブ。上原は手首をしならせ、表ソフトで下回転サーブを繰り出した。切れろ!心の中で叫ぶ。
表ソフトは回転の影響を受けにくく、また自ら回転をかけることにも不向きだが、「回転の影響を受けないラバー」という解釈は誤りだと佐々木に教えられたのは半年前だった。
「確かに守る時には回転を受けにくいが、表ソフトも攻める時には回転だってかけられるんだ。世の中にはキレキレの下回転サーブ出す表ソフト使いだっているし、ゴリゴリのドライブを打つ表ソフト使いもいる。試しに半年間、下回転サーブの練習してみろや。」
そう言われ、上原はサーブ練習の時間全てを下回転のサーブに充ててきた。
表ソフトの打球面、ラバーシート上に無数に並んだ短い円柱の天辺が順繰りにボールの曲線を擦っていく。擦られつつ押し出されたボールは勢いよくネット際へバウンドし、そのまま小麦側のコートへ入った。
「切れていようが切れていまいが選択肢はこれだけだな」
と言わんばかりに小麦の粒高がツッツキでレシーブする。
戻ってきたボールに目を凝らす。ボールの表面に3つ並んだ星のマークが、奥から手前に向かって流れているのが見えた。上原の下回転が切れていて、それが粒高によって上回転で返ってきた証拠だ。
ここから先は去年の松坂戦法だ。素早くボールへの射程距離に滑り込んだ上原はバウンド直後の上回転を叩く。ボールの頭を上手く押さえ込んだスマッシュが小麦のコートへ返る。そこで再び小麦の粒高ブロック。上回転が下回転へ逆転して上原のコートへ戻った。上原はドライブが苦手だ。表ソフトのペンホルダーを握った時から、攻撃はスマッシュ一辺倒だった。それで充分だと思っていたし、スマッシュこそが前陣速攻型の矜持だとすら思っていた。しかしこの状況では、もはや四の五の言っていられない。右ひざをかがめ、体重を一気に右半身にかける。瞬間、力を開け放つようにボールへ向けてラケットを振り抜いた。このラリーの口火を切った下回転サーブを打った時のように、ラバーに並んだ無数の円柱の1つ1つがしっかりとボールへ噛み付き、摩擦を起こすようにイメージを働かせる。上がれ!と心の中で強く叫んだ。
ペンホルダーラケットを離れたボールは大きく放物線を描き、唯一の障害物であるネットの上を通過すると、小麦のコートへ飛び込んで行った。




